第3章 裏通り ③

 一見した感じ、中は見た目ほど広くない。場末の古びたバーと言った感じだ。感じも何も、まさしく場末の古びたバーなのだが。


 店内にはカウンター席と、低めの仕切りで区分けされたテーブル席がいくつか。その内のいくつかのテーブルは埋まっている。カウンター席に客はいない。


 カウンターのマスターらしき中年がじろりとこちらを見る。痩身の、いかにも偏屈そうなマスターだ。


 俺は迷わずカウンターへ座る。すると、


「ガキの来る店じゃねえよ。帰りな」


 一蹴される。まあ、俺の見た目じゃな。しかし――


「マッカラン。ロックで」


 俺の隣に座ったサブが、マスターに告げる。


「おお、カズマくんかっけー。大人みたい」


「大人なんすよ、こう見えても……帰りの運転頼みますよ?」


「まかせとけ。で、マッカランって何?」


「ウイスキーの銘柄っす」


「ロックってなに? 言葉は知ってるんだけど、どういうものかは知らないんだよね」


 と、マスターが俺たちの目の前にテニスボールみたいな氷が入ったグラスを置いた。そこに琥珀色の液体をなみなみと注ぐ。


「……こういう奴っす」


「へぇ」


 俺はそのグラスを手に取り、顔を近づけた。強烈なアルコール臭が鼻孔を刺激する。


「うえっ。サブちゃんこんなん飲むの? クリームソーダの方が絶対美味いでしょ」


「いや、俺はクリームソーダよりこっちのが好きっす」


「嘘つけよ。舌引っこ抜くぞ」


 などと話していると、今度は俺の目の前にグラスが置かれた。翡翠色の透き通った液体に、半球状のアイスクリームが乗っている。クリームソーダだ。あるのかよ、クリームソーダ。


 俺は遠慮なく添えられたストローを指し、吸い込む。人工的な甘さと炭酸の刺激が口腔に広がった。


「超美味い」


「子供舌っすねぇ」


 サブが笑う。確か最近他の誰かにもそんなこと言われたな。


「子供連れでくる店じゃねえよ、ここは。それ飲んだら帰りな」


 低い声でマスターが言う。クリームソーダが出てくる時点で、子供想定してそうだけど。


「いやいや、そうもいかない。それなりに用があって来たんでね」


「――あん?」


 俺の言葉に、マスターは片眉を上げてこちらを見る。


「異能犯罪者(マジシャン)の話が出来る相手を探してるんだ。そういうお客さん、知らない?」


「……さあな」


 マスターはとぼけてみせる。まあな。俺もタダで聞き出そうなんて思っていない。目立たないよう予め小さく畳んでおいた諭吉ブロマイドを取り出し、備えてあった灰皿にいれ、それを灰皿ごとマスターに押し出す。


「……………………」


 俺みたいな客がいないわけでもないのだろう。マスターは特に驚きもせず、顎をしゃくってある一方を示す。その先のテーブル席に一人で呑む男がいた。体格は俺とさほど変わらないように見えるが、背中から伺える雰囲気は仄暗い。なるほど、あいつだってわけね。


「カズマくん。さっきのアレ、一つくれよ」


「え? ……あ、これすか?」


 サブがポケットから取り出した大麻が入ったタバコの箱を受け取ると、俺はクリームソーダのグラスを持って席を立つ。


「ちょっと行ってくるわ。サブちゃんは好きに飲んでて」


「奢りは怖いんでちびちび飲んでるっす」


「マスター、そいつにボトルだしてやって」


 無言でさっきのボトルをカウンターに置くマスターに満足して、俺は示されたテーブルへ向かった。近くで見てもやはり俺と同じぐらいか、じゃなけりゃ少し小柄なくらいの青年だ。浮浪者と言うほど不潔な印象はないが、やはり駅前や表通りを歩くには向かない格好。こっち側に似合いそうな――堅気の格好じゃない。


 そのテーブルの対面にクリームソーダのグラスを置き、椅子に腰を落ち着ける。


「よっ、ちょっと話相手になってくれよ」


「……頭が湧いてんのか、ガキ。話相手の選び方がおかしいんじゃねえのか?」


 厳つい顔をさらに厳しくして凄まれた。一般人や、犯罪や暴力とは無縁な能力者なら裸足で逃げ出しそうだ。


 が、あいにく俺はどちらでもない。


「間違ってるつもりはないな」


 そう言って、サブから受け取ったタバコの箱をテーブルに置き、男のグラスに向けてすっと滑らせる。男は一瞥してそれが何か理解した。こちらを見る目が伺うようなそれに変わる。


「お近づきのしるしにね。自分でやってもいいし、金に換えても構わないぜ。足りなきゃ一杯奢ろうか?」


「いや、十分だ。貰いすぎると後が怖い」


 カズマくんに聞かせてやりたい言葉だ。


 男は箱から紙巻きのそれを一本抜き出し、口に咥える。すると、前触れもなくタバコの先に火が灯り、男は深く吸い込んで――白い煙を吐き出した。

 ……発火能力者(パイロキネシスト)か。夏姫ちゃんと同じだ。能力的にはよく見る無難な異能。

 

「で、何が聞きたいんだ?」


 よーし、お仕事の時間だ。いや、今までも仕事の時間だったけど。


 俺は生意気に見えるように口元で笑い、


「いやさ、俺もあんたと同じで手品が得意な異能犯罪者(マジシャン)なんだけどね? 一人でこそこそ火遊びしてたんだけど、最近ちょっと天井見えてきちゃってさぁ。俺みたいの歓迎してくれそうなグループとか知らない?」


「この街で一人遊びなんざ良い度胸じゃねえか。頭は悪いみたいだけどな。聞くまでもねえだろうよ。スカムでいいじゃねえか」


「だめだめ、大所帯は序列や規律が面倒だろ? っていうかスカムの下っ端小突きまわしてたら尻に火が着いちゃったんだ。スカムはちょっと」


「ああ、そいつはとびきり頭が悪い」


 肩を竦めてみせると、男は紫煙をくゆらせてくつくつと笑う。んー、一定の仲間意識は作れたかな?


「この街じゃあ俺たちみたいなのはスカムに従う。それがルールだ。例え奴らのファミリーじゃなくてもな。そうすりゃ奴らは警察どもを刺激してまで俺らを潰そうとは思わない。そうだろ?」


 当たり前の事のように男が言う。


 この街の悪党の不文律だ。俺自身の本音としては、それも悪くない。寝床があって飯が食えればそれでいい。俺は支配されたいとは決して思わないが、俺が支配したいとも思わない。


 だが、どうだ。


 異能の力と常識を超えた力を持つ悪党が、自ら枠の中に留まろうというのだ。スカムの影響力が大きいというのはある。だが、異能犯罪者(こっち側)はそもそも抑圧されるタイプではない奴らの集まりだ。これだけの自律的な統率はどこか不自然にさえ見えてくる。何か、大きな歪みがあるんじゃないかと。


 だからこそ、リアルなんて連中も出てくるんだろうが。


「けど、奴らにしっぽ振るのは面白くないんだよねぇ」


「そういうことなら、ちょっと面白い奴らがいるぜ」


 きた、と俺は胸中で喝采する。


「へぇ? どう面白いんだい?」


 尋ねると、男はニヤリと笑った。舌なめずりをして楽しそうに、


「リアルって連中がいる。スカム上等なんて嘯いてるらしいぜ。もっとも、てめえと違ってスカムに直接手を出してるなんて話は聞かねえが……てめえの話が嘘じゃねえなら、連中なら歓迎してくれるんじゃねえか?」


「お、そいつはいいね。けどスカムを相手にしようってんなら、やっぱ規模がでかい組織なのかな? それにしちゃ聞いたこと無いんだけど」


「いや、まだ小さいグループだ。十人かそこらって聞いたぜ。てめえ、そこそこできそうな雰囲気持ってるし、今のうちに仲間になっときゃ将来でけえ椅子に座れるかもな」


「小さなチームからビックボスにっていうのも面白いな。そいつらには何処に行ったら会えるかな?」


 乗り気になった体でそう言うと、男は紫煙を燻らせた。そのいかがわしいタバコを深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐く。


「確実な話じゃねえんだけど、いいか?」


「いいよ」


 そこまでは掴んでいないってことか。


「表の通りを北に抜けてくと通り沿いに潰れたパチンコ店があるだろ。わかるか?」


「うん」


「そこを拠点にしてる、って聞いたことがある。街中じゃあさすがにスカムの目が厳しいんだろうな。けどこいつは俺も聞きかじった話だ。行ってみてそこらへんのクソガキが遊び場にしてても文句は言うなよ?」


「おっけーおっけー。んじゃまあそのうち行ってみるよ」


 俺は礼を言って立ち上がる。用事は済んだ。それでもなお同席して語らうような相手じゃない。お互いに。


 去り際に、男が言葉を投げてくる。


「てめえがビックボスになったら俺を幹部にしてくれよ」


「いいぜ。その時はあんたが土産を持ってこいよ」


「クリームソーダでいいか?」


「ああ、それでいい。俺はもう行くけど、あんたはゆっくりしていけよな」


 そう言ってマスターの時と同様に、小さく畳んだ諭吉ブロマイドをテーブルに置く。


 首尾は上々。俺はグラスを手にカウンターへと向かった。


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