第30話 ウエズリーの告白

 カナとミカがミエズリーの病室に入ると、薬が効いているせいか、さっきの騒ぎがうそのようにミエズリーはベッドでぐっすり眠っていた。


「当分目を覚ましそうにないわね」


 そのとき、ミカの携帯が鳴った。


「もしもし……ああ、ドンガさん、どうしました? え? 分かりました。すぐに行きます」


 そう言って携帯をきると、ミカはせわしなく髪を後ろに結い始めた。


「姉さん、ごめん、急用が入ったわ。これから第三格納庫に行ってくる。どうも明日飛ばす飛行機になにかトラブルがあったみたい」


「あなたもいろいろ忙しいわね。ここは大丈夫よ。行きなさい」


「ありがとう、じゃ、行ってくるわ」


 ミカは小走りで部屋を出て行った。

 カナが、ミエズリーの様子をうかがおうと、その顔をのぞき込もうとしたとき、隣で寝ているウエズリーが目を覚ました。


「カナ……さん……」


「あ、ウエズリー、ごめんなさい、起しちゃった?」


「いいえ……たぶん、もう起きる時間ですから。今何時ですか?」


「午後三時を少し回ったところかしら」


「もう三時ですか、ちょっと寝過ごしましたね」


 ウエズリーの表情に仄かな明るさが灯った。


「あの、わざわざお見舞いに来てくれたんですか?」


「え? ええ、そうよ。具合はどう?」


「ふふ、ご覧の通りですよ」


 力の抜けた素直な笑顔が、このときのウエズリーのすべてを包んでいた。


「ここにはいつ?」


「昨日よ。もっと早く来たかったんだけど、後片づけに追われていたの」


「そうですか。スエズリーはどうしています?」


「今はAITでオー・プロジェクトの準備をしていると思う」


「オー・プロジェクト!? 中止になったはずでは?」


「ついさっき、再スタートさせることが決まったの」


「そんな? ジョーもかなりの重傷だったはず? あれ? 隣で寝ているのはもしかしてミエズリーですか?」


 ウエズリーは、首をうごかせないようにしっかりと固定された状態で、ベッドに寝かせられていた。そのため、眼球を動かせる範囲でしか、部屋の中にあるものを見ることができなかった。


 ここに運ばれたとき、ウエズリーとミエズリーの部屋はそれぞれ別となっていた。比較的軽傷のミエズリーは大部屋で、重傷のウエズリーには、個室があてられていた。しかし、さっきの騒ぎがあってから、他の患者の迷惑になるからと、ミエズリーのベッドはウエズリーの個室に移されていた。


「彼は今、薬で寝かされているわ」


「薬?」


 少し迷ったが、カナは、今朝ジョーの病室で起きたことをウエズリーに話した。


「そうですか、そんなことが……」


「実をいえば、私、ミエズリーに今朝のことを聞くためにここに来たの。ごめんなさい」


「いいんですよ。それより今の話……」

 目の焦点を瞳の奥に隠すようにして、ウエズリーは何かを思いめぐらしていた。


「ミエズリーは多少とぼけたところはありますが、決していい加減なことをいう奴じゃありません」


「私もそう思うの」


 カナは、ミエズリーのベッドとウエズリーのベッドとの間にすっと移動して、ウエズリーの傍らに立った。


「ミエズリーは、隔離施設がどうのって言っていたわ。あなた、何か知ってる?」


「……」

 ウエズリーは、明らかに何らかの旋律を含む沈黙で答えた。


「知っているのね? ウエズリー、お願い、教えてちょうだい」


「すみません。リサ博士も我々も、カナさんとミカさんを巻き込みたくなかったのです」


「ママ? ママも関係しているの?」


「ええ」


「洗いざらい話してちょうだい。今すぐ!」


「分かりました。でも、私も全てを知っているというわけではありません。カナさんの問いに十分に応えることができないかもしれません」


「かまわないわ。知っていることだけでいいから。お願い!」


 ウエズリーは少しだけ間を置くと、ゆっくりとした口調で話し始めた。


「事の発端は、今から三年前に遡ります。そう、我々がオクテットの研究を始めたときです」


「つまり、適合者を探していた時期ね」


「そうです。この計画に関与していた宇宙パイロットは、ジョーを含めて全員で百人ほどいました」


「知っているわ。彼らのポッドも全て私が作ったから」


「研究の初めの頃は、オクテットフォーメーションを形成することが全くできませんでした。でもある時から、なぜか急にできるようになったのです。そこまでは良かったのですが、それからどの被験者を試してみても、初めの内は上手くゆくのに、ある期間を過ぎるとなぜか急にオクテットを形成し難くなり、最終的に不適合者とされていました」


「そうだったわね。でも」


「そう、研究そのものは成果をあげていました。つまり、オクテットを形成できる期間が、研究が進むにつれて少しずつ延びていったからです。だからこそ、88人もの犠牲者をだしているにもかかわらず、この研究は続けられたのです」


「犠牲者ですって?」


「そう言っていいでしょう。88人ものパイロットが、精神に相当な異常をきたした、いわゆる狂人となってしまったのですから」


「そんな!? だって、不適合者となった宇宙パイロットは、みんな元の仕事に復帰しているはずじゃ?」


「表向きはそういうことになっていますが、事実は違うのです。もちろん、この事実はどこにも公表されていません。ただ、そのことに気付き始めている人もいるようですが、まだ誰も決定的な証拠を掴んではいません」


「ちょっと待って、宇宙パイロットたちの家族や友人はどうしたの? 絶対に黙っているわけないじゃない!」


「そうですね。でもどうい訳か、そうした人々による抗議行動やシュプレヒコールといった類の動きはこれまで一切無いのです」


「それって、政府とDDU、そして宇宙パイロットたちの家族らみんなでそんな重大な事実を隠しているってこと? とても信じられないわ。ウエズリー、そもそもなぜあなたがそんなことを知っているの?」


「……ハッキングしたからです」


「なんですって?」


「リサ博士に頼まれたのです。DDUのメインコンピュータに侵入して欲しいと」


「ママに? なぜ?」


 ウエズリーの話によると、その当時のリサ博士は、不適合者となったものがその後どうなったかを自ら調査していたということだった。それは、研究者の責任としてというよりも、母親として当然といえる行動といった方が正確だった。


 リサ博士は初め、DDUの関係者に直接問い合わせてみた。その関係者の答えでは、不適合者は全員とりあえずどこかの施設に移され、そこで一定期間の経過観察がなされ、異常がないかどうかが確認されてからもとの公務に戻されるという説明を受けていた。


「しかし、リサ博士がさらに詳しく調べていくと、元の仕事どころか一般社会にすら復帰した形跡が全くなかったのです。それでリサ博士は、DDUのメインコンピュータをハッキングして事実を確かめるように、我々3人に頼んできたのです。その結果……」


「その隔離施設に収容されていたのね?」


「そうです。我々にとってそれは非常に驚くべき事実でした。当然、リサ博士は迷いました。この事実を世間に公表すべきか否かを。しかし、結局それはできませんでした。もうその時点では、政府からの資金援助なしにTWを存続させることができなかったからです」


 カナはそのころを思い出すと、それまでの流れからは説明のつかない様々な変化が現れていたことに思い当たった。たとえば、リサ博士のTWを訪問する頻度が極端に増えたことなどである。


「我々は、オー・プロジェクトそのものに興味はありませんが、事の重大さをそのとき初めて認識し、一刻も早くこのオクテットに関する研究を終わらせるべく、あらゆる手段を講じたのです。しかし、どの方法も決定的といえるものではありませんでした」


 ウエズリーの顔は厳しい表情に変わっていった。


「我々は焦っていました。ことリサ博士にとっては、ジョーにいつ順番が回ってきてもおかしくない状況だったので、おそらく気が気ではなかったはずです。そうした中、リサ博士によるある重大な発見が、その後の研究を大きく進展させることになったのです」


「レベル3のイワンね」


「そのとおりです」


 当時、リサ博士が当時最も気にかけて面倒をみていた、ジョーの老人バージョンといえるイワンが、ほかのALとは明らかに違う優れた情報処理能力をもっていたことを、リサ博士が偶然知ったのである。すなわち、ALは皆一様なものではなく、AL間に階層(レベル)が存在することを発見したのである。


 そこでリサ博士とウエズリーらは、これまでの被験者のALについて詳細に調査した。その結果、そのほとんどがノーマルであるレベル1だったが、それより一つ上のレベル2がわずかに存在していることが判明した。そして、レベル1のフォーメーションでは安定しないが、レベル2が多くなるほどフォーメーションは安定化することを突き止めたのである。


 その後彼らは、レベル2の捜索に全力をあげた。しかし、これが思うようにいかず、結局、そのとき存在が確認されていたレベル1をレベル2に引き上げるという方法に方向転換したのである。これが効を奏して、ジョーのオクテット化を成功させることができたのである。


「私は科学者です。従って、人間の愛情という不確かなものに根拠を求めることはしません。ただ、ジョーのオクテットの成功には、リサ博士の、あの尋常ならざる献身的な情熱と努力が必要であったことは厳然たる事実だと思います。そしてそれが結果的に、精神障害の危機からジョーを救うことになったのです」


 このときカナは、当時のリサ博士の鬼気迫る様子の本当の理由を初めて知った。リサ博士は、ジョーが自分の息子だからという理由からだけで行動していたのではなく、オクテットに関与する全ての宇宙パイロットたちの人生を自ら救おうとしていたのである。


 カナが当時のことを思いだそうとして記憶を巡らせていると、スエズリーは、聞きたかったことをやっと思い出したかのように話を切り出した。


「そういえば、意識が戻ったときにミエズリーから聞きましたが、我々をこんな目に合わせたALは、レベル5というのは、本当なのですか?」


「まだ断定はできないけど、おそらくね。しかも今は、そのレベル5が八人も確認されているのよ。ただ、スエズリーは、今のTWの規模から判断すると、レベル5の存在はあり得ないと言っていたわ」


「確かに、TWに関する現段階で我々が持つ知見から判断すれば、スエズリーの言う事はおかしくはありません。ただ、TWにはまだまだいろいろな謎があります。その正体がまだはっきりしていない以上、様々な仮定や仮説が想定され得ることもまた事実です」


「仮説?」


「リサ博士の一連の行動が、TWそのものに、何等かの影響を与えたということは、十分に考えられることだと思います」


「ママの愛情が、レベル5の存在を促したということ?」


「あり得ますね、その可能性は」


 自分の話を真剣に聞いているカナの顔を見ながら、ウエズリーは、それまでずっと自身の胸の中に隠していたものを、カナと共有することができるようになったことを、少しだけ嬉しく思っていた。


「それにしてもレベル5によるオクテットか……どうなるのか想像もつきませんね。でも、全員のレベルが2以上で、かつ同じなら、これまでの研究結果から言えば、オクテットフォーメーションは可能と言わざるを得ません」


「確かにそうね。それならミエズリーは一体何を心配しているのかしら?」


 カナのその言葉を聞いたウエズリーは、伏し目がちになり、何かを思案しているようだった。


「……もしかして」


 ウエズリーは、その胸底に長くつかえていたものをを吐露するように、話を始めた。


「いつだったか、ミエズリーが妙なことを言っていたことがあるのです」


「妙なこと?」


 実は、研究が行われている間、フォーメーション実験の前後で、そのデータ量に微妙な差が出ることがあった。原理上、そのような状況は生じるはずがなく、原因は不明であった。


「ジョーのオクテットがうまく行き出してからは、ほとんど気にかけなくなったのですが、それでもミエズリーは調査を続けていたようです。そしてあるとき、こんなことを言ったのです。『ALがすり替えられていたかもしれない』と」


「すり替えですって!? まさか!」


「その話を聞いたときはわたしもそう思いました。しかし、そのときのミエズリーの何かに取り憑かれたような強張った顔が、私の脳裏から離れないのです」


「すり替えられたALっていうのが、どんなALか分かっているの?」


「ミエズリーの話では確か、被験者となる宇宙パイロットのALではなく、全く別のALの可能性があると言っていました」


「別のALですって?ありえないわ。だって、TWの存在を知り、かつ実際にそれを管理しているのは、私とママ、そしてあなたたち兄弟だけのはず」


「その通りです。しかも、たとえALをすり替えることができるとしても、我々にはそんなことをする動機が一切ありません。そのため私は、なんらかのシステム上のエラーがたまたま生じたのだろうと判断していました」


 カナは、頭を少し傾けると、視線を遠くに移して思考をめぐらせた。


「ちょっと待って、私たちじゃないとしたら、それなら一体誰が……まさかそれがレベル5だっていうの!?」


「ミエズリーに確認するまで断定はできませんが、先ほど私に話してくれた今朝の事件を勘案すると、その可能性は考えられます」


「レベル5が一体何のために……」


 突然、暗い不安の陰がカナの心に差し込み、カナの心臓の鼓動を重苦しいリズムに変えていった。


「こうしてはいられないわ」


 カナは、点滴がつながれているウエズリーの右腕を軽く握り、お礼の意をこめた会釈して、病室を出て行った。

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