第17話、環境は人を壊すには十分すぎる凶器。

 五月二十八日。

 中継地点、村にて。


「ふっ、ふっ、ふっ」


 クリスティアは村の宿屋、その中庭を借り木剣を振っていた。それはこの旅が始まってから毎日している日課でもある。


「(2995、2996、2997、2998、2999……3000、っと)」


 とりあえずの日課を終えて汗を拭う。部屋に戻り、身体の各所を拭き、着替えを始める。


「ありがとうございました」

「へい、またおいで!!」


 宿の亭主に挨拶をしてその場を去る。歩を進めるクリスティアは上機嫌だった。


「(この村では一回も殴られてない……! なんと運が良いのでしょう)」


 それもそのはず、彼女はこの村に入ってから現在に至るまで、一度もボコられていないのだ。

 ゆえに彼女は運が廻ってきたのだと上機嫌だった。


「おはよう。ご機嫌だな、何かあったか?」

「はい、とても嬉しいことがありました」


 道端を歩いていると見覚えがある男性に出会う。クリスティアは特に疑問も持たず、会話をする。


「どんなことだ?」

「誰にも殴られなかったんです!」

「(´・ω・`)……」


 クリスティアはとても上機嫌に答える。見覚えがある男性はすっ、と瞠目した。さささ、と姿を消した。

 ――――憐れすぎて見ていられなかったのだろう。


「……? あれ?」


 忍者の如き隠密能力に驚きながらも、クリスティアは『まあいいか』と歩を進める。

 そして新たなる地を求めて村を出た――――刹那に。


「さて、今日も一に゛ィッ、っ……」


 ――――腹部に拳が減り込むのが見えた。

 そして御帰り標準装備腹パン痣


「ひ……っ」


 胸倉を掴まれ引き寄せられ、そのまま頭突きを叩き込まれる。それだけでもクリスティアの心を折るには十分すぎる攻撃だった。


「――――小娘、お前がクリスティアで相違ないな」


 浴びせられた声は弩級の悪意を秘めていた。声の主、悪意の親玉は、クリスティアもよく知る人物だった。


「コーネリア、姫殿下……」

「…………」


 コーネリア・フォン・サージェント。過去、クリスティアに拷問を行った女である。

 コーネリアはクリスティアの言葉に少しだけ驚き――――


「ひぎぃっ」


 クリスティアの頬をぶん殴った。クリスティアは鼻血が溢れる。頬には痣が出来上がっていた。


「ぇ、ぁ、あの……」


 心底、怯えながらコーネリアへ視線を向ける。軽く涙目である。


「小娘、お前がクリスティアで相違ないな」


 全く同じ問い。けれども瞳に宿る悪意は先ほどの比ではない。対応を間違えれば先ほどより酷い攻撃を受けるのは目に見えていた。


「ひゃぃ……そうれす」

「うん、しっかり受け答えできたね、偉い偉い。腹パン受ける?」

「そんな『飴ちゃん舐める?』みたいなノリで聞かれましても……ひぃっ、い、いいいいらないです!!」


 絞り出した声は本当に震えていて、見ているだけで胸が締め付けられる。その証拠に周囲にいた騎士が目を逸らした。


「お前、コイツを抑えるの手伝ってくれ!!」

「(´・ω・`)ふすー、ふすー」

「力つええ!! く、うぉおおお!」

「(´・ω・`)ふすー! ふすー!」


 加えて邪魔ものが現れたため、これを機にとそちらへ向かう。騎士が消え、この場にはクリスティアとコーネリアのみとなった。


「お前は、クリストフ・アルトマーレを知っているな」

「…………ふぁい」


 クリスティアは正直に答える。嘘を突いたら死ぬと第六感で分かったのだろう。


「お前とクリストフの関係を答えろ。よもや、他人などでは無いのだろう?」

「あ、あの……なんで、メリケンサックを装備して、な、なんでもないですっ」


 姫様はメリケンサックが好きなのか、腕に装備していた。

 尚、彼女のお気に入りの服は全部肩の部分がギザギザに破れてる。


「(何か答えないと死ぬ……でも、クリストフ本人です、なんて言っても嘘だと思われるでしょう……)」


 嘘を言っても殴られる。真を言っても殴られる。


「わ、私は……」


 クリスティアが殴られるまで! 3、2、1!


「クリストフ、さんの、養子です……」

「…………」


 めりぃ♡


「ぃ゛ぎぁ゛ッ!」

「そうか、養子か。ならこの歳の差も納得だな」

「なんで今殴られたのですか……」


 約束された腹パンにクリスティアは何故か動揺する。


「正直に話してくれたお礼に腹パンでもプレゼントしましょう」

「お気持ちだけいただきぁ゛っ、ぅぅ……」


 お気持ち(物理)が減り込む。お気持ちは暖かかった(内出血)


「お気持ちだけ、って、言った、のですが……何故、殴られたのでしょ、う……」

「…………あ?

 んなもん…………私の気分に決まってんだろうがッ!! お前は大義のために殴られたら喜んで頬差し出す御大層な軍人様なのかァ!? ならそれっぽい大義(笑)でも用意すりゃぁ良いのかなぁ!? このちょっとしたウンコがッ!!」

「ひぃっ!! なんでもありませんっ、ありません、から! 髪、引っ張らないで……」


 清々しい屑である。


「クリストフの居場所は? 臀部に四十五階建て高層ビルを建設されたくなければ正直にな」

「知りません……本当に知りません!! 建設しないで、くだひゃい……」


 そもそもクリスティア=クリストフ。であるため場所など言えるわけも無いのだ。クリスティアは高層ビルを覚悟した。


「また痣が増え、ました……ひくっ……」

「…………はぁ、もういいや」


 クリスティアをその辺へ投げて、コーネリアは撤収する。クリスティアは腹を捲って、被害状況を見る。


「…………」


 クリスティアはボロボロの身体を頑張って起き上がらせ、トボトボと歩き始めた。包帯を巻く場所を探しているのだろう。


「……?」

「おうクリスティアちゃん、ちょっと失礼するぜ」

「ぇ……わっ、ひゃっ」


 お姫様抱っこ。初めての経験に驚くが、相手が見たことある冒険者だと知った瞬間、安堵する。


「……あの、どちらへ……?」

「とりあえず落ち着ける場所だな」


 見たことある冒険者。仮称冒険者Aはクリスティアをお姫様だったした状態で歩を進めた。

 クリスティアは頬を赤らめ、顔を隠す。


「あの……どうしてこの状態、なのでしょうか……?」


 お姫様抱っこ、という単語を言うのが恥ずかしいのか、言葉を濁す。その有様は本当に可愛かった。


「腹部に刺激を与えずに移動できるのがこれだけだったからだが……それがどうかしたか?」

「いえ、なんでも……ぁぅ」


 それに対し、冒険者Aは真っ当な理由で返した。

 背負えば服が擦れる。お米抱っこなどは論外。

 ――――ゆえにお姫様抱っこしかない。


 クリスティアは納得と理解は別の存在なのだと学んだ。


「(心臓が……トクトクしてる、何かの呪いでも掛けられたのでしょうか)」


 クリスティアは恋をした。が、それを自覚するのはまだ先の話。


「あ、あの……」

「なんだ?」


 それは無意識。本当に無意識のまま、クリスティアは彼に声を掛けていた。

 そして声を掛けた後で彼女は困った。


「(何を、話しましょう。何も考えてなかった……!!)」


 冒険者Aを前にした彼女は初恋をした中学生のようだった。尚、精神年齢は十四歳である。


「クリスティアちゃん?」

「――――クリス、と呼んでください」


 そして出した言葉がコレ。

 英雄と呼ばれ、ありあらゆる(ナイフと毒を装備した)女性が寄っていたころの彼は何処に行ったのか、今は誰にも分からない。


「え、っと……じゃあ、クリス?」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 名前呼びイベントを終え、その他のイベントをいくつか済ませて彼女らは休憩場所に辿り着いた。


「――――これで応急処置は済んだ。あとは安静に……というか極力、腹を殴られないようにすれば大丈夫だ」

「ありがとうございます」


 包帯で処置が終わり、二人の間に少しの沈黙が訪れる。

 その理由は大きく分けて二つ。


 一つは話題が見つからないこと。無論、ある程度生きている彼女らならば機転で話題を振ることは可能だ。しかし。


「(英雄クリストフの話題……は、やめたほうがいいか。)」


 これが話題の見付からない最大の要因。

 現在、世の中で最もホットな話題は英雄の行方。しかしクリスティアは先ほど、その英雄に関することで殴られた。ゆえに最もホットな話題を振ることが難しいのだ。


 つまりこういうことである――――どこに地雷があるか分からないため、気軽に話題を触れない。


 そしてもう一つの理由とは――


「(既婚者なのですか? いえ、いきなりそれは失礼でしょうか……

 えっと好みの女性……不自然です。

 天気良いですね? 今、曇りです……

 あとは……好きな湿度……? 何言ってるのですか私は、そんな話題を振る人なんているわけがないです……! いるとしたら近年まれに見るコミュ障です……!)」


 ――――クリスティア。初恋にテンパる。

 ここにアンナがいればなんだこの超生物は。とツッコミを入れていただろう。それほどまでにクリスティアのテンパり方は愛らしかった。

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