第5章 《魔女》の再臨、あるいは誕生 ⑧

 食べ終えてしまえばもう逃げることはできない。それぞれオムライスを完食し、真那さんが淹れてくれた紅茶で一息ついて――口火を切ったのは椿姉だった。


「――で、悠真。なにがあった」


 どう説明するべきか。今まで考えていなかったわけじゃないが、一向にまとまらない。語るべき俺が口を閉ざしたままなので沈黙が続く中、真那さんが代弁しようと言葉を探していることに気がついた。あんな風に守られて、この上そこまでさせるわけにはいかない。


「――学食で、先輩とさあいただきましょうって時に芝木とその連れが現れて」


「芝木――空手部の?」


「ああ。連れも空手部の三年だよ。二人だ。名前は覚えてない」


「――それで?」


 ここからが問題だ。椿姉は真相を知らない。


 ――伝えるべきか、隠すべきか。未だ腹の据わらない俺に痺れをきらしたというわけでもないだろうが、真那さんが口を開いた。開いてしまった。


「……芝木くんが悠真くんから空手を奪ったと確信したので、《魔女》になっていた私が彼を糾弾しました」


 真那さんの言葉に椿姉が息を呑む。


「――は? それはどういう――」


「……芝木くんと悠真くんが口論になって、芝木くんが何かを悠真くんに謝ろうとして、悠真くんは激昂したんです。先週お家にお邪魔した時に聞いたこと、そして口論の内容から、私は芝木くんがなにか卑劣な策を講じて悠真くんに怪我をさせたんだと確信しました。私はそれが我慢できなくて……彼を卑怯者と罵りました」


 真那さんの言葉に、椿姉は明らかに顔色が変わった。見開いた目で俺を見る。


「悠真……今の話は本当か」


 問われているのは、真那さんが語った学食で起きたことの真偽ではないだろう。真那さんが確信したと語る過去の事件の真相について、だ。


「……事実じゃないが、間違ってもいない」


 俺の言葉に、興奮した椿姉がテーブルを叩いて立ち上がる。


「――練習中の事故じゃなかったのか! リハビリ明けの体に未体験のメニューで体がついてこなかった――お前からそう聞いたぞ!」


「嘘は吐いてねえよ。メニューは五人抜きの試合組手。ルールは顔面なしのフルコン。組手そのものは一対一だったから、フクロにされたわけでもない。あれが卑劣な策だったかどうかと言われると審議だな」


「十分だ! 高校空手のルールじゃない――それにお前、そんなルールの試合なんて経験ないだろう?」


「……顔面を突けないだけであんなにギクシャクするとは思わなかったよ」


「当たり前だ! それはもうお前の空手じゃない、別の競技だよ……しかも上級生が下級生に対して五対一だと? どうしてそんなことに――」


「……俺が鳴り物入りで入部して、ちょっと騒がれていたのが面白くなかったんだと。故障中の一年のくせにってな。俺も天狗になってたし、自分で撒いた種だよ。稽古つけてくれなんて挑発されて……冷静に考えりゃ一年のリハビリ明けでしかも初めてやるルール――勝てるわけないよな。勝てると思ってた俺が傲慢だった。なんとか四人抜いたんだけど、サンドイッチローでしこまたやられてな。最後の芝木のインローでこう、ぶちっと」


「どうしてあの時言わなかった! そうしたら、もっと、私は――」


「喧嘩を売られて、買って、負けて――姉貴分になにをどう言えって言うんだよ」


「私を姉と呼ぶなら! そんな時に甘えろよ!」


「さすがに格好悪すぎるだろ、それは」


「馬鹿野郎……!」


 椿姉が拳を振り上げる。右だ。それをテーブルに叩きつけようとして――


「やめとけよ、椿姉。また故障するぞ」


 俺の言葉に動きを止める。そこから時間をかけて全身から力を抜き――へたり込むように椅子に座った。力なくうなだれて、喘ぐように言葉を紡ぐ。


「……この件については後で改めて話そう。伏倉……続きを話してくれるか」


「はい」


 真那さんは椿姉の言葉に頷き、続ける。


「……卑怯者と罵って、更に糾弾しようとする私を悠真くんが止めて……私は悲しくて、悔しくて泣いてしまいました。悠真くんはその場を収めようとしてくれたんですけど、私はなかなか泣き止めなくて……そこに、居合わせた逢坂さんに声をかけられました。私、それで頭が真っ白になってしまって……気づいたら合同校舎にいました」


「……なるほど、悠真から聞いた話と繋がった。伏倉、振り返ってみて逢坂に声をかけられるまでは自分が理性的だったと思えるか?」


「――、はい」


「つまり自分の意思で芝木を罵った――間違いないな?」


「はい」


「そうか……」


 真那さんの話を聞き終え、椿姉は深い溜息をついた。


「伏倉」


「はい」


「まず最初にこれを伝えておく。以前のお前ならこんな状況に居合わせて自分の意思や感情を示し、伝えることはとても困難だったろう。それが逢坂に声をかけられるまでは自身で理性的であったと言えるほど己を御することができた。これは大きな前進だ。頑張ったな。私はそれを嬉しく思う。自信を持ちなさい」


「……はい」


「そしてこれは教員ではない、私個人からだ。悠真のために怒ってくれてありがとう。悠真を守ってくれてありがとう」


「……は、い」


 椿姉の言葉に、真那さんは顔を覆う。泣き出したりはしなかったけれど、僅かに覗く頬と耳たぶは真っ赤で、小さな肩を震わせていた。


「……悠真」


「うん」


「………正直、これほど自分の感情や心境を言葉にできない状態に陥ったことがない。喜び、感謝、怒り、後悔……頭かどうにかなってしまいそうだ」


「……教師って大変なんだな」


「まったくだ」


 軽口のつもりだったが、椿姉は応と頷く。喜びと感謝は真那さんに向けられていたから、残る二つの担当は俺か……


「悠真、お前から見て伏倉はどうだった? 学食の様子は?」


「俺が取り乱すまで完璧だった。ちょっと緊張してたけど、一度落ち着いてからは文句の付け所がない。先輩を緊張させると思って伝えなかったけど、先輩の仕草や態度に皆釘付けだったぜ。実際接したのは俺だけだったけど、俺んちに来たときのように凜々しくて格好良くて……素敵な《魔女》そのものだったよ。オムライスの件じゃちょっとはしゃいだりしてな……まあなんだ、こんな言い方はあれだけど、一緒にいて楽しかったよ」


「……そうか」


「ああ。だから今日の失敗は全部俺のせいだ。先輩は上手くやっていた。完璧だった。先輩はなりたい自分を手に入れつつあった。俺が取り乱して――俺が先輩の努力を全部無駄にした。学食に《魔女》を再臨させたのは俺だ」


「――違う!」


「先輩、ごめん……俺のせいで」


 真那さんが立ち上がって叫ぶ。


「違う! 悠真くんは悪くない! 私は、私の意思で――悠真くんのせいじゃない!」


「座れ、伏倉――お前の見解は後で聞こう……《魔女》の再臨ね、上手いことを言う。現場はそれほどだったか」


「前は女子が過呼吸だったよな。今回は三年の男子二人が顔面蒼白、一人が膝から崩れ落ちて泣いていた」


「それを学食で、か……まさしく再臨といったところだが」


 椿姉は組んでいた足を組みかえ、テーブルに両肘をついて手を組む。そしてどこか挑むように――


「私は《魔女》の誕生、だと思う。《魔女》の話が伝わっているのは伏倉のクラスを含めたごく一部。多くの生徒は知らないのだ。再臨ではなく誕生が相応しかろう」


「なんだよそれ。言葉遊びになんの意味が――」


「あるさ。言い回しは大事だろう? 言葉なんて少し変われば持つ意味も変わってくる――伏倉、お前の学校生活における目標はなんだ」


「――素敵な《魔女》になること、です。そしてクラスに復帰して、でも……」


 言い始めは強かった語勢が、言葉が続くに連れしぼんでいく。でも、は否定に続く言葉だ。そう言わせてしまう状況を作ったのは俺だ。痛烈に胸が痛む。


「……もう、無理です……」


「そうか? 私はそうは思わない」


 しかし真那さんの絞り出すようなその言葉を、椿姉は一言で切り捨てた。


「――……、でも」


「実はお前たちを待っている間に現場に居合わせたものから報告を受けている。それによると、横柄な上級生から下級生を守ろうとして女子生徒が奮闘した――概ねこんな印象のようだ」


「……俺が言うのもあれだけど、そんなもんで収まる空気じゃなかったぜ。大体、先にキレて突っかけたのは俺の方だし……」


「リアルタイムではそうだったかもな。伏倉のキレも十二分だったようだし……しかし協力者が説明を求める教師に大声でそう伝え、結果周囲の生徒にも《魔女》は下級生の為に怒り、下級生を守る立派な生徒だと印象づけた。改めて説明されてみれば《魔女》の攻撃性も男子に立ち向かうために必要なものだった――そういう解釈になったようだな。勇敢だった、という声もあるそうだ。彼女にはそこまでの仕事は求めていなかったのだが、現場の空気と伏倉の言葉から、そうするべきだと判断したらしい」


「――協力者?」


「ああ、伏倉。お前の味方は悠真だけじゃない。お前に目標を叶えて欲しいと願う人間は、私と悠真だけじゃないんだ」


 ――まさか。


「伏倉の復帰を願い、できることはなんでもしたいと言う生徒がいるんだよ。そして私は彼女の望みを叶えてやることが彼女のためになると考えている。お前たちに事前に話さなかったのはお前たちを信じていなかったからじゃない。話すべきではないと判断したから伝えなかった」


 そうか、だから――


 真那さんは椿姉の言葉がよほど衝撃だったのか、その正体に気づいていないようだ。


「……その、協力者って……」


「わからないか?」


 問われて頷く彼女。


「教えてやれ、悠真。お前はもうわかっているだろう?」


「まあ、な」


 答えて俺は、預かったまま結局活躍の場を逃してそれきりになっていたハンカチを取り出し、真那さんに差し出した。


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