第5章 《魔女》の再臨、あるいは誕生 ⑥

 保健室へ戻る道すがら、俺と真那さんは特に言葉を交わすこともなくただ並んで歩いていた。


 俺と真那さんじゃコンパスの長さがちょっと違う。俺が少し落とし過ぎかなというくらいペースを落とすと真那さんには丁度いいらしい。並んで歩くというのは今日が初めてなので当たり前だが初めて知った。


 中央校舎に戻り、真那さんを待たせて食堂の様子を覗う。昼休みの終わりも近いせいか人は減り、また教師の姿も見えない。取りあえずの危機は回避できたかな?


 ……のちのち呼び出されることになりそうな気もするが。


「……大丈夫っぽいです。行きましょう」


 入り口を開けて真那さんを招き入れる。まだまばらに生徒はいるが、《魔女》化が解けて俯いたままとぼとぼと歩く真那さんに注視するものはいない。そのまま二人で食堂を抜け、階段を昇る。


 その最中、真那さんがぽつりと呟いた。


「……オムライス、食べ損なっちゃったね」


「普通に昼抜きはきついですよね」


「……悠真くんのケチャップアートのオムライス、食べたかったです」


「あー……それはまあ、多分いけるんで気にしなくていいっすよ」


「……?」


 俺の言葉に小首を傾げる真那さん。それは言葉通りなんとかなるはずなので気にしないでくださいな。


「と言うかオムライス、どうなったんだろう」


 言いながら手すり越しに階下を見下ろす。俺たちが座った辺りに目を向けるが、手つかずのオムライスは見当たらなかった。


「……片付けられちゃったみたいですね」


「! 私、オムライスに悠真くんの名前を……!」


 あー、俺も丁度それを考えていた所だ。オムライスの名前から俺が特定できてしまうかもという考えに至ったのだろう。教師が事の収集に出張ってきたのだ、追及の手が俺に及ぶのではないか――そんな心配をしているのだろうけど。


「オムライスのケチャップアートを証拠に呼び出しなんかしないでしょ。あの様子じゃ連中が逃げ切れたとは思えないし、俺が呼び出されるとしたら連中からですよ。先輩が気にすることじゃないです」


 そもそも先に手が出かけたのは俺の方だ――さすがに罪悪感でそこまで口にできなかったが。


 それきり先輩は口を閉ざし――俺も言いたいことはあったが歩きながらするような話でもない。彼女に合わせるように口を噤み、歩く。歩く。


 四階に着いた所で昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。予鈴と言う奴だ。五分後に本鈴――午後の受業の開始を告げる鐘が鳴る。


「……悠真くん、午後の受業に行かないと」


「平気です。ウチのクラス、今日の午後休講なんですよ」


「嘘、でしょう?」


「ええ、まあ。よく嘘だと見抜きましたね。まさか名探偵ですか」


「……私のこと、馬鹿だと思ってる?」


「そんなことはないですよ。ま、たまに授業サボったくらいで死にはしませんよ、平気平気」


 軽く言って、意識的に歩くペースを少しだけ上げる。俺に合わせようと歩調を早める真那さん。まだ余計なことを考えさせたくない。


 程なく保健室に辿り着く。俺は足を止めず――ノックもせずに扉を開けて中に入った。


 中には俺がこの部屋で初めて見る椿姉の姿があった。ラウンドテーブルで、やや不安げな顔で頭を抱えている。椿姉は扉が開く音に顔を上げ俺の姿を確認すると椅子を鳴かせて立ち上がった。


「――悠真! 伏倉は――」


「ちゃんといるよ。それより椿姉」


 真那さんを保健室に入れて椿姉に告げる。俺の真剣さが伝わったらしく、椿姉の表情にも力が入った。


「――なんだ」


「食堂に内線してくれ。出前の注文だ――オムライスを二人前、大至急で」


 ……………………沈黙の後、椿姉がテーブルに崩れ落ちる。


「……お前は何を考えているんだ?」


「昼を食べ損なった俺と先輩のカロリー摂取について。教職員は学食に出前の注文ができるんだろう? 知ってるんだぜ」


 学生食堂とは言え、教職員が利用できないことはない。しかし実際、学生食堂でその姿を目にするのは希だ。それは名目上学食が『学生食堂』であり、教職員に限り出前制度を利用することができるから――おそらく学生の憩いの場の提供、教職員の労働効率への配慮から設けられたシステムだろう。


「まあ、うん、できるけど……なぜ?」


「去年教科担任に昼休み返上で働かされたとき、内緒だっつって奢って貰ったことがあんだよ。その時に聞いた。ハリー」


「ハリーじゃないよ。そうじゃなくて、なぜオムライスを……」


「俺も先輩も食いっぱぐれたから。飯も食わずに重い話できねえよ……先輩、オムライスは食えますよ。大丈夫です」


「……悠真くん、私」


「ストップです、先輩」


 思い詰めた顔で何かを言いかける真那さん。気持ちは分かるが――先に彼女の気持ちを少しでも解したい。


「俺も先輩に伝えたいことが山ほどあります。でも、まずは昼を食べましょう。腹を空かせたままじゃ考えもいい方向に向きませんよ。食べて、それから話しましょう」


「でも、悠真くんは午後の受業が――」


「さっきも言ったじゃないですか。たまに受業をさぼったって死にはしませんよ」


「……お前、それ教員の前で言うセリフか?」


「受業より大事なことがあるんだよ。椿姉も学生時代があったんだからわかるだろ?」


「……今回だけだからな」


 俺の言葉に椿姉も諦めたようだ。テーブルを立ち、デスクの電話の受話器を取る。


「――……第三保健室です。すみませんが出前を――はい、オムライスを三人前――ええ、お願いします」


「……オーダーは二人分なんだけど?」


 受話器を置いた椿姉に尋ねると、振り向いた彼女がにやりと笑う。


「私の分も頼むと幸せになれると女の勘が告げたんだ。私の勘は良く当たる」


「あっそう」


 すげえ勘だな。怖ろしい……多分真那さんがケチャップで名前を書いてくれるだろうから、椿姉的には最高にハッピーになれるだろうよ。


 なんだかやたら疲れたな……俺は嘆息して椅子を引き、腰を落ち着ける。


「先輩、座りましょう。話はオムライスを食べてからってことで」


「……私、でも」


「……多分、なんですけど。多分先輩より俺の方が不安だと思いますよ、今。先輩みたいに今すぐ話をしようって気になれませんから。飯食って、落ち着いて――でないと話せそうにないです。だからすみませんけど、まず昼飯に付き合ってください」


「……悠真くんは、優しいね」


 真那さんがぎこちなく笑う。良かった。さっきまで今にも死にそうな顔をしてたからな。まあ、起きたことを考えればそれも無理はないが……ぎこちなくでも笑えるならさっきまでより精神状態もいいはずだ。


 しかし安心したのも束の間、


「いや伏倉、勘違いするなよ。こいつは入ってくるなり教員に飯を頼めと言い放つ男だぞ。優しい訳あるか」


 横から椿姉の茶々が入る。鬱陶しいが、保健室でこの三人は何気に初めてで――新鮮ではある。面倒くさくもあるが。


 腹が減ってまともに取り合うのがだるい。相手は椿姉だし、適当に言葉を返す。


「こんな時に身内に甘えないでいつ甘えんだよ」


「……これだよ。わかるか? 伏倉」


「……はい。悠真くんは、危険です」


「え、なんで?」


 椿姉だけでなく、予想外なところから意外な非難を浴びせられる。なんでだ?




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