第3章 素敵な《魔女》になるために ③

「そもそもだ!」


「――はい?」


 続行か。まだ頑張れるらしい。頑張れ。


「――は、はは、は」


「母?」


 尋ねると、真っ赤な顔でいやいやするように首を振る彼女。そして引き結んだ薄い唇を少しずつ動かして、


「――……は、は、悠真くんは!」


 ……………………おお。


「……………………なんだい、その顔は」


 真那さんの驚きの言葉に思わず呆けていると、そんなことを言われてしまう。


「この状況で昨日の言葉を実践するとは。驚きました。心の中で拍手喝采を送っている顔です」


「う、うるしゃい!」


 より一層顔を赤くして真那さんが叫ぶ。あと噛んだ。


「――わ、私は三年生で、君は二年生。後輩を下の名前で呼ぶことなんて、た、大したことじゃないだろう?」


 なるほど。声が動揺していなければ完璧な理論ですね。


「あ、はい。大したことじゃないですね。しかし娘の成長を目の当たりにした父の気持ちはこんな感じなのかもしれない――そんな気分です」


「いやらしい男だよ、君は! そもそも君は――」


「――君?」


「――……は、はは、悠真くんは!」


「はい」


「私に謝ることがあるんじゃないかな!」


 涙目で、真那さん。そろそろ限界か?


「……先週泣かせたことですか? 手順として必要だったと思ってますけど、でもあれについて確かにちゃんと謝罪してませんでしたね。すみませんでした」


「いや、あれは気にしていない。君の言う通り必要なことだったと今ならわかる。むしろ忘れてくれ」


「ですよね。忘れます」


「まったく、君という奴は……」


 真那さんが頭を抱えて溜息をつく。


「でもあれじゃないならなんだろう」


「昨日のことだよ!」


 テンポの良い合いの手が入る。意外とツッコミ向きの人なのかも知れない。


「昨日?」


「昨日の君の話――家に帰って考えてみたが、おかしい。いや理屈はさほど間違っていないかも知れない。しかし一日四時間はどう考えてもきついだろう!」


「ああ、そこ。お気づきになられましたか、さすがです。昨日気づいてくれても良かったんですよ?」


「くっ――今後君の言葉を鵜呑みにしないと心に刻んでおこう。とにかく一日四時間――しかも四日連続だぞ。初日にやらかしてしまえば残る三日、逃げの手が打てん。針の筵だ。私にやり遂げられるとは到底思えないな!」


 そんな格好良く敗北宣言されても。


「ついでにバラしておくと平日なら四時間も耐える必要ないすよ。受業と受業の間の休み時間と昼休みなんで、併せて二時間弱ってとこすかね。気づいてました?」


「……君の前世はきっと悪辣な詐欺師なんだろうな。それとも民衆を都合のいいように煽る扇動者か、それを操る黒幕か。いずれにしても碌なものではなさそうだ」


「やる気、なくなっちゃいました?」


 尋ねると、真那さんは力なく首を横に振った。否定。しかし――


「……………………でも、きっと無理です」


 返ってきた言葉は、《魔女》ではなく素の真那さんのものだった。


 時間切れ、か。いや、初めての自発的な変身にしては随分頑張ってくれたと思う。想像以上の成果だ。


「お疲れ様でした。変身できたじゃないですか。格好良かったですよ」


 真那さんは両手で顔を覆い、ぶんぶんと頭を振った。


「は、恥ずかしい……!」


「なにがすか。格好良かったのは本当すよ」


「ごめんなさい。私、は、悠真くんに、いちいち嫌味なことを……」


「気にしてませんよ。それを制御する練習じゃないですから。今日の課題は自発的な変身です。先輩はそれをクリアしました。頑張りましたね、大きな前進です」


「はう……」


 顔を覆うだけじゃ足りないのか、テーブルに突っ伏してしまった。合掌。存分に休んでくれたまえ――おっと、口調が移ってしまったな。


「今日の変身はここまでにしときましょう。休んで下さい――と言いたいところですが、一つだけ」


「……………………?」


 俺の言葉に、真那さんは顔を上げ――目が合うと慌てて伏せてしまった。《魔女》だと少しぐらい目が合っても大丈夫なんだけど、素の状態だとまだちょっと難しいか。


「勉強合宿、無理ですか?」


「無理だよ……四日もクラスメイトと一緒なんて……」


「まだ二ヶ月ありますよ。無理と決めつけるには早い。俺は今日の先輩の変身を見てそう思いました」


 一年以上かけてできなかったことを二ヶ月で――確かに厳しいし、難しい。


 だが、先輩はもう一年何もできなかった真那さんじゃない。《魔女》と呼ばれてめそめそしていた真那さんじゃない。


 素敵な《魔女》になると決めた真那さんなのだ。


「まあ、確かに一日四時間は詭弁です」


「詭弁って認めた……」


「詭弁じゃなくてなんなんですか」


「酷い……」


「どんまい」


「……それは、なにか違う気がします」


 俺もそう思います。でも気にしない。


「今の先輩にクラスメイトと一日中過ごさなければならない合宿を乗り切るのは難しいかも知れない。でも、チャンスなのは本当ですよ」


「やらかしても、すぐ夏休みになる、から……?」


「それもそうだし、拘束時間が長い分、先輩が得られる経験値も大きい。それに一緒にいる時間が長いってことは、クラスメイトたちにも先輩がクラスにいる、ということに慣れてもらうチャンスです」


「……でも、」


「先輩が憧れると言った椿姉――花村先生は」


 弱気な真那さんに喝を入れるつもりで、椿姉の名前を口にする。


「才能があったのは間違いない。けど、それ以上に努力の鉄人でした。最初から強かったわけじゃない。努力に努力を重ねて――《正拳の魔女》と呼ばれるようになりました」


「……花村先生の記事、ネットで探して読みました。お怪我、残念です……」


「あれがなければあの年の世界選手権獲ってたはずですよ。でもそれは椿姉が《正拳の魔女》だったからじゃない。《正拳の魔女》と呼ばれるようになるほどの努力をしたからです」


「努力……悠真くんも、した?」


「は?」


「……《魔女の弟》、《天才》」


「……ああ、そんな風に呼ばれていた時期がありましたね」


「花村先生と一緒に写っていた写真、気になって……」


 調べました、と真那さんは言った。


「……教えてくれたら良かったのに」


「自分から『俺、魔女の弟とか《天才》って呼ばれてたんすよ』って? どんだけすか、それ。まあ空手に夢中だった時はしてましたよ、努力。当時はハマってたから努力とは思わなかったというか、楽しめましたけど」


「全国制覇したって記事、見ました。すごいことです。誇っていいのに」


「……昔の話です」


「悠真くんは、私の手伝いをしていていいのですか?」


 それは、空手をしなくていいのかという意味だろう。


「もう辞めたんすよ、空手は」


「どうして? 日本一になったのに」


「……傲慢だったからかなぁ。多分、全国制して天狗になってたんですよ、俺。だから怪我をして……空手を辞めました」




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