第33話 最終シミュレーション(2)
午前11時。
眩い太陽と青光の群が、昨日まで居座っていた厚い雲の群を完全にどこかへ押しやり、快晴の空を広げていた。
第5格納庫で小型ジェット機の整備をしていたミカとマイクに連絡が入った。
「マイク、ジョーのオクテットの準備ができたそうよ」
「へえー、思ったより早かったね」
「おそらく、姉さんの協力があったからよ」
「カナさんの?」
「ええ」
ミカは、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「さあ、次は私たちの番だわ」
「ま、この最終シミュレーションに関しては、僕らの仕事はかなり楽だけどね」
「その楽な仕事を万一しくじったりでもしたら、それこそ大ひんしゅくよ。あなた、分かっているの?」
「もちろん! ミカ、僕は君とならなんだってできるよ!」
「はあ?」
格納庫全体にアランのアナウンスが響きわたった。
「これより、シミュレーションの最終段階に入る。総員、ただちに配置に就くように」
格納庫の扉が開けられると、その奥から巨大な飛行船が姿を現した。恐ろしいほどの振動とエンジン音とを轟かせる飛行船を見ながら、ミカとマイクは、それぞれの小型ジェット機に乗り込んだ。
格納庫を出た飛行船が、ゆっくりと離陸し、高く上空に舞い上がった。そのくじらのような漆黒の容貌は、青い空の中に異様な雰囲気を持ち込んでいた。飛行船には、大量の鉄くずが載せられていた。
つづいて、ミカとマイクの乗るそれぞれ小型ジェット機の発進準備が整えられた。
「一号機エンジン点火、離陸スタンバイオーケー」
ミカの声が、コントロールルームとポッドに届いた。
「おっ、ミカかい? よろしく!」
ポッドのジョーが返した。
「ジョーなの? オクテットの調子はどう?」
「全く問題なし。すこぶる順調さ!」
そのとき突然、ミカのすぐ横で眩い光が輝いた。
「きゃあ!」
「ミカ! 俺、ジョーだよ、驚かせてごめん」
ミカが振り向くと、〈光の人型〉が後部座席に座っていて、ミカの左後方から手を伸ばしていた。
「何これ!? この光る人形みたいなものが今回のオクテットなの?」
「ああ、そうみたいだな」
〈光の人型〉は音声を通じてミカの元に移動していた。
コントロールルームからアランの怒号がとんだ。
「ジョー、勝手なことをするな! システムにどんな異常が出るか分からん! すぐに戻れ!」
「ごめんアラン、ちょっとミカに用事があったのを思い出したらこうなっちゃったんだ」
「私に?」
ミカが呟くと、〈光の人型〉の右手がミカの背中にそっと置かれた。
「これでよしっと。邪魔したね」
ジョーの音声と共に〈光の人型〉はすっといなくなった。
(用事って、まさか……)
ミカは操縦桿をにぎっていた右手を放し、背中の辺りを触ってみた。そこにはいつものザラリとした感触がなかった。
(覚えていてくれたのね)
思いもよらないプレゼントを、全く思いがけないタイミングで受け取ったときのように、ミカの心に強いモチベーションが生まれた。
「ありがとう、ジョー」
気持ちの深淵をのぞかせるような静かな声がジョーに向けられた
「ヘイ! ジョー、ミカ、みんなで何をしているんだ? 僕も入れてよ」
待ちかねたようにマイクの声が飛び込んできた。
「よお愚弟! 元気か?」
「もちろんだよ、ジョーのバカ兄貴!」
マイクは、ジョーが腹違いの兄であることをまだ知らなかったが、こうしてふざけて兄弟として呼びあっていることに、不思議と違和感を覚えなかった。
「今まで特に意識してなかったけど、あんたたちってやっぱり似ているわね」
「やっぱりって?」
「いいえマイク、何でもないわ。さあ、行きましょう!」
ミカの小型ジェット機が爆音をあげて発進し、すぐ後にマイクの小型ジェット機がつづいた。二機の小型ジェット機が勢いよく青空に飛び出し、先の飛行船を追った。
「ミカ、そしてマイク、分かっているとは思うが、実際のミッションでは、母船が彗星後方の所定位置に到達してから15分、それが限界だ。それ以上はもう彗星を追えなくなる。より多くの時間をオクテットによる宇宙船建造にまわすためには、君たちは、できるだけ速くスキャンを終えなくてはならない。つまり、君たちのチームワークにかかっているんだ」
「アラン、私たちに任せて、2分以内で終わらせてみせるわ」
「ミカの言う通り、僕らならできますよ。大丈夫です、かならず期待に答えてみせます」
「頼むぞ、ミカ! マイク!」
ミカとマイクの彗星を挟むランデブー飛行によるスキャニングは、小型飛行機間に常に一定の間隔とスピードを保つ必要がある。そのため通常は、コンピュータ制御によるオートマチック飛行を実行するのだが、万一の場合にそなえてマニュアルでも実行可能にしておく必要がある。勿論、この最終シミュレーションではマニュアルで行うことになっていた。
ミカとマイクは、見事なローリングを交互に数回繰り返しながら、互いの動きとその流れをつかんだ。
「じゃあそろそろいくわよ、マイク!」
「いつでもどうぞ!」
ミカの小型ジェット機が上で、マイクの小型ジェット機が下を行った。
「マイク、もう少し速度をあげて」
「こんなもんかい?」
「OK! いいわ」
互いの上下の位置がぴたりと合った。前方に飛行船が近づいていた。
「コントロール、今からスキャンを開始します。」
「了解! こっちも準備OKだ」
「スキャン波照射三秒前、二、一、照射!」
ミカの小型ジェット機の発信装置から発信されたスキャン波が、飛行船をマイクの小型ジェット機の受信装置に受信され、そのデータが母船ロケットに送信された。
ミカとマイクのそれぞれの小型ジェット機が飛行船の上と下を、音速をはるかに超えて、そして全く同じスピードで飛び抜けた。
飛行船に関するデータが瞬時に解析され、マイティメタルに見立てた鉄くずの塊の位置が割り出された。
「ジョー、いくぞ!」
「オッケー」
「目標座標確認! オクテット転送!」
ジョーのオクテットは、鉄くず塊の中心部に転送された。
暗闇の中、ジョーは真上からオクテットを見ていた。そしていつもの通りイメージを強く持った。今回は宇宙船のイメージを。
そのときのオクテットには、ジョーが感じ得る限りにおいて、特に何の変化も生じていないように思われた。というか、寧ろどこか無機的で、寂しい印象が漂っているように思えた。
「今、オクテットによる宇宙船設計データのダウンロードが開始されました!」
コントロールルームからの声が聞こえると、〈光の人型〉が動き出した。
(なるほど、こういうことだったのか)
ジョーは、このとき初めて、これまでのオクテットが何をしていたのかを知った。宇宙船の設計データが入力されると、光の人型は、3Dプリンタのレーザー光のように高速で移動し、その形状を構築させていた。もちろん、今の状態でもジョーの意識は、オクテットのその動きに完全にはついていけていなかったが、それでもこれまでよりもその様子を明確に理解することができた。
「おお!」
コントロールルームにどよめきが起きた。メインモニターに、漆黒の宇宙船が姿を現した。
〈光の人型〉の動きが止まった。
「終わったみたいだ」
ジョーがそう言うと、アランがすぐさま声をあげた。
「時間は?」
「スキャンを開始してから……5分32秒です!」
「よし!」
アランが小さくガッツポーズをした。
「宇宙船も正常です。機体、エンジン、制御システム、いずれもほぼ完璧な仕上がりです!」
興奮を抑えきれないロッキーとは対照的に、アランは冷静さを装いながら状況を見ていた。
「ミカ、そしてマイク、連結・搬送行程に移ってくれ」
「了解!」
ミカとマイクの小型ジェット機のそれぞれは、宇宙船の左右両側に近づき、宇宙船の側面のノブに連結用のアームを延ばした。
「連結完了、これより宇宙船を第三格納庫に搬送します」
建造された宇宙船は、二機の小型ジェット機に付き添われて、格納庫上空に到着した。
「搬送完了、離脱します」
二機の小型ジェット機が宇宙船から離脱し、宇宙船は格納庫の前にゆっくりと着陸した。
「おお!」
コントロールルームと、格納庫の周りにいたスタッフたちから拍手と喝采が起きようとした。
「まだだ! これが最後だ、オクテット回収!」
アランの声が響くと、〈光の人型〉が、ポッド内に再び姿を現した。
光の人型の姿を確認したアランが、声高に叫んだ。
「ミッションコンプリーション、諸君、よくやった!」
「うおおおお!」
堰き止められていた興奮と喚起が一気に押し寄せた。DDU全体が喜びの拍手と喝采に湧いた。
「諸君、分かっているとは思うが、あくまでもこれは訓練だ。本番までは、絶対に気を抜かないようにしてほしい。明日は、ゆっくりと休んで本番に備えること。以上だ」
アランから訓練終了が伝えられると、コントロールルームの中に深い安堵の空気が流れた。一連の状況を見守っていたカナも、その空気に中にその身の一部を委ねていた。
「ジョー、お疲れさま」
「カナ、とりあえず今回は無事に終わったようだよ」
「そうね」
ロッキーが、アランとともに、〈光の人型〉の前に立った。
「ジョーさん、まだ時間はありますが、フォーメーションを解除しますか?」
「いや、とりあえず制限時間までこのままでいよう。今日が最後だし、データは多い方がいいだろ? もっといろんな構造物を試してみたいんだ。かまわないか?」
ロッキーがアランの方に顔を向けた。
「いいだろう。だが、ジョー、絶対に無茶をするなよ」
「分かっています! それじゃ行ってきます!」
そう言ってジョーのオクテットとの姿が消えたとたん、男性の叫び声がコントロールルームに響いた。
その声の主はマイクだった。訓練に物足りなさを感じていたマイクは、小型ジェット機を適当に乗り回していて、そろそろ戻ろうとしていたところであった。
「マイクか? 何があった?」
驚いたロッキーがすぐに確認した。
「今、僕の横に、何か光るものがいます!」
「ああ、それがジョーのオクテットだよ。心配しなくていい」
「これがオクテットだって?」
「そうだよマイク、少しだけ俺に付き合えよ!」
ジョーの声がいつになく弾んでいた。
「ジョー! 一体何をするつもりなんだ?」
「なあに、ちょっと遊ぶだけさ。いいか行くぞ? マイク、行きまーす!」
マイクの乗った小型ジェット機が変形をし始めた。ネットを通じての情報検索が凄まじい勢いで実施されていた。
「ま、まさか、これって?」
「そっ、ガキの頃からの俺たちの憧れ、モビルスーツRX-78だよ!」
「バカバカバカ! そのガンダムは飛べない奴だよ! お、落ちるー!」
「そうか、それなら……マイクよ、フォースだ、フォースの力を信じるのじゃ!」
「Xウイングでもだめだ! あの翼の形状じゃ、どう考えても揚力が足りない! う、うわー!」
「それなら仕方がない。これだけは使いたくなかったが、暗黒面の力を借りるとしよう。コーホー!」
「何やってんだよ! べーダー専用TIEファイターじゃもっとダメだろ! もうだめだ、死ぬ!」
「あははは、大丈夫だよマイク」
元の小型ジェット機の形状に戻ると、マイクはすかさず操縦桿を引いて、ジェット機の体勢を戻した。
「ジョー、た、頼む、頼むからもうやめてくれえ!」
「マイク、まだまだ全然だよ! よーしっ、お次はゼビウスのソルバルウだ!」
「なっ? それって、機体の詳しい形状がパッケージぐらいにしか載ってない奴だろ! う、うわー!」
こうしてジョーは、時間の許す限り、オクテットとマイティメタルによる様々な形状変形を試した。これまでのミッションの時とは違って、嬉々として弾けるようなオクテットの感覚が、ジョーのモチベーションをガンガン刺激していた。
(すごいな今回のオクテットは! 俺の意図を一瞬でその全てを正確に把握して反映させている!)
オクテットと一体になっているという、今までにない心強い感覚がジョーの意識をより高みへと押し上げるようだった。
制限時間があっという間にやってきた。ジョーにとってはこの上なく楽しい時間だった。
「マイク、ありがとう。オクテットになってこんな楽しかったことはいままでなかったよ。またやろうな!」
「ハアハア……二度と……二度とやるか……後で、後で絶対にブン殴ってやるからな……ジョー、覚えておけよ……」
もはやほとんど生気の抜けたようなマイクが、やっとのことでなんとか右手で操縦桿を握ると、左手を上げてその中指を立てた。
こうして訓練は終了した。必要かつ十分であるかどうかは別として、今できることの全てを。しかし、結果的には、予想を越える結果が確認されたことも事実だった。
ポッドに戻ってきたジョーのオクテットは、様々な思いに囲まれながら、静かにログオフされた。つかの間の安息を約束するその作業を終えると、スタッフたちは総出で、ポッドから降りてきたジョーを迎えた。
訓練の成否よりも、みんなの期待にこたえる形で訓練を終えられたことがジョーには嬉しかった。素直に喜びを分かち合える仲間の存在が、ジョーの居場所がそこにあるという証でもあった。ただ、もしその場にマリアがいたら、その意味はさらに深いものとなっただろう。結局その日、マリアは一度もその姿を現さなかったのである。
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