第2章 彼女は誰に ⑤
事務所を横切り、廊下へ。階段を登り、一番奥の部屋に向かう。
マネージャー室。そう記された扉の前に立ち、コンコンとドアノック。
「辰さん、いるかい? アタルだけど」
「おう、入れ」
中から返答があり、俺は扉を開ける。
階下の雑多な事務所とは違い、整った内装。品のある応接セットに、片付いている事務机。その奥にあるのは、キャビネットを背負ったエクゼクティブデスク――そこに、部屋の主が座っていた。
辰神哲也。確か三十かそこらの筈だ。若さと老獪さを併せ持つ精悍な顔立ちで、同じスーツでもチンピラ風のスーツくんとは違い、様になった着こなしだ。様になったといっても、チンピラ風から高級ホスト風といった感じだが。若くしてスカムの情報部を取り仕切る幹部だ――さすがにサラリーマン風にとはいかない。
「や、辰さん」
声をかけて近付こうとし――変な物をみた。応接セットに目を向けると、その柔らかい革のソファを、若い女が陣取って眠っている。
女は裸だった。
「……昼間から何してんのさ」
「そりゃお前男と女のコミュニケーションって奴だ。お前だってお嬢としてんだろ?」
ジト目の俺に、辰さんはかっかっかと笑う。
「してないよ。夏姫ちゃんはそんな娘じゃないもん」
「ヤッてねえの? お前若いのに役立たずかよ」
「まさか。欲しくなったら買いに行くよ」
俺は嘆息して、応接セットに近づいた。女の肩を揺する。
「……んー、もう一回するの……?」
「しないよー。いいから起きて」
寝ぼけてる女にそう言って、傍にあった衣類を渡してやる。っていうかなんだこの下着。こんなに透けてちゃ着る意味ないんじゃないか?
「お前ドライだなー。裸の女にそんな素で接するとか。枯れてんの?」
「枯れてないよ。言ったでしょ。欲しくなったら買うってさ。今は気分じゃないし……ほら、起きて」
「……んー」
なんとか体を起こした女は、目を擦りながら俺の顔を見る。
「あら、ずいぶん可愛いお客さんね?」
「違うよ、美人さん。俺はあんたの客じゃない。内緒の話があるからさ、ちょっと席を外してくれないかな?」
俺の言葉に、女は辰さんの顔を見る。
「隣の部屋で待ってろ」
「はぁい」
愉快そうに言う辰さんに、女は頷いて立ち上がった。服――というか服の意味をなしてないような布を手早く纏い、部屋の外へと出ていく。
扉が閉まり、念のために少し待ってから、
「よく出来たひとだね。辰さんに指示仰いだよ」
「俺たち(異能犯罪者)相手の情婦だよ。ウチの経営店の看板だ。欲しくなったら買ってやりな。サービスするように言っとくからよ」
「辰さんのお手つきじゃなぁ……まあ美人さんだったし考えとくよ」
「つうか女なんざ買わんでもお嬢がいるだろ」
からかうように辰さんが言う。
「だから、夏姫ちゃんはそんなんじゃないって」
「馬鹿だな、お前。女が男囲うなんて、そりゃそいつが欲しいからに決まってんだろ。抱いてやりゃあいいんだよ」
「相手が兼定氏の孫じゃなけりゃあねー」
辰さんの言葉からなんとか逃れようとするが、
「それは逃げ口上だろ。抱かずに世話だけさせるなんざヒモ以下じゃねえか。そういう自覚あんのか? クズ」
「俺がクズだってのはわかってるよ。わかってるからあんま苛めないで」
両手を上げて降参の意志を示し、女が去って空いたソファへ座る。すると、辰さんもスイッチを切り替えたのか、表情を締めて俺の対面に座る。
「で、今日はどうした」
「相談。場合によってはお金払うって、ウチのボスが言ってる」
「はぁん」
辰さんが手巻きタバコを咥え、火を点ける。
「……吸うか?」
「いらない。コンビニで買えるようなタバコじゃないでしょ、それ。癖になったら嫌だもん。で、辰さんがウチのボスに情報流した『ブラック探偵絶対探すマンの確保』だけど」
「……そんな愉快な案件だったか?」
「概ね合ってるでしょ。彼はもうこの界隈に顔を出さないよ。夏姫ちゃんの判断でウチが彼の仕事を請けることになった。サプライヤーが見つかったから、もう探す必要はないってわけ」
「お嬢は面倒事抱えるのが好きだなぁ」
うん、俺の事を野次ってるんだな?
「まあ、スカムとしちゃ奴を見かけなくなるってんなら安心だ。あんまり藪をつつくようなら、消さなきゃならなくなるからな。で、相談って奴を聞こうか」
トントンと灰を落とし、辰さん。揺れる紫煙の向こうで、その相貌が鋭くなる。
「情報が欲しい。スカム的に外に流していい範囲のものでいいんだけど」
「ネタかよ。そこらの情報屋じゃ駄目なのか? そっちの方が金もかからねえだろ? 俺のネタは高いぞ」
「あの手の連中が知ってることなら辰さんが知らないわけないもん。時間が惜しくてね、二度手間かけるくらいなら金をかけた方がいい」
スカムの情報部――それを取り仕切る辰さんは、この街どころか、近県で裏社会に関わる情報を最も多く握る男だ。辰さんが知らないのなら、それは何処にも明らかにされていないと言える。
「へえ。そりゃ『ブラック探偵絶対探すマン』絡みってことか?」
「クライアントの依頼内容明かすわけないでしょ。まあそうなんだけど」
「明かしてんじゃねえか」
「だって、『ブラック探偵絶対探すマン』が探偵に投げたかった仕事、知ってるでしょ」
「行方不明人の捜索だったな」
「そう、それ」
俺は辰さんの言葉に頷く。
「なんだ、行方不明人の行方が知りたいのか? いくらなんだってそんなもん押さえてねえぞ。大体行方不明人なんて年間どれだけいると思ってんだ?」
「いっぱいいる……と見せかけて、大抵は同年中に見つかるんだよね。実際の数は千人ぐらいじゃない?」
「……よく勉強してるじゃねえか」
即答した俺に、辰さんが頷く。だからってその千人の行方不明人の情報をスカムが押さえているというわけではない。大体、辰さんが握る情報は異能犯罪絡みだ。
なので、質問は別にある。
「この辺りで最近元気のいい異能犯罪者……じゃなけりゃ異能犯罪組織、知らない?」
「……あん?」
精悍な顔に緊張が走る。
「行方不明人は異能犯罪者(こっち側)の人間に拐われたのか?」
「情報屋が客の意図を読むのは分が過ぎてんじゃない?」
「――はっ、言うじゃねえか」
「さっき苛められたからね、カッコつけさせてよ」
俺と辰さんの関係は悪いものじゃない。少なくとも俺はそう捉えている。だけど立場ってものがある。俺と夏姫はスカムの仕事を請けることもあるが、それはあくまでクライアントとしてだ。俺たちはスカムの下部組織じゃない。
その上で、この交渉に関しては俺に分があるはずだ。この界隈でスカム以外の組織が跳ね回るのは、スカムにとって面白くないことのはず。
情報屋がクライアントにもたらす情報には、どうしたって情報屋側のフィルターがかかる。純度の高い情報を得るには、立場、報酬、駆け引き――そういったものが必要なのだ。
咥えたタバコを深く吸い、煙をゆっくりと吐き出した辰さんはじろりと俺を睨めつける。
鋭い視線だ。だが、そんな程度の眼力じゃ俺は殺せない。
紫煙をくゆらせる辰さん。視線を交わした時間はそう長くない、辰さんは嘆息し――
「ま、いいだろ。一本でどうだ」
「高いよ。全然良くないじゃん。半分で」
「足元見やがって」
「どっちが」
一本――百万は夏姫に言い渡された上限額だ。いよいよとなったら出さないこともないが、値引き交渉はしないとな。
「わかったよ。わかりました。俺も会長の孫には恩を売っておきたい。半分でいい」
「半分で恩になるかなぁ」
「そこはお前が上手く売り込んどけ。さっきの女、店にいったらタダにしといてやるからよ」
「なにそのいらないオプション……」
欲しくなったら買いに行くとは言ったけど、行ったら行ったで何故か夏姫が嗅ぎつけるんだよな。それで二、三日は不機嫌になる。隠し通すのは結構大変なのだ。
辰さんが口を開く。
「リアル――聞いたことは?」
「いや、ないね」
「川向うで最近動き始めた新興組織だ。っつっても外からじゃ組織ってほどまとまってるようには見えない。ヤサも決まってねえんじゃねえか?」
この街には大きな川が一本流れ、その東西で街が栄えている。中心部は東側のこちらだが、川向うの西側にも駅や繁華街――そして俺たちにお似合いの燻った裏通りがある。
「本物(リアル)なんて名乗ってんの? 意識高いねー」
「ウチでも全容を掴んでねえんだよ。そこまでの相手とも思えなくてな。印象としちゃ、はぐれものの異能犯罪者が寄り添い合って群れ始めた、くらいなもんだ」
「そんなんで組織が機能すんの?」
「しねえだろうな。だからウチでも放ってる。実際、素人に毛が生えたような連中がイキってるだけじゃねえか? お前んとこで絡むってんなら掴んだ情報持ってこいよ。いくらか払ってやる」
「……他に、その手の連中は?」
「さすがに行きずりの木っ端まではチェックしてねえ。他に思い当たる節はねえな」
なるほど。聞きたい話は大体聞けたと思う。辰さんの話を聞く限り、そのリアルとやらが臭そうだ。印象としてはチンピラの群れぐらいなものだが、偶然半覚醒の精神観測者(サイコメトラー)の情報を見つけた、なんてことがあれば凶行に及ばないとも限らない。
まずはこいつらを疑ってみようか。
「そっか……とりあえず調べてみるかな。結果持ってくるから、五十から差し引きってことで」
そう言って立ち上がると、合わせるように辰さんはタバコをもみ消す。
「あいよ、了承だ。お前がしくじるってことはねえと思うが、油断すんなよ」
「心配してくれんの?」
「お前がお嬢とくっつけば、将来俺の上役になるかもしれねえからな」
「……俺と夏姫ちゃんはそういうんじゃないよ」
どうしてみんな俺と夏姫をくっつけたがるかな。俺と夏姫じゃ根本的に世界が違う。夏姫はいつか陽のあたる場所で生きていくべきだ。俺はそのいつかまで、夏姫がこっち側に踏み込み過ぎないように見張るストッパーに過ぎない。
仕事で――金で人を殺せる俺は、眩しく笑う夏姫とは別の種類の生き物だ。
「じゃあ辰さん、俺、そろそろ行くよ」
「おう。あ、ついでに隣寄って、女に声かけてくれないか? こっちに来いってな」
辰さんも元気だなぁ。
俺は手を上げて答え、そのままマネージャー室を後にした。
事務所でまた一悶着あるかなと思いきや、俺が辰さんと離している間、おっちゃんがスーツくんに言い含めたらしい。特に何かあるでもなく、そのまま挨拶だけ交わし、外に出る。
とりあえず一旦戻って夏姫に報告、その後ちょっと西側を歩いてみるかな。東側を拠点にしている俺はあっちの事情に詳しくない。カズマくんが暇そうだったら連れて行こうか。
そんな事を考えてバイクに跨る。ヘルメットを被ろうと持ち上げると、中からはらりと何かが落ちた。反射的にぱっと掴んで見てみると、何の変哲もないメモ用紙。ただ、そこにあった文字に、思わず口元が緩んでしまう。
殺す
その二文字だけがかかれたこのメモ用紙は、恐らくあのスーツくんからのラブコールだろう。
わかりやすい奴だ。あれだけ元気がいいってことは、相当腕っぷしに自信があるのかな。
そういう奴は大歓迎だ。
俺は基本的には揉め事が嫌いだ。金にならないからだ。だが、こういう手合いを異能の力で迎え撃つ時は暗い喜びを感じてしまう。
持って生まれた為に親に捨てられ、そしてシオリに見い出され、培われた力。これを振るう時、俺は強く実感するのだ。 この世界で生きていることを。その力があることを。例え舞台が裏社会だとしても、中心に立つ演者の一人なのだと。
名前さえ持たない俺のたった一つのアイデンティティ――異能の力の強さをどうしようもなく実感する。
俺はその怨嗟のこもったラブレターを握りしめ、ポケットにねじ込んだ。
次にスーツくんと相見えたときは笑顔で迎えてやろう。
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