第1章 《正拳の魔女》と三年生の《魔女》――と、俺 ②

「知ってる。あんただ、《正拳の魔女》」


「もう私の負けでいいのでそれは言わないでください」


 意外と特攻効果があるようだ。椿姉が割と本気で嫌そうな顔をする。


「そうじゃなくて、私とは違う《魔女》だよ」


「一応聞くけど、ファンタジーな意味じゃないよな。ラノベや漫画的なやつ」


「意外だな、お前もそういうの読んだりするのか。答えはイエスだ。私と一緒――呼び名だよ。《魔女》と呼ばれている生徒がいる」


「知らないな。そんな面白いあだ名とか聞いたら忘れ――いや、待てよ」


 冗談ではなさそうな真剣な面持ちの椿姉に、反射的にそう答え、思い出す。


「去年、なんか《魔女》がどうこうって噂を聞いたような? てっきり椿姉のことだと思って聞き流していたんだけど」


「そうか――普通科にまで伝わっているか」


「ということは普通科の生徒じゃない?」


「ああ――進学科の三年生だ」


「ふぅん――で? 普通科の生徒が進学科の《魔女》先輩を知っているか、なんてアンケートじゃないんだろ?」


「話が早くて助かるよ。《魔女》について知っていることは?」


 その問いに、俺は首を横に振る。


「何も知らない。言ったろ? 椿姉のことだと思ったんだよ。椿姉、去年から先生始めたから時期的にもさ……知人の噂話なんて聞いて面白いものでもないじゃん。多分意識的に聞いてなかった」


「そしてそんなお前にわざわざ仔細を聞かせたがる友人もいなかった、と」


「その通りだからほっといてくれ」


 一年の時、復帰を目指していた頃はリハビリに一生懸命で、退部の後はさすがにしばらくやさぐれて、俺はクラスでの人間関係の構築に失敗している。避けられている――ことはないと思うけど、休み時間や放課後に話をするような相手もいない。浮いている、というやつだ。


 完全に自業自得なんだけど。


「で? その《魔女》が本物かどうか確認でもしてくればいいのか? 確か水に沈めてみて、浮かんでこなかったら人間、浮いたら魔女だったよな」


 俺の灰色の脳細胞が告げている。この判別方法は詰んでいると。っていうか死亡確定。沈んでいたら死ぬし浮いたら魔女裁判で殺される。これ考えた奴はどんだけ……


「お前な……そんな用件なら自分でやるよ」


「やるのかよ」


「話の腰を折るんじゃないよ、もう……いいか、お前に課すミッションは」


 頼み事からミッションに変更された上、課された。義務感マシマシだぜ……


 そんな俺の下がるテンションを知ってか知らずか、椿姉はいい笑顔としか言えない表情で親指をびしっと立てる。


「《魔女》と友達になれ。そして《魔女》を普通の女の子にしてあげろ――これがお前にアサインするミッションだ。やったな悠真、三年生の女子と友達になれるぞ!」


 バチコーンとウィンクが飛んできた。うざい……


「――あ、あれ? 嬉しくない?」


 ノーリアクションの俺に、椿姉は急におろおろし始める。おい、まさか本気で俺がそんなことを言われて喜ぶとでも思ってたのか。


「逆になんで俺が喜ぶと思った?」


「お前モテないじゃん? 可愛い女子パイセンと友達になれるとか喜ぶかなって」


「なんで言い切ったの? 椿姉の知らない所でモテてるかもしれないじゃん?」


「クラスメイトの反応見たらお前がクラスでどんな風に過ごしているかぐらいわかるよ。モテてるわけがない。お前せっかくおばさんがそこそこいい顔に産んでくれたのに……残念な奴め」


「ぐっ……い、いや、別にモテたいとか思ってないし?」


「ぐって言ったじゃん。お前部活はしないわモテたくもないで学校楽しいか?」


「……バイクに乗るのはちょっと楽しい」


 呆れた様な顔をする椿姉に、かろうじてそう答える。リハビリ中の登下校や通院の利便性を考えて、両親が費用を出してくれるというので俺は去年普通自動二輪の免許を取った。怪我で意気消沈する俺を見かねて、何か新しい刺激になればというのもあったのかもしれない。


「学校は楽しくないか。バイクなぁ……言っておくけど、非行になんか走ったらただじゃおかないからな?」


「わかってるし、今のところ興味はない。っていうか《魔女》と友達ってどういうことだよ」


「ああ、それな」


 椿姉は、白衣の襟元を正して――


「去年の頭――年度で言えば一昨年の三学期の始めに、当時の進学科一年で、現三年のとあるクラスでちょっとした事件が起きた」


「……事件?」


 普段なら真面目スイッチを入れた椿姉をイジるところだが、のっけから飛び出した物々しい単語にそんな気が失せる。


「誰も悪くないし、誰もが加害者で、被害者――というのが事件を聞いた私の心象だ。その事件で《魔女》が生まれた」


 どうやら長くなりそうだ。俺は屋上の床に腰を下ろして、フェンスに背を預ける。少し距離を空けて椿姉が横に並んだ。


「……虐め?」


「だったらもう少しシンプルだったな。証拠さえあれば断罪できる。他科の一年下の生徒にまで噂が広がるほどだ。事件が起きたことは明白で、学校側もそれを認識してる」


「《魔女》なんて、普通JKにつくあだ名じゃないよな。俺にその《魔女》と友達になれって、椿姉は俺をなんだと思ってるんだ? すげえ厄介ごとを押しつけられてる気がするぞ」


「お前は勘違いをしている。さっきはああ言ったが、私の主観で加害者と被害者を明確にするとすれば――《魔女》は被害者の方だ」


「え? は? え――《魔女》が被害者? 語感でてっきり加害者の方かと」


「私の主観でなければ、そういう見方もできる。現に《魔女》はその事件の際、クラスメイトと口論になって相手の女子が過呼吸を起こすほど責めている。他のクラスメイトの話によれば、実に高圧的な態度で厳しく責めて、なじったようだ。その姿を見たクラスメイトの誰かが言い出したんだ。まるで――」


「《魔女》のようだったと?」


 俺は椿姉の言葉に頷く。なるほどなー。


「なんで被害者? 加害者じゃん」


「私の主観では、と言っただろう。それに学校もその件で彼女を罰していない」


「もう少し詳しく」


「……《魔女》は、非常に大人しい女子だった。度が過ぎるあがり症で、クラスメイトとさえ二言三言交わすのが精一杯だった。彼女はそんな自分の性質に悩んでいてな。担任や私の前任の養護教諭にそれを相談していた。時間をかけて、ゆっくりと自分を変えようと――そういう努力をしていたんだ」


 椿姉は寂しそうに――それでも滔々と語る。


「事件の日までは、とても大人しい女子だったんだよ。残念ながらクラスに馴染めてはいないようだったが。それでも話を聞くに、卒業までには頑張ってなんとかクラスに溶け込もうというつもりはあったらしい。しかし当時はまったく上手くいっておらず――そして不幸なことに、少しばかりお節介なクラスメイトがいた。言っておくがそのお節介な少女に悪気はまったくなかった。むしろ親切のつもりで三学期になってもクラスに馴染めない《魔女》の世話を焼き始めた」


「――ああ、なるほど。大体わかった」


 被害者で加害者――その意味が。


 椿姉が続ける。


「彼女の行動は《魔女》にクラスに馴染んで欲しいと考えてのもので、彼女自身も《魔女》と友達になりたいと思っていた。しかし《魔女》にとって彼女の距離は近すぎた。パニックとストレスで頭が真っ白になった《魔女》は豹変して、自分を守るために彼女を遠ざけようとした」


「それでなじったってわけね。あがり症で頭真っ白だったから、手加減せずにフルパワーで罵詈雑言を浴びせたわけだ」


「どうもそれに近いようだ。物静かで大人しい少女の豹変に、クラス中が呆気に取られ、教室は《魔女》の独壇場。その世話焼きの少女だけでなく、友人も何人か過呼吸を起こして――彼女は《魔女》と呼ばれるようになった」


「それだけその豹変は衝撃的だったと」


「うん――そして我に返った《魔女》もショックを受けた。自分に親切にしてくれたクラスメイトを激しくなじったことと、その結果相手が過呼吸に陥ったことに」


「――後味悪いな。それ、周りの連中には《魔女》が悪いようにしか見えないんじゃない?」


「うん。その親切な少女の巻き添えをくった友人たちは特にそうだろう。後に行なわれた個別面談では、『少女の世話焼きも少ししつこかった』といった趣旨の意見も出たようだが」


「個別面談? そんなことまでしたの?」


「学校側も事件を認識していると言っただろう? 黙殺せず、対応しようと動いているよ」


「結構意外かも。学校ってこの手の問題に腰が重いイメージあるわ。特にウチは生徒数多いし、全部対応しようとしたらキリがないだろ?」


「この件に関して特に学校側のフットワークが軽いのは学校側の対応にも問題があったという自覚があるからだ。《魔女》は担任と養護教諭に相談していたと言っただろう? 事件が起きたのは教室で、HRの前。当時の担任教諭が居合わせていた。何が悪かったかって、《魔女》には追い詰められると自分を守るために豹変してしまう悪癖があり、それも込みで担任に相談していたことだ。それまでは逃げることでそうならないように制御していたようだが、担任がいて、HR前。逃げ場がなかった」


「……担任がいたのに、《魔女》は相手が過呼吸を起こすまで責め続けたのか?」


「担任の教諭もあまりの豹変ぶりに驚いて傍観してしまったらしい」


「……なんだよそれ。加害者は担任ということでよろしいか」


「私的にはよろしいが、意味がない。その年度末に辞職した。私は入れ違いで顔も知らないよ」


「ミッション変えない? その元担任なら俺、多分殴っても心が痛まない」


「心が痛まなくても経歴が傷む。そんなことで前科をつけるな」


 俺の言葉に、椿姉は溜息をつく。


「――そんで? 《魔女》は今どうしてんの?」


「結論から言うと保健室登校だ」


「保健室登校か……ってことは実家住み?」


 全国から入学者が集まる我が桜花星翔高等学校には学生寮がある。寮生ならわざわざ登校しなくとも別の方法がありそうなものだ。


「彼女は県外の出身だ。しかし寮生ではない。親御さんも娘の性格を把握していて寮生活が送れるとは考えていなかったようだ。学校の近くの学生向けアパートで一人暮らしをしている」


「ふぅん」


「正直、それは学校側にとって都合が良かった」


「一人暮らしが?」


「うん。自分に親切にしようとしてくれたクラスメイトを傷つけた《魔女》は、自分を責めて退学しようとした。まあ、逃げたかったという側面もあるのだろうけれど――しかし、学校側は自分たちの対応に問題があったために起きた事件で、彼女が犠牲になってはならない――そういう方針で彼女の自主退学を引き留めた。そして当初の彼女の努力目標だったあがり症を克服してクラスに馴染むことのバックアップを望んでいる」


「へえ」


「それに、あのまま《魔女》を切り捨てては引き金となった女子生徒の心にも傷を残すと考えたのだろう。自分の親切心からの行動でクラスメイトが学校を去って行った――思春期の女子には少し重い事件になってしまう。そういう意味でも《魔女》の退学は避けたかった。学校を辞めれば一人暮らしを続ける意味がない。彼女が自主退学を思いとどまった理由の中に、わざわざ入学にあたりアパートを借りてくれた両親に退学しては申し訳ないという思いもあったと思う。理由はともかく退学を思い止まってくれた以上、彼女を保健室登校のままで終わらせず、望みを叶えて卒業させてやりたい」


「……生徒のこと、ちゃんと考えて大事にしてるんだな、桜星って」


「私が生徒だった頃からそうだったよ。マスコミから随分守ってもらった」


「ああ、高校の頃にはもう有名だったもんな、椿姉は」


「うん――だから、桜星から指導者としてオファーが来たのは嬉しかったよ。私もそういうつもりで、生徒たちと向き合いたい」


 そう言って笑う椿姉。その顔は、大人に見えないほど無邪気で――


 ――そうか。だから椿姉は、故障からの復帰を望まずに後進の指導へと舵をきったのか。


「――で、どうして俺に《魔女》の友達になれって?」


「――私の力不足だ。助けてくれと言った方がいいか? 四月に前任者から《魔女》を引き継いでな――《魔女》は今、私が管理する第三保健室にいる」


「椿姉って今年で二年目だよな。二年目でそんな重い仕事させられんの?」


「ほら、私って若手だからさ。大変な仕事まわされちゃうんだ。若手だから!」


「ああ、そうすね」


「こういう時だけ敬語つかうのやめてくれない……?」


 しょんぼりと、椿姉。まあ椿姉の言葉も真実ではあるだろうけど、《魔女》と年が近いからとか、椿姉自身も《魔女》だったからとか、そういう理由もあるんだろうな。


「それにしたって新米には責任が大きすぎる仕事じゃないの?」


「本来なら去年から私がするべき仕事なんだよ。第三保健室はそういう生徒の居場所を作るために用意されたんだ。勿論第一、第二が多忙であれば通常の保健室としても機能するが、生徒の心のケアが第三保健室の主目的だ」


「は? 俺が去年空手部辞めたとき、学校専属だっていうカウンセラーが訪ねてきたぞ。あれって顧問と椿姉が手配したんだろ? 第三保健室なんて話は聞かなかったけど?」


「顧問の判断で私の関与は止められた。私とお前では距離が近すぎるから、関わるのは少し時間をおいた方がいいと。だからカウンセラーに出張ってもらった。結果、その通りだったな」


「……俺、退部を止めに来た椿姉に怒鳴っちまったもんな。あの時は悪かったよ」


「いや、あれは私の悪手だったよ。お前を慮るつもりだったのに、気持ちが先走った。止められていたのに私から会いに行ったんだ。怒鳴られたのは自業自得だな」


「そうだな。どんまい」


「……それ、使い方合ってる?」


「合ってることにしておこうぜ」


 俺の言葉に椿姉は呆れた様に息をつき――そして、話を続ける。


「しかし前任から引き継いでこの一月――彼女が卒業するまで一年を切ってしまったというのに何の手も打てていない。新しい刺激が欲しい。お前なら信用できる――《魔女》の友達になって、彼女が普通の女の子になる手助けをしてあげて欲しい」


 そう言うと、椿姉は俺の方に向き直って頭を下げた。


「いや、マジな話後味悪いし、椿姉の仕事を手伝ってあげたいって気持ちもなくはない。けど、荷が勝ちすぎてるでしょ……」


「ただでとは言わないぞ。勿論金品とはいかないが」


「――うん?」


 ここに来て対価の話か? いや、そもそも大役が過ぎるという話だ。対価などもらったところで無理なものは無理だけど。


「――悠真。お前、さっき私を人生のラスボスと言ったな?」


「ここでまさかの強迫? それぐらい言うだろ。言わせろ。どれだけボコボコにされてきたと思ってるんだ。いや、ボコボコにされるだけならまだしも、俺は一回も椿姉に勝ったことないんだぞ」


「強迫なんてするもんか。ただでとは言わないぞと言ったんだ、対価の話に決まっているだろうよ」


「あんな確認の仕方じゃ脅されると思うでしょ……」


 俺の言葉に椿姉は笑みを浮かべる。それ! それが脅す人の態度だって言ってるの!


 椿姉はどこか強気な笑みを浮かべたまま――


「悠真。お前が《魔女》の友達になって、彼女が望みを叶えることができたら。自分を変えて、クラスに馴染んで卒業することができたら」


「……できたら?」


 問う。椿姉は――




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