第1章 超越者 ④

 表通りから裏へ裏へと入っていくと、古びた建築物が並んでいる通りがある。日当たりは悪く、空気も澄んでいるとは言い難い。いかにも日陰者の住処と言わんばかりの通りだ。


 その更に入り組んだ一角に、夏姫が買った雑居ビル――俺たちの事務所がある。三階建ての一階を事務所にし、二階と三階はアパートになっていて、異能犯罪者に貸している。奴らはまともな住居には住めないからこんな立地でも金を取れるし、しかも万が一事務所が襲われたら住処を失うことになりかねないので、自発的に襲撃者から事務所を守るガードマンになってくれるだろう。


 その事務所のあるビルまで相馬氏を案内し、


「一名様ご案内ー」


 そう言って事務所のドアを開ける。


 すると。


「お帰りなさいませ、ご主人様!」


 と笑顔で言う夏姫に出迎えられた。ご丁寧にメイド服である。


「……夏姫ちゃん、なにしてんの?」


「あっくんを驚かせようかなって。どう、驚いた?」


「驚いたっていうか、呆れた」


 通路を塞ぐ夏姫を押しのけ、俺は中へと入り込む。その光景を見て絶句している相馬氏に、


「悪いな、おじさん。女の子いなかったわ。変人がいた」


「ええ? 私の性別の危機だっ?」


「え、何、夏姫ちゃんはメイドさんなんでしょ? 油売ってないでご主人様にお茶の一つも出しなよ」


「思いの外反応が辛辣だ……」


 夏姫は肩を落として給湯室に向かう。


「ごめんな、変な茶番見せて。こっち来て」


 それを見送って、後ろの相馬氏を振り返る。


「……放っておいていいのかい?」


「ああ、全然いいよ。ボスはあの頭ゆるそうな変人なんだけど、まあ俺でも話できるから」


「誰の頭がゆるいかっ!」


 給湯室から抗議の声が上がるが、それを黙殺して相馬氏を応接用のテーブルへ案内する。


 テーブルを挟んで対面する形で座り――


「ま、まずは自己紹介かな」


 そう言って、俺はテーブルの上のメモ帳に自分の名前を書き、それを相馬氏に渡す。

「証拠になると面倒なんで、名刺は作ってないんだ。これで勘弁してくれ」


 そう付け加える。相馬氏の視線はメモ帳に釘付けだ。なんて読むのか迷ってんのかな?


 俺は咳払いをして、


「俺は山田中(やまだあたる)。呼ぶ時は好きに呼んでくれ。ヤマダでもアタルでも、なんならポチでも構わないぜ」


「いや、なんと言うか……」


「すげえ適当につけた偽名みたいだろ? やまだなかってなんだよって感じだよな」


 俺の言葉に、相馬氏はたっぷりと時間をおいて、


「……こんなこと言うのもなんだけれど、すごい名前だね」


「よく言われるぜ。ま、仕方ない。適当につけた偽名だからな」


 事務所内に静寂が訪れる。


「……は?」


「だから、偽名。っていうか俺、本名がないんだ。今はそう名乗っている。俺はガキの頃に親に捨てられたんだ。山で拾ったって、俺を拾ってくれた人は言ってたけど」


「子供の頃に……?」


「捨てられたときの記憶がはっきりしてないから、多分二歳とか三歳とかの頃じゃないかな。だから本名も覚えてない」


 言葉を失うとはまさにこのことだろう。相馬氏は目を丸くして、そして思い出したように、


「……壮絶な半生だね」


「そうか? 子供の能力者が捨てられるなんてそう珍しいことじゃないだろ? 親が一般人だと特にな。大抵の場合は役所通したり、施設だったり、赤ちゃんポストだったりなんだけど、俺の場合はそれが山の中だったってだけさ」


「……やはり壮絶じゃないか」


「どうなんだろうな。俺はこれしか知らないから。それで四、五年前まで拾ってくれた人に育て……られたっていうのはちょっと違うな。生きる方法を教わってたって感じか」


「生きる方法?」


 問いかけてくる相馬氏。俺は目を細めて答えた。


「例えば能力者の身体能力を活かして他人のもっとも大事なものを奪ったり、とか」


 ごくり、と相馬氏が唾を呑む。


「そんな訳で、おじさんよりこの界隈に詳しいと思うぜ。相馬拓巳さん」


「! 私はまだ名乗って――」


「このくらいの調べがつかないでこんな商売するかよってね。相馬拓巳、四十二歳。嫁と娘の三人家族で、勤め先は……って、そこまで言わなくてもいいか」


 彼の表情を伺う――予想に反して満足げだった。


「頼もしいな。では早速、私の話を聞いて貰いたいんだが……」


「あ、ちょっと待って。その前に言っておくことがある」


 俺は身を乗り出した相馬氏に待ったをかけて、


「おじさん……あんたがやっていることは、言い換えたら異能犯罪者探しだ。今のところはこの界隈で噂になってるぐらいなもんだけど、これが広まるとあんまり面白くない」


「と、言うと……?」


「どの街にも異能犯罪者は潜んでいる。それは周知の事実だ。だがその詳細、実態までは取り締まる側は把握していない。けど、一般人のあんたがこの辺りで異能犯罪者を探している――そんな情報を警察が知ったらどうすると思う? 奴らはあんたを保護すべきだと考えるかもしれないな」


「……………………」


「となると、奴らがこの辺りで異能犯罪者狩りを始めたりする可能性が出てくる。そいつはマズい。非常にマズい。異能犯罪は基本的に重罪だからな。せっかく地下に潜っているのによ、あんたのせいで掘り起こされるってわけ。それは面白くないよな? そう考える能無しが先走ってあんたを消しにかかったりしたらもうお手上げだぜ。異能犯罪者を探していた一般人の変死事件。警察の介入は防げない。誰も幸せにならない」


 そう言うと、相馬氏は顔を上げた。ごくりと生唾を飲む。


「あっくん、目が恐くなってるよ。お茶を飲もう。そうしよう」


 トレイにグラスを載せた夏姫ちゃんがやって来た。


「夏姫ちゃん……」


「上司命令なんだからね。ささ、相馬さんもどうぞ。水出しの紅茶ですけど」


 そう言ってグラスを相馬氏の前に置く。そのまま俺の隣に座り、俺と自分の前にもグラスを設置。


「あっくん、ガムシロは?」


「……三つ。ミルクも入れて」


「ふふ、子供舌なんだから」


 むう。ガキの頃なんかそれこそ山ん中で山菜だの野草だのしか食えなかったんだ。今甘い物好きでもいいじゃないか。


 そんな俺の胸中の反論は届かず、夏姫ちゃんは微笑んで俺のグラスにガムシロを入れる。


「相馬さんはどうします? ミルクは?」


「……いえ、どちらも結構。このままいただきます」


 そう答える相馬氏。


「ほら、あっくん。これが大人よ」


 そして夏姫ちゃんのドヤ顔。


「夏姫ちゃんはどうすんの」


「私? 私は……ガムシロ入れるよ」


「夏姫ちゃんも子供なんじゃん……」


「私が大人とは言ってないんだなぁ」


 そうだけど! そうだけど……なんか釈然としないな……


「ねえ、あっくん。脅かすのはそのへんで良いでしょ? 相馬さんの話を聞こう?」


「俺たちが仕事断ったら同じこと繰り返すかもしれないだろ? だからまず警告をだな」


「だからって脅すことないじゃん」


「いや、ちゃんと自分がどれだけ危険なことをしてるか知ってもらおうと――」


 それにこれこそ脅しになりそうだが、夏姫の話を聞く限り辰さんが気を揉んでいるようだ。万が一俺たちが仕事を断り、彼が異能犯罪者捜し続けるようなら、スカムが彼を消しにかかるかもしれない。


 まあ、いいか。夏姫が乗り気だ。きっと話がどうあれ請けるつもりだろう。


「――わかった。おじさんの話を聞いてみようか」


 そう答えると、夏姫はニッコリと笑う。


「よーし、いい子だ。ご褒美にメイド姿の夏姫さんをハグする権利をあげよう」


「いや、それはいらない」


 即答する俺に、夏姫ちゃんは少しだけしょんぼりとした。


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