第5章 《魔女》の再臨、あるいは誕生 ⑨

「こ、れ――」


 真那さんは震える手で俺の手からハンカチを受け取る。そう、真那さんにも見覚えがあるはずだ。


「……協力者は逢坂さんですよ、先輩。彼女がそうだと言われれば納得しかない……たまたま学食に行った日に居合わせたことも、近くにいてどうにもならない時に声をかけてきたことも、先輩が駆けだした時に慌てずにフォローを買って出てくれたことも、全部彼女が協力者だったと考えれば納得できる」


「逢坂さんが……」


 真那さんが受け取ったハンカチを眺め、それを大事そうに胸に抱える。


「ここは第三保健室で、主目的は生徒の心のケア。そして椿姉はその責任者――椿姉は、先輩と並行して逢坂先輩の相談も受けてたんだな?」


「うん。その通りだ」


「でも、保健室は私がずっといて……逢坂さんが訪ねてきたことは、一度も」


 困惑する真那さん。


「先輩が俺に言ったんですよ。花村先生に用事がない時は一緒に昼を食べてるって。じゃあその用事ってなんだって話ですよ。逢坂先輩は普通に登校してるんでしょ? だったら保健室を利用することはない……必要な時だけ、例えば昼休みにどこかで食事をしながら相談に乗っていた、ってことだろ?」


 最後は椿姉に向けて、確認を求める。


「そんなところだ。後はまあ、部活の後に寮を訪ねたりな」


 頷いて――椿姉は真那さんに優しい口調で語りかけた。


「伏倉――お前が《魔女》になることを望んでいるのはもうお前だけじゃないんだよ。私も、悠真も、逢坂も、お前がお前の目指す《魔女》になってクラスに復帰することを望んでいる。さっきも言ったが、食堂に居合わせた者たちにとってお前の印象は『身を挺して後輩を守ろうとする勇敢な先輩』だ。お前が望む姿に近いものなんだよ。それでもお前は素敵な《魔女》になることはもう無理だと思うか?」


「わ、私は――」


 椿姉に問われ、真那さんが口を開く。何かを言いかけた所で突如鳴った内線がそれを遮った。椿姉は溜息をついてやれやれとばかりにその内線をとる。


「はい、第三保健室――はい、ええ、聞いています。本人からも話を聞いて――……はい、ええ、わかりました」


 受話器を置いて、


「――緊急職員会議だそうだ。悠真、さっきの話に偽りはないな? 芝木に確認をとるぞ」


「――偽りはない。けど連中を罪に問うなら俺も共犯だぜ。俺が可愛く頭下げてれば避けられた事態だし、そもそも私闘で空手使ってんだからな」


「そう思っているならなぜ伏倉にああさせるほど取り乱した。自分が悪いと思っているなら、お前なら痛みも耐えられるだろう」


「……納得していても、理不尽を飲み込めるほどまだ大人じゃないんだ。できることなら連中とはもう関わりたくなかったよ」


「……日頃からそういう年相応の顔をしていれば、もう少し可愛げがあるんだけどな。ともかく私は職員会議に出てくる。これからどうするか――伏倉、自分で決めなさい。悠真も思うところがあるだろう。伏倉に相談したっていいんだぞ。二人でよく話してみろ」


 そう言うと、椿姉は羽織った白衣を靡かせて保健室を出ていった。


 保健室に俺と真那さんが残される。


 長い沈黙が訪れ――それを破ったのは真那さんだった。席を立って冷蔵庫へ。中から何かを取り出し――取り分け、それが乗った皿を俺と自身の前に置く。


 それはショートケーキだった。先週真那さんが椿姉と折半でお土産に買ってきてくれたものと同じ、イチゴのショートケーキ。


「……なぜ、ケーキを」


「……悠真くん、先週喜んでくれたみたいだから……今日のお昼が上手くいったら一緒に食べようと思って買っておいたの。お昼は失敗しちゃったけど、でもオムライス、一緒に食べられたから……食べましょう?」


「――……いや、さすがにケーキって気分じゃ――」


「――一緒に食べて?」


 断ろうとした俺を、真那さんは微笑んで言う。柔らかい声でそう言う彼女を見て――ぎょっとした。微笑む彼女は、大粒の涙をぼろぼろとこぼしていた。


「これが、最後だから……」


「……最後? いや、別にケーキぐらいこれからいくらでも」


 そう伝えるが、真那さんは首を横に振る。出会った時のような反射的な否定ではない。ゆっくりと自分の意思を示すように、彼女は首を横に振った。


「……悠真くんはもう保健室に来なくていい。だから――今日が最後です」




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