第4章 リアル ②

 見た目には持ち直したように見えたが、いざマンションを出ると夏姫の足取りは覚束なかった。その夏姫の手を引いて駐車場の車まで連れて行く。いつも通り運転席に座ろうとする夏姫を押し留め、


「運転は俺がするよ。とりあえず兼定氏も命の心配はないって話だから、夏姫ちゃんは病院に着くまでに少し落ち着こうか」


「……うん、ありがとう」


 夏姫はそう言って大人しく助手席へ乗り込む。俺はそれを見届けて運転席に座りエンジンを始動させる。小気味いいセルスターターのモーター音とともにターボエンジンに火が点いた。アクセルペダルを浅く踏むと、それに応えてタコメーターの針が踊る。


 駐車場から車を出して病院へと向かう。時刻はそろそろ深夜に差し掛かる。この時間なら交通量もかなり減っている。十五分もかからずに病院に着くだろう。


 ハンドルを操作しながら、


「……それにしても、兼定氏が襲われるなんてな……」


 ふと、そんな言葉が口をついて出る。


 厳密に言えば兼定氏が襲われることそのものに違和感はない。表層化していないだけで彼に敵意を向けるものは少なくないだろう。表立ってその敵意をぶつけても、あっけなく潰されるので手を出さないだけだ。


 仮に、だ。俺が兼定氏を消したいと考えたとして、それを実行に移すだろうか。動機にも因るが果てしなくノーに近い。俺の能力なら兼定氏を襲撃し暗殺することはできるだろうけど、兼定氏も相当な手練と聞く。簡単にはいかないだろう。しかもそれは対峙しての話だ。実際には俺が襲撃者として兼定氏と対峙するのはかなり厳しい。相手は一大犯罪組織のトップだ。常に側近が何人かついているし、そういった類への配慮は十全のはず。それらを加味して考えれば無謀とも言えるほど困難なミッションだ。


 だが、襲撃者はそれをクリアした。となると相手は相当な動機か、兼定氏やスカムをものともしない力か――あるいはその両方を持っていると考えられる。


 ……面白くないな。


 夏姫に気づかれないように胸中で毒づく。


 リアルの拠点と疑える潰れたパチンコ店を調べることも出来ず、その上夏姫の身内が――スカムの会長が襲撃されるとは。このタイミングはどうも無関係とは思えない。


「……お祖父ちゃんを襲った人ってどんな人なのかな」


 夏姫がぽつりと呟く。


「どうだろう。けど強力な能力者なのは間違いない。超越者かもな。俺は直接やり合ったこと無いから具体的にどうとは言えないけど、兼定氏もかなり強いでしょ。側近もいるよね。それできっちり仕事したってんだから……」


「あっくんになら同じこと、できる?」


「できないとは思わない。けど十分な準備が必要かな」


「例えば?」


 やけに突っ込んでくるな。そう思ってちらりと助手席に目を向けると、夏姫は顎に指先を添えて真っ直ぐに前を見ていた。いや、見てはいない。顔がそっちに向いているだけだ。視線をピクリとも動かさず真剣に考え込んでいる。


 襲撃に必要な条件を割り出して、そこから犯人像を推理しようって魂胆かな。


 なら俺もきっちり答えよう。


「俺が殺しをするなら相手が一人の時を狙いたい。一番は寝てるときかな。次点でトイレや風呂。抵抗しにくい状況で襲うのが理想的だね。その為に相手の生活リズムなんかを調べたい。ついでに今回のケースなら、側近の交代時間とか、誰がサボり気味か、なんて情報もあれば突破しやすいし、殺して終わりじゃないから逃走ルートの下調べもする」


「……それができれば、あっくんレベルの超越者じゃなくてもできるかな?」


「出来るだろうね。あとは能力にもよるんじゃない? 例えばカズマくんならもっとゆるい条件でもできると思うし、相手が瞬間移動能力者(テレポーター)ならもっとハードルが下がる。遠くから観測して、寝入りばなに瞬間移動(テレポート)で突入。一撃入れて離脱すればいいんだし」


 俺の能力は万能型じゃなく、後の先をとっていく戦闘特化だ。しかも自己ブースト以外の恩恵もない。一対一で戦うという状況以外でなら《深淵を覗く瞳(アイズ・オブ・ジ・アビス)》より有用な能力はいくらでもある。


「んー……能力者の『格』でアタリをつけるのは難しい?」


「と思うよ。今の話だって俺が一人でやるならって話だしね。バックアップチームがいて、分散して仕事するならそれぞれのタスクは軽くなる」


 当たり前の話だが、一人の暗殺者が全てをこなすよりチームで動いた方が効率的だ。


「ノイズになりかねないからあまり言いたくなかったんだけど、夏姫ちゃんも冷静になったみたいだし、現段階での俺の考えも聞いておく?」


 そう切り出すと、夏姫は首を縦に振った。


「うん、聞きたい」


 その返事に、おぼろげに考えていたことを整理しながら口にする。


「辰さんから聞いたリアルの連中の話はしたでしょ? カズマくんと西側で入ったバーで聞いたんだけど、どうも連中、スカム上等なんて宣ってるらしい」


「……それで?」


「その時点で兼定氏襲撃の容疑者としてカウントできるでしょ? それで、現状栞ちゃん誘拐の容疑者でもある。こっちの件は他にアテが無いっていうのもコミでだけど」


 俺の言葉に、夏姫はしばし黙考して、


「襲撃は精神観測者(サイコメトラー)を手に入れる前提の計画だった……?」


「それは飛躍しすぎ。戦力に保有してない精神観測(サイコメトラー)なんてレア能力をアテにした計画なんてとらタヌもいいトコでしょ。それが手に入ったから計画を先倒しにした――くらいじゃない?」


「うーん……」


 顎に添えていた指を額に移し、夏姫は唸って考え込む。


「……リアルの方は何処まで掴めたの?」


「まだ全然。ヤサっぽい場所の情報は仕入れたけど不明瞭。これから見に行こうかって時に夏姫ちゃんから電話きた」


「そっか……タイミング的には合致してるよね」


「けど決めつけも良くないぜ。こういう線もあるって頭の片隅に置いておけばいい。兼定氏も命に別状はないんだ。本人から話を聞いてみてからもう一度考えよう」


「ん。そうする」


 頷いて、それでも夏姫は黙考を続ける。


 それでもこれだけ話ができるなら精神的には落ち着いただろう。


 病院まではあと五分もかからない。俺は少しだけアクセルを踏み込んだ。


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