第20話、本当に自分が破綻者だと気付いた時、人は歩き始める。

◆◇◆

 同日、深夜1時。べネスト砦 北門付近にて。


「…………ふたり」


 クリスティアは気絶している兵士を見下ろし、手に持ったソレを仕舞った。


【防犯グッズ-紅翼の彼方】

・射出型のスタンガン。当たった相手へ特殊な睡眠魔法を使用し、意識を彼方へ飛ばす。


 彼女は今、身体に包帯を巻き付けてまともに服を着ていない。

 左腕と杖は包帯で結ばれ固定されている。だが歩むスピードは徒歩の二分の一にも満たない。

 ――――どう考えても旅など出来る状態じゃないのだ。


 日常生活すら難しい。そのレベルの損傷を受けている。にも拘らず、彼女は歩みを止めようとしない。

 何故? それは単純でシンプルな理由だ。


「(コーネリア王女が来る前に、少しでも、少しでも逃げないと)」


 ――――止まれば死ぬからだ。

 クリスティアが捕まった理由はコーネリア王女の指示だ。その上で、今のクリスティアの内部はボロボロ。

 万年情緒不安定サイコパスのコーネリアが傍にいれば、間違いなく死ぬだろう。


 彼女には何も選択肢が与えられていない。本当に無力で、本当に幼い少女にはそれを掴めるほどの力がないのだ。

 ――――ゆえに。


「――――止まれ」

「……ルバート、さん」


 彼女に救いは訪れず。

 ルバート・デシュタール。大戦の功績が認められ一代のみの男爵位を与えられた庶子。

 一度はアーノルドの不興を買い、功績を握り潰された。しかし催眠術が解けたと同時に功績の件が持ち上がり爵位を手に入れたのだ。


 それ即ち――――それだけの力を所有する強者であることを意味する。


「君に……いや、お前に聞きたいことがある」


 口調は丁寧。だが底に凝縮された敵意は隠しきれていなかった。


「はい、何でしょうか」


 あと数分もしない内に兵士が来る。ゆえにクリスティアに会話の余裕などは無い。それはルバートも知っている。

 ――――知った上で、ルバートはそこにいた。


「お前、クリストフだな」

「…………」


 風が謳い

 雲が動く

 月の光が彼女を照らす。


「…………理由を、聞いてもよろしいでしょうか」

「お前の祝福だ。お前の祝福は…………あまりにも異常すぎた」


 男は語る

 女は黙し

 月の光を雲が攫う。


「祝福で欠損部位を治すには、長い時間の修業が必要だ。

 例外として存在するのが聖女。聖女は特殊な儀式を施され、祝福に関する成長力が約三倍に跳ね上がっている。

 そしてな、その聖女でさえ十年の修業・・・・・が必要なんだよ。

 今代の聖女は元から才能があって八年……

 ――――どう考えても可笑しいじゃないか」


 男は明かす

 女は後退り

 月の光は闇に消え


「だが、一つだけ抜け道があった。

 祝福とは信仰心に応じて神から力を借りること。信仰心……要は信じる気持ちさ。

 その上で聞こう。君の祝詞にある〝黄金の恩恵〟とは誰のことか、知ってるか?」

「…………」



 唐突だが、一つ昔話をしよう。

 過去に創世神へ強い信仰心を持つ男がいた。男は創世神に祈りを捧げれば世界は平和になると信じていた。


 だがある日、彼の村に魔族が訪れた。妻が殺され、娘が犯され、家畜は臓腑をぶちまけた。

 その日からだ、彼に祝福が使えなくなったのは。


 教会をクビになり、仕事を失い路頭に迷った彼は、スラムで死に掛けている少女を見付けた。

 戦時中であるため、そこら中に死体やらが転がっているのも珍しくない。

 その中でも、彼女のだけはなんとか生きていた。


 ――――たす……け、て


 彼は祝福を使う、だが少女は治らない。

 彼は己を憎んだ。どうして私は少女一人すら救えない。

 彼は神を憎んだ。どうして神は私に試練を与えるんだ。

 憎しみと焦りの中、彼は呟いた。


 ――――黄金の月よクリストフ殿、どうか彼女を救ってください……。


 その言葉で、発現された祝福の力。

 少女は治り、彼は力を取り戻した。そして少女に短パンニーソを履かせた。


 そう、黄金とはクリストフを指す言葉だったのだ。

 信じるとは思い込み、疑わないこと。他者に対してするとなると酷く難易度が高いだろう――――ならば、自分自身の場合はどうだ?


 自分の存在を疑う。それを実行する人間は一部の変態を除いてほとんどいない。

 ――――つまり、初めから信仰心はMAXも同然だったのだ。


「神が神の力使ってんのと同じなら、四肢の欠損も簡単に治せるだろうさ」

「……もう、誤魔化せないようですね」


 男は黙し

 女は諦め

 月の光が差し込んだ。


「……ええ、御明察の通り――――私がクリストフだよ」

「……そうか」


 男は歩む

 女は震え

 月の光に男が入る。


「……クリストフ、お前は渇望という言葉を知っているか」

「え……?」


 男は見下げる

 女は見上げる

 男は女の首を掴んだ。


「あぎっ……ぃ゛」

「渇望とは心から希望すること。この世で最も求めているモノ。

 それはアイデンティティが構築される過程で形成されるものだ、持論だがな」

「にゃ゛に、を……っ」


 男は見上げる

 女は見下げる

 杖は地を落ちる。


「つまり渇望とはその人間が幼少期で〝最も得られなかったもの〟を指すんだよ。

 愛を知らぬ子は愛を。明日を知らぬ子は明日を求める。

 その上で、お前にはその渇望が二つ存在する。なんだかわかるか?」

「ひっ」


 ルバートは胸倉を掴み、クリスティアの頬を殴る。

 クリスティアは成すすべもなく殴られていた。


 クリスティアを地面に叩き付け、ルバートは馬乗りする。

 三十前後の男が、十代の少女へ馬乗りをする。その負担は計り知れない。


「一つ目は〝愛されたいこと〟

 愛を与えられず、スラム街を彷徨う子はほとんどが抱える欲求だ。

 スラムで過ごした君は当たり前に愛を知らなかった」


 殴る、殴る。鼻血が宙を舞う。骨がいくつかヒビが入る。

 ルバートは立ち上がりクリスティアへ蹴撃を放つ。腹部の骨へヒビを入れながら数メートル吹っ飛ぶ。


「そしてもう一つは」


 胸倉を掴み、立ち上がらせる。

 拳を握りしめ、もう死ぬ寸前のクリスティアを見下ろす。

 この拳が降る降ろされればクリスティアは死ぬだろう。そうでなくともあと数分も放置されれば死んでしまう。

 そしてルバートは――――クリスティアを抱きしめた。


「クリス、俺はお前を愛している・・・・・

「ぇ……?」


 なんと、言ったのだろうか。この男は。

 先ほどまで殴りまくって致命傷に至りかねない負傷を与えた男。ルバート・デシュタール。

 彼はあろうことは、クリスティアを抱きしめて愛している、と囁いたのだ。


「――――ぁ、ぁぁっぁああ」

「クリスティア、僕は君を愛しているよ。この世界の誰よりも」


 表情は無で。にも拘らず声だけは愛を囁いていた。

 愛されたい、その願いを持つ人間には強烈すぎるアプローチだろう。

 ゆえにクリスティアは愛を受け入れ。


「ぁああああああああああああああああああああああああああああッンrgflsq・xbv;ウェsckvんs・wdccq■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――――――ッ!!」


 ――――否。


「過去に、勇者に聞いたことあってね。 ――――英雄は破綻者だ、と。

 その意味が、ようやく分かった気がする」

「ウィqvbうぇくぁっさdbv;亜lxjcんf;ア・vdk。jfc詩klfckpasxs/;xcdb fdsjqa;ッ!!!!! ンfksjぁcvbjfッーーーーー!!!!!」」


 叫び、咆哮し、爪で必死に抉る。

 その力は人間のものとはかけ離れており、少女のひっかきで男の耳や指が弾け飛ぶ。

 痛くもあろう、怖くもあろう、だがルバートは囁き続ける。それこそが英雄を追った男の誇りであるゆえに。


「君のもう一つの渇望はこれだ――――〝誰からも愛されたくない〟。真っ向から否定し合う渇望。どうやっても満たされない地獄だ、常人には想像できない苦しみがあるんだろうな。だから君は英雄になれた」

「dフェmf五fxbsdjfvはszc dszasvbfsiaxc vdjlzxcvkcsじゃz――――――――――――!!」


 クリスティアの渇望は恐ろしく珍しいものだった。一つに特化した渇望ならば抱えた人も少なくなかっただろう。

 だが、クリスティアの渇望は異常だった。


 〝愛されたい〟〝愛されたくない〟

 本当に酷い自己矛盾。愛を求めてるのに愛を斬り捨てる。それがクリスティアの持つ歪みなのだ。

 破綻者と言われても納得してしまう。なにせ本当に救いが無い。


「自己の矛盾に気付いた人間は自分が救われる可能性を放棄する・・・・。結果、意識は内から外に向き、自己の精神的苦痛の一切が分からなくなった。

 ――――誰からも愛されないなら、誰かを愛して生きていこう。という風にね。

 この世界でただ一人、誰よりも救いを齎して誰からも救われることがない。

 それが英雄の正体……英雄という破綻者の正体だよ」

「ddfンbvfdしあ;伊vbgおいbvjdsz――――――――…………」


◆◇◆


 思えばヒントは至る所に存在していた。


 ――――子供が出来たら全力で守ります

 これはあの子が最初の牢屋で言った言葉だ。

 この発言から彼女は間違いなく結婚に乗り気だったことが分かる。


 ――――クリスティアさんは何故旅をしているのですか?

 マリンって子から投げられた問い。クリスは〝安息〟を求めていると伝えた。


 ……何故?

 結婚に初めは乗り気だった彼女は、何故ここで否定した?

 男が嫌だ? 否、今の世は同性愛の文化が認められ始めている。

 ならば何故? そのヒントはこれだ。


 ――――結婚って……

 彼女はここで、自分が女だと気付いてしまった。

 戦時を生きていた彼女はとても古い価値観を持っている。


 それは性別に対する偏見だ。

 ――――曰く、男は愛する女を守る。

 ――――曰く、女は帰る場所を守る。


 戦争中はこの思想は多くあった。珍しくもない当たり前の思想。女は男と家の所有物、そのように考える男もいた。俺はフェミニストなんだよ! とか言ってた奴がそうだ。

 だから彼女は結婚を無意識に避けていたのだ。目を逸らしていたのだ――――愛されたくないから。



 ――――君は自分が壊れていることを自覚しなさい。

 かつて出会った男性に告げられた言葉。クリスティアの欠点を指摘した声だ。


 愛されたい、愛されたくない。矛盾する願いを抱えた私の愛しい人。

 私のこと、忘れないでね。

◆◆◆

「英雄、寝坊もいい加減にしておけ。もう起きる時間は過ぎてるぞ」


「あ、ルバート様だ!」

「女もいんぞ!!」


 腕に掛けられていた力が弱まる。だがクリスティアの身体はボロボロとなり、今すぐ専用の機械でも使わなければ死んでしまう状態となっていた。

 ――――刹那に。


【エル ノ 十八番 ニ 接続アクセス

「――――きたか」


 夜に響いた音はルバートには聞き慣れたものだった。

 過去の戦場で、過去の逆転劇で、過去の英雄譚で、その詩を聞いたことがあるのだ。


【月ノ光ニ 優シイ リュバン ハ】

【隣 ノ 扉 ヲ 叩キマシタ】


 紡がれる詠唱。

 次の瞬間、クリスティアの身体に異変が起きる。


【茶髪 ノ 少女 ハ 問イカケル】


 ――――身体に蛆が這い始める。

 それは魔力を凝縮した生命体であり、特殊な力などこれと言って所有しない形だけのものだ。


 だが、それは何の効果もないかと問われれば否。


「こ、これは……! うぇっぷ……」

「魔力が、ぐぎっ……う、ぅ゛、う、ごけな、い……ひぃぃぃッ」


 人間の精神を逆撫でするように、蛆が這う。

 嫌悪する、吐き気を催す、神聖なる神殿に糞を塗りたくるが如き所業。


 敵の肉体を、敵の首筋を、敵の穴という穴を蛆は犯す。

 這った痕には黄色い汁が異臭と共にぬめり付き、人の心をぶちゅぶちゅを捕食する。


【〝ノックをするのは誰かしら〟】


 だが、蛆を消すことは出来ない。

 これの本質は魔力。可視化されているがそれだけの存在。触れることも消すことも出来ないのだ。


【彼女ノ 問イニ 彼ハ 答エタ】


 さあ、あらゆる劣等は跪け。これこそは究極の秘術。

 魔術などという劣化品と同等に扱うことなど出来ぬと知れ。


【〝お願いします、扉を開けて〟】

【〝愛の神様に免じて〟】


 ――――愛しい人、私を忘れないでね。


「【第十八の使徒‐月煌】」


 世界が変革する。世界が崩れる。世界が黄金月で満ちてゆく。

 クリスティアの左手と右脚が蘇る。傷など知らぬばかりに祝福再生されていく。


「ねえ騎士様――――首狩りの魔女・・・・・・って知ってる?」

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