第32話 オクテット・レベル5
いよいよレベル5によるオクテットフォーメーションが始まった。ジョーは、本番通りのスペーススーツを着用し、ポッドの中に入った。
「ほお!」
そこは、これまでのポッドよりもだいぶ広く、内部は球形で、その中心部分に、球状のコクピットが複数のフレームで支持されていた。
「どうです? この部屋全体が、SNNになっているのです」
ジョーが驚くのを予想していたロッキーは、嬉しそうに説明した。
「へえーすごいな。で、どうやって乗り込めばいいんだ?」
「宇宙空間では、我々も浮いた状態になるのでここからでもいけますが、地上にいる時は、コクピットから垂れ下がっている電動ワイヤに足を乗せれば自動的に引き上げられます」
「なるほど」
ジョーは壁面を滑り降りながらコクピットの下に移動し、ワイヤの先端に取り付けられているフックに両足をのせた。
「これか」
ジョーはワイヤに自動的に引き上げられコクピットに到着した。
「あれ? 操縦桿と計器類、そしてモニターもある」
「お忘れですか? 宇宙では何が起こるかわからないので、仮に母船になにかあった場合でも、このポッドだけを母船から切り離して独立して操縦できるようになっています。もちろん、大した出力は出ませんが」
「そうか、そういえばそんな訓練を受けていたな」
ジョーはコクピットに身を投げ出した。いかにも新品という、気分を昂揚させるあの匂いが鼻をかすめた。
コクピットの座席に乗り込むと、自動的にシステムが稼働し、ジョーの頭のサイズに合った半球状体が、コクピットの天井付近で素早く形成された。それは、非接触式の脳波入出力デバイスだった。そのデバイスがジョーの頭に覆い被さるようにして所定の位置に固定されると、目の前が徐々に明るくなり、全周囲のクリアな映像が映し出された。
目の前のインパネの上にはドーム状のガラスケースがあり、その中にマイティメタルが丁寧に納められていた。
「また世話になるな」
そうつぶやきながら、ジョーは静かに目を閉じた。いつもの儀式を行うために。
「ジョーさん、準備はいいですか?」
「ああ、いつでも!」
「じゃあみなさん、始めますよ!」
ポッドの中が暗転し、電子オペレータの声が響いた。
「Avatar program No.1 log in,No.2 log in, No.3 log in, No.4 log in, No.5 log in, No.6 log in, No.7 log in,No.8 log in completion」
8つのアバタープログラムが次々と読み上げられていった。
「Stand by all programs.Octet formation countdown start 9、8、7……3、2、1、shot!」
次の瞬間、ジョーの意識の中に、あのレベル5たちが姿を現わした。
「あ、ああ!」
「ジョー、どうかしたの!」
コントロールルームにいるカナから叫び声に近いものが聞こえた。
「いや、カナ、なんでもない。ただ、今回はAL、いやアバターたちの姿がちゃんと見えるんだ。すごいな、どうやったんだ?」
コントロールルームのスタッフたちの間でざわめきが起きた。カナ以外のスタッフには、当然ながらジョーの言葉の意味が理解できなかった。
不審に思ったロッキーがジョーに言った。
「アバターの姿? ジョーさん、一体なんのことです? システム自体は、規模を大きくしただけでこれまでと基本的になんら変わりはありませんが」
ALの映像化は、ジョーのTWでの経験とその身体的変化に起因するものだった。このときのジョーは、TWに行かなくともALの姿を認識できるようになっていたのである。
「アル! リンダさん、マッキンリーさん、ハルト、キーマさん、ロレッタさん、ムロウさん、そしてヴェリッヒさん、みんな無事でよかった!」
しかしレベル5たちは、ジョーの方を向いてはいるものの、ジョーがいくら呼びかけても返事はなく表情すら変えなかった。
「みんな、どうしたんだ? なぜ返事をしてくれない?」
心配するジョーをよそに、レベル5たちは、ジョーの周りを活発に動き始めた。その動きはまさに縦横無尽で、そのスピードをぐんぐん増していった。
しばらくすると、アルバトロスがジョーの真正面に立ち、次いで、リンダがアルバトロスに重なった。そしてレベル5たちは次々と重なり、人の形をした黒い陰となった。その陰は、人の形をした穴の入り口のように見えた。
その陰がジョーのもとにすっと近づいた瞬間、ジョーの意識がその陰の中に引き込まれてしまった。同時に、ケースに納められていたマイティメタルの姿が消えた。
暗闇の中、目映く光るものがジョーの視界に入ってきた。
(なんだ?)
さらによくみると、その光の後方に球状らしき物体が見えた。
(なんだろう? うーん、それにしてもここ暗いな)
ジョーがそう思ったとたん、周囲がぱっと明るくなり、目の前がクリアになった。
(おお! ここは……ポッドの中か?)
そのときのジョーの視点は、ポッドの天井付近から下を見下せる位置にあった。
(あれ? あの球状の物体はもしかして……)
ジョーが確認したいと思った瞬間、その視点が、その光輝くものの前に一瞬で移動した。
(うおっ! これは)
そこからは、人型に輝く光と、その後方に、自分の乗るコクピットが見えた。
(なんだこれ!?)
ジョーがそう思うと略同時に、ジョーの体が声をあげた。
その声を聞いたカナは、すぐにコントロールルームから駆け出し、ポッドの中に駆け込んできた。
「大丈夫!?」
「ああ、カナ、大丈夫だよ。ちょっとびっくりしただけ」
「一体どうしたの?」
「だって今、俺、自分の体を外側から見ているんだぜ。ほら、研究所でTWに行くときみたいに」
「なんですって?」
「オクテットになってこんなことは初めてだよ。しかも、視界がめちゃくちゃクリアなんだ。今までも見えてはいたけど、こんなにはっきりとしたものじゃなかった」
「意識と体が分離しているの?」
「どうもそうみたいだ。なんかへんな気分だよ。俺の言いたいことを、コクピットに座っている俺の体がちゃんと喋ってくれている。視点もいろいろ変えられるみたいだ。この光っている奴を中心にして360度、上下左右のどの方向からも見ることができる。ちなみに今は、カナと同じ視点で見ているよ。ところで、この光っている奴は何なんだ?」
「それがオクテットとマイティメタルとの融合体ですよ」
ロッキーが、ほかのスタッフ数名とともにポッドの中に入ってきた。
「といっても、これまでは、直径が三十センチくらいの球体でした。このような人間の形をした融合体は初めてです」
(へえーそうだったのか)
ジョーはこのとき初めて自身のオクテットとマイティメタルとが融合しているところを目の当たりにした。
「ジョー、あなた、これを自由にコントロールできるの?」
「……いや、それは今回も駄目みたいだ」
ジョーは、その光る人型をなんとか動かそうと思ってみたが、なんの動きも生じさせることができなかった。
(やはり〈オヤジ〉の存在を感じる……けど、なんだろ? 何て言うか、前より距離がかなり縮まったっていうか、今までよりも〈オヤジ〉をすごく身近に感じるような……)
そのとき、スタッフのひとりが遅れてポッドの中に入ってきた。そのスタッフは、生まれつき右足に障害を抱えており、なんとかポッドの壁面を降りて来ていた。
(あ、ピートさんだ。無理しないで。その足じゃ、ここに来るのはちょっとしんどいよ)
ジョーがそう思ったとたん、光の人型が、ピート氏の近くにシュッと移動した。そしてしゃがんでその右手と左手のそれぞれをピート氏の右足と左足にあてると、そのままめり込ませた。
「うわ!」
ジョーはおもわず声をあげたが、ピート氏は特に痛がる様子もなく、ただ驚きかそれとも恐怖のためか、金縛りにあったようにその場に立っていた。
ウィィィィインン
ポッド全体がうなりを上げ始めた。
コントロールルームに残っていたスタッフの声がポッド内に響いた。
「SNNの活動が急激に活性化して、大量の情報が……これは人体に関する情報でしょうか? ものすごい勢いで取り込まれています!」
そのとき、ピート氏の右足に変化が現れた、それまで奇形をなしていた右足がみるみる変化し、あっという間に普通の形態となった。
ピート氏が恐る恐る右足を動かしてみると、健常者とまったく同じ動きで歩くことができた。
「おお!」
その場にいた全員が驚きの声を上げた。ピート氏は、光の人型の前に跪き、すかさず十字をきった。
「おお、神よ! ありがとう、ありがとうございます!」
これを見ていたカナは驚嘆の表情を見せながらコクピットのジョーを見た。
「ジョー、これはあなたの仕業なの!?」
「いや、俺はただ、『ピートさん、無理しないで』って思っただけで、まさかこういうことになるなんて」
しかし、このときジョーは、それとは別のことを考えていた。光の人型がカナの前に立った。
「何? どうしたの?」
一瞬驚いたが、カナはすぐに気付いた。
「ジョー、もしかしてあなた、私の病気も直そうと思った?」
「……うん、いけなかったかい?」
カナは伏し目がちな笑顔を見せて、顔をゆっくり横に振った。
「いいのよ。私はこのままで。ジョー、ありがとう。これは私の本当の気持ちよ」
カナは、光の人型に向かって顔をあげると、その稟とした視線を返した。
(なんて、暖かくて優しい光なの……)
光の人型は、頷くようにほのかな光を放つと、ゆっくりとカナから離れた。
一連の出来事に圧倒されていたロッキーが、急に我に帰ったように叫んだ。
「コントロールルーム、システムの状態はどうです?」
「今のところ全く問題はありません。かなり安定しています。それより今の件ですが、情報処理速度がこれまでとケタ違いです。驚異的な速さで、我が国が保有する最新のスーパーコンピュータに匹敵、いや、それ以上かもしれません」
コントロールルームでのスタッフの興奮が、ポッドのスタッフたちにも伝わった。
(これが、あいつらの力か……)
ジョーだけが、それがレベル5たちによるものであることを実感していた。そして、彼らの存在を知るカナは、周囲の盛り上がりとは裏腹に、言いようのない不安が徐々に立ち込めて来るのを感じていた。
ロッキーは、ポケットから携帯を取りだすと、ポッドの片隅に移動した。
「もしもし、アランリーダーですか? ロッキーです、フォーメーションは成功です!……そうです、今のところ問題ありません。ジョーさんも大丈夫です……はい、分かりました。皆さんに伝えます」
ロッキーは携帯を切ると、このままシミュレーションの最終段階に移ることをスタッフに伝えた。
光の人型の周りにいたスタッフたちは、蜘蛛の子を散らしたようにそれぞれの持ち場に戻っていった。
(なんだろう? 今までと感じが違う。〈オヤジ〉が俺の気持ちに敏感に反応している)
それは、ジョーにとって全く予想外の驚くべき変化だった。オクテット化しているときの、どこか不安定で落ち着きのないこれまでの感覚が、ほとんど迷いの無い落ち着いたもの変わっていたのである。
(よーし、これならいける!)
新たな自信を得たジョーは、その高ぶる気持ちを最終シミュレーションへと向かわせた。
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