第5章 超越者たち ⑦

 シオリは俺の構えた手の死角に入るように身を屈め、間合いの中へと詰めてくる。


「っ――」


 体術にしてもナイフにしても、接近戦はタイミングとリズムの奪い合いだ。自分のタイミングで攻めて相手のリズムを崩す。主導権は取られてしまった。普段の俺なら迎え撃って主導権を取り返すところだ。だが――


 低い位置から肝臓を狙って抜き手が跳ね上がってくる。ガードしてもそのガードを穿たんとする攻撃だ。それを打ち払い、仕切り直そうと飛び退る――が、踏み切ろうとした足を刈られた。


「――っ!」


 両足が浮く。勿論このまま背中で着地する訳にはいかない。咄嗟に上体を捻って無理やり床に手をついて、腕力に物を言わせ空中に跳ね上がる。平面的な動きから立体的な挙動。並の相手ならこれで一旦振り切れる。


 しかしシオリはそれさえも予測済みだった――いや、視ていた。彼女は俺の魔眼や過去を視る過去知覚(リトロコグニション)とも違う、彼女だけの目を持っている。


 シオリの異能――《夜鷹の縄張り(ホークアイ)》。昔聞いた話に偽りがなければ、自身の半径数十メートルほどの範囲を俯瞰で捉える能力。シオリは自分の目で物を見ずとも、能力圏内の物・人の動きを全て視ている。まさに獲物を見定めんとする鷹の目だ。


 そしてその聖痕(スティグマ)は対の翼。彼女の額に青く輝く対の翼の紋が浮かんでいる。


《夜鷹の縄張り(ホークアイ)》を使用中のシオリに死角はない。視界から逃れても、別の視点に捉まってしまう。


 三メートルほどジャンプした俺だが、目下には俺の落下を待ち構えているシオリ。空中で姿勢を変えることぐらいしかできない俺に対し、シオリは――


「はぁ!」


 気合と共に落下してくる頭上の俺に迎撃の蹴りを放ってきた。激痛。両腕でがっちりとガードするが、空中で衝撃を逃せない。激痛が腕を通して全身に響き、大きく弾き飛ばされる。


「がはっ……」


 息が漏れる。この勢いで床に叩きつけられたらダメージが残る。なんとか身を捩り、這いつくばるように着地。


 ――強い!


 当時はそれこそ俺が敵う相手じゃなかったシオリだが、あれから数年経っている。俺も裏の仕事屋として経験は積んできたし、決してあの頃のままじゃない。


 しかしそれでもシオリは強い。能力なしの俺じゃ分が悪い。


 再び能力を発動させようと意識を向ける。けれど頭の中でぐるぐると雑念が回り、胸では何かがざわめいて一向に集中できない。


 ……俺は、シオリの登場で能力に集中できなくなるほど動揺しているのか。


 顔を上げるとシオリは銃を抜いていた。それをあらぬ方へ向けると――


「くそっ!」


 慌てて床を転がるが、それも視られていた。シオリが放った弾丸はホール内の壁を跳ね、俺の肩を掠めていく。


「つっ……」


 跳弾攻撃――シオリの得意技だ。《夜鷹の縄張り(ホークアイ)》という空間を完璧に捉える目と、卓越した射撃力がなし得る業。


 俺たち能力者が銃撃を避けると言っても、弾丸を見切って避けているわけじゃない。銃口から射線を読み、トリガータイミングで回避しているだけ。どこから飛んでくるかわからない弾丸を避けるのは不可能に近い。それでも魔眼が開いていれば拳銃程度の弾速なら見て躱すこともできなくはないが――今の俺にはそれもできない。


「兄さん!」


「いいザマだな、おい。そんなにシオリが恋しかったかよ。まさか能力が使えなくなるほどまいっちまうなんてな」


 カズマくんと辰神の声が聞こえる。


 だが俺はその声には答えず、肩の痛みに耐えながらシオリに問いかけた。


「……シオリ」


「……なんだい?」


「どうしてあんたは、俺を……」


 置き去りにして消えたんだ? そう聞きたかったが言葉が続かずに口を噤む。


 すると、


「はっはっは! お前、実はそんなに女々しかったのかよ!」


 辰神が嗤う。


「いいぜ、教えてやろうか? 俺は知ってるからな、シオリがお前を捨てた理由をよ!」


「! なんであんたが――」


 その辰神の言葉に、シオリの表情が歪む。


「そりゃあ識ってるさ。能力で視たからな。お前がアタルに残そうとして書いた手紙をよ。結局それも恥だと思って残さなかったみたいだけどな」


「黙りな! あんたの知ったことじゃない!」


 シオリが激高して辰神を睨む。


「おお、怖え。仕事でもねえのにクスリ欲しさに俺の上で腰振った女とは思えねえな?」


「ぐっ……!」


 泣き出しそうな表情でシオリが唇を噛む。クスリ……クスリだと?


「……あんた、そんなもんやってんのか……?」


「……冷やっこいの(覚せい剤)を、ちょっとね……」


 バツが悪そうに答えるシオリに辰神が追い打ちをかける。


「なぁにがちょっとだよ、ジャンキーが。使わなきゃまともに生活できねえくせによ。能力者じゃなかったらとっくに死んでるぜ、お前」


 辰神の言葉に俺は絶句してしまう。


 覚せい剤は本当に恐ろしい麻薬だ。一般人ならその依存性に抗えず、使用者の多くは身を滅ぼす結果になる。忌諱するべきものだ。


 能力者なら一般人に比べれば副作用や健康被害も少ない。しかし、だからといって迂闊に手を出していいようなものではない。依存性や毒性に対する耐性が高かろうが、決して良薬なわけじゃない。


 辰神の『使わなきゃ生活できない』という言葉が本当なら、シオリは例え能力者でも命に危険が及ぶほど常用してるんじゃないか……?


 彼女の顔を見る。シオリは何も言わずにただこちらを見返すばかりだ。


「なあ? もうとっくに止められなくて大金が入るこの仕事に飛びついたんだもんな?」


「……わかってる。仕事はやるさ」


 シオリの表情から一切の色が抜け、冷たい目でこちらを見る。


「それでいい――なあ、アタル。このジャンキーの姉ちゃんがお前を捨てたのはな――」


「自分で言うさ、そんな恥ずかしいことは」


 なおも楽しそうに続ける辰神をシオリは冷たい声で遮った。手にした拳銃からマガジンを抜き新しいものに換装すると、伏したままの俺に歩み寄ってくる。


「……タケル。アタシの最初の仕事はな、売春婦だったんだ」


「……え?」


「驚くこたぁないだろう? 親に捨てられて拾われなかった能力者のガキなんてほとんどこんなもんなんだ。アタシも例外じゃなかったってだけさ」


 シオリはくるくると手の中で銃を回し、ゆっくりと歩く。


「ガキだったアタシが生き方を覚えて今の仕事ができるようになった頃、あんたと出会ったんだ。一人だったアタシにとって、あんたの世話は楽しかったよ」


「だったら、どうして……」


「……アタシが、あんたに欲情したからさ」


 その思いもよらない言葉に、俺は言葉を失ってしまう。


「聞こえなかったかい? 十になるかどうかってガキに、二十歳過ぎの女が本気で欲情したって言ってんのさ。あの時ほど自分をおぞましい生き物だと思ったことはないね。それを自覚したアタシは、あんたを力ずくで犯す前に姿を消したって訳」


「……それが冗談じゃないっていうなら、あんたは求めればよかったんだ。そうしたら、きっと俺は……」


「できるわけないだろう!」


 シオリが叫ぶ。今にも泣き出しそうな顔と、怒りに満ちた声で。


「ああ、あんたはきっとアタシが求めれば応えてくれただろうさ! あんたにはアタシしかいなかったからね! けど、アタシが嫌で嫌で仕方なかったことをあんたに強要しろって? 冗談じゃない!」


 そうだ。あの頃の俺にはシオリしかいなかった。きっとシオリに何かを求められれば、どんなことにも応えただろう。


 例えそれが、自分の尊厳を差し出すようなことだとしても。


「……けど、売春の厭悪をクスリで誤魔化してたアタシだ。ハイになった頭で自制できる自信がなかったんだ。だからあんたの前から姿を消した……」


「はっはっは、安いメロドラマだなぁ。けどそれっぽくていいぜ。良かったな、アタル。捨てられたわけじゃないんだってよ」


 シオリの告白に辰神が手を叩いて喜んだ。床に這いつくばったままの俺を見る目が嗜虐的に光る。


「……この界隈にクソ野郎はいくらでもいるが、あんたより酷いクズはそう居ないだろうな」


「褒めても何も出してやらねえよ。シオリ、やれ」


 辰神の言葉でシオリは俺に銃を向け、その引き金に指をかける。


 この体勢からでも初弾は避けられる。ただ二発目以降は自信がない。シオリの射撃精度に跳弾攻撃を混ぜられれば、魔眼なしではいつか被弾する。


 そして――魔眼は未だ開けない。


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