第5章 超越者たち ⑧

 ここまでか。こんな生き方をしてるんだ、覚悟が無いわけじゃない。しかしこんな俺を殺す相手が俺を拾ったシオリというのも皮肉なものだ。


 全身の力を抜く。この距離でシオリが狙いを外すわけがない。抵抗しなければ一撃で片がつくだろう。


 ――と。


「! お姉さん!」


「――?」


 栞ちゃんが叫ぶのとシオリが振り返るのは同時だった。そして――


「がはっ!」


 シオリが振り返った姿勢のまま、体をくの字に曲げて横倒しに倒れた。すぐさま起き上がろうとするが何かに抵抗するように床に倒れたままジタバタともがく。


 カズマくんだ。そう直感すると、正解だとばかりにシオリに馬乗りになるカズマくんの姿が現れる。透明化してシオリに一撃入れたのだ。シオリが振り返ったのは、透明化して《夜鷹の縄張り(ホークアイ)》の支配下から逃れたカズマくんを肉眼で補足しようとしたためか。


 馬乗りになったまま、シオリの首元に銃を突きつけてカズマくんが叫ぶ。


「兄さんはやらせねえっ!」


 言いながら引き金に指をかける。だが――


「カズマくん! 避けろっ!」


 俺の言葉にカズマくんは弾かれたように身を反らす。その瞬間轟音が響いた。身を反らしたカズマくんと倒れたシオリの間を、辰神が放った銃弾が駆け抜ける。

 

 的を外した弾丸はそのまま直線上にあった車のタイヤに命中した。タイヤはバーストし、車はがくんと揺れて車高を下げる。


「いい動きするじゃねえか、カズマ」


「クソがぁっ……」


 辰神が向ける銃に動きを止めるカズマくん。シオリはその隙を逃さない。その手の銃をカズマくんの肩に押し当て、引き金を引く。


 鈍い銃声とともに血風が舞った。


「んんっ……!」


 呻き声を漏らしてカズマくんがその場に倒れる。それを億劫そうに押しのけてシオリはむくりと立ち上がった。肩を押さえて呻くカズマくんを見下ろして尋ねてくる。


「……彼は?」


「……友達だよ」


「そう。安心したよ。友達が作れるような生活ができてたんだね」


 シオリは言うなり銃を無造作に床に向けて二回発砲した。どちらも的を外さず、カズマくんの両腿に穴を穿つ。


「ぐうぅ……!」


「カズマくん……!」


 思わず声をかける。カズマくんは額に脂汗を浮かべ、伏したまま俺に鋭い視線を向ける。


「……俺にはよくわかんないっすけど!」


 痛みに耐え、歯を食いしばってカズマくん。


「こいつが兄さんの保護者的な人だってのはわかったっす! 強敵だってのも! けど、兄さんが諦めたら……兄さんが死んだら、夏姫姐さんはどうすんすか……!」


 夏姫。カズマくんの口から出たその名前に、どくんと心臓が跳ねる。


「兄さんがやられたら、夏姫姐さんがどれだけ悲しむと思ってんすか!」


 ああ、そうだ。


 俺が帰らなければ、きっと夏姫は泣く。ぎゃん泣きだ。目が開かなくなるほど腫れるまで泣くに違いない。


「夏姫……?」


「……俺なんかを家族と呼ぶ人だよ」


 小首を傾げるシオリに答え、俺はゆっくりと立ち上がった。


「なあ、シオリ……俺はさ、きっと夏姫ちゃんがいなくなっても平然と生きていくと思う。飯も普通に食べて、眠くなったら寝て、淡々と。けどそういう未来を考えると、なんかこう……凄く嫌な気分になるんだ。それこそ、あんたが出ていった時みたいに」


「……ふぅん」


「これは、何なのかな」


 俺の問いかけに、シオリは目を丸くする。そして――


「さあね。アタシらみたいなクズでも、誰かを好きになるってことじゃない?」


 投げやりに肩を竦めて答えた。


「そうか」


 そうか。確かに俺はシオリが好きだった。それが親を慕う気持ちなのか、子供なりに女性として想う気持ちだったのかは分からない。それと似たようなものを夏姫に抱いているのか。


 正直、シオリになら殺されてもいいかと思った。けれど夏姫を泣かすのは忍びないし、俺が夏姫をどう好きなのか……それを確かめなければとも思う。


 俺とシオリの距離はそう離れていない。能力が使えなくても、初弾さえ躱せば手が届く。


「悪いけど、シオリ」


「うん?」


「どうもあんたに殺されるわけにはいかないみたいだ」


「アタシは……どうだろうね。殺されてやろうって気はないから、まあ殺り合わなきゃいけないかな? あんたを殺らないと金が入ってこないんだ」


 言ってシオリはカズマくんに向けていた銃口を俺に向ける。狙いを一点に留めず、ゆらゆらと揺らしていた。俺に射線を読ませない為だ。頭かと思えば足、そうかと思えば胸と次々に照準を変える。


 その上、カズマくんが倒れた今辰神の銃もこちらを向いているはずだ。奴の銃撃も警戒しなければならない――が、幸い辰神自身の戦闘力は大したことがない。奴の銃撃は殺気で察知出来るはず。


 ホールが束の間の静寂に包まれる。そして――


 床を蹴る――ふりをするのと、シオリが床に向けて発砲するのは同時だった。跳弾攻撃での迎撃を予測した俺は体重移動でフェイクを入れた。それに釣られたシオリの銃弾は床を跳ね、俺の前髪を掠めて天井へと飛んでいく。


 読み勝った! 弾丸をやり過ごした俺は即座に間合いを詰める。


「ちっ……」


 初弾を外したシオリは次弾を放とうと構える。今度は跳弾ではなく直接狙ってくるつもりだ。銃口と俺の眉間が直線で結ばれた瞬間、引き金の指に力が入る。


 ――だが。


「遅い!」


 身を捩りながら銃を持つシオリの手に蹴りを放つ。弾丸は俺の頬を僅かに裂いて後方へ、蹴り足はシオリの手首を捉え、弾かれた銃が宙を舞う。


「くうっ……」


 痛みに顔をしかめ、それでもシオリは俺に反撃すべく素手への構えに移行する。俺もそれを眺めているわけではない。体を入れ替えて追撃の肘打ちを放つ。


 がつんと重い音が響いた。俺の放った肘がシオリの肘で迎え討たれる。威力は互角か――俺が被せるように打った肘と、シオリが下から振り上げた肘で鍔競り合いの形になった。


 骨まで響く痛みを噛み締めながら――


「……まさか本気であんたとやり合うことになるとは思わなかったよ」


「甘いね。どんな相手とでも殺し合いができるようじゃなきゃこんな稼業は務まらない。そう教えたはずだよ」


 拮抗状態から一転、後ろへ倒れ込むようにシオリが引く。つんのめるようにバランスを崩すと、待っていましたとばかりに足払いが飛んできた。たまらず倒れると、踏み潰すように頭に足の裏が降ってくる。


 首を捻ってそのストンピングを躱し、踏み足のアキレス腱に倒れざま抜いたナイフを擦りつける。ぎゃりっと不快な金属音。くそ、ここにも防具を仕込んでるのか!


 ならばと、倒れたままナイフを突き上げて膝裏を狙う。関節を可動させる以上、ここに防具を仕込むのは難しいはず。


「おっと――」


 シオリはそれを嫌がって飛び退る。追いかけるべく跳ね起きようとし――


 再び伏せる。頭の上を轟音が駆けていった。辰神の銃撃だ。


「すげぇすげぇ、よく避けるな。信じらんねえ」


 辰神の茶々は無視し、起き上がる。奴の銃撃を躱している間にシオリはナイフを抜いていた。援護射撃が来るのを能力で見ていたはずだ。余裕さえあっただろう。


 構えは同じ。当然だ。ナイフもシオリから教わった。切っ先を互いに向けながらジリジリと間合いを詰め――


 剣閃。火花が舞う。


 突いては弾かれ、斬りかかられては受け、反撃に転じる。互角じゃない。一合打ち合うたびに徐々に俺が劣勢になっていく。


 次第にシオリの手数が増えて、俺は防戦一方になる。そして――


 甲高い音と共に俺のナイフが宙に舞った。シオリのナイフ――その切っ先が、俺の喉元に突きつけられる。


 勝利を掴んだシオリが口を開く。


「――能力なしでここまでやれるなら、魔眼を開けばあんたの勝ちだったね」


 刃の冷たい感触が肌を割き、じわりと滲んだ血が垂れるのを感じる。あと数センチも刃を押し込めば俺の喉は貫かれ、引き裂かれるだろう。


「……あんたにはできるのか?」


「うん?」


「誰とでも、殺し合いが」


 身動きも取れず、絶体絶命。皮肉のつもりだった。だが、返ってきた言葉は思いもしないものだった。


 ――長い、長い一瞬の後に。


「……できるわけ無いだろう?」


 震える声で、シオリはそう言った。


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