第3章 素敵な《魔女》になるために ②

 変身を促してから、俺は口を噤んだ。真那さんも。


 さすがに手持ち無沙汰だ。しばらく前から俺はスマホを手にし、大して熱中しているわけでもないソシャゲを起動して暇潰しにぽちぽちと操作していた。


 途中、やはり手持ち無沙汰だったのか、居たたまれない空気の中真那さんがティーセットに手を伸ばし、俺の分の紅茶を淹れてくれた。緊張からかぎこちない手つきでそれを用意してくれた真那さんは、ソーサーに乗せたカップを俺の前へと置いてくれる。


 しかし――俺はそれに手をつけなかった。別に真那さんが淹れてくれた紅茶が気に入らないわけじゃない。後でちゃんといただくつもりだ。手をつけないのは、俺なりのエールというか、手助けというか。


 自発的な変身を促した以上、俺が圧力をかけて変身させても意味がない。


 だからこれは、何もしないと宣言した俺にできる最大限のアシストだ。無関心を装って、快適とは言い難い空気を作る。これをきっかけに変身してくれればいいのだが――


 真那さんは自らの意思で変身するのは初めてだという。時間がかかる、そもそも変身できないという事態も想定済みだ。問題は引き際――彼女に《魔女》を制御下におくのは無理だという印象を持たせてしまってはいけない。


 ソシャゲを操作する――振りをしつつ、時間を確認。保健室に沈黙の帳が降りて三十分が経過した。そろそろ限界か? 仕切り直すべきか?


 ――と。


 ではどうやって仕切り直すか。慰めるべきか、スルーして一旦休憩、やり直し――はたまた今日はもう止めるべきか?


 俺のシーグリーンの脳細胞に尋ねてみたところで、真那さんに変化が見られた。


 はっはっと呼吸が浅く、早くなる。俯いたままなので表情は伺えない。これは変身の前触れなのか? それとも過呼吸か――という心配が頭をよぎった時、真那さんの呼吸が正常なものに戻った。顔を上げる真那さん――様子を伺っていた俺と視線が交錯する。


 そして――


「――君は、性格が悪いと人に言われることがないかい?」


 薄く赤い唇の間からそんな言葉が俺に向かって吐き出される。


 成功だ――俺は緩みそうになる頬に力を込める。こんなことを言われてにやついていたらガチで危ないやつだ。


 よし、しばらく《魔女》のままでいてもらおうか。先週のようにがっつり反撃しないように言葉を返す。


「ないですね。っていうか性格を把握して評されるほどの人付き合いがないです」


「だろうね――君にそんなことを言ってくれるような人がいれば、出された紅茶を無視するようなことはしないだろう。人の厚意を無碍にするなと教えてくれるだろうからね!」


 変身した真那さんは、僅かに頬が赤いけれど――それでも別人のように堂々としていた。正面から俺を見て恨みごとを言う。眉尻が上がった灯花眼は愛らしさとともに厳しさを纏い、華奢な体がそれを柔らかくしている。所作は真那さんのもので、たおやかで、大仰なのに繊細。その姿は俺の目には優雅で格好よく見えた。


 口から出る言葉は、まあ、うん……これからだ。


「ああ、これ、俺に出してくれたんですか」


「わかるだろ! 君と私の二人だけだぞ、この部屋には――そして君の前に置いた! 君の分でなくてなんなんだ? 私がわざわざ自分の分の飲み物をこれ見よがしに人の前に置く嫌味な女だとでも? 君の分に決まっているだろう?」


 真那さんに反撃をするつもりはないが、しかし先週の様子から、まだ落ち着いたテンションでは《魔女》を維持するのは難しいかもしれない。


 凹ませず、テンションを維持させる――少し煽っておこうか。


「いや、もしかしたら俺に出してくれた可能性があるかもしれないって思ってたんすよ。けど親の方針で、おあがりなさいと言われるまで出されたものに手をつけるなと育てられていまして、仕方なく」


「……そうか、そういうことなら――」


「嘘です」


「――っ、どうやら君の性格は本格的に捻くれているようだ。心に形があれば君の心は捻れすぎてドリルのようになっているんだろうね」


「心にドリルを持つ男ってわけですね、俺。キャッチフレーズにしようと思います」


「堪えん男だな、君は――私をからかって楽しいかい?」


「べつにそんなつもりは。会話はキャッチボールって言うじゃないですか」


「言うね。それが?」


「緩急をつけようかなって」


「いらないんだよ! そんな工夫は――キャッチボールというのなら取りやすい球を投げたまえよ!」


 顔を――多分羞恥の類いではなく、怒りで――赤くした真那さんが怒鳴る。


「ジェットコースターがゆっくりひたすらまっすぐ走ってたら楽しくないじゃないですか。そういうことですよ」


「よしわかった、君は私が嫌いなのだな? そうなんだな? ならはっきりそう言ってくれたまえ。そうしてくれれば私も気兼ねなく君を嫌うことができる。蛇蝎の如く嫌うことにしよう。さあ、私が嫌いと言いたまえ!」


「だとしたら、いくら暇でもわざわざ放課後の時間を費やそうとは思いませんよ。あ、紅茶いただきます」


「……もう冷めている。飲みたければ淹れ直――」


「いや、せっかく先輩が淹れてくれたんですから。俺はこれをいただきます」


 カップに手を伸ばし、紅茶に口をつける。出された時には上っていた湯気もすっかり消え、ホットともアイスとも言えない温度になっていた。冷めた分だけ香りは飛んでしまったが、それでも口に含めると芳醇な香りがした。


「美味いです」


「あう……」


 真那さんの動きが止まった。顔が赤いのはそのままなので判断がつきにくいが、照れさせてしまったか? 紅茶を美味いと言っただけでフリーズまでせんでもいいと思うのだが……


 ここまでかな……そう思ってねぎらいの言葉を考える。しかしそれを口にするより早く、間真那さんの方が先に口を動かした。




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