第3章 裏通り ⑥

 ナイフを抜いたスーツくんが突進してくる。


 鈍重で、精錬さのかけらもない攻撃。右手に握ったナイフを胸元めがけて突いてくる。


 その凶刃が自分の胸を抉るのを待つ気はない。左手でナイフを持ったスーツくんの手元を押さえ、同時に右の手刀で首筋を打つ。神経が集中する首元を強打され、相手はほんの一瞬体を強張らせた。その瞬間を見逃さずに掴んだ手を捻り、右手は拳打で鼻っ柱を狙う。


 軽い手応え。ダメージ狙いの一撃じゃない。ディスアームと鼻血による呼吸効率の低下、体力の消耗を狙った対ナイフの基礎ムーブだ。


「がはっ……」


 狙い通り、スーツくんは鼻血を吹き出して呻き、ナイフを取り落とす。そのナイフが地面に落ちる前にリフティングの要領で蹴り上げ、右手でキャッチ。スーツくんの腿を突く。


「ぎゃあっ!」


 安物に見えたが、それでもナイフはスラックスを貫き、ブレードが根本まで腿に埋まった。見る間にスラックスが赤く濡れる。掴んでいた手を離してやると、スーツくんは呻きながらその場に膝をついた。


 一歩離れ、カズマくんを振り返る。


「駄目だ、カズマくん。こいつ口だけだ。話にならない」


「そりゃリング上でただ殴り合うだけなら別っすけど、なんでもアリで兄さんとまともにやり合えるような奴なんてそうそういないっすよ」


 期待外れな結果に消沈する俺に、カズマくんは落ち込んだままそう答えた。


 俺が幼少の頃、この世界で生きる為にシオリから教わったもので一番念入りに仕込まれたのは、人の無力化――殺し方だ。リングの上で披露している格闘術はその一つ。ナイフや銃の扱いから、気配を殺して不意打ちする方法まで、その手段は枚挙に暇がない。


「お前、その程度でよくそんなでかい態度とれたね」


 鼻から血を流し、腿を押さえて痛がるスーツくんに言う。


 熱烈なラブレターに期待度が高まっていたのは事実だが、それにしたって実力が伴っていない。これくらいなら異能犯罪者どころか、一般人のチンピラとそう変わらない。


 と、そう考えたところで胸に引っかかるものがあった。こいつは俺を殺すとまで宣っておきながら、能力者――異能犯罪者なら持っていて然るべきものをまだ見せていない。


 能力者が能力者と呼ばれる所以。その異能を。


 脳内で警鐘が鳴った。《深淵を覗く瞳(アイズ・オブ・ジ・アビス)》を発動させ、その場から飛び退る。同時に鼻先を紫電が駆け抜けた。際どいところで直撃を避けたが、高温で空気が焼けた匂いが鼻に残る。


 ――発電能力(エレクトロキネシス)!


「クソがっ! こんな痛え思いしたってぇのに、避けるのかよ!」


 吐き捨て、スーツくんが立ち上がる。なるほど納得だ。こと戦闘において、発電能力(エレクトロキネシス)は確かに有効だ。発火能力(パウロキネシス)、凍結能力(クリオキネシス)なんかと同じく遠隔攻撃ができるし、電気が持つエネルギーは前者二つの熱エネルギーに比べると応用を効かせやすい。


「……話にならないってのは撤回するよ。少しは楽しめそうだ」


 魔眼を閉じて、身構えて告げる。少なくとも攻撃を受けさせて反撃をもらう――そこまでして電撃を浴びせようとしたその戦術は買いだ。


 暗い喜びが頭をもたげる。一方的な暴力は好きじゃない。だがこういう輩としのぎ合い、叩き伏せるのは別だ。


「今度はこっちから行くよ」


 端的にそう告げて、手負いのスーツくんに躍りかかる。対するスーツくんは迎撃体制。引いた右手を腰だめに構え、俺の挙動を見逃すまいとこちらを睨めつける。


 魔眼を開き、世界を減速・遅滞させる。


 相手が構えた拳打を放とうとする。その拳の先端が僅かに瞬いた。電気を纏った拳。ああまでして当てようとした雷撃だ。その威力に自信があるに違いない。ならばこの一撃は、下手なスタンガンよりはるかに危険なものだろう。


 さすがに電撃を想定した装備は持ってきていない。受けるのは危険と判断してサイドステップで躱す。


「っ……?」


 必中を確信して放った一撃を躱されたスーツくんは、その事実に困惑する。信じられないという表情で躱した俺を目で追う――が、その視線さえ置き去って背後へ回り込む。普通の相手ならここで脊髄に一撃見舞って終わらせることもできるが、相手が発電能力者(エレクトロキネシスト)とあってはそうはいかない。発電能力(エレクトロキネシス)は防御面でも有用――これが発火能力(パイロキネシス)、凍結能力(クリオキネシス)ならある程度の威力は見た目で判断できるし、火傷や凍傷覚悟で仕留めに行ける。しかし電気で防御されたらスタンガンに触りに行くようなものだし、発電能力(エレクトロキネシス)の威力は見た目で判断しにくい。


 なので、間接攻撃が望ましい。銃があればよかったが、やはり普段から持ち歩いていない。ベルトのバックルに手を伸ばし、留め具を外して仕込んである隠しナイフを抜く。スーツくんのバタフライナイフより更に小ぶりのちゃちなものだが、実用に足るものだ。


 それをスーツくんの背後から、ふくらはぎに向けて思い切り投げつける。


「ぐあっ!」


 ナイフは狙い通りに刺さり、スーツくんが悲鳴を上げて躓く。どんな能力者でも集中を失えばその能力は制御を失う。今の彼がまさにその状態だ。当たるはずの攻撃を躱された挙げ句、死角からの一撃。今この瞬間ならその異能も振るえないはず。


 仕留めるのはここだ。《深淵を覗く瞳(アイズ・オブ・ジ・アビス)》の効果が切れる前に終わらせたい。長引けば能力に時間制限がある俺が不利だ。


 狙うのは後頭部か。いや、意識を奪ってしまえば事情聴取ができなくなる。なら――


「ふっ!」


 たたらを踏むスーツくんの背中脇――肝臓を狙い、拳を突きこむ。いわゆる中段突き――確かな手応え。背骨から伸びる肋骨を砕き、その向こうにある肝臓に衝撃を伝えた感触が拳から伝わってくる。


 背後から急所を強打され、奴はその場に崩れ落ちた。


「……っ……」


 恐らく、横隔膜までダメージが響いて呼吸ができないのだろう。苦悶の表情で蹲るスーツくんを見て、勝利を確信。仄暗い満足感を得る。


 スーツくんはもう立てないだろう。俺の方もジンジンと脳が疼いている。すぐに解除したとは言え、立て続けに使った能力で湯だった脳がそろそろ限界だと警告しているのだ。


 目を閉じて能力を解除する。


 すると、


「おー、終わりっすね。相変わらず速すぎて目で追えないっすけど、お見事っす」


 立ち直ったらしいカズマくんが、パチパチと手を叩いて歓声を上げた。


「やっぱ兄さんの敵じゃないっすねー。そいつ、トドメ刺していいっすか?」


「物騒なこと言うなぁ、カズマくんは。聞きたいことがあるからそれまでは駄目。その後スカム的にどう処理するかは任せるよ」


 もういいでしょうと聞いてくる彼にノーと答える。組織内で目上であるカズマくんや、構成員ではないが会長のお気に入りである俺にケンカを売ったどころか、武器や能力を使って襲ったわけだ。明らかに殺意もあった。スカム的にも見逃すことはできないだろう。俺としては決着はつけたので、もうこいつ自身には用がない。残っているのは疑問だけだ。


 しゃがみ込み、地面を舐めて悶絶しているスーツくんに顔を寄せる。


「呼吸できないなら、ゆっくり、浅く吸えよ」


 真っ青な顔をしたスーツくんが、言われるままに浅く息を吸い――そして、肺が膨れたことで横隔膜や周りの臓器、骨に圧がかかり、またその痛みに悶絶する。


「はっはっは、痛い? 痛いなら死なないよ、良かったな」


「っくそ、ぶっ殺してやる……」


 スーツくんは地べたに這いつくばったまま、呪詛の言葉を投げてくる。ここまでやられてまだ心が折れないメンタルの強さは評価するが、俺としてはもうこいつに興味がない。再戦したところで同じ結果が待っているだけだ。


「十年早いよ。今のお前じゃ俺には届かないって。ホントに本気ならどっかで修行でもしてきたら?」


 その頭をつま先で小突いて吐き捨てる。


「で、ちょっと話を聞かせて欲しいんだけど」


 ここに――街の西側にいたのは偶然か、それとも俺たちをつけたのか。


 昨日の夜ならぬ昼間の夜で襲ってきた理由。殺意を持つほど俺に敵意を抱いた理由。


 この辺りははっきりさせておきたい。


「お前、俺と会ったのは今日が初めてだよな?」


「……ああ、そうだ……」


 俺の質問に、スーツくんは憎々しげに答える。


「殺すなんてメッセージもらったけど、正直気に入らないから痛い目に遭わせてやる、くらいに捉えてたんだよね。でも襲い方からして割と本気で殺意あったでしょ? そこまで俺を殺したい理由に心当たりがない。まさかおっちゃんに小突かれたからって訳じゃないよな? 俺を殺す、殺したい――その理由を聞かせてもらおうか」


 そう尋ねる。舐められたままじゃ気が収まらないとは言っていたが、気が収まらないで済むレベルの襲い方じゃなかった。察知することができたからこんな結果になったが、場合によっては俺もカズマくんも不意打ちで殺されていたかもしれない。


 だが、スーツくんは口を閉ざした。今度はだんまりを通すつもりらしい。俺を睨むばかりで口を開こうとはしない。


 やれやれ。


「カズマくん、出番」


「ういっす」


 カズマくんに声をかけると、遠巻きに見守っていた彼は待ってましたとばかりに歩み寄ってきた。そのままスーツくんの傍らに立つと、ナイフを生やした腿に容赦ない蹴りを入れる。


「ぐあぁっ!」


「おら、兄さんが訊いてるだろ! 答えろよ!」


 尋問で済ませたかったが、話す気がないなら仕方ない。


 ムチ役をカズマくんに任せてそれを眺める。おお、ずいぶんエグい蹴り入れるじゃんか。


「話す気になったら口が動く間にそう言えよ」


 スーツくんに言ってやる。すると、ジーンズのポケットが振動し、路地に甘いメロディが流れた。スマホにこんな着信音を設定した覚えはない。夏姫の仕業だな。


 ポケットから取り出して画面を確認すると、やはり夏姫からの着信だった。そもそも俺に電話してくる相手なんて、ごくごく限られた人間だけだが。


 っていうかこの着信音、どうやって元に戻すんだろ……


 嘆息しながら電話に応答する。


「もしもし、夏姫ちゃん。ごめん、今ちょっと取り込んでるんだよね。後でかけ直――」


『――あっくん!』


 俺が良い終える前に、電話口から悲痛な声が聞こえてきた。夏姫とは数年一緒にいるが、こんな悲痛な声は初めて会った時――彼女自身が襲われている時以来、聞いた覚えがない。


「どうした、夏姫ちゃん。何があった?」


 スーツくんの動機も気になるが、夏姫に何かあったとしたら、どちらが重要か比べるまでもない。問いかけると、


『あっくん……あっくん……』


「ああ、俺だよ。アタルだ。落ち着いて。何かあったの?」


 鼻声で俺の名を繰り返す夏姫。どうやら泣いているようだ。声を聴かせて落ち着くのを辛抱強く待つ。こんな時に焦って急かしても逆効果だ。


 身振りでカズマくんに一旦拷問を止めるよう伝えると、電話越しに夏姫のか弱い――今にも折れてしまいそうな声が聞こえた。


『……お祖父ちゃんが――』


 この報せをこの路地で聞いたのは、何かの暗示なのだろうか。


 暗雲が立ち込めるという言葉がある。なるほど、うまく言ったもんだ。陽の光が遮られ、暗雲が呼ぶ嵐に気が滅入るばかりだ。


 この異能犯罪者が潜む裏路地は薄暗く、その上意図したかのように入り組んでいる。例え昼間でも陽の光は差さないだろう。


 まるで、暗雲に覆われているかのように。




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