第2章 《正拳の魔女》と三年生の《魔女》――と作戦会議 ④

「とりあえず、その勉強合宿に参加する――これを一学期の目標にするのがいいんじゃないかなと思うんですけど」


「無理! 無理!」


 強い反発。予想の範囲ではある。


「何が無理ですか?」


「……羽瀬くん、少しずつって言った……ぜんぜん少しじゃないです……!」


「あ、ちょっと待った」


 頑張って意思表明をしてくれた真那さんに待ったをかける。


「……なに?」


「俺のこと、下の名前で呼べませんか?」


「……………………恥ずかしい、です」


 赤い顔をより赤くして、彼女。まあそうだろうね……


 なるべく誠実に聞こえるように言葉を選びつつ説明する。


「だからです。一応弁明しておくと、俺が先輩に下の名前で呼ばれたいという志向ではありません。なんていうか、今俺とこうして話していても抵抗はありますよね? 恥ずかしいというか、緊張するというか」


 こくり、と頷く彼女。


「ですよね。そのハードルを下げるための工夫です。俺の前で恥ずかしい思いをたくさんすれば、俺に対してはハードル下がるでしょう? そうすれば俺の前での《魔女》化の心理的負担も減ると思うんです。その分だけ《魔女》の制御に近づける。《魔女》そのものに慣れれば、他の人の前でも《魔女》でいられる」


「……恥ずかしい思い、ですか」


「いや、恥ずかしい思いとはちょっと違うのかな……すみませんね、俺も土日に少し考えてみたって感じなんで、裏打ちがあって言ってるわけでもないんですよ。例えば……家族?」


「……家族」


 思い当たった言葉を口にすると、真那さんの雰囲気から否定の色が消える。


「例えば兄や姉と呼ばれる人は、下の兄弟姉妹を名前呼びするのに抵抗はないと思うんですよ。でも兄や姉の立場の人でも、相手が同級生だと話は変わってくる。まあ家族か他人かって話だから当たり前なんですけど。家族相手だと、同級生に見せられない顔を見せることができたりするじゃないすか。そんな風に形から入る感じで、俺を名前で呼べるようになれば心理的抵抗が減って家族みたいに――」


 ――……あれ、俺は何を言っているんだ?


「……すみません、自分で何言ってるかわかんなくなりました。忘れてください」


 ちらりと反応を伺うと、真那さんは完全にフリーズしていた。だよな、昨日今日知り合った相手に家族みたいにとかマジで俺は何を言ってるんだ。しかも相手はこの真那さんだぞ。迂闊だった。言われた真那さんが可哀想で申し訳ない。


 しかし――


「……………………明日」


「え?」


「……明日は、羽瀬くんを名前で呼べるように頑張ってみます……」


 真っ赤になって俯いて、声を震わせ――それでも決意を露わにする真那さん。その姿にどきりとしてしまって一瞬言葉が出なかった。


「……先輩さえ良ければ、頑張りましょう」


「……はい」


 俺が適当に考えたことにもこんなに真剣に、一生懸命応えようとする真那さんの姿は胸に響くものがあった。


 力になってあげたいというか、なんというか繊麗でたおやかな感情と言うか――


 そんな思いに囚われていると、知らず呼吸のタイミングがずれてしまったのか気管がつまってむせてしまう。


「あ、あの、これ――」


 思わず咳き込んだ俺に、真那さんは慌てた様子で空いていたカップに紅茶を注ぎ――


「……多分、もうそんなに熱くないはずだから……」


 慌てていてもソーサーに乗せるのを忘れない真那さんだった。こんな時にも折り目正しい。


 差し出されたソーサーからカップだけ受け取り、口をつける。喉を湿らすと空気と共に紅茶の香りが抜けていった。


「ごめんなさい、もっと早く用意するつもりだったのに……」


「あざます……いや、俺がさっさと話を切り出したから」


 今の真那さんに紅茶を入れるからと俺の話に待ったをかけるのは少々難しいだろう。


 いずれは気兼ねなくそんなことを言い出せるようになってもらわないと困るなぁ。



「ええと――どこまで話しましたっけ」


「……勉強合宿」


「ああ、そうだ。ってことで一学期の目標は勉強合宿に参加する、ということに決定でいいですね。はい決定」


「……無理ぃ……」


 眉は八の字、目尻も下がっていく真那さん。今にも瞳に涙が浮かびそうだ。ちょっと可愛い反応で手加減したくなるが、それはそれ、これはこれ。


「無理ですか?」


「無理です……」


「そう思ってしまうぐらい、今の先輩には高いハードルなわけですね」


 首肯が返ってくる。


「俺は逆にいいタイミングで比較的攻略が簡単なイベントがあってラッキーだと思っていたんですけど」


「簡単……? 三泊四日で、合宿ですよ……?」


「先輩、参加したことは?」


「一年生の時は……」


「良かった。普通科にはないカリキュラムなんで、俺は具体的にどんなものなのか知らないんですよね。実際どんな感じでした?」


 一応学校側がうたう方針は椿姉経由で聞いている。高い集中力を養うため、普段と違う環境でリフレッシュしつつ、より濃厚なカリキュラムに挑む――的な感じだ。体育教師の指導のもと海水浴をする時間が設けられている、という点が臨海学校を感じさせるが、それはあくまでリフレッシュのために設けられた時間で、主目的は勉強。基本昼休みと午後の海水浴と就寝前の自由時間以外は勉強漬けなんだそうだ。


 ……冷静に考えたら臨海学校とはほど遠いし全然楽しそうじゃないな、このイベント……普通科にないカリキュラムで良かった。


 どのみち俺はそれを楽しめる側の生徒では――このくだり俺にダメージあるし無理に繰り返さなくていいな?


 真那さんは若干遠い目をしていた。嫌な思い出なんだろうな……


「……自由時間は本を読んで過ごしました」


 まあ、先輩が友達と自由時間を楽しめるタイプなら今ここでこうしてはいないだろう。


 ……………………


「え、感想それだけですか?」


「……バスの移動は、読書したら酔ってしまうので寝たふりをしていました」


 ことさら恥ずかしそうに言う。


「ちなみに場所はどこでした?」


「……上越でした」


 新潟か。隣県――海なし県のうちからは一番近い海水浴場がある所だ。高速使って二時間くらいか?


「他には何か思い出は?」


「……海の受業が、自由時間ぽくて苦痛でした……」


 なるほど。スク水姿で一人所在なさげに浜でぽつんとしている真那さんが目に浮かぶようだ。


 周りの男子には眼福だったろうが。


 ――……あれ、なんかイラっとくるな。なんでだ?


 気持ちをニュートラルに戻すために、腹の下――丹田に意識を集中させ、肺の空気を全て吐き出す。息吹――一種のルーティンだ。これでも元アスリート、この手の技術は一応手に馴染んでいる。


 突然溜息(に見えただろう、知らなければ)をつく俺に、落胆させてしまったのかと真那さんが焦りの表情を浮かべた。


 そうじゃないと伝える言葉を口にする。


「やりましたね。やっぱラッキーなイベントじゃないですか」


「どこがですか……」


 悲しげに呟く真那さん。先に嫌なこと、辛いことを考えるのは性格なんだろうな。




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