第18話 チューリングワールド(4)
バス停には、一台のマイクロバスが止まっていた。
二人が到着すると、まずウエズリーが乗り込み、次いでミエズリーが乗り込んだ。そして、最後にジョーが乗り込もうとしたとき、ジョーが二人に尋ねた。
「あれ? このバスよりも、向こう側のバスを使った方が早く着くんじゃないか?」
その通りの反対側にもバス停があった。
「何を言っている? いいから早く乗れよ」
「いや、でも……」
「ジョーさん、どうしてそう思うのですか?」
「だって、レベル3がいるのはこっちの方向じゃなくて、あっちだろ?」
「えっ?」
ウエズリーとミエズリーは互いに顔を見合わせた。
「ミエズリー、本当か?」
「いや、兄さん、私にも分かりません」
「お前さんたち、一体どこに行こうとしているんだね?」
バスの運転手が席から身を乗りだし、しゃがれた声で話かけてきた。その顔には、年齢というよりも、この仕事に何年もの間耐えてきたことを物語る年輪のようなしわが幾本も寄せられていた。
「あっ、スプリングシーファームですが」
ミエズリーが不意をつかれたように答えた。
「それなら、そのお兄さんの言う通りだ。向こうのバスに乗った方が早いよ。そこまでのバス停の数からすれば、こっちの方が近いように見えるが結局は遠回りだ。時間的には向こうのバスが早く到着するね」
「本当かよ」
ウエズリーとミエズリーは殊更に驚いた様子だった。二人はそのバスを降りて、ジョーと共に向こう側のバス乗り場に向かった。
「どうして分かった?」
ウエズリーがすかさずジョーに尋ねた。
「いや、ただなんとなくそう感じたんだ」
「なんとなく感じただと?」
ウエズリーが眉をひそめてジョーを見ていると、ミエズリーが再び説明を加えた。
「こういった公共の乗り物に乗ると、我々はその乗り物の時間軸に支配されることになります。つまり、さっきの女性のときと同じように場面がどんどん切り替わっていくわけですが、向こうのバスに乗れば、より少ない場面の切り替えで目的地に到着することができます。まあ普段は、どっちのバスに乗ったとしても、われわれにとっては大した差を感じないので、そういうことはほとんど気にならないのです」
ウエズリーは、ミエズリーの説明が言い終わらないうちに話を切り出した。
「それにしても変だな。そもそもレベル3の居場所なんて、外の世界にいるスエズリーにしか分からないはずだ」
レベル3の存在を感じる。ジョー本人にもよく分からなかったが、その感じはなぜか確信に近いものだった。
「あんたたちは、そのレベル3と会ったことはあるのかい?」
ジョーの質問にウエズリーが答えた。
「いいや。会いに行くのは今回が初めてだ。今までは、主にミエズリーがメールを介してやり取りをしているにすぎない」
「ふーん、どんな奴なんだ?」
「彼は これから行く農場のオーナーをしているそうだ。それ以外のことはよく分かっていない」
「へえー、農場経営者か」
ジョーは、自分のALが今の自分とは全く異なる人生を歩んでいることに、良い意味での驚きとわずかな安堵感を覚えた。
ちょうどそのとき、一台のマイクロバスがジョーたちのいる停留所に入ってきた。バスが所定の位置に停まり、後ろの扉が開くと、ウエズリー、ミエズリー、そしてジョーの順に乗り込んだ。
バスに乗り込んだ三人のうちジョーとミエズリーは、バスの進行方向に向かって右端にある長シートに並んで座った。ウエズリーは吊革をもって二人の前に立った。
その後、数人の乗客が乗ってきただけで、バスの中はすいていた。
「発車致します」
車内アナウンスが流れると、バスがゆっくり動き出した。
三人は特に会話をするでもなく、ただなんとなく黙っていた。ジョーは少しだけ上体をひねるようにして窓側に向いた。
車窓から見るその町の風景は、ジョーたちの世界でのそれとは明らかに異なるものであった。目にするALだけでなく、車道を走る車もが、突然消えたり入れ替わったりする。しかしながらその世界には、ALという何かが確実に存在しており、しかも自分たちと同じように暮らしている。その事実が、ジョーの中に少しずつ染み込み、なにかを変えていくようであった。
「どうかしましたか?」
「いや、ミエズリー、何でもないよ」
ジョーは、静かに染み積もるような感覚に他人の恣意を混入させたくなかった。兄弟の注意を自分からそらすために、あえて兄弟の方に向き直ると、半ば当てずっぽうな質問を言った。
「なあ、あんたたち自身は、この世界のことをどう思っているんだ? やっぱり謎解き以外は興味無しなのか?」
これを聞いた二人は、どこか不意をつかれたような怪訝な顔つきをして、お互いを見合った。
「どう思うって、改めてそう言われると困りますね」
ミエズリーは不敵な笑みをみせながら答えた。
しかし、ウエズリーはこれを受け流そうとはせず、少しうつむきかげんに低い声で言った。
「脅威、だな」
「キョウイ?」
「畏れ、そして慄くものだ」
ウエズリーのこの言葉には、どこか敬虔な含みがあった。
「大自然とか神様に対する畏敬の念って奴かい?」
ジョーがそう呟いたとたん、ウエズリーの眼光が鋭さを増した。
「断っておくが、私は無神論者だ。神の存在を信じてはいないし、恐れを抱いたこともない。つまり、私と神は互いに無関係の存在であって、私にとって神は有益でも無益でもなく、逆に、神にとっての私もまた有益でも無益でもない」
ウエズリーの思いも寄らない言葉に、ジョーとスエズリーは慎と聞き入った。
「だが、そんな私でも、もし神がいるならばと、あるいは少なくとも過去には存在していたかもしれないと、仮定することはできる。それなら、神が現在も何かを創造している、あるいは少なくとも過去に何か創造したことがあると仮定することもまた可能だ」
ウエズリーの口調は、長年にわたって自らの思想を溶かし込んだ樹脂の液体が、小孔から流れ出て固まっていくように、繊細だが決してとぎれることのない一本の糸のようなイメージをジョーに抱かせた。
「私はときどきこんな風に思うことがある。仮に、神が我々の住む世界を創造したとすれば、神が創ったものは本当に我々の世界だけなのだろうかと。人類がこれまでに知り得ているものは、神が創造したもののほんの一部にすぎないのではないだろうか? ならば、神が創ったもののなかで、我々の住む世界が最高のものだなどと、どうして言い切れるだろう?」
「我々の住む世界が、なにかの副産物にすぎないというのか?」
ジョーが思わず口をはさんだ。それを聞いたウエズリーは突然我に返ったようにジョーの方に向いた。
「あくまでも仮定だ。すまない。途中だがこの話はもう止めた方がいいな」
「いいや、聞かせて欲しい。是非とも」
このときジョーは、このウエズリーもまた自分と同じように、いやおそらくは自分以上にカナの影響を芯に受けていると感じた。
「こんなことをお前たちの前で言うつもりはなかった。私はただ……」
ウエズリーは、少し沈黙した後、突然何かを決したように言葉を紡いだ。
「もし我々人類が、神の手がけた至高のもの、その高みにたどり着くことができたなら、それは、今の我々の世界とは全くちがう、そう、我々の想像をはるかに超えた新しい世界への扉が開くことを意味するのかもしれない」
ウエズリーの話が終わると、スエズリーが立ち上がってウエズリーの横に並んで立った。
「人類が進むべき新しい世界への扉ですか。実際、今の我々はその方向に向かっているのかもしれませんよ。ねえ、ジョーさん?」
ジョーはミエズリーに顔を向けるだけで返事をしなかった。だが、ウエズリーの話とスエズリーの言葉が、自分のなかのどこか遠くの方まで響いているように思えた。そしてふと我に返ると、いつの間にか自分がとてつもなく大きな流れの中にいるような気がした。もがきあがく度にその深さに気づかされ、どうしようもなく圧倒され、脱力を余儀なくされるような流れの中に。
バスの中では、初めに乗ってきた二人のALはもう他の誰かと置き換わっていて、さらにその数もいろいろと変わっていた。多いときはALが六、七人になる時もあった。しかし、市街地から離れていっているせいか、いくつか停留所に止まるたびにその数が減っていき、いつの間にかジョーたち三人だけになっていた。
「次は、スプリングシーファーム前」
その停留所の名前が呼ばれると、ミエズリーがその表情を一瞬強張らせながら、ウエズリーの方に視線を移した。ウエズリーは軽くうなずくようなそぶりをみせた。
「さあ、いよいよだ。こんどは一体どんな爺さんかな?」
ウエズリーは、二つの吊革のそれぞれにだらしなく通した両腕を上の方に伸ばしながら、今思いついたような大きなあくびをした。
「兄さん、彼がお年寄りとは限りませんよ」
「ふん、どうせよぼよぼの爺さんに決まっているさ。なあ、ジョー、お前もそう思うだろ?」
ウエズリーとミエズリーが、亡くなったイワンのことをなぞらえて言っていることは分かっていたが、ジョーは黙ったまま返事をしなかった。
実はこのときジョーは、気分がなぜか落ち着かず、恐怖とまではいかないものの、心の軸がゆさぶられるような感覚が次第に強くなっていた。
(感じる。なんだろう? 他のALたちはとは明らかに違う、単なる違和感? いや、これはそんな大人しいものじゃない。これは……威圧感か? 敢えて鼓舞して攻め立ててくるような)
バスは減速して、交差点らしきところを大きく左に曲がり、少ししたこところで静かに停まった。
バスが停車したとたん、ウエズリーは、おもしろ半分にジョーを追い立てるような真似をして強引に出口の方に向かわせた。
ウエズリーに小突かれながらジョーがバスを最初に降りた。
降りるとすぐに「スプリングシーファーム」と書かれたアーチ状の看板が目に入った。
(どうやらこの辺には、この農場しかないみたいだな)
ジョーの後にウエズリー、そしてミエズリーがつづいて降りた。そこが農場の入り口だった。
青々とした草が地面を広く覆っていた。ときおり吹いてくる風が、青草を撫でるように流れ、しんなりとした香りがジョーの鼻をかすめた。
見渡すかぎり際限のない草原と青空の広がりは、ジョーの気分を不意に高揚させた。このときのジョーはそれまでと打って変わって落ちついていた。ジョーの住む世界でも滅多に身を置くことのできないこうした風景を共に興じたい。そう思ったジョーは、二人に微笑みかけたが、二人は怪訝そうな表情を見せるだけであった。
「さあ、行くぞ!」
ウエズリーを先頭にした三人は、看板の下をくぐって農場の中に入っていった。
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