第3章 裏通り ⑤

 そのまま口をぽかんと開けて間抜け面を晒している二人――その手前側の男の首ががくんと揺れ、男の額辺りで血煙が舞う。かと思えばその場で勢いよく転ぶ。怪我をも厭わないパントマイムという訳ではない。姿を消したカズマくんの仕業だ。恐らく縦肘か何かで額を割って、そのまま足を刈って転がしたのだろう。


「ぐぎゃっ!」


 男の悲鳴と同時に、消えた時と同じようにふっとカズマくんの姿が現れる。倒れた男の首元に足を載せ、ギリギリと踏みにじっているところだった。えぐいことするなぁ……


「な……」


「お前、カズマくんのこと本当にただの下っ端だと思ってたの? だとしたら相当アホだな」


 驚いて呻くスーツくんに俺は講釈を垂れてやる。


「そこら辺の木っ端が公私問わず兼定氏の近くをうろちょろ出来るわけ無いじゃん。カズマくんは姿を消す異能を持ってるんだ。会長の私兵みたいなもんで、裏切り者の始末とか、ボディガードの真似事なんかもするんだぜ」


 カズマくんは俺と同じ超越者だ。その能力は《忍び隠れる(ハイド・アンド・シーク)》。数秒間、自分と身につけたものを不可視にし、透明になる能力。それ以外にはそよ風の一つも起こせない能力だが、上手く使えば見た通り。時間制限が短いのが汎用性に欠けるが、ここ一番の殴り合いならかなり有用だ。


「こんなガキにヘコヘコする奴が……」


 俺の言葉を聞いているのかいないのか、スーツくんはうわ言のように呟く。


「言っとくけど、俺が知る限りカズマくんは殴り合いならスカムでもダントツだぜ。本来ならお前みたいな新顔が口きけるような奴じゃないよ?」


 カズマくんは、普段の温厚で人の良さそうな姿から想像し難い、悪鬼のような表情で倒れた男を踏みにじる。そんな姿を唖然と見つめるスーツくんに言ってやるが、どうやら耳に入っていないらしい。


 まあ、こいつらはどうでもいい。問題はカズマくんの方だ。俺共々スーツくんに虚仮にされたのがよほど腹に据えかねたのか、既に意識がなさそうな相手を責め続けている。


「カズマくん。好きにしろとは言ったけど、そのへんにしときなよ。じゃないとそろそろ――」


 そいつ死ぬぞ――と言いかけた瞬間、踏みつけた首元あたりからゴキリと嫌な音がする。


 頚椎を踏み潰し、へし折った音だ。


「……あ」


「あーあ、殺っちゃった」


 しまった、という顔をするカズマくん。平時なら引き際を見誤るほど暴力の素人じゃない。酒のせいか、怒りのせいか――両方かな。ブレーキが緩んでいたようだ。


 カズマくんがようやく足をどける。しゃがみこんで確認するまでもない。男は不自然な角度で首が曲がり、絶命していた。


「どうするんだよ、殺っちゃって。そんな必要はなかったでしょ? そりゃあ好きにしろとは言ったけど」


「あー、失敗しましたねー……ブチ切れてやりすぎたっす。こいつどうしましょう?」


「どうしましょうじゃないよ、もう……ゴミ処理場で破砕、は先月使ったっけな……解体屋で適当な車見繕ってプレスかな」


「――ぅああああああっ!」


 目の前で仲間をあっけなく殺され、ブルブルと震えていた男が脱兎のごとく駆け出した。能力者の全力疾走だ。あっという間に見えなくなる。


「あ、クソ――逃げられましたね。兄さん、奴の顔覚えてます?」


「いや、逃してやりなよ。口割ったりはしないでしょ」


 まあ、一人殺っちゃったしな。片割れは逃しても釣りが出るだろう。警察に駆け込まれる心配もないと思っていい。自分が異能犯罪者だと白状するようなものだし、奴はスーツくんの仲間だ。俺がスカムの関係者だと思っているだろう。スカムの関係者を警察に売る。そんなことをしたらどうなるか――この街の悪党なら想像は難くない。


 そんなことよりも、だ。


 俺は改めてスーツくんに向き直る。舐めきっていたカズマくんの豹変や、為す術もなく仲間が殺され、他の仲間が逃げ出してしまったこと。それらが一瞬にうちに起きたこと。驚愕、恐怖――それらがその表情から伺えるが、彼はその場に踏み止まり、逃げようとはしない。この状況なら尻尾を巻いて逃げ出すのが上策だと思うが。


 匂う。


 そもそも、あんな熱烈なラブレターを送ってきたとは言え、昼間に会ったばかりの相手をその日の夜に待ち伏せて襲撃するなんて、ちょっと考えられない行動力だ。しかもこの街の西側は俺の生活範囲じゃない。俺の行動パターンを読んで待ち伏せたのではなく、尾行して計画的に行っているものだろう。


 そこまでして俺を襲う――襲いたい理由があるのだろうか?


 逆に、偶然仲間と一緒の時に、俺を見かけて襲撃を決行したと考えてみよう。だとすれば余計に怪しい。スカムの影響の少ない西側にたまたま来た俺とかち合うってことは、当然スーツくんもここに居合わせたってことだ。仲間と会うのに、スカムの影響力の少ない場所を選ぶ。その理由は、一体――


 まあいい。どっちにしても、本人から訊き出せばわかることだ。


 一歩踏み出す。地面に浮いた砂がじゃりっと音を立てた。その音に我に返ったスーツくんが顔を険しくする。


「逃げないってことは、やる気ってことでいいんだよね?」


「くそ、てめえなんか、タイマンなら……!」


 負けない、とでも言うつもりだろうか。リングの下で、一対一なら負けないと。


 俺は死体になった男の傍らで頭を抱えるカズマくんに、


「カズマくん、ちょっと離れててよ。スーツくん、カズマくんが近くにいると恐くて俺とケンカできないってさ」


「……うっす」


 やらかしたことで反省しているのか、カズマくんは逆らうこともなく一歩、二歩と下がっていく。そのまま能力者でも一足では届かない距離まで下がると、額に手を当て俯き、溜め息をつく。反省ではなく猛省らしい。


「さ、これでいいか?」


「どこまでも舐めやがって……!」


 恐怖よりも自尊心が勝ったらしいスーツくんは、唸り、内ポケットからナイフを出した。バタフライナイフだ。まるっきりチンピラの体でそれを突き出し、


「ぶっ殺す!」


 歪んだ瞳で俺を睨み、そう怒鳴った。


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