第16話、不幸って割とその辺に転がってたりする。

◆◇◆

 五月二十一日。クリスティアが街を出て一日経過した日であった。

 場所は森林、天気は曇り。時刻は昼前となっていた。


「(ここを真っ直ぐ進めばリザードマンの隠里がある、とありますが……本当でしょうか)」


 クリスティアは次の場所へと歩を進めていた。

 また一歩、また一歩と足を踏み出そうとした時だった。


「……雨」


 鼻先にポツリ、頭から生えているアホ毛にポツリ。と雫が触れたのを感じたのだ。

 雫の正体を看破し、クリスティア近くに雨宿りできそうな場所を探した。


「……うん」


 数分程度歩き回ると良い場所を発見する。

 大樹と呼ぶに相応しい巨木、その根元に人数人は入ることが出来そうな場所を見付けたのだ。


「……」


 濡れた身体を丸めて、その場へ座り込む。

 彼女の瞳には、光が宿っていなかった。


「……」


 きゅっ。

 彼女は自分の服を強く握りしめる。瞳は酷く冷えていた。


「……寒い」


 身体を丸めたまま、顔を下へ向ける。彼女の小さな呟きは誰の耳にも届かず、消えた。


「……」


 身体が震える。けれど彼女は火をつけようという気にもならない。


「……何か、食べなきゃ」


 そう呟くも、彼女は身体を動かさない。

 薬を取り出す、その動作をすることすら、彼女にはもう重労働なのだ。


「…………」


 血が足りない。熱も足りない。体力も足りない。心も足りない、支えがない。

 ――――今の彼女には何もかもが不足していた。


「……?」


 その時。クリスティアの目の前に淡い光が現れた。

 テニスボール程度の大きさの光が三つ。赤、黄、青の光はクリスティアの目の前を舞った。その様子は楽し気に踊っている大道芸人を思わせる。


「……精霊」


 クリスティアはその正体を看破する。

 精霊。生きた魔力と称されるソレは、彼女に僅かな驚きを与える。


「(精霊なんて、今の時代はほとんどいないと聞いていましたが、不思議な縁もあるのですね)」


 クリスティアは無言のまま、脳裏で情報を引き出す。

 精霊の存在は現在では希少だ。現在でも存在を確認できている個体は確かにいる。

 しかしそれさえ国の王族に代々宿って守護している、という程の扱いなのだ。

 分かり易く伝えよう――――精霊とは国宝級の存在なのだ。


【アナタ 歪ンデル】【デモ、ソレ気付イテナイヨ】【ホントダ―、苦シソウ】

「……?」


 精霊たちは不可思議な言葉を交わしてクリスティアの周囲を飛んでいる。


「(あれ……なんだ、か、眠く……な、…………)」


 クリスティアは自分の身体が温かくなるのを感じながら意識を失った。


◆◇◆

 そこは夢の中。クリスティアはそれを自覚した。

 所謂、明晰夢、というものである。


『ここは……』

『おかえりなさい、愛しい人』


 暗闇の中、クリスティアへと声を掛ける存在がいた。

 振り返り、声の主を確認する。

 ――そこにいたのは、艶やかな雰囲気を纏う女性だった。


 豊満な胸は男を吸い寄せる魔性を宿している。

 だが頭の白い花飾りは邪な心を払うかのように清廉だった。


『本当に可愛い姿になってしまったのね。外も……中身・・も』


 女は中身、という単語を強調する。当然、クリスティアに心当たりはない。


『……? 中身……? 何を言って……んぐっ!?』

『……ちゅっ……ちゅっ……ちゅっ……』


 女はクリスティアを捕まえて口付けをした。身長差があるため、クリスティアが無理矢理背伸びさせられた形となっていた。最初の苦しそうな声はそれである。


 初めに唇。次に額。最後に首元。


『唇には愛を込めた。

 額には愛を込めた。

 首には愛を込めた……ねえ、この愛は、全部同じだと思う?』

『…………分からない。私には判断するだけの情報がない』


 クリスティア……クリスは答える。彼女の問いに。それの何がおかしいのか、クスリと笑う。――――綺麗だった。


『ふふ、相変わらず初心で慎重な英雄さんなのね……じゃあ、勘でもいいから教えて?』

『…………』


 クリスは目を閉じる。彼女が考え込む際の癖なのだろう、女もそれを知っているゆえ邪魔しない。


『唇は恋人への愛。額は子供への愛。首は……』

『首は?』


 言葉を詰まらせる。それは彼にとって言い難いこと――――などではない。


『答えてほしいわ』


 女は催促する。


『首は…………首は、愛人への愛?』

『ええ、正解よ』


 クリスの答えに、女は満足そうに笑む。


『貴方は私にとって恋人で、子供で、愛人……どうかしら? 私を思い出した』

『……忘れるわけない。ただ一つ質問させていただきたい。私は君の産道を通った覚えは無いのだが?』


 加えて言うならばクリスは永遠の童貞であるため、不徳を働いたわけでもない。

 ゆえ、ここで女が言っている〝愛人〟とは一般的な意味とは異なることを意味する。


『その場の気分よ。だって今のあなたと私、親と子ほどの年齢差よ? なら実質親子よ♡』

『その理屈だと、親が一億人を超えるのだが……』

『同じよ。どうせ全員、起源は同じチ〇コとマ〇コでしょうが』


 最悪の返答である。


『アダムとイヴも真っ青だ。パンドラの箱を開けて来なさい』

『嫌よ、私、絶望は嫌いですもの』


『愛という概念を思い出せと言ってるんだ』

『ストレートに言いなさいよ、言い回しが面倒だわ女々しいわね。竿は無いけど男でしょ貴方』


『君はもう少し感受性を学びなさい、女の子』

『あら性別に拘るなんて古いわねぇ。これだからアラサーは……そんなんだから童貞なのよ、この爪楊枝』


『爪楊枝じゃない、頑張れば親指はあった』

『え……あ、その、ごめんなさい、まさか本当に、とは、思わなくて』

『…………』


 一通り話して、一息ついたところでクリスは不意に悲痛な表情を浮かべる。


『…………』

『…………』


 二人の間に流れる沈黙。


『……次の生贄は、君なんだな』

『ええ、そうね。中々楽しい幽霊ライフだったわよ』


 女は微笑む。その表情に、曇りなんかは欠片も無い。


『墓は何処に建てればいい。希望があるなら聞いておく』

『……あるわけないじゃない、そんなの』


 暗い顔。それを浮かべたのはクリスの問いであった。

 クリスとて、彼女がこんな顔になるのは知っていた。だが、聞かなければならなかった。己の抱える呪いに誓っているゆえだ。


『…………すまない』

『いいのよ。そうね……もし叶うなら、私の形見でも見付けたら手に入れてほしいわね~』


 痩せ我慢の元気。声は明るく、されど底は殺意に満ちていた。


『……夫も、家族も、何もかもが私を魔族だと言って捨てたの。魔法の才能があって美人で男を立てることを知らないから……とかいう糞みたいな理由嫉妬でね』


 彼女の生前。瞳には殺意はなく、ひたすら冷たい諦めだけが宿っていた。


『自暴自棄になって魔法でズバズバ殺して、首狩りの魔女だとか呼ばれて捕まって……そこで助けに来たのは貴方だけだった。

 ううん、もしかしたら私はもう死んでたのかもね。でも、手を伸ばしてくれたのは貴方だけだった。夫でも親でも親友でもない、貴方だけだった……

 ねえ、最後に聞かせて。

 ――――私の家族、どうなってた?』


 家族。ここで指すそれは自らを捨てた夫などではない。


『…………潰れてたよ。頭も、お腹も、何もかも』

『…………そっか』


 沈黙が流れた。


『そんな状態じゃ男か女かもわからないよね、あはは。

 男ならクリストフ、女ならクリスティア…………なんて、洒落……言えたら、良かったのに』

『…………』


 意識が霞んでいくのを自覚する。目覚めが近付いてきたのだ。

 そしてそれを察したのはクリスだけではない。


『そろそろ時間なんだね……それじゃあね。

 貴方の幸せを願っているわ。愛しい人』

『ええ、貴女に黄金の加護があらんことを

 ――――さようなら』


 それだけ告げるとクリスティア・・・・・・の意識は現実世界へと帰っていった……。





「ん……ぅ……」


 クリスティアは目を覚まし、周囲を見渡した。


「(雨……上がったのですね・・・・・・・・)」


 空に掛かる虹に笑みを零す。彼女の顔色は何故だか少しだけ明るくなっていた。

 クリスティアは身体の各部位を確かめるように軽い柔軟を行う。結果、自分の身体の状態が良くなっていることが分かった。


「(……精霊さんのおかげ、でしょうか)」


 軽い当たりを付けてから、思考を散らす。答えを断定するだけの情報を持っていないことを自覚しているゆえだ。

 クリスティアは歩く。次の村へと歩を進める。彼女の歩幅は 1センチだけ長かった。

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