第2章 彼女は誰に ④

 夜が明けて陽が昇り、その陽が真上を通り過ぎた頃、俺は駅から少し離れたレストランを尋ねていた。夏姫はマンションで栞ちゃんのパソコンをチェックしたり、各方面から情報を集めたりしている……はず。ベットに入ったのが朝方だったから、この時間でも布団と仲良くしている――なんてことはないと思う、多分。


 駐車場の裏手に回り、従業員用のスペースへバイクを停める。単身での移動の足はもっぱらこれだ。バイクなら俺のナリでも不自然じゃないし、小回りが利くのは有り難い。RZ250とか言うらしい。古いバイクだと聞いた。よく知らないけど2ストだとかで同排気量の中じゃ速くてパワフルな方なんだそうだ。使えりゃなんでもいい俺としては、もう少し排気音が静かな方がいいんだけど、仕事上マシンパワーが高いに越したことはないと夏姫が用意してくれたものだ。文句は言うまい。


 バイクを降りてヘルメットをハンドルに引っ掛けると、俺はそのまま従業員出入り口から中へと入る。別にここの従業員ではないのだけれど、俺は顔パスなのだ。


「うぃーす」


 中に入り、事務所になっている室内を見回す。誰か知った顔はいないか。もしくは俺を知っている奴がいないか。


 目に止まったのは一人。というか一人しかいない。その一人――スーツ姿のガラの悪そうな青年はいくつか並ぶオフィスデスクの一つを陣取り、そこからこちらに視線を向けている。


 そして、ドスを効かせた声で。


「兄ちゃん。ここは立入禁止だぜ。お客さんなら表に回りな」


 ……正直予想外だった。ここに立ち入って初めての反応だ。ここにいる人間は、俺が知っているか、でなければ相手が俺を知っている。相手の反応からしてこの青年は俺のことを知らないだろう。


 さて、困った。


 ネタをバラすと、このレストランの経営会社は表向き一般企業だが、その企業のバックにはスカムがある。つまりスカムの活動拠点の一つであり、裏社会とは全く無縁の従業員の他に、スカムの関係者が出入りしているというわけだ。俺はここの二階を仕事場にしている人物に会いに来たのだが、この反応だと簡単には中へ入れそうにない。


「頭の脇についてんのは飾りか、おい。出てけっつってんだよ」


 繰り返される脅し文句。おお、怖い。見覚えのない顔だし新顔だろうか? つうかこのレストラン、表向きは一般企業を装ってんだぞ。俺が出入りの業者とかここのバイト君だったらどうすんだよ……


 などという俺の心配は伝わらなかったらしい。一向に出ていこうとしない俺に痺れを切らせたスーツくんは立ち上がり、つかつかと俺に歩み寄ってくる。


「何度も言わせるな。出てけ」


「そう言われても、俺も用があって来てんだよね」


「……痛くされなきゃわかんねえか?」


 ぐいっと胸ぐらを掴まれる。昨日といい今日といい、何だって俺はこんなに胸ぐらを掴まれるんだ? 知らないうちに掴みたくなるようなオーラでも出てんのかな?


「これは忠告なんだけどさ」


 俺はスーツくんにそう言って、俺の胸ぐらを掴む彼の手首に手を添える。


「この場所で、その態度。あんたの正体は予想つくけど、相手が無害な一般人ばかりとは限らないぜ」


 そして言葉とともに、彼の手首を握る。能力者の身体能力で、割と強めに。


「っ……てめえ、異能犯罪者(こっち側)か……!」


 痛みに顔をしかめ、呻くスーツくん。


「そうだよ。一応ここじゃ顔が効くつもりなんだけどね。あんたは何処の誰さんかな? 見覚えがないんだけど」


 そう言って手を離してやる。まさかスカムとは無関係な人間が入り込み、事務所で寛いでいたとは思えないが……


「ああ? 俺は丹村さんの下だよ。てめえこそ誰なんだ」


 丹村――丹村仁。俺が訪ねた人物ではないが、このレストランの経営を任されている人物だ。丹村のおっちゃんの下か。じゃあ――。

黙考していると、青年の顔が厳しくなる。


「丹村さんを知らねえのか? てめえ、ウチの関係者じゃねえな……?」


「いや、まあ知ってはいるけど」


「なめやがって……てめえが誰かは丹村さんに聞いとくからよ、安心して死ねや」


 おっとマズい、殴り込みかなにかと勘違いさせたか? 確かに俺は天龍寺家の関係者ってだけで、スカムの関係者ではないからなぁ……


 ――と。


「うるせえぞ! 何やってんだ!」


 事務所の奥から、中年男性が凄みながら入ってくる。厳つい顔に恰幅のいい体格は、いかにも筋者のそれだ。その怒りを顕にした顔を見て俺は胸を撫で下ろす。知っている顔だ。


「おいジョー! てめえ静かにしてろっつったろうが!」


「いや兄貴、このクソガキが急に入って来てケンカ売ってきやがったんで、シメてやろうと」


 おっちゃんの登場に態度を変えるスーツくん。おっちゃんは怒り顔のまま俺の顔を見て、


「うお、兄さんじゃないすか! 馬鹿野郎、その手離しやがれ!」


 スーツくんの頭にげんこつを落とした。


「痛えっ、何すんすか、兄貴」


 抗議の声を上げるスーツくんだが、おっちゃんはそれに取り合わず、俺に向けて頭を下げる。


「すいません、兄さん。自分んとこの若いのが失礼をしたみたいで」


「兄さんはやめてよ。俺、スカムの人間じゃないし」


「またまた兄さん、ご冗談を……こいつは羽柴丈。覚えてやってください」


 そう言って両膝に手を置き、頭を下げるおっちゃん。この人四十路ぐらいだよな。兄さんとか頭下げたりとか兄貴分扱いは止めて欲しい。


「兄貴、なんでそんなガキに……」


 納得がいかないのはスーツくんだ。おっちゃんに殴られた頭をさすりながら、恨めしそうに俺のことを睨んでいる。


「会長のお孫さんのいい人で、凄腕の超越者だぞ。幹部とも交流があってウチじゃVIP扱いだ。生意気な口きくんじゃねえ」


「俺、別に夏姫ちゃんの恋人じゃないんだけど」


「何言ってんすか。会長も兄さんなら孫を預けても安心だって言ってますよ」


「ええ……」


 そら兼定氏からは夏姫を守れってな指令は受けてるけども。預けるの意味を間違えてるだろう、おっちゃん。


「ジョー、てめえも謝れ! まさか俺にだけ頭下げさせとく気か?」


「いや、そんなことは……」


 自分で兄貴と呼ぶおっちゃんに凄まれ、スーツくんはいやいや俺に頭を下げようとする。が、俺はスーツくんを手で制した。


「そんなことしなくていい。おっちゃんも顔上げてよ。俺はスカムじゃないんだ。組織以外に従うんじゃ組織に入ってる意味ないもんな。下げたくない頭を下げることはないさ」


「だからこそっすよ、兄さん。兄さんが組織に縛られる人じゃないからこそ、逆らっちゃいけない人だってことわからせてやらないと」


「……頭下げられたらやり返せなくなるじゃん」


「ほらぁ! だからっすよ! 早く謝れ!」


「……すんませんした」


 渋々と頭を下げるスーツくん。ああもう。これ絶対禍根残る奴じゃん。


「すんません、兄さん。今日のことは忘れてやってください」


「兄貴が謝ることないっすよ。俺がやったことなんで」


 それでもなお態度の悪いスーツくんに、おっちゃんのこめかみがピクリとする。


「てめえなあ……一昨日の晩だって儲けさせてもらっただろうが! もう少し愛想良くできねえのか」


「……は?」


 そのおっちゃんの言葉に、スーツくんは目を丸くする。


「あれ、おっちゃん見に来てたの?」


「兄さんのカードはチェックしますよ。まあ、俺は管理側なんで賭けらんないすけどね。こい

つはいくらか儲けさせてもらいました」


 言われるままスーツくんは俺の顔をじろじろと眺め、


「あー、てめえ《少年A》か!」


「てめえとはなんだ、てめえとは!」


 再びスーツくんの頭にげんこつが落ちる。おっちゃんもこれで能力者だからな。スーツくんの頭頂のダメージが心配になる。

《少年A》――こうして改めて呼ばれると何人もいる雑魚の一人って感じだが、いくら偽名ってもああいう場で名前を正直に名乗るのはためらわれる。名前と同じく適当に考えた俺のリングネームというわけだ。


「すみませんね、兄さん。最近俺が預かった新入りなんですけど、この通り態度悪くて」


「新入りならそんなもんでしょ」


 群れない異能犯罪者なんかは、大抵腕一本でこの界隈で生きているのだ。その多くはモラルが低くプライドが高い。結果こういう輩になると言うわけだ。


 しかしスカムに所属した以上、そのうち身の程を知るだろう。犯罪組織にも規律はある。それを守れないのなら、叩かれるか追い出されるかだ。


 ふとスーツくんを見ると、俺を恨めしそうな目で睨んでいる。気の強い奴だ。そのうち俺に気を使ったスカムの誰かから叩かれそうだなぁ……


 ま、俺の知ったことじゃないけど。


「さて、時間使っちゃったな。辰さんに会いに来たんだけど、いるかい?」


「辰神の兄貴に用事でしたか。上にいますよ。入ってください」


「ありがとう」


 おっちゃんに礼を言って、事務所に上がり込む。相変わらずのスーツくんの視線が煩いが、今日のところは無視だ。仕事中だしな。今度時間がある時に構ってやろう。


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