第5章 超越者たち ⑩

 辰神の末路を見届け、目を閉じる。


 にわかに訪れた静寂を破ったのは栞ちゃんのすすり泣く声だった。窮地を逸し家へ帰れることの喜びか、凄惨な殺人現場を見た恐怖か……それはわからない。だが彼女は俺が彼女に害をなすつもりがないことはわかっている。親元へ返すという意志も伝わっているはずだ。少し泣いて落ち着けば俺の話も聞き入れるだろう。


 ――問題は。


「……さて、決着はついたね」


 シオリが口を開く。


「あんた的には、アタシが襲った人間のけじめをつけなくちゃいけないだろう?」


「……そうだな」


「さあ、殺りな。あんたを殺して生きながらえるなんて恥はかきたくないね」


「……シオリ、俺は」


 シオリの言う通りだ。けじめはとらなければならない。


 けど、俺がシオリを殺すのか?


 ……いや、やるべきなのだ。俺は自分にそう言い聞かせ、辰神を撃ったその銃をシオリに向ける。


「そう。それでいい」


 シオリが目を瞑る。その表情は穏やかだ。覚悟は決まっているのだろう。照準は額。後は引き金を引くだけですべて終わる。


 ……なのに。なのに、指が動かない。


 既に能力――《深淵を覗く瞳(アイズ・オブ・ジ・アビス)》は解除している。それでも過ぎていく一秒一秒が永遠に思えた。


 ……そしてそのままどれくらいの時間が過ぎただろうか。一分か、二分か。いや、十数秒かもしれない。一瞬とも永遠とも思える逡巡の中――


「……兄さん」


 呼ばれてハッとする。いつの間にかカズマくんが脇に立っていた。撃ち抜かれた両腿から血を流し、立っているのもやっとといった様子だ。


「カズマくん……」


「ここは、俺が」


 そう言って、俺が構える銃に手をかけてゆっくりと下ろす。


「……うん。タケルに任せてたら夜が明けちまう。あんたに任せるよ」


「あんた、兄さんの保護者だったんすよね?」


 俺の関係者と聞いて、俺を兄さんと呼ぶカズマくんは敬語で問いかける。


「……そういう立場だった頃もあるね」


「そうすか。それでもあんたはウチの前会長を襲撃した。けじめは取らせてもらうっすよ」


「……ああ」


 それきり、シオリは唇を真一文字に引き結ぶ。カズマくんは俺が貸した拳銃をシオリに向けて引き金を引いた。


 銃声。放たれた弾丸は一直線に飛び、シオリの――左腕、丁度肘のあたりを撃ち抜いた。兼定氏が失ったのと同じ、左腕。


「……っ……」


 シオリがくぐもった呻き声を上げる。


「カズマくん……?」


「……会長――前会長も左腕でしたから。腕を落としたわけじゃないすけど、肘を砕けば元通りにはならないでしょう?」


「……カズマくん、それは」


 シオリを見逃すと言うのか。俺の保護者と聞いて。


 自分が今どんな表情をしているかわからない。その俺の顔を見てカズマくんが言う。


「兄さんが言いたいことも分かりますよ。前会長と襲撃者じゃ格が釣り合わないだとか、幹部連中が黙っちゃいないとか。けど、俺はスカムの三代目なんすよね? 文句は言わせないっすから」


「……アタシが言うのも何だけど」


 撃たれた左腕を押さえることもなくシオリが言う。見れば肘から下が出血で真っ赤に染まっている。銃創は肘の位置。肘関節は絶望的に破壊されているだろう。


「殺っといた方がいいんじゃないかい?」


「主犯の辰神はきっちり殺りました。兄さんは責任を果たしたっす」


 カズマくんは言って銃をベルトにねじ込んだ。そしてシオリから俺に向き直り、


「この後、この人をどうするかは兄さんに任せます。生かすも殺すも。ただ……」


「……ただ?」


「……夏姫姐さんを泣かせるようなことは」


「……ああ、そうだね。わかってる」


 前会長の孫娘、夏姫を気遣うカズマくんの言葉。いや、そう見えて俺を気遣う言葉だったかもしれない。


 俺は、その言葉に。


「――シオリ。俺は、あんたを……」


 宣言の意味も込めて、カズマくんと栞ちゃんの前で、シオリをどうしたいか。


 それを口にした。




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