第2章 《正拳の魔女》と三年生の《魔女》――と作戦会議 ⑤
「逆に、先輩は勉強合宿で一番辛そうなことはなんだと考えてます?」
「……四六時中、クラスメイトと一緒で……寝るときも」
仲良くしたいと思う気持ちと、現時点で時間を共有できるか否かは別の話だ。合宿で二十四時間クラスメイトと一緒に過ごす精神的不安が大きいのだろう。
「なるほど。三泊四日――初日は朝集合で出発でしたよね。それで最終日の夜に戻ってくる。八時集合と仮定して八時間、十九時戻りと仮定して五時間引いて――三泊四日で八十三時間。これだけの時間をクラスメイトと一緒に過ごさなきゃいけないのが不安なんですね?」
「……はい」
「実際これだけの時間、先輩が気を張って頑張る必要なんて全然ないはずですよ」
「え?」
「まず、読書をしていたっていう自由時間。どのくらいありました?」
「……一時間でした」
「あと昼休みもあると聞いてます。これは?」
「……三十分くらい?」
「海水浴は?」
「一時間半……雨なら自由時間になるみたい、だけど」
「じゃあ先輩が耐えなければいけない時間は基本一日で三時間です。スケジュールぎちぎちって聞いてますよ。よく考えてみてください――寝ているときと受業中はクラスメイトと一緒でも常に接するわけじゃないじゃないですか。先輩が受業を受けているときはクラスメイトも受業中。寝ているときもそう。まあ、就寝前のおしゃべりなんかはあるかもですけど」
「……あ」
「あとは往復のバス移動。まあこれは最悪寝たふりでもいいんじゃないですか? バスなら多分並びの席ですよね。隣の人と話でもできれば最高ですけど、今の時点では難しいでしょう。無理にしてこいとは言いませんよ」
さすがにそれをしろとなれば、もっと早い段階でクラスに馴染まないと無理だ。
「あとメシの時間と風呂とかもあるか……併せて一時間くらいかな? 訂正します、四時間頑張れれば一日を過ごせます。バスを寝てやり過ごすなら、十二時間頑張れば八十三時間クラスメイトと過ごしたっていう実績が作れるんですよ。平日の学校なら朝から放課後まで四時間どころじゃない。ラッキーですね」
さすがにこんな計算通りに行くわけがないし、一日四時間は相当でかい。特にこの真那さんにとってはなおさらだ。後、さりげなく学校での時間は授業時間を含めて告げている。
しかし、先に困難をイメージしていた分、八十三時間を十二時間でクリアできると聞かされれば――
「……羽瀬くん、は、すごいです……」
真那さんはきらきらした目で俺を見た。この通りだ。
……俺に詐欺師の才能があるのか、はたまたこの人がチョロ過ぎるのか――多分後者。
「なんとそれだけではなく、この勉強合宿にはもう一つメリットがあるんですよ」
「……メリット?」
「はい。これが終わったらすぐ夏休みなんですよ。つまり万一この合宿で少々やらかしてしまったとしても、夏休みに突入するのでほとぼりを冷ますことができるんです。勿論何もやらかさずに上手く過ごしてくるのが目標ですけど、そういう意味で多少気楽にチャレンジできます」
「す、すごい! お得です……!」
ぱあっと明るい表情を見せる真那さん。本当にそうか? ちゃんと自分が四時間クラスメイトと同じ時間を過ごさなくちゃならないことをリアルに考えているか?
考えてないだろうなぁ……まあ、そこは俺が気にかけて上げなければならないポイントじゃない。真那さんが自力で頑張らなくてはならないことだ。
「この合宿にクラスメイトの一人として参加することができれば、二学期からクラスに登校する大きな足がかりになりますよ」
それを告げると、急に真那さんの顔が暗くなる。あれ、何か間違えたか?
彼女は口の中で何かを言いかけて――結局呑み込んでしまう。
「……ゆっくりでいいですよ。自分のタイミングでどうぞ」
伝えると、肩を上下に揺らし、何度か深呼吸をして――
「……羽瀬、くんは」
「はい」
「……私が、二学期から教室に登校できるようになったとして」
「はい」
「……そのあとも、相談に乗ってくれますか? 私が花村先生のような素敵な《魔女》になれるようにアドバイスをしてくれますか?」
恥ずかしそうにそう口にする彼女の想いは、それが助力を請う言葉でも自分の弱さと向き合うためのもので――俺は、それを勇気と呼ぶものだと思う。
俺が持ち合わせていないものだ。
「勿論です。俺は先輩が自分の望みを叶えて卒業する――そのお手伝いをするつもりです。《魔女》だなんだって話はあくまで方法論で、先輩が必要だって言うのなら桜星を卒業するまで協力します。俺でよければって話ですけど。場所は――まあここが無難でしょうね。俺の教室でも先輩の教室でもこういう話はできないでしょう。元々花村先生から振ってきた話だし、まさか使わせないとは言わないでしょう」
っていうか、言わせない。第三保健室の主目的を考えれば提供されて然るべきだ。
「……ありがとう」
俺の言葉に真那さんはそう言って微笑んだ……――微笑んだ? この人が笑顔を見せるのは初めてじゃないだろうか。
一瞬のことだったけど、とても眩しい笑顔だった。
「……私、勉強合宿、頑張ってみたいです」
「いいと思います。それまである
「……明日、から?」
「今日は素のままかなり頑張って話してくれているじゃないですか。時間がないのは確かですが、飛ばしすぎてもダメです。心のスタミナが保たない。今日はこの辺でお開きにして、明日は《魔女》になってみましょう」
「……明日も来てくれるんですか?」
「今週は先輩の予定が大丈夫なら毎日来ようと思っています。どうですか?」
「わ、私は、大丈夫……」
「了解です。じゃあ明日、放課後また来ますね。来週からは予定とか先輩の調子とか見つつって感じかな。あとは今週も先輩が急に都合悪くなったりしたらナシでもOKなんで。その時は保健室留守になってますよね?」
取り合えず保健室に来てみて、鍵がかかっていれば部活動に移行すればいい。俺は帰宅部だろうって? だから帰宅部の活動として家に帰るんだよ。
まあ、帰宅部は桜星の正規の部ではないから全然名門じゃないし、俺自身不真面目な帰宅部員なのでだいたい寄り道して帰るんだけど。でも本気出したら結構いいタイム出せるんだぜ。俺、バイク通学だから。
……なんの話をしてるんだ、俺は。
「……あ、あ」
真那さんが再び何かを言いかける。俺はカップの残りを口にしながらそれを待った。
「……………………あの!」
「なんですか」
「……………………連絡先、交換しませんか。そうしたら、急用ができたときとか、その、連
絡できますから」
……おお。同じ目的でいずれはと思っていたが、まさか真那さんの方から切り出してくるとは。彼女の性格からして自分から連絡先の交換を求めるなど相当勇気が要っただろう。
真那さんはこういう人だからわかりにくいけど、芯にはまっすぐなものが通っているに違いない。
「そうしましょう。ラインでいいですか?」
尋ねると、彼女は首を横に振った。
「……私、ライン使ったことなくて」
この人ならそうかもしれないな。
「クラスに復帰したら、きっとみんな先輩とライン交換したいって言いますよ。その時のために練習がてら使ってみましょう」
「……そう、かな?」
「きっと」
「……使い方、教えてくれますか?」
「勿論。まずアプリをインストールして――……」
――――――――
「……できました」
「じゃあ俺になにか送ってみてください」
言うと、真那さんは設定を終えたばかりのラインをおぼつかない手つきで操作して――しばらく待つと、俺の方のスマホに着信の通知がくる。
ボイススタンプだった。タップすると、ウサギのキャラクターが『ありがとう』と喋る。
「……可愛い」
自分のスマホで送ったスタンプを眺める真那さん。笑顔というほどではないが、それでも嬉しそうな顔の彼女。俺は『どういたしまして』と返信しつつ、
「女子が好きそうなスタンプ、無料のやつでもけっこうありますよ。探してみると新鮮で楽しいかもしれません」
「そうしてみます」
少しテンションが高まっているようだ。ライン、使ってみたくて、でもやりとりをする相手がおらずようやく使えて嬉しいのかも知れないな。
「クラスメイトとやり取りする練習だと思って、お気に入りが見つかったら送ってください」
「……迷惑、じゃないですか?」
「全然。忙しい時は既読つけられませんけど、それでも良ければ」
「……はい」
「じゃあ今日はこの辺で。花村先生に戸締まりとかは先輩に任せていいって聞いてるんですけど、大丈夫ですか?」
「……大丈夫。ティーセット、洗って帰るから。鍵も預かってます……」
「そうですか。じゃあすみませんけどよろしくお願いします」
今の俺と真那さんの関係なら、下手に手伝うより任せてしまった方が彼女も気が楽だろう。席を立ち、ベッドに放り投げてあった鞄を回収。そのまま帰ろうと出入り口のドアノブに手をかける。
「あ、あの――」
そう背にかけられた声に振り向くと、真那さんは真っ赤な顔で、それでも俯かずに――視線は泳いでいたが。
「……ま、また明日……」
遠慮がちに手のひらをこちらに向けていた。それはとてもぎこちなかったけれど、
「ええ、また明日。ここで」
きっと真那さんが今日一番振り絞った勇気の形だ。
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