第6話、旅の記録4/8

◆◇◆

 一週間後、辺境の街ナニータ。

 早朝、まだ日も上がらぬ時刻である。


「短い間でしたがありがとうございました」


 短く感謝を述べ、頭を下げる。月並みな言葉であるが、それゆえに彼女の真摯さが窺える。

 クリスティアの足元には大きなリュックが置かれていた。市場で購入した旅の荷物である。


「…………よし、いこ」


 返事を待たずにクリスティアはリュックを背負う。右腕には杖を持つ。

 それも当然だろう。現在、この場にはクリスティアしかいないのだ。


「(手紙は置いた。最低限の筋は通した……はずです)」


 手紙の内容はまた旅に出る、というもの。

 送った相手はギルドの支部、アンナ、セクハラしてくる冒険者、ルバートである。


「……同僚が、すまなかったね」

「いえ、もう気にしていません」

「……その道に幸あれ、黄金の加護があらんことを」


 門番はそれだけ言うと、クリスティアを通した。


「(……歩く度に痛みますが、慣れるしかない……か)」


 右脇に挟んでいる杖を強く握り、クリスティアは草原を南へ進む。


「(様々な種族の方が住んでいる里……そんなもの、本当にあるのだろうか)」


◆◇◆

 旅の記録。


 私が旅に出て数日。今は森林の中にいます。人が一人もいないので、静かな時間を過ごせています。

「そろそろ夕食の準備でもしようかな」


 話し相手がいないと、独り言が自然と多くなりました。里に着くまでには治す予定です。


 私は夕食の準備をするべく野宿ポイントを探しました。移動中に焚火に仕える木の枝を拾うため、しばらく日記は止めになります。


「……うん、ここが良い」


 森の中、開けた場所に河原を見付けた。川に手を入れて冷たさを感じる。少しだけ不思議な気分になりました。


「……よし」


 川の水を慎重にコーヒードリッパーに通し、不純物を取り除いて鍋に入れる。

 焚火の準備を終えて、川の水を入れて沸騰させる。同時に森で詰んだ野草を水に浸しておく。


 その状態で十分放置する。その間、時間が空きましたので本を読むことにしました。


「月、綺麗ですね……」


 不意に空を見ると、そこにはとても綺麗な月が空に浮かんでいました。この流れがここ最近の日課のように思えます。


「そろそろ、十分ですか」


 川の水を沸騰させて十分。鍋の蓋を開けると白い湯気がむわっと出てきます。今から十年と少し前までは驚いて軽い火傷をしていたのが懐かしく思います。


「昆布を……と」


 鍋に昆布を入れて、蓋を閉じる。

 同時に野草の灰汁抜きも済み、いよいよ調理に取り掛かりました。


「バラ肉と茸と、葉菜は……このぐらいかな」


 街で購入した道具袋。比較的に安いものでも銀貨十数枚かかりました。

 袋の口から入るサイズでなければ入らないという制限はありますが、食材が腐らさないという点から食糧庫として重宝しています。


「葉菜は……今の身体からすると……うん、出来た。

 この野草は横から……」


 調理用のハサミを使って適度なサイズに切り終えると、すぐに昆布を取り出す。


「秘伝タレさん。またお世話になります」


 秘伝タレさん。戦争の時はよくお世話になった味噌がベースの鍋出汁です。秘伝タレさんを鍋に入れて、次に根菜を入れました。


「茸と……ここで守護神さん(野草)を……そしてバラ肉は一枚ずつ……うん」


 私が摘んだ野草……正式名称は忘れましたが私はこの方を(胃の)守護神さんと呼んでいます。

 肉の油や濃い味付けの物に合わせて使うと、濃さや旨味だけはしっかり残しながらも何処かスッキリとした味わいにしてくださる御方です。


 つまり、食後の胃もたれから守ってくださる魔法の薬です。


「うん……」


 その状態で更に五分ほど煮込み、夕食の完成です。


「本でも……と」


 静かな森の中、川の流れる音と月の光、パチパチと音を立てる焚火。


 それらに包まれて癒されます。二年前まで戦争があったなんて、体験していなければ気付かないほどです。


「……そろそろかな」


 気が付けば十分経過しました。


「いただきます……!」


 山賊鍋(のような鍋) ~守護神さんを添えて~


「はむっ」


 初めに葉菜を食べました――――蕩けました。


「……! んっ……みゅ……とよとよ……!」


 葉菜、正式名称:白菜はとても旨甘いです。とてもトロトロです。バラ肉の旨味と茸の旨味が染み込んでいます……! これを更に煮込むと、恐ろしくトロトロになること間違いなしです。


 守護神さんは野菜の甘味を上昇させる御方でもあります。


「あむ」


 茸を食べました――――旨甘い、でした。


「ん……っ。うひゃぁ……っ」


 茸、正式名称:シメジは白菜に負けず存在を主張してきました。ここで何か穀物があれば恐ろしく手が進んでいたことでしょう。

 ……この鍋。穀物がありませんね。明日の朝食はパンに決定です。


「むっ」


 そしてお肉――――お肉でした。

 秘伝タレさんの味は染み込んでいますが、お肉本来の味が負けている気がしました。

 これは今後の課題になりそうです。でも美味しい。


「…………なら、これで」


 次に私は――――世界を見ました。


「……! っ……! んっ……! ぁ、ぁ……!!」


 肉、茸、守護神さんを一緒に口へと入れました。

 それは一言でいえばヴァルハラ、二言なら とても 上手い です。


 戦時中に食べた時は味覚が麻痺していたのでしょう。本当の料理というものをみました。最高です、幸せです、思考です。


「おいしい……」


 お肉は負けてなどいませんでした。その爪を隠していただけでした。

 お肉特有の旨甘さ、それを茸と合わせて進化を発揮しました。


「ふわふわぁ……っ」


 お肉は柔らかく、しかし内にはジューシーさを隠し持っていました。それを表現するならフワフワ、としか言えません。


「きにょこしゃん……!」


 茸にはお肉の食感を微かに噛み応えがあるものに変えています。噛み応え、といっても噛みにくい、という意味ではなく〝ジューシーさを引き出す要因〟としてそこにありました。

 お肉を味わう邪魔にならない上に、しっかりと存在を主張する。それが茸さまでした。


「――――ありがとう、ございます」


 そして守護神さん、彼、もしくは彼女は天才でした。

 味が濃く、脂が多いものを食べても後味が良いのです。

 ジューシーな甘さ、味噌を混じらせた脂――――その上で胃にスッと入ってくる神業。


 守護神さん、その名に違わぬ実力でした。


◆◇◆

「(そろそろ、でしょうか)」


 旅に出てから二週間。クリスティアは目的の場所に近付いていた。


 この二週間でクリスティアは確実に回復していた。骨は一週間遅れたが完治し、現在は杖無しで歩いている。

 頬の痣や頭の打撲痕も治っており、腹部の痣も残り残りである。


「(異種族の方が多くいる里……どのような場所なのか)」


 クリスティアは少しの不安と絶望の胸に足を踏み出す――刹那に。


「――――」

「(ッ!? 悲鳴……!)」


 遠く、けれど確実に半径数百メートル以内で悲鳴が上がった。

 クリスティアは目を閉じ、耳を澄ませる。


「……西、ですか」


 即座に悲鳴の元を看破し、荷物を置いてそちらへ駆け出す。

 荷物のリュックには着替えと使用済みの下着ぐらいしか入っていないため、問題は無い。貴重品は常に身に着けているのだ。



 ――数分後。

「(見つけた……! 獣人の女の子……? 魔物に追われてますね)」


 必死に逃げている少女と、それを追いかけてくる魔獣を発見した。

 逃げている少女は必死に悲め――


「ごべんなざいごべんなざいごべんなざいぃぃぃぃ!! あなたの子供、美味しかったよありがとうッ!!」

「GUGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!!」

「なんでぇぇえぇぇぇぇぇ!! 美味しかったって言ってるのにぃぃぃぃいいいいいッ!? あの糞ババァ嘘つきやがったなッ! 森の恵みには常に感謝するのだ、とかいってたから実践しただけなのにぃぃぃぃぃ!!」


 怒声を上げ、逃げていた。

 クリスティアはゆっくり目を瞑り、短刀から手を放した。


「(……【目的】はあの魔獣の動きを止めること。

  【状況】……は手持ちにあるアレを使えば解決できる。だけど使うには接近が必要。その上で必要な条件は〝魔獣の動きを止める、もしくは鈍らせる〟かな)」


 クリスティアは魔獣の討伐を視野から外す。代わりに魔獣の動きを止める方向性で思考を動かす。


「(罠……を仕掛ける時間があるかは少し分からない。

  魔法は使えない。

  身体能力も、今は無い。

  秘策【呼ンダ……?】は……あるけれど最終手段かな。

  と、なれば……あれ、かな)」


 クリスティアは即興で作戦を組み立てる。その作戦は賭けも良いところの三流の作戦だが、それしかないのも事実である。ゆえに割り切り、行動へと移した。


「ぎゃぁぁぁあーーーーー!! 死ぬ、死ぬよーーーーーー!!

 このままじゃ死ぬよーーーー!! ぐえええええええ!!

 ンゴンゴンゴwww」

「GUGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」


「(何故だかわかりませんが、放置しても大丈夫そうに見えますね……)」


 魔獣は突進を繰り返す。獣人の女の子は必死に逃げる。

 その進行は突進のみであり、ゆえにどこを通るかの想定は容易い。


「(あと二秒)」


 魔獣は少女を追いかける、視界にクリスティアがいたとしても無視するだろう。


「(一……)」


 クリスティアを魔獣が通る。まだ、まだクリスティアは動かない。

 そして次の瞬間――――


「GAAッ!?」


 魔獣は背後に、強烈な殺意を感じた。獣の眼光に似たそれを、魔獣は確実に察知した。結果、一瞬のうち意識を乱すことに成功する。


「零ッ!」


 ゆえ、その瞬間を英雄クリスティアが見逃すわけがない。

 魔獣を倒すには遠く及ばない少女の筋力、それで行う攻撃はなんだ?


 剣による刺突? 秘密兵器による攻撃? 否、断じて否。

 彼女が行ったのは飛び蹴り・・・・。

 あろうことか、自分の三倍は格上の魔獣に飛び蹴りを行ったのだ。


「ッ」


 飛び蹴りの結果は当然、無為である――――かのように思えたが。


「…………GA、A」


 魔獣はバタンッ、という音と共に意識を失った。


「(うん、しっかり機能している)」


 クリスティアは口に布を押し当てて魔獣を確認する。

 魔獣の腹部――クリスティアが飛び蹴りを叩き込んだ場所には、一枚の札が貼られていた。


「(先輩。教えて頂いた魔札の裏技、ついに役立ちましたよ……!)」


 クリスティアは想起する。それは戦場で彼の上官との会話である。



◆◇◆

『いいか、クリス。魔札には実は、魔力を使わずに発動させるコツがあるんだ』

『そうですか。はい、どうぞ』


 クリスはカレーライスを渡した。


『あんがとよ。で、だ。

 魔札って普通は札に魔力を込めて発動するだろ?

 でもそれは術式書く時に、魔力を込める→発動するってプログラムしてるからなんだよ』

『はい』


 クリスは自分の分のカレーを取った。


『その上で、コツってのはな。術式を書くときに〝発動する→魔力を込める〟って順番にするんだ。するとどうなると思う?』

『発動しない。とかですか。あ、美味しい』


 クリスはカレーを一口食べた。


『そ、発動しねえんだ。けどよ……その状態の魔札を敵とかにぶつけたらなんとソイツの魔力を吸い上げて魔法が発動するんだよ!

 これ使えば、魔族が自分の魔力で死ぬとか言う状況が作れるんだぜ!! すげえだろ!!』

『確かに(遠距離からの魔法攻撃を主な戦術とする魔族に)ぶつけることが出来たら、そんな状況になりそうですね』


 クリスはカレーを食べた。

 尚、先輩は次の日死んだ。

◆◇◆

 クリスティアが使用した魔礼――――周囲に睡眠効果のある霧を出す魔法は、生物に害を成すものではない。


「(で、女の子の方は……あ)」

「Zzz……」


 魔獣に追いかけられていた獣人の少女は眠っていた。霧の効果範囲にいたのだろう。


「…………」


 クリスティアは空を見上げた。現在時刻、午後四時。

 睡眠効果のある霧を使用した少女が起きるとしたら、それはいつ頃だろう?

 もし起きなければこの子を担いで安全な場所まで送ることになる?

 荷物を持って?


「……ふふ、空が綺麗ですね」


 里まで、あとどのくらい?

 徒歩でどれほど掛かる?

 というか、ここはどこ?


「そろそろ夕刻かな」


 クリスティアは立ちあがる――――その表情は、終電を逃したサラリーマンを思わせるモノであった。


◆◇◆

 クリスティアの目的地である里――――ミハルの里。


 トラブルを避けるために人里から離れた異種族が集う出来た里。その成り立ちからこの里の住民は平穏を好み、穏やかな空気が流れている。


「マーヤの奴を探しに行ってくる」


 ――――しかし、今日はその限りではなかった。

 理由は一つ、里に住む獣人の子供が行方不明になってしまったのだ。


「気を付けろよ。もしかすると例の誘拐犯かもしれねえ」

「……分かっている」


 犬獣人の男性――ジークは背に大剣を担ぎ、村の外へと足を向けた。


「……? ジーク、どうした」


 村の入り口で立ち止まり、大剣に手を掛ける。その様子に彼の友人は戸惑いながら問いかける。


「……誰か、いる」

「え」


 友人はジークの視線の先を見る――――視線の先にある草むらが微かに揺れる。


「誰だ! 出てこい!」


 ジークは明確な敵意を乗せ、草むらへと怒号を飛ばす。

 そして草むらから、その者は姿を表して――――二人の男は落ちた。


「はぁ……はぁ……っ。まって、ください……敵、じゃ、ないです……」


 現れたのは汗だくの美少女(本人は不本意)。身体から流れである汗は高純度の雌フェロモンを放っており、それに中てられた男は問答無用で恋に落ちる。

 禁欲中の男がいれば暴発していただろう(汚い)。


「ってマーヤ!? マーヤじゃねえか!」


 友人は驚きの声を上げる。それはクリスティアの背にいる子に気付いたためである。

 現在クリスティアは前側にリュックを担ぎ、背に行方不明だった少女マーヤを乗せている状態だ。


「とりあえずマーヤ……その子をこちらに預けてもらえるか」

「はい……どうぞ……」


 友人はマーヤを受け取る。

 その際、彼は(息絶え絶えの)クリスティアに最大の警戒心を抱いていた。


 それも当然。彼らは人とのトラブルを避けてこの里に辿り着いた者たち。ゆえに人間のように見える・・・・・・クリスティアへ苦手意識を持っているのだ。


「それで……貴女は」

「はい、私はクリスティア・アルトマーレ。しがない旅人です(……まあ、警戒されるのも無理はない……か)」


 そこで彼女はどうすれば良いか悩む。

 クリスティアがミハルの里に来た目的。それは〝里に一週間滞在すること〟である。

 ゆえにこの場で、警戒をされ続けるのは良い状況とは言えない。

 そこでクリスティアが選んだ行動は――――


「(事情と正直に話して、お願いするのが無難でしょう)」


 クリスティアはリュックを下ろし、中から契約書を取り出した……ブレンナー家の印が押されている書状を。


「!?」

「……? あの、私は――――」


「お前……ッ、お前はァァァァァァッ!! 二度目が許されると思うなよこのド畜生がァァァァァァッ!!

 子供は渡さねえ、絶対にだッ! 殺す、殺す殺す殺す殺す殺すッ殺ジデヤ゛ル゛ッッ」

「――――ぇ」


 高速で放たれる拳はクリスティアの腹部で叩き込まれる。


「ぁ゛……ッ、ッ……っ!? ぅ゛ぇ……っ、ぅ゛ぁ゛……ッ。ゃ、……ッ(息、が、でき、ない……!)」


 必死に身体を丸め込む。かひゅ、かひゅっ、という謎言語に加え時折『ぅ゛ぇ』という声を出している。


「はぁーッ! はぁーッ! 楽に死ねると思うなよ……! おい、里の地下室の鍵、どこあったっけ?」

「あー長の家? 長に事情を話して借りるか」


 蹲り腹部を抑えるクリスティア。その口からは唾液が出ている。

 必死に空気を取り込もうという姿勢は見るからに滑稽であり、ジークの怒りを一時的に弱める効果を発揮する。

 ……こうして、クリスティアは捕まった。

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