第4章 それは霹靂のように ⑩

 土日を挟んだ月曜の茶会はいつも通り。《魔女》化した先輩とお茶会をして。


 そして火曜の――昼休み。


「や、やはりいささか緊張するな……」


 中央校舎四階階段前。学食へと続く階段を前に先輩は腰が引けていた。立ち居振る舞いそのものは凜々しいのであまりそうとは見えないが。


 先週、つつがなく食事会を終えた真那さんは笑顔の椿姉に連れられて帰って行った。結果は大成功だったと言えるだろう。それは無事真那さんを自宅まで送り届けた椿姉の報告からも明らかだった。


 月曜――昨日の茶会で、真那さん自身からも成功の喜びと達成感、そして自信を得た旨を聞いた。それならと翌日の今日、早速学食での腕試しを提案。応と頷いた彼女の姿からその自信のほどが伺えたのだが――


 いざ、当日。保健室に先輩を迎えに行き、椿姉に見送られつつ連れ立って保健室を出たまでは良かった。しかし階下へ降りる階段が近づくにつれて真那さんの足取りは重くなり、階段を目の前にしたところで止まってしまった。


 無理もない。俺の両親は初対面だが、本質的には味方だ。距離が近い分関わることにはなるが、好意的に対峙できるというのが前提にあった。


 しかしこれから向かう学食を賑やかせる生徒たち――彼ら彼女らは決して敵ではないし、直接関わることはないだろうと思える。しかしこちらに対して好意的とは限らないのだ。


「すまないね、ふがいない先輩で――……、どうかしたかい?」


 それでもいざゆかんと頑張ろうとする姿を眺めていると、視線に気づいた真那さんが問うてくる。


「先週も思ったんですけど」


「うん」


「保健室以外での先輩はレアキャラって感じすね」


「……………………そうだろうね」


「ああ、嫌な意味じゃなくて。保健室だと動きがパターンじゃないですか。座ってるか、立っても冷蔵庫とテーブル往復するぐらいで、あとはお茶の用意。けど外に出れば色んな動きをするわけで。それが新鮮だなぁと」


「……そんな風に言われるとなんだか恥ずかしくなってきてしまうな。あまり見ないでくれたまえ」


「どんまい」


「君のその言葉はどこか使い方違う気がしてならないよ」


「押し切るつもりの時にはこれでいこうと決めてます」


「……知ってはいるが、いい性格だよ、本当に……」


「そういう意味で先輩を見てるのは俺だけだと思うんで、気楽に行きましょう」


 告げると、先輩の肩がピクリと動く。


「多少視線を集めるかも知れませんが、みんながみんな先輩の事情を知っていてその上で好奇の視線を投げてるわけじゃない。無駄に固くなって挙動がおかしければ余計に注目集めちゃうんで、自然体が望ましいです」


「……なるほど。まったく、頼もしい後輩だよ、君は」


 調子が出てきたようだ。少し青かった先輩の頬に赤みが差す。


「ありがとう。もう大丈夫だ」


「さっとすませて、椿姉にいい報告をしましょう」


「そうだね――ついてくる振りをしてついてこない、なんて悪戯をしてくれるなよ。学食に着いたときに私一人だったらその場で泣いて花村先生に言いつけてやるからな」


「すごい強迫ですね。ちゃんと着いて行きますよ」


「うん、頼むよ――では行こう」


 頷いた真那さんは、言葉通りもう大丈夫そうだった。歩調はよどみなく、ゆっくりと――しかし確かに階段を降りていく。


 一つ、嘘を吐いた。きっと真那さんは学食で大きな注目を集めるだろう。


 それくらい、保健室を出た《魔女》は美しかった。長い距離を歩く真那さんを初めて見たが、その姿に圧倒されてしまったほどだ。


 しゃなりしゃなりと色っぽく歩いているわけではない。前を向き、ただまっすぐ歩いているだけ――スカートの裾も長い髪も揺らさず、自然に腕を振り、交互に足を前に出す。それだけのはずなのにまるで黄金比のような美しさがあった。


 ただ、歩く――その人間の機能美を芸術めいた域まで昇華させる人を俺は他に知らない。空手を達人と言えるレベルで修め、鍛え磨かれた椿姉でさえここまでではない。


 加えて彼女の美貌。彼女はきっとそこにいるだけで注目を集めてしまうだろう。そしてその内に秘めるのは、自分でも御しきれない脆い心。


 自分と関わったために傷ついてしまった人に謝りたい――そう強く願うことができる人なのに、それも叶わずただ後悔を重ねていく。


 さぞ生きにくい思いをしてきただろう、この人は。


 真那さんと出会って一月ほど――椿姉が真那さんと知り合って、俺に真那さんを普通の女の子にしてあげてくれと言いだしたのも一月経った頃だと聞いた。今なら椿姉の想いもわかる。俺は椿姉とはまた違う選択をしたわけだが――それでもこの人に自身の望みを叶え、報われて欲しい。


 ゆっくりと降りていく。途中、真那さんの肩に力が入るのがわかった。しかし歩きながら大丈夫ですよと告げると先輩は軽く頷き、その力も抜けていった。


 三階を過ぎ、吹き抜けのフロアに出る。この場所そのものに驚くことはない。保健室に行くために毎日この階段を昇っているはずだから。しかし前を行く真那さんが息を呑む気配が伝わってきた。生徒の多さに驚いたのだろう。


「……予想はしていたが、予想以上だ」


「ウチは生徒数多いすからね。先輩、学食を利用したことは?」


「三年目になるが、実は初めてなんだ。購買は利用したことがあるのだけれど」


「そうですか。あそこの券売機で食券を買って、メニューごとにカウンターに並んで受け取ってテーブルへって感じです」


「メニューごとに?」


「この規模ですからね。ラーメンとカレーを同じところで盛り付けていたら効率が悪いじゃないですか」


「なるほど……」


 階段を降りながら目下に臨む学食のシステムを説明。真那さんは手すりに手をかけ、戦々恐々といった様子で食堂を眺めていた――が、進む足は止めなかった。


 そしていよいよフロアに降り立ち、満員にほど近い学食に挑む。


「……大丈夫です?」


 さすがに足を止めてしまった真那さん。周りの生徒に聞こえないよう、声を潜めて尋ねる。


「……実はね。君のお家にお邪魔したとき――私の膝はそれはもう滑稽なほど笑っていたんだよ。なんとか君やご両親には隠し通せたが。声が震えなかったのは僥倖だったね」


「……まじすか」


 それであの挨拶か。頑張ったのだなぁ……


「大丈夫。緊張はしているが、君のお家を訪ねた時ほどじゃあない。行こう」


 人は多いが無秩序ではない。混雑しているのは食券機とカウンターで、テーブルの空きは埋まりつつあるもののその間を歩いて通るには十分な余裕がある。先輩は緊張からかやや足早に――そのテーブルの間を通って食券機への最短距離を進んで行った。


 程なく、食券機の列――その最後尾に辿り着く。先輩はそこで足を止め、肩越しに振り返るとほんの僅かに微笑んで小さなガッツポーズを見せた。破壊力がヤバイ。これが妹だったら首がもげるほど頭を撫でてやるところだが、先輩と俺は血縁がないのでそうはしない。あったとして姉だしな。



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