第3章 素敵な《魔女》になるために ⑥

『――と言うと?』


「《魔女》を制御下に置く――これ、俺や椿姉が考えていたよりハードルが低い気がする。今日の成果を見ていたら勉強合宿には問題なく参加できると思うんだ。思っていたより先輩は強い。頑張れる人だ――勉強合宿をクリアできれば、そのまま大きく前進できる……そんな気がする。二学期にはクラスに復帰して、クラスに馴染んでいけるんじゃないかな」


『先週――お前と伏倉を会わせる前ではとても描けない未来予想図だよ。万々歳だ。何が不満なんだ?』


「……俺は、先輩の未来を歪めてしまったんじゃないかな」


 吐露すると、電話口の向こうで椿姉はゆっくりと口を開いた。


『……随分強い言葉を使うんだな。伏倉にとって、お前との出会いは大きな転機になったとは思うが……』


「……あれだけ頑張ろうって人だ。俺じゃない誰かがきちんと手をとって立たせてあげられたら――先輩は元々忌み嫌っていた《魔女》なんかじゃなく素の先輩としてクラスに復帰できてたんじゃないかな」


 今日の先輩を見て感じたことだ。俺が《魔女》を疎んじる彼女が嫌で、真那さんの目標をねじ曲げた。けど真那さんは、そんなことをしなくとも素の真那さんのまま、目標を達成することができたのではないだろうか――そんな風に思えてきた。


 しばしの沈黙の後、電話口から椿姉のリアクションが返ってくる。


『――ふふっ』


「……なんかおかしいこと言ったかよ」


『いや? 色んな意味でずば抜けたお前が、年相応なこと考えてて――もう少し姉ちゃんっぽいことしてやれそうで嬉しかっただけだよ』


「なんだよ、それ」


『言葉のままだよ……なあ悠真。私から見て伏倉はお前と出会って変わったよ。昼間、あの子の自習の合間に話をしたり、お茶の時間を作ったりするんだけどな――私と目が合うようになった。あの子の方から何か伝えようとすることが増えた。まだ幾日も経っていないのに、はっきりそうとわかるくらいに変わった』


「……俺から見ても、先週の先輩と今日の先輩は別人のようだよ」


『だろう? 伏倉の時間はもうずっと停滞してて――お前が動かしたんだ。お前と出会ったことがきっかけで、あの子は自分が呪いと捉えていた《魔女》と向き合って――そして《魔女》と呼ばれた自分を赦せた。だから、あの子は立ち上がれた』


「……だからこそ、俺は真那さんの目標を、未来を歪めてしまったかもって」


『もうその言葉は使うな。そういう言い方は嫌いだ』


 強い口調で言葉を阻まれた。その語勢に、続く言葉がかき消えてしまう。


『お前があの子に《魔女》を赦すきっかけを与えなければあの子はずっと立ち上がれないままだった。いずれ誰かが立たせたとしても、伏倉自身が《魔女》を赦せなければきっとまたへたり込む。あの子は《魔女》になると決意したろう? お前は伏倉を歪めたんじゃない。あの子の《魔女》を希望に変えたんだ』


「……………………そうかな」


『そうだよ。今日は自発的に変身したんだろう? 伏倉が本気で嫌がっているなら、その気持ちを抑えて変身できるほどあの子は強くない。それに――』


「……それに?」


『お前と伏倉は出会ってしまった。そして伏倉は変わった。いくら悩んだところで時間はもう戻らない。お前と伏倉の出会いはなかったことにならないんだ。お前風に言えば今更悩んだり立ち止まったりしても仕方がない、ってとこだな』


「椿姉……」


『――それでも。どうしてもお前が伏倉に《魔女》でなく生来の伏倉のままクラスに戻って欲しいのなら、確実とは言えないが手がないわけでもない』


「……どんな?」


『それは内緒。確実じゃないし、今の伏倉には無駄だ、効果がないだろう……少なくとも私やお前が今の伏倉ならクラスに溶け込める――その程度には進化してくれないと意味がない』


「なんだよ、それ……」


『内緒だって言ってるだろ。お前がどうしても伏倉の《魔女》をなかったことにしたくなったら私に言え。その時は姉ちゃんがなんとかしてやる』


「……そんな日は来ないよ。先輩が素敵な《魔女》になるって言ってんだ。俺が勧めたのにそんなこと言えるわけがないだろ?」


『伏倉も今更お前に撤回されても頷かんだろうよ。お前のお陰で赦せた《魔女》を、きっと大事に想ってる』


「……だといいんだけど」


『間違いないよ』


 椿姉はそう言って笑い――


『結論。もう悩んでもあんまり意味がないから前向きに頑張れ』


「……おう」


『どうだ、ちゃんと姉ちゃんっぽかったろ?』


「どうかな。どっちかっていうと教師っぽかったかも」


『教師でもあるからな。私もたまにはいいこと言うだろ。驚いたか?』


「驚いた。あんまり驚いたんで地球が自転でもしてるのかと思ったよ」


『はっはっは、そんな馬鹿な。地球が自転なぞするわけ――いやしてる。自転してるぞ。超してる。確か時速千七百キロぐらいでしてる』


「先生! 時速千七百キロは相当な加速度だと思うんですが、加速してる実感がありません! 地球がそんな速度で動いてるならジャンプしたら投げ出されるはずですよね。でもそうならない。どうしてですか?」


『………………重力がな?』


「外れ」


『………………引力がな?』


「それも外れ」


『あ、悠真もうメシ食った?』


 露骨に話題変えやがったな……正解は慣性。後で電車でジャンプというキーワードでググっとけよ、自称教師。


「食べたよ。頂き物の高そうなハム焼いて食った。肉! って感じだった。美味かった」


『ハ、ハムかぁ……いいなぁ……!』


 じゅるりと涎の音が聞こえてきそうな反応。しかし、


「さすがに残ってねえんじゃねえかな? 母さんにまだあるか聞いてこようか?」


『いや、いい。まあ男子高校生だしまだ入るだろ。ラーメン食ベに行かないか? 同僚の先生にタダ券もらってなぁ』


「あん? どこ?」


 尋ねて返ってきた店名は、地元の人気店のものだった。ヘルシーなメニューもあって女性客も多い。俺はそこのつけ麺が実は結構お気に入りだったりする。


『お前、あそこのつけ麺好きだったろ?』


「おう。行く」


『おお。じゃあ一度家に帰って車で迎えに行くよ。良かった。二枚貰ったんだが、一緒に行く相手がなかなかな。道場の連中だと誰か一人を誘うのも難しいし』


 まだ道場に通っているって言ってたもんな。椿姉は道場でも人望あるし、汗を流した後に誰かを食事に誘えば俺も私もと人が集まる。チケットが二枚では到底追いつかないだろう。


『三十分くらいで行く。出る準備をしておけ』


「了解」


『じゃあまた後で』


 通話を終える。


 ……三十分か。ちょっと汗でもかいて腹を減らしておこうかな?


 俺はかつて毎日使っていて――そして今は埃を被りつつある跳び縄を手に庭へ出た。




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