第2章 彼女は誰に ③

「あっくん、なんかいつもと違う」


 相馬邸からマンションへと帰る道すがら、夏姫が唐突に呟いた。移動の足はBMWグランクーペ420i。夏姫の車だ。俺も運転できるし偽造免許もあるにはあるが、移動中にトラブルに巻き込まれるようなことがあれば、それに対応するのは俺。二人でいる時の車の運転は夏姫――暗黙の了解という奴だ。夏姫の免許は偽造じゃなくて、まっとうな方法で取得したものだしな。


 その夏姫がハンドルを握りながら、


「なんていうか、いつもより能動的っていうか……」


「え、そうかな?」


 むしろかなり面倒な部類の仕事だ。自分では今ひとつやる気になれないと思ってたくらいなんだけど。


「そうだよ。もしかしてこの仕事、入れ込んでる?」


「そんなつもり無いんだけどなぁ」


 ふうっと息を吐いて、考える。


 ……一つ心あたりがあるとすれば。


「夏姫ちゃん、俺、夏姫ちゃんに昔のことって話したことないよね」


「……昔のこと?」


「そ、昔のこと。天龍寺家に転がり込む前。親に山ん中に捨てられて、夏姫ちゃんに会うまでの話」


「ちゃんと聞いたことはないね。あんまり話したがらないし、私も無理に聞き出したりしたくないし。何、話してくれるの?」


「んー、よーし話しちゃうぞー……ってテンションでもないんだけどね」


 俺はそう前置きをして、


「俺を拾ってくれた異能犯罪者ってのがね、女の人なんだけど」


「へぇ。若い人?」


「そうだね。俺を拾った時は十代半ばぐらいだったんじゃないかな。多分今は二十半ばか、アラサーか……生きていればね」


「……亡くなっちゃったの?」


 少しバツの悪そうな顔をする夏姫に、俺は首を振ってみせる。


「さあ? いなくなっちゃったんだ。あの人が受けた仕事を、俺が代わりにこなしに行って、帰ったら隠れ家にいなかった。蓄えもあったから一月ぐらい待ったんだけど……あの人は戻ってこなかった」


 俺は懐かしい顔を思い出そうと目を閉じる。


「多分、その仕事が最後の教えだったんだと思う。あの人は親に捨てられた俺が一人で生きていけるように、生きていく方法を教えてくれた。俺がもう一人で生きていけるって判断して、姿を消したんじゃないかな」


「……いい人だったんだね」


「いい人じゃないでしょ。教えた生き方ってのが裏社会の歩き方だよ? 俺は俺で全然一人で生きていないし。夏姫ちゃんと知り合ってなかったらどうなってたか」


 あの人が戻らなくなった隠れ家を出て、俺はあっちへフラフラ、こっちへフラフラ……そうしてその日暮らしを続けていたある日、夏姫が襲われる場面に出くわしたというわけだ。


「私もあっくんがいなかったら今頃どうなってたかわからないし、それはお互い様じゃないかな。私、今の生活気に入ってるよ」


 裏社会の何でも屋が気に入ってるとは。中々退廃的な奴だ。


「それで、これを話したかったんだけど」


 俺は言いながらあの人の顔を思い出そうとするのをやめた。どう頭の中を探しても、彼女の顔が出てこない。思い出せないのなら、思い出すべきじゃないのかもしれない。


「――あの人が俺に名乗った名前がシオリだったんだ」


「……それは偶然。字も一緒?」


「いや、わからない。口頭で聞いただけで、どう書くかは聞いてないな。読み書きを習った時もそこらへんには触れなかったしなぁ」


「ふぅん。名前が同じで、感傷的になったのかな?」


「どうかな。夏姫ちゃんにそう見えてるならそうなのかも」


「なるほどねー」


 夏姫ちゃんは意味ありげに呟いた。交差点に差し掛かり、くるりとハンドルをきる。


「あっくん、その人探したいの? それができなくて、代わりに栞ちゃん探しに気合が入るっていうか」


「んー、偶然会ったりしたんなら二言三言言いたいことはあるけど、探してまでとは思わないな。それに今思い出そうとしてびっくりしたんだけど、シオリの顔が思い出せないんだよね。異能犯罪者として活動してたんだからシオリは偽名かもだし、探すのは難しいんじゃない?」


「その隠れ家に写真とか残ってないの?」


「俺が隠れ家を出たときには何かしらあったはずだよ。だけど今はもうない」


 即答すると、夏姫は当然のように聞き返してくる。


「ないって、なんで?」


「……夏姫ちゃんと知り合うちょっと前にさ、御嶽山が噴火したの、覚えてる?」


「ああ、あったね」


 二〇一四年にあった、戦後最大の被害を出した火山災害だ。県内の災害ということもあり、そう簡単に記憶から抜ける出来事ではない。


「あれで隠れ家ごと火山灰の下。登山ルートからかなり逸れた山腹にあったんだけど……中にあった物も無事じゃないだろうね」


 そんな訳で、俺は実の両親もいなければ、育ての親らしき人とも生き別れ、その上思い出の品まで失ったというわけだ。


 それについて寂しいだとか、悲しいだとかそういう感情はない。そういった感傷的なものはこんな少年期を過ごしていた中で失くしてしまったのだろう。


 会話が途切れる。カーオディオが響く車内はやけに静かに思えて、思いの外居心地が悪い。


 ――と。


「あっくん」


 柔らかい声音で、夏姫が口を開く。


「ん?」


「私は、あっくんの家族だから」


「俺もそう思ってるよ。同じ家に住んでるしね。俺、居候だけど」


「そういうのじゃなくて。マフィアとかってさ、仲間のことファミリーとか言ったりするじゃん。そういうの。私はあっくんの家族だよ。どんな時だってあっくんの傍から離れない。絶対あっくんの前からいなくなったりしない。私かあっくんが死ぬまで一緒」


「……何でも屋のファミリーか」


「そ、何でも屋のファミリー。あっくんは一人じゃない」


 そう言って、夏姫は笑う。優しげで、眩しい表情。


「あっくんも、私を一人にしちゃ駄目だよ」


「……夏姫ちゃんがそう言うなら」


 そう嘘をつく。俺はいずれ夏姫の傍から離れるべきだ。こんなまっすぐで眩しい少女にいつまでも日陰の生活をさせてはならない。異能犯罪とは縁を切り、陽の下で、明るく笑って生きるべきだ。


 ……だけど。


 俺はこの少女を失っても、今までのように平然としていられるのだろうか。今まで通り淡々と生きていくのだろうか。


 多分そうだろう。俺は彼女を失っても、きっと一人で生きていく。しかしそれなら、俺が彼女に抱くこの想いは一体何なのか。


 いつかシオリに再会する日が来たら、聞いてみるのも良いかもしれない。


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