第17話 チューリングワールド(3)

 ウエズリーは、球体装置の前で待っていた。その装置は、全部で四台あり、横一列にならんでいた。球体の片側半分はガラス張りとなっていて中を見ることができた。もう片側半分の内壁は、遠目にはのっぺりとしているが、よく見るとその表面には小さな円形のくぼみが無数形成されていた。そして各球体の前には、およそ一メートル四方のガラスの板のようなものが据え付けられていた。


「さっきから何をぐずぐずしているんだ! 俺たちには時間がない。レベル3の協力が得られたとしても、他のALたちとフォーメーションを形成するときの条件を一から設定し直す必要があるし、各ALのコンディションを整えるとか、やるべきことは山ほどあるんだ。お前自身のためにさく時間など全く存在しないし、そもそもそうする理由もない」


 何かを切り捨てるようなウエズリーの言葉を、ジョーは無言のままじっと聞いていた。


「ところで、さっきカナさんと何を話していた?」


「いや、別に何も」


「何もだと? ふん、しらばっくれて、本当に気にくわない奴だな。だがそんな態度を取っていられるのも今のうちだけだ」


 ウエズリーは、普通の人は知らない何かを知っているという優越感を横柄に振り回すイターイ奴になっていた。言い方を変えれば、そうした優越感にすがらざるを得ないほど余裕がない状態になっていた。


「向こうの世界にいったとたん、お前なんぞ急に怖じ気づいて、まるでこの世の終わりにでもいるみたいな情けない顔して俺たちに泣きついてくるに決まっているんだ。そうしたら……」


「あの」


「なんだ?」


「時間がないんじゃ?」


「くそっ! いいか、中に入ったら中央の円盤のところに立つんだ!分かったな!」


 ウエズリーは、大人一人がやっと通れるくらいの小さなドアを開けて、ジョーを中に入れようとした。


「あの」


「今度はなんだ?」


「この世の終わりを告げる顔って、たとえばこんな顔?」


 ジョーは、普段ほとんどしたことのないしかめ顔を無理矢理してみせた。

 その後の数秒間の静けさと、そしてそこから生まれる羞恥の焦りを伴う滑るような冷たい空気とが、カナを微かに笑せた。もちろん失笑に近いものだが、ジョーにはそれで十分だった。


「くそっ! バカにしやがって、どうなっても知らんぞ!」

 ウエズリーがぼやくと、ジョーがいきなりウエズリーの手を握り、


「バカになんてしていない。さっきのあんたの言葉に少しだけ便乗させてもらっただけだ。悪気はない」


「うるさい、いいから早く入れ!!」

 ウエズリーは、ジョーの背中を押して装置の中に強引に押し込み、ドアをバタンと閉めた。


「それじゃあ、スエズリー、いつものように頼むぞ」


「OK、分かったよ、兄さん」

 ウエズリーは、装置のドアを開けると、こなれた身のこなしで中に入った。


 一番手前の装置にジョー、その隣の装置にミエズリー、ひとつとばして一番奥の装置にウエズリーが入った。


(へえー、なんだかすごい設備だな。ハリウッド映画にでも出てきそうだ)


 ジョーは中を見回しながらおずおずと入っていった。ガラス張りの部分を通して、カナとスエズリーが見えた。カナは心配そうにこっちをみていた。


 中は狭いはずなのに、圧迫感はそれほど感じられなかった。片側半分がガラス張りになっているせいもあるが、いかにもSF映画的で近未来的な雰囲気が漂っており、閉塞感やそれにともなう不安よりも好奇心のほうが勝った。


(あれか)


 円形の床の中央部分に、言われたとおり円盤があった。少しだけ違和感を覚えたため、よく見ると、その円盤はわずかだが中に浮いていた。


「これに乗ればいいのか?」


 ジョーは円盤を指さしながら、スエズリーの方をみた。


「そうです。その上に立って私の方に体を向けて下さい」


 スエズリーの声が突然中に響いた。だがスピーカーはらしきものは確認できず、ほとんど生声のように聞こえる音が、その装置の技術レベルの高さを物語っていた。ジョーは円盤の上に乗り、スエズリーの方に体を向け、その近く居たカナに軽く手を振ろうとした。


 ビビッ!


 一瞬、感電したかのような痺れが全身に走った。そのまま身動きが取れなくなった。


(う、動けない!?)


「その円盤に乗ると、体が完全に固定されます。もう一ミリたりとも動くことができません」


(なんだって?)


「肉体が動いていてはこの装置は正常に機能することができません。でも大丈夫。体は動かなくとも、精神は自由に動けるようになりますから。ほんの少しの辛抱です」


 ウイーン、ウイーン、ウイーン。


 装置が作動し始めた。ジョーの後ろの壁が、細かいうねりをあげた。それは、各円形のくぼみの中心にある穴から、一本の短い金色の棒が出退を繰り返すという動作で、連携した規則的な動きであった。そして、すべてのくぼみからその棒がその全身を現した。


「それでは皆さん、行きますよ。ブースト発射五秒前、4、3、2、1、0、シュート!」


 ブウウウウウウン!


 鈍い音が聞こえたかと思うと、全身に強烈な衝撃が走った。それは、痛みを伴うものではなかったが、まるで体に小さな穴が次々と開けられているように、体の感覚がどんどん失われていく感じだった。次の瞬間、それまで経験したことのない、非常に強い高揚感に包まれた。


 少しすると、ジョーは、右手をわずかにあげたままの、まるでマネキンのように硬直している自分の体を見ていた。


「え? あれってまさか俺か? なんだ、一体何が起こった!?」


「ジョーさん、落ちついて下さい。今、あなたの精神意識と肉体とを分離したところです」


「精神意識と体を分離した?」


「そうです。ジョーさん、あなたの意識は今、装置の前のパネルに転写されている状態にあります」


 ジョーは、眼前に自分の体を見ていた。

(意識が肉体を離れるこの感覚、オクテットフォーメーションのときとなんだか少し似ているな)

 それは、はっきりそれと認識できる夢をみているような感じだった。


「ジョー!」

 声の方に振り向くとカナがいた。彼女は祈るように両手を会わせ、ジョーのパネルをまじまじと眺めていた。


「これが、あなたの意識なのね」


「カナ、今の僕は一体どうなっているんだい」


「驚いたわ……ええ、きれいよ、とても、本当に。だってこんなに光輝いているんですもの」


 確かにジョーのパネルは、ラボに居た者たちの興味を引いた。それは、これまでその装置を使用したことのある者たちのそれとは明らかに違っていた。ちなみに隣のミエズリーのパネルは、青と赤が入り交じったような混沌とした色合いで、ウエズリーのパネルは、基本的にスエズリーと似ているが、黄色のような明るい色が少し混じってした。


「ジョーさんの精神意識は、そのパネルで乱反射を起こしやすい種類の波動で構成されているみたいですね。それでは次にデジタル化に入ります。ジョーさん、いよいよチューリングワールドですよ!」


 スエズリーは手元のキーボードを手慣れた手つきで高速で叩くと、おそらくそのときはいつもそうしているのだろう、大きな叫び声を上げた。


「ボンボヤージュ!」


 装置が重低音の唸りをあげると、各パネルに映し出されてい意識の模様と色彩が次第に薄くなり、再び透明のパネルとなった。


 多様な光がものすごい勢いで流れてくる。いや、流れているのは自分の方……不安? いや違う、なぜだろう、心地がいい。静寂とも無音とも区別のつかない彩光の世界が意識と同化する。


「おい、起きろ!」


 身を刺すような声が、突然入り込んできた。声の主はウエズリーだった。声に意識を集中させると、少しづつ世界がその姿を現にし始めた。流れる光が、それぞれの持ち場にとどまるような細かな動きを見せて、認識可能な景色を構築した。


(ここは、町……か?)


 目の前に広がるどこかの町の風景。道路を車や人が行き交い、お店や雑居ビルが立ち並んでいた。なにげなく振り向くと、煉瓦づくりの大きな建物が聳えており、大勢のひとがそこに出入りしていた。


(あれは……駅?)


 ジョーたちの住む世界でいうところの英国近世復興様式建築を採用したそれは、ひと際高い中央塔を中心に左右対称で、太く高く何本もそそり立つの柱と、ピラミッド状の屋根とを備え、2階以上にもうけられた四角の窓の群が、いずれも白いカーテンで閉ざされていた。


 煉瓦の一つ一つに明確な創意がこめられ、そしてそれ以上に深い洞察をもって積み上げられたような建物は、その場所に存在することをみずから望み主張しているかのような、頑とした雰囲気を漂わせていた。


 ジョーが立っている場所は、駅前の広場だった。


「ようこそ、TWへ」


 再び振り向くとそこにミエズリーとウエズリーが並んで立っていた。ミエズリーがなにか慇懃そうな態度でジョーに軽い会釈をした。


「ふんっ、何とか無事のようだな。初めてにしては上出来だ」


 ウエズリーが腕組みをしながらむすっとしていた。


「ここは、数あるTWの一つ、W030025です。気分はどうですか?」


 ミエズリーに言われて、ジョーはあたりをぐるりと見回した。正直、何か嫌な感じがした。道ばたの吸い殻、心ない飼い主たちの残したペットのふん、全身真っ黒な野良猫たち、車がぶつかった跡があるガードレール等々、町の中で普段よくみられるものがそこらじゅうにあった。


(ここはHAISが作ったバーチャル世界のはずだが?)


 だからこその違和感。現実世界によく似せているという、なにか姑息なものを感じた。


「ここって、ほとんど俺たちの世界と一緒じゃないか。くん、くん、あれ?」


「気が付きましたか?」


「なんか、変な臭いがする……」


「それは私と兄から放たれる臭いです」


「え?」


 それはとんでもなく不快な臭いだった。


「あんたらまさか、うんちでも漏らしているのか?」

 ジョーが鼻を押さえながら言うと、ウエズリーは人を小馬鹿にしたような不敵な笑みを浮かべて答えた。


「そのにおいは今のところお前だけが感じ取れるにおいだ。このにおいを感じ取れるってことは、今お前は俺たちと同じ時間軸に支配されているということを意味する。つまり、この世界でお前が仮に迷子になったとしても、このにおいがするってことは、俺たちが近くにいるってことだ。分かり易くていいだろ?」


 ミエズリーが付け加えるように言った。

「でも気を付けてください。もしその臭いが感じ取れなくなって、我々と完全にはぐれてしまったら、あなたが元の世界にもどれる可能性はほぼなくなります」


「なんだって!?」


 ウエズリーは何かうれしそうににやにやしてみていた。


「でも俺のいる位置なんて、あんたの弟がいつもモニターしているんじゃないのか?」


「弟がモニターできるのは私と兄だけです。わたしたちは日頃から、ある特殊なマーカーを経口摂取して体に蓄積させているのです。その上であの装置を使うと、ふつうの人間からは出ない特別な波長が発生します。それで我々の位置を瞬時に把握できるわけです」


「ふーん、でも個人の意識をデジタル化させているのなら、そのデータを使えばいいじゃん」


「それはそうですが(くそ、ごちゃごちゃうるさいなこいつ)、それだとすごく時間がかかって、不便なのです」


「時間がかかるとだめなのか?」


「ゲートを作り出せる時間とタイミングが限られているので、間に合わなくなるのですよ」


「ゲート?」


「元の世界や、他のTWへ行くための入り口です。ゲートはいつでも自由に作れるものではありません。TWは多重世界であることはもう説明しましたが、世界の分布は均一なものではく、あるときはいくつもの世界が互いに重なり合い、またあるときは単一状態となり、その密度が刻一刻と変化します。密度が高い状態でゲートをつくることは容易ではありません。幾重にも重なる鉄板に穴をあけるようなものですからね。鉄板はなるべく薄い方がいいわけです。つまり、重なり密度が薄くなる瞬間をねらってゲートを形成させるのです」


 ミエズリーの顔が次第に光沢を帯びてきて、どうやら悦に入っているようだった。この兄弟はそういうところがよく似ていた。


「世界の重なりの程度は、弟が逐次モニターしています。ゲートを形成できそうな状況になったら、この通信用ギアに連絡が入ります」


 ミエズリーは、左手首につけているブレスレットを指さした。


「ふーん、じゃ、そのゲートを作れるタイミングっていうのいつなんだい?」


「いい質問です。緊急のときは別として、通常だと、ここの世界の時間でいうと一年に一回くらいです。まあ運がよければせいぜい二回ですね」


「えっ? ってことは、元の世界の時間でいうと一時間に一回ってことになるじゃないか」


「その通りです。つまり、一度ゲートに入るチャンスを逃すと次はまた一年後、でもそのときまでにはもはや現実の体が持ちません」


「どういうこと?」


「簡単にいうと『死ぬ』ということになります」


「なんだって!?」


 その反応を待っていたかのように、ミエズリーとウエズリーは目を細めて互いに見合った。ミエズリーは一つ咳払いをして言った。


「本体を守るためにブースト装置を止めてしまうと、まず今のあなたが消失してしまいます。あなたが消失するので、本体はもはやモヌケの殻となり、脳死に近い状態となるでしょう」


 さらにミエズリーは、突然何かを思い出したかのように、その目を大きく見開いてこう付け加えた。


「さっき少し言いましたが、もし一時間を超えてブーストを浴び続けてしまったら、その負荷に身体が耐えきれず、最悪の場合、おそらく心停止となり、死に至ることになるでしょう。もちろん、あなた自身も消失します」


 ジョーは溜息をついた。

(こりゃとんでもない所に着ちゃったな)


「もうお分かりですね。ここでは常に我々の目の届くところにいて下さい。勝手な行動は絶対に慎むこと。ゲートを形成できるタイミングが分かったとき、そのゲートに必ず飛び込めるよう準備しておく必要があります。ちなみにゲートは、私と兄の中間地点に形成されます」


「なるほど、あんたら二人の位置がゲートを発生させる場所の目印になっているわけか」


「察しがいいですね。その通りです」


「このTWといい、さっきの装置といい、カナも含めてあんたたち兄弟もすごいな。まさに天才だよ」


 天才、兄弟たちはその言葉に弱いのか、あきらかにそれを真に受けたような意図的にこわばった顔つきをみせた。


「とんでもない、天才はこの世界を創造したカナさんですよ。あの装置に関する技術も、元々はみんなこのTWのもので」


「ミエズリー!」

 ウエズリーが突然厳しい顔をしてミエズリーを睨んだ。


「おっと、いえいえ何でもありません。まあなんて言うか、言い難いこともいろいろとあるんですよ。とりあえず注意して頂きたいことは全てお話しました。あとは一刻もはやくこの世界に慣れて下さい。慣れてもらわないと先に進めませんから」


 あけすけに取り繕う態度が少し気になったが、さっきウエズリーも同じようなことを言っていたのを思いだし、興味がそっちに流れた。


「慣れるっていうのは?」


「ちょっと向こうに行きましょう」


 ジョー、ミエズリー、そしてウエズリーの三人は、駅前の広場から、メインストリート沿いの歩道に出た。そこは人通りも多く、様々なお店が立ち並んでいた。


「そうですね。例えばあそこの洋服店の前にいる女性、白いワンピースの女性です。あの人をじっと見ていて下さい」


 ジョーは言われままに女性に目をやった。


「あれっ?」


 さっきまで確かにショーウインドウの前にいたその女性が突然姿を消した。


「おかしいな」


 ジョーは、となりのカフェのテラス席で談笑しているカップルをみた。


「うわっ、まただ」


 今度はカップルの男性の方が姿を消して、女性一人になり、その女性もしばらくすると消えて、かわりにでっぷりとした中年女性がその席に座っていた。


「何なんだ?」


 ジョーはたまらず、兄弟の方に向き直った。


「驚きましたか? まあ普通は驚きますよね」

 ミエズリーは、さらに説明を加えた。


「人が次々と消えてまた別の人と入れ替わる。一カ所だけを見るとそう見えます。でも消えていった人たちは、ちゃんと別の場所に存在します」


「……瞬間移動って奴?」


「いいえ、ちょっと違いますね。たとえていうのなら、映画ですかね」


「映画?」


「映画というものは、たくさんのシーンで構成されていて、話の筋に沿ってどんどん場面が変わっていきますよね」


 ジョーにはミエズリーの言っていることが理解できずにいた。どう質問したらいいのかも分からず、沈黙を強いる重い空気がのどに詰まっていた。


「試しに、あそこのベンチに座っている女性に意識を集中させて下さい。さあ、早くしないと消えてしまいますよ」


 ジョーはスエズリーに言われたとおり、ベンチに座っている女性に素早く視線を向けてじっと眼をこらした。


 (うわっ、うわわ)


 周りの景色が突然変わった。そこはもはや広場ではなく、なぜかジョーは出窓のあるちいさな部屋の中にいた。その部屋に先ほどの女性の姿があり、背もたれのある椅子に座って数枚の便せんを手にしていた。口のあいた封筒とペーパーナイフが、つい今しがた放り投げられたようにベッドの上に置かれていた。女性は手紙を読んでいた。


「こ、これは?」


「今見えているのはこの女性の生活風景。我々は彼女の時間軸に従う進行映像に潜入したのです。これから彼女の生活が映画のように映し出されていきます。ちなみに彼女には、私たちの姿は見えません。彼女が我々の時間軸に入らない限り、彼女の人生に我々が関わることはできません」


 スエズリーがそう言うや否や、またもや場面が切り替わり、こんどはその女性の読んでいる手紙が大きく映し出され、どこからともなく、その手紙を読む声が聞こえてきた。


「拝啓、ミリア様、初めてお手紙します……」


 勿論、今のジョーにはその手紙の内容など全く頭に入ってこなかった。しかしミエズリーの方は、なにか物憂げな感じで、手紙を読む声に聞き入っているようだった。


「なるほど、そうきましたか」


「えっ?」


「この女性は今、ある男性に恋をしているのです。この手紙はその男性からのものです」


「はあ?」


「あっ、すみません。なんでもないです。そろそろ戻りましょう。リラックスして、もとの場所をイメージして下さい」


 ジョーは目をとじ、駅前の広場を思い浮かべながら深呼吸を一つした。目を開けると、女性の姿はもうなく、思い描いたとおりの駅前の広場にいた。


「ジョーさん、初めてにしてはなかなか上手です。ちゃんと戻ってこれましたね。意識を集中させ過ぎないようにするのがコツです。あまりのめり込むと、たまに戻れなくなことがありますから」


「そう、誰かさんのようにな!」

 すかさず合いの手をいれてきたウエズリーに対して、ミエズリーは何かを言いかけようとしたが、急に思い直したように顔を横に向けて、ほうっておいてくれとでも言いたげに、両手を前の方に同時に投げ出すような仕草をした。


「この世界はいわば、映画の束、そう解釈してもらってかまいません。この世界にいるALの数だけストーリーがあって、私たちはそれらALの生活をこうして自由に見れるわけです。ちなみにそのストーリーはすべてHAISが作っています」


「HAISがストーリーをつくる?」


「そうです。どうやらHAISは、個々のゲノムポッドの挙動をそうやって分析・解釈しているようなのです。つまり、ゲノムポッドの挙動を説明するのにおよそ適合するストーリーをいくつも作ってシミュレートしているのです。その結果として、こうした世界が幾重にも重なり合う現在のTWが形成されたと考えられます」


 ミエズリーは、さらに説明を続けた。


「ただ、世界の数は絶えず変化していて、急増することもあれば、急減することもあります。おそらく、他の世界との関係で最もつじつまの合う世界だけが最終的には残って、つじつまの合わない世界は消滅していく。そういうことが繰り返されているようなのです」


 このとき、ウエズリーが大きなため息を一つついた。頭の鈍い隣人をみるような目つきが、その瞳をよりいっそう鋭くした。


「ミエズリー、説明はそれぐらいにして、早くレベル3に会いにいかなければ」


「分かってますよ、兄さん。ジョーさん、もう行けますか?」


「ああ、いいよ」


「よし、それじゃあそこでバスに乗りましょう」


 ウエズリーはミエズリーが言い終わるまえにすでにバス停の方に向かっていた。

その後にミエズリーとジョーが並んで続いた。


「あのさ、一つ質問があるんだけど」


「なんですか?」


「映画の登場人物、つまりこの世界のALたちと会話なんてできるのか?」


「ええもちろんできますよ。そこが通常の映画とは違う点です。彼らと話をするには、彼らを我々の時間軸の支配下におけばいいのです。そうすれば、彼らにも我々の姿が見えるちょうになって、たとえば先ほどの女性とも話ができるようになります」


「ふーん」


「ただしその場合は注意が必要です」


「どんな?」


「ALの生活に大きな影響を与えそうな込み入った話をするのは絶対に止めて下さい」


「なぜだい?」


「もし、その後のALの生活ががらりと変わることになれば、HAISによるストーリーの大幅な変更を余儀なくされ、TWがさらに膨張してしまい、今のサーバの状況では、その膨大な量のデータ負荷のせいでシステムダウンしてしまうおそれがあるのです」


「システムダウン?」


「この世界が一瞬で全てなくなります。もう二度と元にもどすことはできません。また初めからやり直しです」


「全てやりなおしって、今そんなことになったら……」


「オー・プロジェクトは完全に失敗ですね」


 失敗というその言葉を、ジョーは久しぶりに聴いたような気がした。決して忘れていたわけではない。しかし、変な話だが、その言葉はジョーにとって何か新鮮な響きをもたらした。


「我々から発せられる情報が、この世界に飲み込まれてそのままなにも生じさせることなく消失してしまうことが一番いいのですが、なかなかそううまくははいきません。ただ今回は、私が事前にレベル3と話をつけているので、少なくともオー・プロジェクトに関することについては、それほど大きな影響は与えないと思います」


「それなら、問題はないね」


「いいえ、ALのターニングポイントとなりうるような場面に遭遇すると話は別です」


「ターニングポイント?」


「ALの人生を変えてしまうような出来事が起きてしまうということです。たとえば〈出会い〉とか」


「出会い? それってもしかして俺とのってことか?」


「そうです。私たちがもっとも危惧していることが実はそこなんです。あなたとレベル3のと出会いが、果たしてどういう結果をもたらすのか、全く予想がつきません」


 ジョーはミエズリーの話に聞き入っていた。一方のミエズリーも、ジョーの聴き方があまりに素直なものだから、つられて様々なことを口にした。


「おい、ミエズリー、いい加減にしろ! 早くしないとバスが出てしまうぞ」


 ジョーとミエズリーがときどき立ち止まって話をつづけるものだから、バス停で待つウエズリーがしびれをきらして怒りを露わにした。ミエズリーはブレスレットをみた。


「しまった、もうこんな時間か」


 ミエズリーが走り出すと、ジョーもすぐにその後を追った。おそらく的中しそうな不安と、未知なるものに対する畏怖につきまとわれながらも、なぜかそれらに先行しようとする期待が、ジョーの足を速めた。

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