第3章 素敵な《魔女》になるために ①

 火曜日の放課後。


「――はい、ど、どうぞっ」


 ドアノックにそんな言葉が返ってきた。昨日より進歩していることに彼女の努力が伺えて心が温かくなる。


 ドアを開けて入室すると、もう見知った光景が広がっていた。ラウンドテーブルと真那さん。紅潮した頬を隠すように俯き――それでも今日は、出迎えてくれているのか上目遣いでこちらを伺っている。


「こんにちは。来ましたよ」


「……い、い、いらっしゃい……」


 目が合うと真那さんは恥ずかしげに視線を伏せてしまった。昨日と違い、今日は出迎えの言葉も聞き取れた。視線は逸らされてしまったが……この辺はおいおいだな。けど絶対矯正した方がいい。顔を真っ赤にして視線逸らすとか、男子は好かれていると勘違いするぞ……真那さんの容姿でこれは破壊力が高すぎる。


 ……事情をわかっている俺でさえちょっとどきっとしたくらいだからな……


 ベッドに鞄を放り投げ、真那さんの正面のチェアに座る。


 真那さんは俺が何か言うのを待っているのだろうか。そうだろうな。何かを言い出す気配がない。俯いたままもじもじとしている。


 いずれは真那さんの方から「今日は昼間花村先生とこんな話をした」なんて話を振れるようになってもらいたいが、それはまだ遠い目標かな。今後のことを考えたら、せめて来月くらいにはそれくらい俺に慣れてもらいたいけれど。


 さて。


 今日から真那さんには基本毎日魔女になって俺と接してもらおうと考えている。


 俺を罵倒したり、その後落ち込んだりで最初は二言三言交わすだけで力尽きるかも知れない。


 けれど何かを身につけるってのはなんであれ何度も何度も繰り返して体にたたき込むのが基本だと俺は空手で学んだ。正拳の握り方、突き、型――どれも教えられてすぐに身につく訳じゃない。繰り返し練習することで体得するものだ。


 それが心理的なものであっても同様だ――と思う。先週の《魔女》化から時間を置かず繰り返し《魔女》になり、《魔女》のキャラを会得――あるいは演じることに慣れてもらう。


 真那さんが《魔女》に慣れたからといってすぐにクラスに復帰できるわけではない。対人スキルはまた別だ。勉強合宿への参加に、クラス復帰――先々を考えれば《魔女》慣れるのは早ければ早いほどいい。


「先輩」


「ひゃ、ひゃいっ!」


 先輩が噛んだ。昨日はもう少し落ち着いていただろうに。


「今日からは先輩に毎日魔女になってもらおうと思います。《魔女》に慣れるための訓練です」


「……ま、毎日ですか?」


「当面は。っていうか最終的には常に《魔女》でいられるようにならないとクラス復帰ができませんからね」


 そう伝えると、比較的マシだった真那さんの顔色が不安に染まっていく。また俺に追い詰められると考えているのだろう。


「そして、今日は一つ先輩にチャレンジしてもらいたい」


「……チャレンジ、ですか? なにを?」


「俺は何もしません。先輩の意思で《魔女》になってください」


「……自信、ないです……」


 自身の言葉通り、たどたどしく言う彼女。


 気持ちはわかるし、先週まで忌み嫌っていたものに自分からなれとは彼女の性格を考えれば俺もなかなか厳しい要求をしていると思う。


 しかしこれも重要な案件だ。先輩の変身は今のところ防衛手段で、追い詰められると変身する。しかし《魔女》化を制御下に置くためには自分の意思で変身できるようにならなければならない。


「俺はこんな性格なんで、やりたいやりたくないは別にして、大抵のことはやってみればなんとかなるんじゃないかって思うんですよ。先輩もとりあえずやってみましょう。駄目なときはあとから考えたらいいです。ルーティンってわかりますか?」


 尋ねると、真那さんはこくりと頷く。


「習慣、日課、定常処理……」


 実に進学科らしい答えが返ってきた。


「……スポーツ界隈だと、集中力を高めるために行なう動作のことをルーティンっていうんですよ。条件反射とマインドコントロールを組み合わせた技術です。リラックスと動作を条件付けて、その動作をすることで反射的にリラックスするっていう」


「そんなことが……できるんすか?」


「ええ、まあ。これは技術とは言っても慣れと反射に因るところが大きいので、訓練さえすれば誰でもできるようになります」


「……それ、が?」


「これと似たような原理で、先輩は変身が条件付けられている気がします。追い詰められたら変身するっていう行動が条件反射になっている」


「……追い詰められたら条件反射で、なんて……そんなこと、あるの?」


「ありますよ。そもそも条件反射って学習効果なんですよ。梅干しを食べたことが無い人に梅干しを見せても口の中に唾液が出たりしない。そして条件反射に適用される条件は曖昧に設定できちゃうんですよ。特定の音楽を聞いて集中するとか――マラソンの選手がコースの風景を条件に設定するとかも聞いた事があります」


「なるほど……すごいね、条件反射……!」


 先輩の目に憧憬の色が宿る。真那さんはこの手法に弱いなぁ……


 ……《魔女》に慣れたらこういうとこもなんとかしたいな。俺の話にこうも簡単に感心してくれるのは可愛いと思うけど……


「……今日は先輩のルーティンをリセットしたいんです。先輩の中の《魔女》のイメージは先週俺と話してみて悪くないモノに変わったんじゃないかって思ってます。どうですか?」


 こくこくと相づちを打つ真那さん。


「いいですね。次は、追い詰められるという条件なしに変身して《魔女》には自分の意思で変身できることを体験してもらいたい。そうすることで、『変身は追い詰められたときの防御反応』ではないということを体に覚えてもらおうって魂胆です。自分で《魔女》になってみようとしたり、実際変身したことはあります?」


 否定。今度は大きく首を横に振る。この仕草も小動物っぽくて可愛いが、やはりなんとかしたいよな……


 ――……ん? 可愛いなら別にいいじゃんか。なんでなんとかしなきゃと思ったんだ?


「……、じゃあやってみましょう。一度体験すれば何か掴めるかも知れませんし」


「……私に、できるでしょうか」


「できるようになるまでお付き合いしますよ」


 そう言うと、真那さんはしばしの間を置いた後、小さく頷いた。


「……わかりました。頑張ってみます」


「よし。じゃあ変身してください」


「もう!?」


 背景に稲妻のようなベタフラッシュを背負って、真那さん。説明は終わったんだから実行のターンでしょ。


「そうですよ。もうです。今、なう、ただちにこれから。とは言っても時間かかっても大丈夫ですよ。遠慮も無用。素敵な《魔女》になるための一歩目です。張り切っていきましょう」


 俺は意識的に笑顔を作って、真那さんを突き放した。




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