第31話 最終シミュレーション

 次の日、DDUの雰囲気は昨日とは全く違うものになっていた。ほとんどのスタッフが言葉少なく、早足で歩くか小走りで移動していた。


 ジョーは、看護師が持ってきてくれた朝食を済ませると、さっと身支度をして、昨日アランに指定された場所に向かった。


 そこには、ミカとマイクを含む十人ほどのスタッフがすでに集まっていたが、マリアとカナの姿が見当たらなかった。


「あれ? ミカ、マリアは?」


「あら、聞いてないの? 何か緊急の打ち合わせが入ったとかで、後から合流するそうよ」


「ふーん、そうか。カナは?」


「姉さんのことは知らないわ。朝起きたらもう部屋にはいなかったの」


 カナは一人になるのが嫌で、ミカと同じ部屋に寝泊まりしていた。


「居ない?」


「ええ、でも、DDUを出て行った形跡がないから、この施設のどこかにいるんだろうけど。それにしても姉さん、昨日から何か変なの」


「どうしたんだ?」


「ガンダーレ兄弟の病室から戻ってきてから、ずーっと私の部屋のPCと睨めっこよ。オクテットシステムについていろいろと調べていたみたい。多分、ほとんど寝てないんじゃないかしら?」


「オクテットシステムのことを、カナが……」


 切迫する何かに対応しようとするカナの姿が想起され、不安めいた予感がジョーを捕らえようとした。


「さあ、時間になりました。始めましょう!」


 しかし、開始を告げるスタッフの声が、ジョーのそんな予感を全てかき消してしまった。


「昨日のマイクさんの説明にもありましたが、スケジュールは非常にタイトです。

今日が最後のシミュレーションとなり、明日の休息を挟んで、明後日がいよいよ本番となります」


 細かいスケジュールが、淡々と説明されていった。この日は先ず、オクテットフォーメーションの成否を確認する予定になっていた。そもそもこれができなければ、オー・プロジェクトを実施することができない。


 スタッフたちは、オクテットシステムを担当するグループと、ミカとマイクが乗る小型宇宙船を担当するグループの二つに分かれて準備をしていた。


 最終シュミレーションでは、用意した千トンの鉄くずを、彗星が抱えるマイティメタルの塊に見立て、小型宇宙船の替わりに小型ジェット機を使用することになっていた。


 ジョーのオクテットが確認された後、オクテットはそのままマイティメタルと共に、ミカが操縦する小型ジェット機に転送される。


 ミカの小型ジェット機は所定の場所に移動し、宇宙船の設計データと共に、オクテットとマイティメタルを鉄くずの山に転送する。


 そして、オクテットとマイティメタルの力によって、鉄くずで宇宙船を建造した後、マイクが操縦する小型ジェット機によってジョーのオクテットを回収する、というのが最終シミュレーションの流れであった。


 スタッフの説明が終わると、ジョーは一人で第五格納庫に移動した。オクテットグループの他のスタッフはすでにピットにいるということだった。


 格納庫の入り口のドアを開けて中に入ると、ジョーの目の前に、巨大な構造物が突如現れた。


「すげえ!」

 ジョーは思わず声をあげた。


 そこには、明後日発射される予定の母船ロケットが、隔離された静寂の中、堂々と横たわっていた。純白のボディの、凛々さ漂う真新しい輝きがジョーを引きつけた。


 ジョーは、感嘆の息をもらしながら母船ロケットの周りをぐるりと一周りしたあと、母船ロケットの胴体に設けてあるタラップを上っていった。


 オクテットシステムが備えられているピットは、ロケット後方のエンジンルームに近い場所にあった。ジョーは、ロケットの入り口に入ると、狭い通路の中を後ろの方に向かった。


「おお!」


 ジョーは、奥の方で歓声が上がったのを聞いた。


(なんだ?)


 ジョーが、ピットにたどり着くと、四、五人のスタッフが立ったままで、前のモニターを見ていた。そのうちの一人であるロッキーが、ジョーに気付いた。


「あっ、ジョーさん」


 この声で、その部屋にいた全員が後ろを振り向いた。スタッフたちは、椅子に座っているカナを取り囲むようにして立っていた。


「カナ?」


「ああ、おはよう、ジョー」


 カナは、くるりと椅子をまわしてジョーの方に向いた。生気の足りない眠そうな目をしていた。


 ロッキーが、満面の笑みを見せながらジョーを迎えた。


「プレフォーメーションがたった今上手く行ったところです! ここにいるカナさんのおかけで!」


「カナのおかげって、ここで彼女は一体何を?」


「実は、オー・プロジェクトの再スタートが決定された後、我々はずっとここで、新たな八つのアバタープログラムによるプレフォーメーションに取り組んでいたんです。でもなかなか上手く行かなくて。言い訳になりますが、今回のアバタープログラムのデータは、以前のアバタープログラムとは比べものにならないほど膨大で、統合しようとするといろんなエラーが出てしまうんです」


(膨大なデータか、やっぱりレベル5というだけのことはあるのか)


「昨日も、我々全員ほとんど寝ずに作業をしていたんです。そしたら、カナさんが今朝方突然現れて『私がやる』と。初めは『何だよこいつ』と思いましたけど、いきなり四つのアバタープログラムをわずか数分で統合させてしまって。その後は、気が散るからと言われて我々全員ここから追い出されてしまいました。そしてついさっき、彼女がピットから出てきたところです」


「あの八人を統合したのか……」


 つぶやくようなジョーの言い方にわずかな違和感を感じつつも、ロッキーは、カナに対する驚嘆と尊敬とを含む笑顔を隠さなかった。


「ええ、そのとおりです。本当に見事ですよ。彼女、一体何者ですか?」


「創造主さ」


「は?」


「神様だよ、いや正確には女神様かな」


 そう言うとジョーは、すでに席を離れてピットから出て行こうとするカナの後を追った。


「お疲れ様、さすがだね、カナ!」


「別に、あれくらいどうってことないわ。それより私、昨日あなたを救うとか言っておきながら、まったく逆のことをしてしまったのかもしれないわね。そもそもオクテット化ができなければ、あなたが危険に晒されることもないもの」


 よほど疲れているのか、カナの声にはいつもの覇気が欠けていた。


「ううん、俺はそう思わない。君は正しいことをしている。正しいことをする君の存在が俺の救いになる」


 やさしく微笑むジョーの顔に、なぜかマリアの印象がちらりと重なったように思えた。その印象を取り払うように、カナは頭を横にぶんっとふった。そして、あたりを見回し、近くに誰もいないことを確認すると、ジョーに小声で言った。


「ジョー、オクテット化する前にあなたに話しておくことがあるの」


「なんだい?」


「実は……」


 カナは、ウエズリーから聞いた話を打ち明けようとしたが、言葉を止めた。ジョーの不安をあおるだけの不確定な事実の羅列は、カナの本意にそうものではなかった。


「……ジョー、これまでオクテットの解除はコントロールルームからの入力でしかできなかったけど、今回は、あなたからの入力でもできるようにしたわ。でもこのことは誰にも内緒よ」


「え?」


「よく聞いて、あなたが『鎖を解いた。TWへ帰れ』と言えばフォーメーションが強制解除されるわ。システムがあなたの声紋を常時認識する仕組みになっているの」


「解除されたALたちはどうなる?」


「その言葉どおり、フォーメーションの縛りがとれて、TWへ帰ることになるわ。この仕掛けは、あなたの意識とALとを一時的に分離させるものだから、フォーメーションを形成できなければTWに帰るしかないの」


「そうか……」

 ジョーは何も言わず、突然、カナをぎゅっと抱きしめた。


「ちょっと、何? どうしたの?」


「ありがとう、カナ!」


 なぜか嬉しそうに笑みをこぼすジョーを見て、カナは顔を赤らめた。


「ジョー、とにかく気を付けて、もし何か少しでも異常を感じたらすぐに解除するのよ」


「オッケー!」


 ミカの作ったその仕掛けは、昨日の病室での騒ぎがおそらく関係しているのだろう。しかしそれは、実はジョーが心の中で切望していたものを、見事に具現化させるものでもあった。ミエズリーによってもたらされた一抹の不安は、ジョーの中にすっと受け入れられた。


(『鎖を解いた』か。うん、なかなかいいじゃん)


 このときジョーは、自身の運命を全うする全ての準備が整ったことを直感した。


「よし! それじゃいっちょやるか!」


 ジョーは、母船ロケットのポッドに走って行った。

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