第5章 《魔女》の再臨、あるいは誕生 ④
スマホを取り出して電話帳から目的の名前を探し、通話をタップ――回線が繋がると同時、相手が応答する前に伝える。
「椿姉、真那さんは保健室に戻ってるか?」
『いや――何かあったのか?』
「俺がやらかした。その上で逢坂さんと出くわした。先輩が逃げた」
椿姉も逢坂羽海の名前は頭にあるはず。その名を出したせいか、椿姉にも緊張が伝わる。
『――、詳しくは後で聞こう。伏倉は保健室に向かって行ったのか?』
「どこに向かって逃げたか確認できなかった。探してみるから、椿姉は真那さんが保健室に戻ったら俺に連絡してくれ」
『アテはあるのか?』
「ない。椿姉は?」
『すまん。ない』
「わかった。先輩が戻ったらよろしくな」
通話を終えてスマホをしまう。
教師に掴まらず食堂を抜け出せたのはいいが、真那さんを完全に見失った。一年の三学期から保健室登校のあの人だ、保健室以外に思い入れのある場所なんてないだろう。だとしたらどこへ行く? 俺ならこんな時にどこに行きたい?
俺なら――バイクでアテもなくぶらぶらするかもな。だとしたら真那さんは――あの人は性格的に外には向かっていかないだろう。なら家か?
そう考えて駐輪場に足を向けて、はたと気づく。俺は真那さんが徒歩で通っているのか、それとも自転車通学なのか――知らない。近所とは言え歩くより自転車の方が楽なはずだが、そもそも一人暮らしの真那さんが徒歩圏内への通学の為に自転車を用意しているか疑問だ。
俺はそんなことさえ知らないのか――あの人は、俺の空手をあんな風に言えるほど俺のことを見てくれていたのに。
こんな時にはヒントがあって然るべきだろう。ノーヒントの上、このでかい学校。人を探すにはどう考えても向いているロケーションではない。
――いや、阿呆か、俺は。
普段利用しないせいで完全に頭から抜けていた。俺は真那さんとラインを交換している。
再びスマホを取り出して、真那さんとのトークルームを開く。履歴の日付は四週間前。ラインの使い方を真那さんに教え、その礼に喋るスタンプを俺に送ってきた、あれ。
結局あの後俺にスタンプを送ってくることはなかった。興味津々だったし、気に入りそうなものを探さなかったわけじゃないだろう。きっと俺に遠慮して送れなかったのだ。
今更だけど、俺から何かきっかけになるようなものを送ってあげればよかったな。
ともかく――トークルームから通話ボタンをタップする。呼び出し音が流れ、五秒、十秒――応答なし。あの人が俺のアカウントをブロックするとは考えにくいし、そもそもそこまでラインを使いこなせていないだろう。応答しないのは環境的な理由か、精神的な理由か。
少し考えて、メッセージを送る。『もう一度電話します。次出てくれなかったら嫌いになりますよ』――我ながら酷い文面だが、今の真那さんの心を解せそうなものが思いつかなかった。こんなのは俺じゃなくて、真那さんのような美少女が男に送って初めて効果が生まれる類いのものだろうに。
そんな酷いメッセージだが、送った途端に既読がつく。よし、見てはいるな。環境的に応答できないのならメッセが返って来るだろうし、精神的なものでも今のメッセで応答する気になっただろう。
再び通話をタップ。今度はさほど待たずに回線が繋がった。
『……も、もしもし』
電話口から聞こえてくる真那さんの声は弱々しいものだったが、涙声ではなかった。泣き止んでいるだけでも一安心ではある。胸をなで下ろしつつ尋ねる。
「俺です。今どこですか?」
『……わ、わかりません……』
「は?」
『……夢中で走ってしまって』
さもありなん。大きすぎる学校の弊害だ。かくいう俺も学校の敷地内は行ったことのない場所の方が多い。真那さんなら俺以上に知らない場所が多いだろう。
「外ですか、屋内ですか」
『……校舎です。工作室っていう教室があります』
工作室。確か工業科の教室だったような……だとすれば合同校舎だ。面倒なところに……
「すぐに行きます。先輩はそこを動かないでください。いいですね?」
『……は、はい』
返事を聞いて、通話を終える。足を合同校舎に向け、再び椿姉に電話。
『――見つかったか?』
「ああ、連絡がついた。合同校舎にいるらしい。迎えに行ってくる」
『合同校舎? なんだってそんなところに』
「夢中で走ってたらそこに辿り着いたんだってよ」
『……悠真。ないとは思うが、一応気をつけろよ』
「わかってる」
椿姉の含みのある言葉に頷き、通話を終える。
世間では真面目で通っている我が桜花星翔高等学校だが、その自由な校風とキャパの大きい学科のせいで、柄の悪い生徒もいないわけじゃない。そして学科を色眼鏡で見るつもりは毛頭ないが、桜星に限って言えばその柄の悪い生徒が集中しているのが工業科だ。
とは言え学内で揉め事があったなどそうそう聞く話じゃない。滅多なことはないはずだ。はずだが――今日は既にその滅多にないことが起きている。というか当事者の俺だ、普段なら出るはずのない目を引いてもおかしくはない。
そして男子ばかりの工業科に迷い込んだ子羊こと、真那さん。今は《魔女》になれないはずだ。怖い思いをしていなければいいのだが――
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