2:しなびた研究者と逞しき雄翼

「あ...ぅ?」

「腰が抜けちゃった? 無理も無いわね。でも君を置いて逃げるなんて死んでもやらないからね?」

「どうして...そこまで?」

「?」

「私は...出会ったばかりの、種族も違う他人。どうしてそこまでして私を...ッ!」


スパーグの軽いチョップが額に当たる。


「君ねぇ、本当の強敵ならともかく、あれくらいのセルリアンだったら普通に倒すわよ。ちょっと見くびりすぎじゃない?」

「で、でもしかし」

「まあ、それが私たちの性、ってやつかな」

「性、ですか」

「あれがもっと強い、私じゃ相手にならない程のヤツだったとして、私たちは立ち向かっちゃう。自分がブッ飛ばされることより仲間がそうなる方が怖いから。水鳥ってそういう子多いわよ?」

「...本当に、あなた方は”アニマルガール”なのですね」

「そういうこと」


結局、その日は夜まで腰が抜けたままで、スパーグの世話になってしまった。

月が海辺を照らす中、物思いにふける。

アニマルガール。

精神、戦闘力、共に人智を越えている。

そんな彼女らも、あどけない寝顔はヒトと同じだ。

それは凛々しく強いスパーグも例外ではなかった。


おもむろに、ずっと背負っていたバッグを開ける。

中には分厚い専門書とパソコン。

背負っている時は気にならないが、腕で引き寄せるとその重さが分かる。

パソコンのスイッチを押し、OSを立ち上げる。


やがて研究室時代に作ったファイルやフォルダが視界に飛び込む。

そのフォルダ一つ一つが、かつての記憶を引き出すトリガーとなる。


・研究室業務

・装置3D設計

・実験データ

・発表資料


「うっお゛え゛えェェェッ...ええ゛エエエええぅぅぇぇぇ...」


スパーグがくれたパン「だったもの」が腹から戻ってくる。

食道が焼ける感覚...締め付けられる胸...懐かしい。

焼き付けられた記憶は、一度死にかけても、心を砕いても消えないか。

まあ、ここにはアイツは居ない。

この痛みをエナジードリンクで洗う必要も、明日存在を否定されることもない。だったら何を恐れる。


奇しくも感情が戻ってしまった。

だが、もう少しスパーグと、久々に触れた優しさと、一緒にいたい。

そのために、もう一度、私は叡知を使う。

アイツの下では産んでやれなかった、育ててやれなかった技術が山ほど有る。

今、そしてこれから、それらが必要だ。

血の涙を流す心に鞭打ち、「装置3D設計」のフォルダを開いた。

今宵は久々の徹夜だ。

何のことはない、今までずっと眠り続けていたようなものだ。


...


「...君ねぇ」

「はい」

「目、真っ赤ね」

「はい」

「寝てないの?」

「はい」

「お願いだから休んで! 心配なんだから!!」

「ありがとうございます」

「ごめんなさいより好きだけどそれ覚えてるなら寝て!!!」


とまあ、朝方早々スパーグには叱られたが、作業は終わって心は晴れやかだ。

心配と愛を感じる叱りは久しぶりだ。目頭が熱くなる。


それからは良く食べ、ほどほどに眠り、ちょっと吐きながら設計ツールを叩き、体力はほぼ回復した。

スパーグもそれならと、リハビリを兼ねたパークの散歩が始まった。


「ここはジャングル、じめっとしているけど活力を貰える場所よ」

「そうですね、動物の力強い鳴き声に元気を貰います」

「何だよう!あっちいってよう!」

「ああ、ゴメンねアリクイちゃん、今客の案内中なの」


...


「ここは高山が見えるわね。あれはアオイシ岳、パーク最高峰の一つよ」

「とてつもなく高いですね...エベレスト位有りそうです」

「実際あそこを飛べる鳥は滅多に居ない。私でも飛んで越えるのは無理」

「自然とは厳しいものですね...」


...


「ここはカフェ...って、何変な機械いじってるのよ」

「すいません、昔カフェは作業場所と決めていたので...」

「っていうか、何か物騒な、そんな機械持ってたっけ」

「ああ、これは設計図を業者に渡して、ドローンで届けて貰いました」

「随分変わったことしてんのね...趣味なの?」

「ええまあ、今は趣味ですね。かつては本業でしたが」

「はいお待ちどう様、コーヒー2つだよ」

「「ありがとう」ございます」

「ついでにヘアーカットもしていく?」

「いえ、まだ良いわ。ていうかシュウキ、貴方黒髪なのに前髪だけ白いのね」

「...」

「目も右目だけ白い...フレンズみたいね」

「フレンズですか。フフッ、そう考えるのは良いですね」


...


「暑い...ここではパソコンを使うと熱で壊れますね...」

「なら自然を見ましょう! ここは砂漠、砂と灼熱の場所よ」

「話しと本では知っていましたが...これは地獄ですね」

「あら、私は平気よ。元々熱帯に住む鳥だしね」

「それは強いはずです」

「あははー!今日は砂嵐もないしかけっこしよーよ!ラビラビ!」

「ちょっと、急ぎすぎは禁物よルル」

「あれはトムソンガゼルとアラビアオリックス。見ていて癒されるコンビよ」

「フレンズになると動物観察もイメージ大分変わりますね」


...


「ここは高原、どう?空を飛ぶのは」

「あばばばばばばば」

「うわあごめん! 今降りるから!!」

...着陸中...

「ごめんね、苦しかった?」

「ラムジェットエンジンになった気分でした」

「さっぱり分からないけどとにかくごめん」

「いえいえ、途切れ途切れですがとても雄大な風景でした」

「そうか...良かった」

「せせらぎに削られた岩肌」

「うんうん」

「山肌を覆う豊かな草原」

「いいねいいね」

「ゲーミングかぐや姫が御輿に乗ってF22を撃墜...」

「それは意識別世界に飛んでるねぇ!?」


...


スパーグとの旅はとても有意義だった。

良くも悪くも、研究室で散々学んだ私にとっても刺激が有り余る程だった。

本当に、楽しかった。


随分遠くまで旅をした。

すみわたる夜空に満月が煌々と輝く。

私を案内して疲れたのだろう、月光はスパーグの穏やかな寝顔を映す。


そよ風の吹く独り静かな夜、物思いには最適だ。


いつ以来だろう、楽しいなんて感じたのは。

新しいものに出会って、感動して。

絶対に知り尽くしてやるぞと本を開いてネットを開いて。

学んだことを使って自分で物を作って、失敗して、考えて。

大学に入った時も、そんな毎日がたまらなく楽しかった。

研究室配属が待ち遠しくて仕方なかった。


そしてアイツに全てをぶち壊された。


ありがとうスパーグ。

私は、もう二度と笑えないと思っていた。

惰性でこの体の耐久期限が来るのを待つだけだと思っていた。

でも、そんな私に貴方は優しかった。

何も言わない赤の他人の私に、寄り添ってくれた。

だからこそ。

昔のつらい事を思い出すけど。

君は物騒だと言ったけど。

取り寄せたこの機械の設計を進められる。


私だって、貴方に傷ついてほしくないから。

自分より強い相手にも、臆することなく挑んでしまう貴方には。


だから私も。


...



夜が更け、また私たちは歩き始める。

ジャパリパークの気候が多様なお陰で、世界一周でもしたような気分だ。

こんな貧弱な体でも、意外と踏み出せば何とかなるものだ。


「さて、かなり旅したわね...シュウキ、前より逞しくなったんじゃない?」

「フフッ、そうでしょうか。確かに体がよく動きます」

「やっぱり運動は必要ね。研究で閉じこもってちゃダメよ?」

「善処します」

「それはやらないヤツよね?」


そんな談笑をしていた時だった。

急にスパーグの表情から笑顔が消える。

それに対し声をかける間もなく、スパーグが小声で警告する。


「シュウキ、セルリアン、来るよ」

「え」


その瞬間、私のバッグがバイブレーションを起こす。

セルリューム検知器の警告パターンだった。

間違いない、来る。しかもこのバイブのパターンは...


そう考えている間に、何かガスが高速で吹き出すような音が聞こえてきた。

それはやがて距離をつめ。

ついに私たちの前に姿を表した。

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