第5章 《魔女》の再臨、あるいは誕生 ②
◇ ◇ ◇
悠真くんの異変は一目瞭然だった。
不意に現れた三年生に声をかけられた瞬間、悠真くんの顔色が真っ青になった。体は強ばって緊張していた。
悠真くんのこんな姿を見るのは初めてだ。
少し意地悪なところもあるけど、いつも辛抱強く私の話を聞いてくれて、私が何かを頑張れると喜んでくれる悠真くん。飄々とした顔でとんでもないことを言い出すのに、私のことを真剣に考えてくれる悠真くん。
その悠真くんが怯えている。怖いものなんて何もない、何事にも動じない彼が震えている。
私の呪いを尊いものに変えてくれた悠真くんが困っている。
悠真くんはいつだって私に手を差し伸べてくれる恩人だ。そんな彼は私の事を先輩と呼ぶ。
私の、大切な後輩――私は彼の、先輩でいたい。
後輩が困っているなら、それを助けるのは先輩の務めだ。
悠真くんは、きっと私なら出来ると言ってくれるだろう。
彼がそう言ってくれるのなら、きっと出来る。その為の力はもう悠真くんから貰っている。
悠真くんが辛いときは、私が彼を助けるんだ。
◇ ◇ ◇
「手を放すんだ、悠真くん」
不意に隣から聞こえた声に、芝木を罵倒する言葉が止まった。声の主に目を向けると《魔女》が俺を座したまま見つめていた。
「聞こえなかったかい? 彼の襟から手を放すんだ。君の力は軽々に振るっていいものじゃない。もっと大切で、尊いものだ。わかるね?」
「――……」
「放しなさい」
この状況で、真那さんが介入してくる――予想もしなかったことに驚いていると、珍しい命令口調でそう言われる。鋭い語勢に驚いて手を放すと真那さんは俺のシャツを引いて座るように促した。大人しく従うと、彼女は小さく頷いて――
「君は下を向いていろ。あとは私に任せたまえ」
そう囁くと、答える間もなく――俺と同じく予想外の介入者に唖然としている芝木たちに厳しい視線を向ける。
「さて、詳しい事情はわからないが――君らに言ってやりたいことは千の言葉を並べても足りそうにないな。何から言ってやろうか……実に悩ましいね」
「……じ、事情を知らないなら控えてくれ。俺は羽瀬と――」
「控えるのはそちらだろう。悠真くんは私と食事をしようとしていたのだよ? 割り込んできて先輩であることを示威し、嫌がる私の後輩に無理矢理話を聞かせようとしていたのはそちらの方に見えたのだが。同じ三年生として後輩への接し方に少し難があるのではないかと忠告させてもらうよ。運動部ではそれでいいのかも知れないが、部活の外にそれを持ち出すのは――控えめに言って品性に欠ける。自覚したまえ」
「は? てめえ――」
芝木の連れがいきり立つが、真那さんはそいつにもぴしゃりと言い放つ。
「声が大きいよ。何メートルも離れていないんだ。鼓膜が痛んだらどうしてくれる。周囲にも迷惑だ。普通に話してくれれば十分に聞こえるよ――もっとも、女子を相手に恫喝するような話し方しかできないというのなら仕方がない、私も我慢しよう。できない人にやれというほど残酷なことはないからね。私も無碍に人を傷つけたいわけじゃあない。さあ、どうぞ遠慮なく怒号をあげたまえ。さあ」
食ってかかるように――しかし静かに、奏でるように。先輩がそう言うと、相手は黙るより他なかった。
「さて、一番話が通じそうな君――すまない、名前を聞いても?」
「……芝木、だ」
「ありがとう、芝木くん――私は伏倉だ。憶えてくれないでいいよ。君の記憶に留まりたくないからね。さて、事情を知らないとは言ったが察することはできる――花村先生と本人から、彼が空手を辞めてしまったことを聞いているから」
ただ居合わせたとでも思っていたのか、介入者の――真那さんの口から椿姉の名前が出てきたことに三人が驚く。
「……伏倉さんには関係のないことだ」
「関係がない? 私との食事中に君たちが割り込んできたのだ、口を挟む資格は十分にあると思うけれど? なんなら悠真くんにも確認してみるかい? ま、わざわざ彼に尋ねるまでもない。『あんた』と呼ばれる君と違い、私は『先輩』と呼ばれている――さて、彼は私に口を挟むなと言うだろうか? 共に食事をしようという時間を邪魔されているのに? ま、いい顔はせずとも黙認、といったところかな」
先輩はそう言うと、肩を竦め――
「彼もこの調子だ、どのみち君の話は耳に入らないだろうよ、芝木くん。だから代りに私が話を聞こうじゃないか。さあ、話してみろよ。こう見えても私は記憶力がいい方さ。後で一字一句違うことなく悠真くんに伝えておくと約束しよう」
「――……、君には関係がない」
「なんだい、後輩には謝る体で威圧的に振る舞えるのに、同学年の私には同じように振る舞えないのかい? そいつはまた大きな体躯に似合わない度胸だね、感心するよ。芝木くん、君ももう少し何か話してくれないか? このままだと君は周囲の生徒に『後輩に無理矢理エゴを押しつけようとしたのに横から女子に口を挟まれて急に借りてきた猫の様に大人しくなってしまった男子』なんてあらぬ誤解をされてしまうぞ」
「――てめえ、いい加減にしろよ!」
芝木の後ろのもう一人が吠える。が、真那さんは冷静だった。
「だから、声が大きい。同じことを二度言わせないでくれよ。ああ、一度では理解できないのかな? できない人にしろというのは酷な話だとさっき言ったばかりだったな。すまなかった。この通りだ。さて、もう一度言おうか?」
「嫌味な言い方しやがって……女子に強く出られないのは当たり前だろ? 口喧嘩が強いのがそんなの偉いのかよ」
「口喧嘩? 口喧嘩だって? はは、君は――君たちはそんな暢気なことを考えているのかい? いや、それを責めまい。さっさと本題を切り出さなかった私が悪かったかもしれないね」
言いながら、真那さんは立ち上がった。髪を捌いて芝木と後ろの二人を睨めつける。
「ふざけるなよ。これは口喧嘩なんてそんな生易しいものなんかじゃない。糾弾だ。芝木くん――話を聞いて察したよ。君――卑劣な手段を用いて悠真くんから空手を奪ったな?」
もう止めてくれ――そう願って真那さんの手を取るが、その俺の手を真那さんは振り払った。視線は真那さんの言葉に固まった芝木に向けられている。俺には一瞥もくれず、真那さんはただ芝木を睨み続けていた。
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