第4章 それは霹靂のように ⑫
カウンターに二人で並び、オムライスの乗ったトレイを受け取って空いている席を探す。
空席はちらほら見えるが――できれば先輩が人の目に留まりにくい場所がいい。奥まった角席が理想だが――そうそう都合良く空いてなさそうだ。それでも通路に面した角に並びの空席を見つけ、真那さんを促してそこを陣取る。
隣に知らない人が座り、緊張しては飯も美味くないだろう。角に真那さんを座らせ、その隣に腰を落ち着ける。
トレイに乗ったオムライスはシンプルなモノだった。肉厚のマッシュルームが美味そうなデミグラスソースが――的なやつではなく、ケチャップで食べる日本的な奴だ。
いや、日本的というか、そもそもオムライスが日本食なんだけれど。
「悠真くん。ケチャップを取ってくれないか」
「はい」
テーブルの中央に置かれた調味料類。その中から真那先輩がご所望のケチャップのボトルを抜きとって渡してやる。
「ありがとう。お礼だ」
そう言うと彼女は受け取ったボトルを実に器用に操って俺のオムライスに文字を書いた。HARUMA――おお、メイドさんがウェイトレスをしてる店のオムライスみたいだ。その手の店に行ったことないけど。
「上手ですね。こういうサービスを提供する店で働いてたりするんですか?」
「まさかだろう? 私に務まると思うかい?」
「無理ですね!」
「……厚い信頼が嬉しいよ」
「お返しに俺も先輩の名前書いてあげますよ」
「! い、いや、いいよ。それはまたの機会にとっておこう」
「遠慮なさらず」
言いながら半ば強引に真那さんの手からケチャップのボトルを取り上げ、真那さんのオムライスに文字を書く。文字を……――
…………………………………………あれぇ?
「……なあ、悠真くん」
「……なんでしょう」
「ふざけてるのか?」
「食べ物でふざけませんよ」
「だろうね。君がそんな奴じゃないのは知っているし、あのお母様に育てられたのだ、そのあたりの教育やしつけは行き届いているだろうね……」
真那さんは、俺の前衛的なケチャップアートに打ちひしがれていた。
「一応聞くけど、私の名前は知っているよな?」
「伏倉真那さんです」
「……これは一体なんだろう?」
「MANA、と書くつもりだったんですよ」
「……私にはヒエログラフが組体操をしているように見えるが」
「斬新な解釈、いいと思います」
「明らかに目的の字より画数が多いだろう? どうしたらこうなるんだ」
「多分、ケチャップボトルが俺のこと嫌いなんですよ。言うことを聞いてくれませんでした」
「花村先生から君の料理に関するスキルは壊滅的だと聞いていたんだ。それでもまさかとは思ったんだが……」
「ケチャップで字を書くのは料理スキル関係ないですよねぇ?」
「私もそう思うが、しかしこれは……」
いよいよ頭を抱える彼女。
「――一つ忠告しておこう。忘れないでくれ。将来君が家庭を作り、子供ができて――子供のオムライスに絵なり文字なりを書くのはお嫁さんに任せなさい。いいね?」
思いのほか真剣に説いてくる真那さん。そんなにか……?
「俺のケチャップアートはそこまでですか」
「これ以下はないと言っていいんじゃないだろうか。子供のオムライスに対する期待感を地の底に落としたい時は君の腕を披露したまえ。有効なはずだ」
「つまりそこが底辺だから、あとは上がるだけという期待しかない状態に」
「全然違う! ……最近君のことを少しずつ理解できてきたと思っていたんだけど、どうやら気のせいだったようだよ……理解力が乏しい先輩で申し訳ない」
「どんまいです」
「……一応伝えておくが、ドンマイは和製英語でdo not mindとはニュアンスがだいぶ違うからな。桜星には海外からの留学生も多くいる。彼らに気軽に言ってくれるなよ」
へえ、そうなのか。
「先輩は物知りですね」
「――ふふ、そうたいしたことではないよ。さあ、君のケチャップアートは残念だったが、気を取り直して温かいうちに食べようじゃないか」
そうか、俺のケチャップアートは気を取り直すようなものか。一応真剣に書こうとはしたんだけどな……
もう二度とやんない。
「すみませんでした」
「構わん。君なりにやってみようとしたんだろ。その……なんだ。また気が向いたら練習させてやろう。勿論、君が良ければだけど」
「……仕方ないですね。先輩がそこまで言うならまた書いてあげますよ」
「まったく、君という奴は本当に……――まあ、いいか」
先輩はそう言って苦笑いをし、
「いただきます」
スプーンを手に、律儀にそう呟いてオムライスを掬う真那さん。俺も彼女に倣い、いただきますと言って食べ始めようとしたところで――
「――羽瀬?」
不意にかけられる男の声。
その響きに一瞬で俺の心はざらついた。
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