第4章 それは霹靂のように ⑤

 二日後。保健室に通うようになって丁度四週間。金曜の放課後。


 椿姉がXデーと名付けたその日が来た。


 我が羽瀬家は十九時が夕飯の時間だ。俺が空手をしていたときは割とまちまちだったが、専業主夫の母さんと公務員の父さん、そして帰宅部の俺という組み合わせだと、大抵この時間には三人が揃う。揃ってればまあ一緒に食べるよね、という話だ。


 その飯時を迎えた我が羽瀬家の玄関に――


「今日はお招きいただきありがとうございます。三年F組、伏倉真那と申します」


 ――制服姿の《魔女》が降臨していた。


「日頃悠真くんには親しくしていただいます。今日は悠真くんのご両親に会えるととても楽しみにしていました。これ、つまらないものですが、よろしければ召し上がってください」


 呼び鈴に応じ、真那さんと椿姉を出迎えた母さんと父さんがその完璧美少女ぶりに唖然とするなか、真那さんは手にしていた紙のケースを母さんに差し出す。椿姉がいつだったか買ってきたケーキ屋のロゴが入っているものだ。


「お父様には、こちらを――私の地元のお酒でもと思ったのですが、花村先生からお父様はこちらを好んでいると伺ったもので」


 真那さんに見蕩れて無言でそれを受け取る母さん。真那さんはそのまま椿姉が下げていた袋を受け取り、今度はそれを父さんに渡す。袋の口から父さんが愛飲している銘柄のロゴが見えた。ビールか。


 父さんはそれを受け取ると、真那さんに応える。


「いらっしゃい。ありがとうね。君のような先輩がいるなら悠真の学校生活も安心だ。これからもうちの息子をよろしく頼むよ。狭いところだけど、今日はゆっくりしていきなさい」


 ! 母さんがフリーズした真那さんを相手に、父さんが問題なく対応しているだと!


 すげえ……俺は真那さんの正体を知っているからこの《魔女》を見ても動じることはないが、知らずにこの真那さんと対面したら間違いなく気後れするぞ。それをこうもあっさりと普通に息子の先輩として対応するとは……


 俺と同じで体格は中肉中背。インドア派で俺が中学の頃には腕相撲で相手にならなくなった父だが……今日はその背中がいつにも増して大きく見える。頼もしいぜ。


「ありがとうございます。むしろお世話になっているのは私の方で――彼の言葉に勇気づけられる毎日です。立派なご子息です。今日はそのこともご両親にお伝えしたくて……ああ、早速叶ってしまいました。嬉しいです」


「息子をそんなに褒められると親としてはなんだ、ちょっと恥ずかしいが嬉しいよ。ああ、こんなところで立ち話もなんだ。椿ちゃん、準備ができるまでリビングで彼女の話相手になってあげてて」


「うん――ほら、伏倉。お邪魔しよう」


「はい、先生。お邪魔します」


 勝手知ったるなんとやら――先に上がり(母さんがまだフリーズ中なので自分で)スリッパを出す椿姉。真那さんの分も用意し、彼女をリビングに連れて行く。


 途中、(人が多くて降りられないから)階段の途中で佇む俺と真那さんの目が合った。


「うす。いらっしゃい、先輩」


「うん、悠真くん――お邪魔するよ」


「どうぞどうぞ」


 手で先を促すと、そのまま真那さんは椿姉の後を追っていく。玄関に残ったのは母さんと父さん。そして階段の途中で佇む俺。


 父さんが振り返って俺に言った。


「なんだ今の美少女!」


 全然普通じゃなかった。


「父さんびっくりしたぞ……なんだあの子、アイドルか何かか? お嬢様?」


「ウチの進学科の先輩だよ……アイドル活動はしてないと思う。お嬢様かどうかは知らん」


「母さん二股は許さないよ!」


 突如復活した母さんが参戦してくる。


「二股って誰と誰だよ――一股もかけた憶えがないんだけど?」


「あんた小さい頃椿ちゃんのお嫁さんになるって言ってたじゃない。それがあんたあんな可愛い子をウチに連れてくるだなんて――しかも椿ちゃんも一緒に! 修羅場なの?」


「そんなわけあるか。連れてきたのは椿姉だし、別に先輩と俺はそういう関係じゃない。あと声気をつけてね? いきなり先輩に俺の黒歴史暴露しやがってこの野郎」


 ウチはそう広い家じゃない。俺が不覚なガキの頃に椿姉の嫁になるとか言ってたことは完全に真那さんに筒抜けだろう。


「っていうかあんたその格好はなんなの」


「え? 普通にいつもの部屋着のジャージだけど」


 自分の姿を見下ろす。半袖と七分丈の上下ジャージだ。普通の格好のつもりだけれど。


「あの子に失礼でしょ。着替えてきなさい」


 家にいるのにジャージではダメとな。真那さんすげえな。椿姉で美人に見慣れてる同性の母さんにここまで言わせるのか。


「っていうかカレーで良かったの? あの子私のカレーとか食べれるの? お寿司でも買ってくる? 父さんまだ晩酌してないから車出せるわよ?」


「全然いい。カレー最高。知らんけど。服だってこのままで良し」


 母さんを押し退けて、リビングへ。二人はソファテーブルに行儀良く座っていた。椿姉は定位置であるテレビ正面、真那さんは偶然か――いや、ちゃんと考えてだろう、下座に座っていた。


「すみませんね、騒がしい家で」


「賑やかでいいじゃないか。君にお嫁さんになりたいだなんて夢があったなんて知らなかったよ」


 やっぱ聞こえてますよね。


「大きくなったらお嫁さんになりたい、は聞くけど、大きくなったら旦那さんになりたいとは聞かないじゃないですか。結婚=お嫁さんになる、だと思ってたんですよ」


「花村先生の――は否定しないのだね?」


 どこか意地悪そうに真那さんが笑う。


「嬉しそうですね」


「君にからかわれることは日常だが、君をからかう機会は初めてだからな。で、否定はしないのかい?」


「……迂闊にも花村先生が好きだった時期があったみたいなんですよ、俺。黒歴史です」


「私に懸想は黒歴史か」


「ああ、椿姉。いたのか」


「今明らかに私を見て言ったよな? 黒歴史とはどういうことだ」


 額に青筋を浮かべる椿姉。はっ、今なら椿姉なぞ全然怖くないぜ。


「先輩、今日の花村先生はちょっと機嫌が悪いみたいです。お疲れなんでしょう。残念ですが花村先生には帰って休んでいただいた方がいいかもしれません。先輩の帰りは俺が送っていきますよ」


「いや元気! 超元気だから! 機嫌もユニバース! 送った後にもう一回送迎できるくらい元気だから!」


 機嫌がユニバースとか斬新なアピールだ。聞いた事がないからいいのか悪いのかさえわからない……あと追加の送迎はいらないからしまっとけ。な?


 ともかく、最近の椿姉の弱点は真那さんを好きすぎることだ。真那さんの前なら椿姉に負ける気がしない。


「ああ、お邪魔した時に外で君のオートバイを見たよ。随分格好いいのに乗っているんだな。あれに乗せてもらえると思うと少しわくわくするが、今日は花村先生のお世話になることにするよ」


 そう言って椿姉をなだめる真那さん。どこから見ても非の打ち所がない美少女。


 ……これが《魔女》の本領か。


「――ちょっと驚きました。いつにもまして仕上がり完璧じゃないすか」


 母さんたちに聞こえないよう、声を潜めて告げる。同じように先輩が応えてくれた。


「君のお家にお邪魔して、ご両親にもお目にかかるのだ。緊張しているが、気合いも入っているのだよ」


「そうすか。まあ、肩の力は抜いてください――あとお土産ありがとうございました。そんなに気を遣わなくて良かったのに」


「ご両親にご挨拶するのに手ぶらとは行くまい。それに半分は花村先生に出していただいた。大した負担ではないよ」


 ああ、まあそりゃそうか。未成年じゃビール買えないしな。


 あの日の電話の翌日――つまり一昨日だが、アレルギーも好き嫌いもないと真那さんから聞き出してくれた椿姉から、同時に先輩は《魔女》としてウチに来るとつもりだと聞いた。


 真那さんがそう決めたのならそれでいい。それなら俺は彼女をアシストするだけだ。


 ……とは言っても、今日は見守ることぐらいしかできないが。


「あらあら、椿ちゃんと伏倉さんで両手に花ね」


 なんとか調子を戻したらしい母さんがリビングにやってくる。


「片方が逞しすぎてもはや花と言うより樹木なわけだが」


 樹木の方の平手が頭に飛んできた。どうやら樹の精の怒りを買ってしまったらしい。痛い。


「張り倒すぞ」


 張ってから言うなよな……


「すぐに準備するから、もう少し待っててね」


「ああ、お手伝いします、お母様」


 そのままキッチンに立ち去ろうとする母さんを、立ち上がった真那さんが追う。


「いいのよ。お客さんなんだし、お鍋跳ねたりして制服が汚れたら困るでしょう?」


「いえ、用意がありますから」


 言いながら真那さんはどこから取り出したのか、エプロンを広げて身につける。


「なんでも仰ってください」


「……じゃあ、ちょっとだけお願いしようかしら?」


「はい」


 言いながら二人はキッチンに消えていく。それを見送る俺と椿姉――と、遅れてリビングに現れた父さん。


「……椿姉」


「うん?」


「多分あれが女子力ってやつだ。椿姉も先輩から色々学べよ?」


「私がおばさん手伝ったら、おじさんの晩酌相手がいなくなるだろ?」


 当然の様に言い放つ椿姉。いただいたばかりの缶ビール――その一つを椿姉に手渡す父さん。いろいろ衝撃的なコンビネーションだ。


「はい、椿ちゃん」


「ありがとう、おじさん」


「「かんぱーい」」


 プシュッと小気味よい音が重なる。


 ……ここにいてもやることがねえな。


「……庭にいるから飯ができたら呼んでくれ」


「うん?」


 母さんが先んじて運んできたつまみの皿に手を伸ばしながら、椿姉が顔を上げる。


「ここにいてもやることねえし、縄でも跳んで腹空かせてくる」


「縄跳びか――いつもやってるのか?」


「いや? たまに気が向いた時だけ。ボクサー跳びなら膝にあんま負担かからないし、運動不足解消がてらに」


「……これからは習慣づけた方がいいんじゃないか?」


 意味ありげに、椿姉。そうだな、いずれ椿姉にリマッチを申し込むんだ。体作りもそうだが、その前に体力戻さなくちゃならないもんな。


 今日の真那さんの出来をみれば、彼女が目標を果たしてきっと笑顔で卒業していく――そんな姿が目に浮かぶ。椿姉もそれを意識しての言葉だろう。


「ま、ぼちぼちな」


 そう返して、俺はリビングを後にした。




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