第39話 ポッドのジョー

 マイティメタル塊からポッドが放出されたとき、実はジョーは、その意識を徐々に取り戻していた。光輝く人型のオクテットが、コクピットの前に再形成されつつあったのである。ポッドの中では、様々なアラーム音が犇めいていた。


 オクテットの上方にあるジョーの意識はまだまどろみの中にあり、聞き覚えのある声に、おぼろげながら耳を傾けていた。


「うう……この声は……マイク……か?」


 ジョーは、その声の主が誰であるかはなんとなく分かったが、その内容まではよく聞き取ることができなかった。


 そのとき突然、ジョーの胸のあたりで何かが動きだした。微弱な振動が、確信とも言える直感をジョーの本体に与え、その意識を完全に回復させた。


(!?、!?、やばい! あと何秒だ? だめだ考えている暇はない! 言え、言うんだ!)


 ジョーは、カナから教えてもらったあの言葉を口からひねりだそうとした。


「鎖を、解いた……TWへ……帰れ」


(よかった。間に合っ)


 ドン!


 鈍い爆発音とともにジョーの胸部が破裂し、ジョーの意識は消失した。ポッドは、地球の大気圏に突入し、そのまま海に落下した。


 海に落下してからどれほどの時間が経過したのか。ポッドは、その原型をわずかにとどめる程度まで破壊され、その残骸が波間に揺れていた。


 ジョーの体は、シートベルトでコクピットに固定されたままになっていた。身じ

ろぎ一つしないその体は、波の動きあわせて漂うように揺れていた。


 しかし、ジョーがなぜこういうことになったのかを知る人間が、もしその姿を見たら、ある種の違和感を少なからず覚えたに違いない。ジョーの体は、血液などによる汚れがなく、あまりにもきれいだった。


 その静寂の中、


(ジョーさん、起きて下さい!)


 声がした。


(あんた、いつまで寝ているのよ!)


 聞こえた? いや、違う、これは音の感覚ではない。


(早く目を覚ますんじゃ! ジョーさん)


 だが、うるさい。何かが頭の中で騒ぎ立てるような感じだ。


(お前、いい加減にしろ!)


「えっ!?」


 ジョーは目を開けた。


(ここは? ポッドの中?)


 壁が壊れてできた複数の穴から、光が差し込んでいて、部屋全体がゆっくりと揺れていた。体が異常に重く、初めは全く身動きが取れないとさえ思えるほどだった。


(重力?……地球、か?……あっ)


 ジョーは自分の胸部に、何か得体のしれないものが埋め込まれていることに気がついた。それは青白い光を放ち、表面に見える部分はなにかごつごつとした感じで、胸の奥の方にまで達しているようだった。


(俺の心臓が……)


 心臓を爆破されたときの記憶が頭をかすめた。


(ちょっと待て! 俺、生きている!?)


「やっと気付いたか」


 再び声がした。


「誰だ? どこにいる?」


「お前の頭の中だ!」


「頭の中だと? 待てよこの声、聞き覚えがある……もしかして、アルか!?」


「ああ、そうだ」


「ジョーさん! ハルトです!」


「ハルトも!?」


「全くもう、本当に心配したんだから」

「その声は、リンダさん!? これは一体?」


「俺たちは今お前の脳の中にいる。そこでお前に直接話しかけているんだ」


 アルバトロスの声が、より明確な語調をもって響いてきた。


「俺の脳内だって!?」


「そうだ」


「TWに、TWに帰ったんじゃなかったのか?」


「初めはそのつもりだったのよ」


 リンダが優しい口調で話し始めた。


「あなたが『鎖を解いた』っていうあの言葉を言ったとき、フォーメーションが突然解除されてTWへのゲートが開いたの。それで、みんなでそこからTWに帰ろうとしたんだけど……アルバトロスさんが、あんたを放っては行けないって」


「引き返してきたのか?」


「ええ」


「でもどうやって俺の頭の中に?」


「そのことについては私にはよく分からないから、アルバトロスさんに説明してもらうわ」


「アルバトロスだ。お前が驚くのも無理はない。実は俺たちは、二年半ぐらい前からある研究を行っていたんだ」


「俺たち? 研究?」


 全く事情を飲み込めないジョーは、アルバトロスが言った単語をただ繰り返した。


「落ち着いて聞いてくれ。まず、俺たちというのは、俺とキーマ、ロレッタ、ムロウ、そしてヴェリッヒの五人だ」


 アルバトロスは、ジョーが理解し易いように順を追って説明した。


「我々は、外世界、すなわち人間の世界の存在を知ってから、人間たちの動向に絶えず怯えて暮らしてきたんだ。もし我々の存在が、心無い人間たちに知られてしまったら……おそらく俺たちの世界は、そういう人間たちから容赦のないサイバー攻撃を受けて甚大な被害を被ることになるだろう。いや、最悪の場合、全てが消滅してしまうかもしれない。そうなる前に、我々は安全な場所に避難する必要があった」


「安全な場所? それがまさか……」


「そう、人間の脳だ」


 にわかには信じられないその内容に戸惑いながらも、ジョーはアルバトロスに答えを求めた。


「ALが人間の脳内に? でも、本当にそんなことが可能なのか?」


「現に俺たちはこうしてお前の脳の中にいる。さっきも言ったが、俺たちは研究を重ねてきた。それなりに公算があったからこそ、俺たちはここに留まった」


「待ってくれ。そもそもその研究って一体なんの話だ?」


「勿論、俺たちALが移住するための研究だ。人間の脳に住めるかどうか、住めるとしたらそのALの種類や数、期間に制限はあるのかなど、俺たちは73人の人間の脳を使って実験を繰り返してきた」


「73人の人間!?」


 ジョーの関心があらぬ方へと向いてしまうことを警戒したアルバトロスは、少しだけ間を置いて説明を続けた。


「ある日俺は、故障したトラクターの部品を買いに家族で町に来ていた。そのとき偶然、あの兄弟を、つまり外の世界の奴らを見かけた……いや、認知することができたんだ。あいつらの存在に気が付いたのは、家族の中では俺だけだった。いや、家族だけじゃない、そのとき周りいたほかの連中も全く気付いていなかった」


 アルバトロスだけに見えるという事実が、少なくとも彼にとって、何かただ事ではないことが起きていることを予感させたという。その日からアルバトロスは、ガンダーレ兄弟たちが何をしにやって来ているのかを注意深く観察するようになった。


「あの兄弟は、特定のALに頻繁に会いに来て、そのALをどこかに連れて行っていた。そこで俺は、あの兄弟がコンタクトしているALに会って、何をしているのかを聞き出した」


「もしかしてそのALたちというのは、俺と同じ」


「そうだ、お前と同じ宇宙パイロットのALだ」


 そのときアルバトロスは、ガンダーレ兄弟たちの目的を知ると共に、自分の住む世界が人工知能によって創造された仮想現実的な世界だということも知った。


「ショックだった。俺の住む世界が、実は機械が創り出した脆弱な世界だったなんてな。でもそれからだ。お前ほどではないが、俺が自分の時間軸を調節して、他の世界に行き来できるようになったのは」


 言いようのない不安と焦りが当時のアルバトロスに渦巻く中、オクテットのために外世界に行ったALたちから話を聞くうちに、ある考えがふと彼に浮かんだ。


(たとえばウイルスのように、誰にも知られることなく、密かに人間の体内に侵入することができたとしたら?)


 アルバトロスは、チューリングワールドと似たような複雑性を備える人間の脳へ移住することを思い付いたのである。


「それから俺は、選ばれたALたちに会って協力を頼んだ。勿論全てのALが協力的というわけじゃなかった。特にレベル1のALたちは全く話にならなかった。あいつらはほとんどデク人形のようで、俺の言うことなど全く聞き入れようとしなかった。俺の話を理解し、協力してくれたのはレベル2だった」


 アルバトロスのやり方はこうだった。

 初めのうちは、選ばれたALたちを外の世界に行ってもらい、外世界の人間の指示どおりにオクテットフォーメーションをやってもらう。そうしてしばらくしてから、今度はそのALたちの替わりに、猿、犬、猫など、様々な動物のALを送り込むというものだった。


 見知らぬ場所に突如放り出されたようになった動物たちは、極端な不安に駆られ、出口を探し求めてめくらめっぽうに動き回った。その結果、動物たちの少なくとも一部が、オクテットシステムに接続されている宇宙パイロットの脳に誤って入り込んでしまい、ほとんどの場合戻ってくることができなかった。


 アルバトロスの狙いはまさにそれであった。その後TWに送り返された動物たちの数と種類を調べれば、宇宙パイロットの脳内に侵入した動物の種類と数を特定することができる。後は、侵入した動物たちと宇宙パイロットがその後どうなるのかということさえ分かれば良い。


 二年半もの間、アルバトロスは、選出された宇宙パイロットたちに対してそうした動物実験を繰り返していた。また時期を同じくして、キーマ、ロレッタ、ムロウ、そしてヴェリッヒも、アルバトロスと同じような実験を行っていた。


「まさか、そんなことが行われていたなんて……」


「ジョー、お前は俺たちを恨むか? お前の仲間を狂人にした俺たちを」


「狂人!? アル、なぜ君がそのことを知っている?」


「俺は、あの兄弟のうちの一人のPCをハッキングして、被験者たちの健康状態と精神状態とを記録してあるデータを手に入れた」


「ハッキングだって?」


 ジョーは、ガンダーレ兄弟がアルバトロスに襲われたときのことを思い出した。あのときアルバトロスは、スエズリーの胸ぐらを掴んで、何かのアクセスコードを要求していた。


「もしかして、あのとき俺たちを襲ったのは、それが目的だったのか?」


「ああそうだ。人間の脳に侵入した動物たちと、侵入された人間が、その後どうなるのかを知る必要があったからだ。俺にアプローチしてきたとき、奴は口を滑らせたんだ。奴らが被験者たちのデータを入手していることを」


「でも、確かあのときは、ミエズリーからは何も聞き出せなかったはずじゃ……」


「そうだ。だが、奴がお前に預けたブレスレットを通じて奴のPCに侵入することができた。ブレスレットに残っていたPCへのアクセス履歴を利用してな。外の世界でのハッキングには万全とも言える備えをしていても、TWからのハッキングなど全く想定していなかったようだ」


「ブレスレット? あっ、シャワーを借りたあのときか?」


「そうだ」


 アルバトロスとの戦いの後、彼の妻のアオイに言われて、ジョーは汚れた体をきれいにするためにシャワーを借りていた。


 アオイは、ジョーがシャワー室に入るとすぐに、テーブルの上に置かれていたジョーのブレスレットを取ってアルバトロスに渡した。


 ジョーがシャワーを浴びている間、アルバトロスは、そのブレスレットを介してミエズリーのPCをハッキングし、宇宙パイロットたちのデータをダウンロードしたのだった。


「お前が他のレベル5を探しに行っている間、俺は、入手したデータを七部コピーしてお前が戻るのを待っていた。まあ、そのうち二つは無駄になったわけだが」


「そう言えば、あのとき君は他のレベル5の存在を既に知っていたようだったね?」


「ああ、証拠は無かったが、俺と同じようなことをしている奴が他にもいることは、なんとなく分かっていた」


 アルバトロスが行くことのできるチューリングワールドの種類と数には限りがあった。そのためもし、アルバトロスが行くことのできないTWにいるALの人間が宇宙パイロットとして選ばれてしまった場合、少なくともその時点では実験を中断しなければならなかった。


 しかしアルバトロスがそのとき最も危惧していたことは、十分なデータが揃う前に、オクテットフォーメーションが成功してしまうことだった。もしそうなれば、アルバトロスの実験は中止を余儀なくされる。だが、実際にはそうはならず、しばらくすると、再び実験を行うチャンスが巡ってきた。


「10人目までは俺が実験をした。そして、その後は、しばらくして18人目、またしばらくして23人目と、とびとびで実験の機会がやってきた。そいつが何人目の宇宙パイロットかはその首に填められる輪っかの番号を見ればすぐ分かった。初めは、その後の宇宙パイロットのALにはレベル1しかいなくてフォーメーションができないのかとも考えたが、違う、そんな偶然があるはずはない。そして気付いた。俺と同じことを考え、そして同じような実験を行っているALが他にもいることを」


 ジョーが宇宙パイロットに選ばれるまでの88人の宇宙パイロットのうち、16番目以降に選ばれた73人のパイロットたちが、アルバトロス、キーマ、ロレッタ、ムロウ、ヴェリッヒたち五人のレベル5による実験対象となった。


「あの兄弟のPCから手に入れたデータを見て分かったことだが、俺たちがこの実験を始める前、すでに十五人の宇宙パイロットがオクテットフォーメーションを試されていたようだ。だが上手く行かなった。失敗したのはおそらく、レベル1が何らかのはずみで脳に入り込んでしまったせいだろう」


 それを聞いたジョーは、隔離施設にいるエドワード空士長のことを思い出した。


「俺たちは、そうして実験を続けていたのだが、お前が宇宙パイロットとして選ばれたときに実験は中止になった」


「えっ、どうして? あっ、そうか!」


「そう、俺たちには、お前のALの姿は見えないからな。彼らに協力を求めることができなかった。そのときちょうどお前のALの一人であるレベル3が亡くなり、あの兄弟が、代わりのALを探していたところ、俺を見つけてアプローチをかけてきた」


「そして君は、俺に会いたいと言って、ガンダーレ兄弟をおびき寄せた」


「そうだ。だがことわっておくが、あの兄弟に接触することだけが目的ならお前は関係ない。会ってみたいと言ったのは俺の本心だ」


 アルバトロスが、少しだけ語気を強めて言った。


「お前が他のレベル5を探しに行くと言ったとき、チャンスが巡ってきたと思った。同じ目的を持つ仲間に会えるチャンスがな。予想通り、お前の見つけてきたレベル5の中に彼らは居た。それが、キーマ、ロレッタ、ムロウ、ヴェリッヒだ。そして俺たちは、お前の力を借りてブロックを解除し、持っていた互いのデータを交換し合ったというわけだ」


 ジョーは、オー・プロジェクトに関わった宇宙パイロットたちの多くがなぜ凶暴な猿のように狂人化してしまったのか、その真の理由を知った。


 それは、ジョーにとって、いや人類にとってまさに驚くべき事実だった。オクテットの研究主体は実は人間ではなく、アルバトロスを含むレベル5のALだったのである。


 アルバトロスたちによる実験から得られた結論とは、ALは単体では人間の脳内に安定して存在することができないというものだった。単体の場合、人間本体の意識との相互干渉が大きくなり過ぎて、ALも人間もまともに生活することができないようになるのである。


 ALが人間の意識に干渉せずに存在しつづけるためには、AL同士でなんらかのコミュニティを形成しなければならない。つまり、互いの存在を認めつつ、その行動を抑制し合える仲間が必要なのである。


「俺たちALは一人では生きられない。仲間が必要なんだ」


 アルバトロスの言葉には、孤独を知る切なさとも言うべき感情、すなわち仲間を思いやるという尊い感情が含まれていると、ジョーにはそう思えた。


「ジョー、お前が俺たちのことをどう思おうとかまわない。ただ俺たちは、その限りある人生を、たとえそれが平凡と揶揄されるようなものであったとしても、愛する家族、友人そして恋人らと共に、誰にも邪魔されることなく静かに生きてゆきたい、そう願っていただけだ」


 このときジョーは、アルバトロスの明確で強い意志が、ジョーの心と重なり、静かに浸透していくのを感じた。


「アル、俺には君たちを責める権利など最初から無いし、そのつもりもない。それどころか、俺は感謝しなければならない。君たちは、自らの危険を省みずに俺を助けてくれたんだから。ありがとう、みんな」


「いや、お前を助けたのは俺たちだけじゃない」


「え?」


「心臓が破裂すると同時にお前の意識は消失してしまった。オクテットを形成するには、その主体となる別の意志が必要だった」


「別の意志?」


 そのとき突然、ジョーの胸の中心部分が、より強い光を放ち始めた。そしてこれでもかというぐらいの輝度となり、耐えられずにジョーが目を細めた瞬間、今度はゆっくりと点滅し始めた。


(えっ? なに?)


 点滅の速度が次第に速くなった。


(もしかしてこれって、『カラータイマー』か何か?)


 点灯速度がマックスに達した。チカチカと強く瞬く閃光は、明らかに何らかの警告を発しているようだった。


(ううっ、なんだか胸のあたりが苦しくなってきたような気がする)


 すると今度は、点灯速度が急減速し、その光が少しずつ弱くなっていった。


(うわ、何これ? どうすればいいんだ? このまま俺は死ぬのか!? ああっ、光が消える、消えてしまう! もうだめだ!)


「……ぷっ! わははは! んな訳あるかい! アホ!」


「!? !? !?」


「ええ、どうや? びっくりしたか? したやろ正直? ちょっとちびったんちゃうか、自分?」


「……誰だ?」


 こんな口調で話すレベル5なんていたっけ? という疑問がジョーの頭をかすめた。


「誰やて? ずいぶん失礼やな! わいに決まっているやないか!」


「『わい』って言われても……」


「こいつ腹立つわー。言うとくけどな、わしがお前の心臓の替わりになってんで。ほんとにぎりぎりんとこで命を助けたったのに、その恩人を知らんとは、はあーあ、情けな」


「心臓!?」


 ジョーはあらためて自分の胸で光るものを見た。よく見るとそれは、どこかで見覚えのある質感を持っていた。


「……これってもしかして……マイティメタルか!?」


 ジョーの胸には、少しだけ外に突き出た部分があった。今まで見てきたマイティメタルとは全く違う奇妙な形をした物体が、ジョーの胸に埋め込まれており、今はそれが心臓として機能しているようだった。


「マイティメタルが俺の心臓になっている? しかもそれが、俺に話しかけている? そんな馬鹿な!?」


 胸のマイティメタルが再び青白い光を放ち始めた。


「驚くのもまあ無理はないわな。わしだって、何や知らんけどこんなふうに物を言えるようになったのは、ついさっきやし」


「ほんとにマイティメタルなのか?」


「そうや」


「君、しゃべれたの? もしかして宇宙人?」


「違うわアホ! お前、わしの話を全く聞いとらんな。喋れるようになったんわ、さっきや言うたやろ!」


「さっきって?」


「お前の心臓がボンッいうたときや!」


 遠慮なしにズバズバと言うマイティメタルの言葉が、ジョーの心に容赦なく突き刺さった。


(なんか改めて言われるときついなー。それにしてもこいつ、デリカシーの欠片も無いっていうか……)


「君がアルたちと一緒に俺を助けてくれたのか?」


「まあな、しかしあれやで、別にわしにはお前を助ける義理なんかなかったんやで。お前には今までさんざん振り回されて、こき使われてきたし。ほんでも、お前の死んでいる姿を見てたら、なんや知らんけど急に腹が立ってきて、文句の一言でも言うたらな気が済まなくなったんや!」


「えっ? 君を振り回してこき使ってきた? 俺が?」


「そうや、なんや、覚えてないんか?」


 オクテットに関して自分は単なる傍観者に過ぎないと思っていたジョーにとって、それは全く予期せぬ言葉だった。いわれのない中傷を受けているような、何かもやもやしたものを感じた。


「いや、だって俺は、一度もあんたに指示とか命令とかした覚えはないし」


「ようそんなことが言えるな! いっつもなんかごちゃごちゃ言うとったやないか!」


「ごちゃごちゃって?」


「例えば、そう、『世界が平和でありますように』とかなんとか」


「えっ!? いや、それはただの……」


 ジョーの言葉を遮るようにマイティメタルが言葉を繋いだ。


「お前、何かっていうとそればっかりやったやないか! 一体どないせい言うねん! もっと具体的に言ってもらわな、そのたんびに何千、何万回ってシミュレーションを繰り返してやな、そらもう、パンクする寸前やったんやで!」


 このときのマイティメタルの言っていることが全て本当のことかどうかは別として、実際ジョーは、ミッションの前だけでなく、ミッションの最中も何か場面が替わるごとにそうした祈りを捧げていた。


「そらもう、ものすごい負荷やったんやで。これはなんとかせなあかんって、そうしたら、あるときこうなったんや」


「こうなったって?」


「お前んとこの言葉で言うたら〈意志〉や、わしもそれを持つことになったんや」


「ええ!? じゃあ、俺の〈祈り〉が、マイティメタルに〈意志〉を与えたっていうのか?」


「アホ! なに『俺今、ちょっとかっこええこと言うた』みたいな雰囲気出しとんねん! そんなことより、マイティメタルっていうその言い方止めてくれへん? なんか気に障るわー」


「気に障るって、だって君、マイティメタルだろ?」


「それはお前らが勝手にそう呼んでいるだけやろ! なんちゅうか、上から目線的で、言われるとムカつくねん!」


「どうすればいいんだ?」


「わしもにも、お前たちみたいな名前をつけてくれ、かっこいい奴を!」


「えっ? 俺が考えるの?」


「他に誰がおんねん!」


(そんな、急にいわれても、名前なんてそう簡単に思いつかないよ)


「ほれほれ、はよ言うてくれ。ごっつうええ奴、頼むでえ!」


(ええっと、とりあえず、こいつは宇宙にいたんだよな……宇宙だから……うーん)


 ジョーは苦し紛れにつぶやくように言った。


「……う、ウチュウ……タロウ……」


「は? なんてえ? もっとはっきり言えや!」


「う、ウチュウ・タロウ!(もう、どうにでもなれ!)」


「ウチュウ・タロウ?」


(これはさすがに、安易すぎるよな……こいつきっとまた怒りだすぞ)


「ほう、なかなかええんちゃう?」


「へ?」


「何かこう、荘厳かつ壮大なイメージと、愛くるしくてかわいい響きとが、いい感じのギャップを生んでるっていうかな。自分、中々のネーミングセンスやないか! 見直したでえ!」


「……そ、そう?(ええっ!? いいのか? 本当にそれで?)」


「よっしゃ、わしは今から〈ウチュウ・タロウ〉や! よろしく頼むわ!」


「あっ、こちらこそ、よ、よろしく」


「そうや、そういう素直さは大事やでえ! わしもこれまでのことは全部水に流したるさかい! それにしても、こうやって言いたいことが言えるっていうのはほんまに気持ちええなあ。お前を生かしてやって正解やったわ!」


(こいつ、あくまでも俺に恩をきせようって腹だな。感謝すべきなのはわかるけど、なんかムカつく)


「まあ、これからわしらは運命共同体や、長い付き合いになるで」


「長い付き合い?」


 このときジョーは、普段の会話でなら聞き流すはずのこの言葉が、なぜか妙に気になった。


「タロウ、あのさ、ちなみに俺が死ぬまで、俺の心臓になってくれるのかい?」


「死ぬ? そうやな、お前さえよければ、少なくともこの星がいてる間はな」


「この星が存在する間?」


「惑星に寿命があるの知ってるやろ? だからだいたいあと十臆年くらいちゃうか?」


「十億年!? ちょっと待ってくれ、俺は人間だ! そんなに生きられるわけないだろ?」


「わしがさっきいうた運命共同体いう意味はな、わしがいるかぎり、基本的にお前は死なへんし、ずっとこのままっていう意味や」


「死なない!? しかもずっとこのままって、まさか、年を取らないってことか?」


「そんなもん、数えたいなら数えればいいやん、好きにせいや。あんま意味ないと思うけどな。要するに、わしがお前の心臓になっている限り、お前の身体的機能はこのままのレベルで維持されるっちゅう話や」


「そ、そんな!?」


「でも、もしお前が望むんなら、わし、いつでもお前の心臓を止めたるで、こんなふうに」


 突然、ジョーの胸部に激痛が走った。


「えっ……ぐあ! タロウ、突然何を!? く、くるしい、や、やめて……くれ」


「はいよ!」


 ウチュウ・タロウの返事とともに心臓が勢いよく動き出し、激痛が消えた。


「はあ、はあ、タロウ、お前、マジか?」


「何が?」


「お前、俺を殺そうと思えばいつでも殺せるんだろ!」


「またか、ほんとに話を聞かん奴やな。言うたやろ、お前が望めばって。お前が自分で死にたいって言わない限り、心臓止めたりせえへんわ」


「そんなの嘘だ! 現に今、止めたじゃないか!」


「確かにそう言うたけど、完全になんか止めてへんわ」


「俺を脅すつもりか?」


「わしが? 何のために? ああ、もうええわ、そう思いたいなら勝手にそう思っとき!」


 お互いを拒む重苦しい沈黙が、ふたりの間に居座った。しかし、少しすると、ジョーは思い直してウチュウ・タロウに話しかけた。


「悪かったよ、タロウ。命を助けてくれた恩人に暴言を吐くなんて愚の骨頂だった」


「……気持ちは分らんでもないわ。こんなん、わしも初めてことやし、正直、混乱してるやろ? 何もかんもよう分からんようになってるんとちゃう?」


「確かにそうかもしれない……なあ、タロウ、俺は、もう人間じゃないのか?」


「ちゃうね。見た目は人間でも、お前はもう人間としての運命を超えているっていうか、いや、逸脱しているっていう方が正確かもしれへんな」


「人間の運命を逸脱……」


 これまでずっと予感していたことが、予想していた結末と全く違う形で現れたことに、ジョーは戸惑いを覚えていた。


「俺は、不老不死になったのか」


「うーん、ほとんどそう言うてええかもしれんけど、厳密には違う。さっきも言うたように、この惑星の寿命が尽きるまでや」


「この星が終わるまで? でも、たとえば火星とか他の惑星に移住したら、そこで生き続けていけるんじゃ?」


「移住やて? まったく、これやから人間いうのは……もっともお前はもう人間ちゃうけど、元は一緒や。ええか、この星で生まれた生き物はみんな、必ずこの星と関っていかなあかんのや。この星なくして、この星の生き物は生きて行くことはでけへん。そういうことになっとるんや。人間もお前も例外やない。それがちゃんと分からんうちは、人間にも、そしてお前にも未来なんかあらへんで。こんなこと、わしが言うてもしゃあないけどな」


 ウチュウ・タロウの言うことは、特になんの根拠もなく、確認しようのないものだったが、なぜかジョーは否定する気にはなれなかった。いやむしろ、しばらくすれば自然とジョーの中に根付いていきそうな、そういう力を感じた。


「ところで、お前、これからどうするん? 人間たちのいる所に戻るんか?」


 ウチュウ・タロウに質問されたジョーは、マリアに言われたことをはっと思い出した。


(……全てを捨てて逃げろ、か)


 ジョーは今になって、マリアの言葉の意味を理解した。勿論、ジョーが基地に戻ればおそらく彼らは受け入れてくれるだろう、ただしそれは、仲間としてではなく研究サンプルとして。


 どんなに表面を取り繕おうとしても、人間は未知なるものを恐れる。その恐れを無くしたいがために、おそらく人間は、研究という名目で、ジョーの自由を奪い、そして多くの好奇の目を向けることになるだろう。


「……分からない。俺は一体どうすれば?」


 そのとき、ポッドがぐらぐらと揺れ出した。破損した底の部分に水圧で穴が空き、そこから海水が侵入しはじめたのだ。


「うわっ、まずい、このままだと沈むぞ!」


 そのときジョーの耳に、だれかの声が、すすり泣くような声が、かすかに聞こえた。


「この声は……ミカ? ミカか!」


 ジョーが声を上げると、


(えっ、誰? この声はまさか……ジョー!? ジョーなの? あなた生きていたの? ジョー!)


 ミカの声がジョーの頭に直接響いてきた。


(これって、もしかしてテレパシーってやつか? ミカ! 聞こえるか)


(ええ、まるで私の隣にいるみたいにはっきりと聞こえるわ。何なのこれ?)


(俺もよく分からない。ちょっと待って)


 ジョーはウチュウ・タロウとレベル5たちに話しかけた。


「みんな、俺、このままでオクテットになれるのか? 誰か応えてくれ」


 アルバトロス「ああ、もちろんだ!」

 ウチュウ・タロウ「当たり前やないか!」


「ほんとうか! それなら、オクテットになればテレパシーに乗ってミカのところに行けるか?」


 アルバトロス「悪いが、それは分からない」

 ウチュウ・タロウ「分からん、でもやってみたらええんちゃうん?」


 ポッドの浸水が次第に激しくなっていった。底の穴が侵入してくる海水の勢いで、ポッドの底の穴がどんどん広げられていた。ポッド本体の約三分の二がすでに海水に浸かっていた。


「もう時間がない! どうなるか分からないけど、みんな行くぞ! オクテット!」


 ジョーがそう言うと、頭の中で、八人のレベル5が互いに重なり合い、再び人型の入り口を形成した。ジョーがその入り口に意識を集中させると、ウチュウ・タロウの青白い光がジョーの体全体に浸透していき、ジョーの体を光の人型に変えた。


 ジョーの意識は、前と同じように光の人型の上方にあった。


「できた! できたぞ!」


 レベル5とウチュウ・タロウからの返事はなかった。


(オクテットになると、アルたちやタロウとの会話はできなくなるのか。あれっ? なんか妙な感じだ。今までと違う)


 ジョーは自分の意識がこれまでよりもずっと自由で、しかも大きな広がりをもっているように感じた。


(そうだオヤジだ! 〈オヤジ〉の感覚がない……いや、無いことはないんだが……これは、俺の意識が〈オヤジ〉と完全に重なっているのか?)


 それまで感じていた超人格の存在に対する距離感が、ほとんど無くなっていた。


「ミカ! 聞こえるか? ジョーだ」


「聞こえるわ! ジョー、どこにいるの?」


「今からそっちに行く」


「え?」


 次の瞬間、ジョーのオクテットは、ミカの元に瞬間移動した。

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