第7話 マキシマ島
セスナから見えたマキシマ島は、まさに絶海の孤島だった。
島には小規模な飛行場と港があった。しかし、港はほとんど使用されていなかった。いくつもの巨大な渦潮が島の周りに不規則に出現するため、タンカーなどの大型船は別として、小型または中型に分類される一般的な船で渡航することは難しかった。
飛行場の近くには、居住区が設けられていて、そこには普通の民家をはじめとして、スーパー、百貨店、ホテル、学校、病院、公共施設などがあった。
ただ、そうした居住区はこの島の面積の一割ほどにすぎず、残りは、鉄筋コンクリートでできた巨大な施設でほぼ埋め尽くされていた。その巨大な施設とは、いわゆるサーバー保管庫であり、そこには膨大な数のサーバーが納められていた。
マキシマ島は、大陸プレートの略中心に位置しているため、地震の発生頻度が極端に低く、台風やハリケーンの進路からも外れていた。そのため、万一の自然災害や動乱などに備えて重要なデータを保存すべく、民間のIT関連企業だけでなく、大学、病院、研究機関など、全国各地におよぶ様々な法人が、その施設にサーバーを設置していた。
ミカがめざすAIT研究所は、その巨大施設の一角にあった。
「管制塔、管制塔、こちら機体No.008のミカ・ウラカンです。着陸許可をお願いします」
「こちら管制塔、貴機のIDコードを確認した。ライン3に向かってください」
「ライン3ですね。了解」
ミカは、機体を旋回させると、手馴れた操作で着陸姿勢にもっていった。そして指定された着陸用ラインに進入し、高度を除々に下げていった。
ウィィィィィィー、ドンッ!
機体の車輪が地面に接触し、そのまま滑走路を滑った。その衝撃でミカとジョーは一瞬前のめりになった。機体は少しずつ減速しながら百メートルほど地面を走り、格納庫の手前で静かに止まった。
セスナが無事着陸すると、ミカはすぐさま操縦席を立ち、後部席の後ろの格納用ハッチをジョーに開けさせ、その格納スペースに入れられていた荷物、といってもその全てがミカのものだが、を持つようにジョーに指示した。
ジョーは何が何やらさっぱり分からないまま、ミカの言うとおりに格納スペースから大きな五つのボストンバックを取り出すと、それらを自分の両肩、首、両腕にぶら下げた。
ミカがコクピットの扉をあけると、朝の光がミカの顔を容赦なく照らした。右手で光を遮りながら、うつむき加減に目をほそめたミカの顔には、それまで見たことのない笑みが含まれていた。
「ママー!!」
開いた扉からミカが大声でそう叫ぶと、もう待ちきれないといった感じで、子供じみたような動きで急いでコクピットを出ようとした。
しかしそのとき、ミカのハイヒールのかかとが出口の段差に引っかかり、その拍子でミカは大きく体勢を崩し、「きゃあああ」という叫び声と共にハッチから突然姿を消した。
その光景がジョーの横隔膜を強く刺激した。
「ぶわっははは! おい大丈夫かミカ!」
ハッチから顔を出して下の方をみると、倒れているミカの周りに四、五人の人が集まっているのが見えた。彼らは一斉にジョーを見上げると、冷ややかで厳しい視線を放った。
「外傷はなさそうだが、どこか骨でも折れているかもしれない。とにかく早く医務室に運ぼう」
彼らの中の一人がそう言うと、ミカの方に背中を見せてしゃがんだ。ミカの両脇にいる二人がそれぞれミカの肩を支えるようにしてミカをゆっくりと起こし、しゃがんだ男の背中におんぶさせた。
ミカは、男の両肩からだらりと両腕を伸ばし、気を失ってはいないが、髪の毛を乱し、何かぐったりした様子だった。
比較的がっしりとした体格の中年男性におんぶされ、さらに二人の若い男性をその両脇に従え、残りの二人に見守られながら運ばれているミカのその姿は、ジョーにはとても奇妙なものに思えた。
運動神経の優れたミカのことだから、アクシデントとはいえ、あの程度のことなら間違いなくちゃんと受け身を取っていたはずで、少なくとも、自分で立てなくなるほどの怪我などしていないことをジョーは感覚的に分かっていた。
だがミカは、ぐったりとした姿勢を崩さなかった。彼女がタラップを去ったあと、その場にいた人々の彼女を心配する空気は、そのままジョーに対する敵意に近い痛烈な空気へと変わった。
(なるほど、そういうことか)
ジョーは、ミカの狡猾な思惑に触れたような気がした。ミカはジョーに知らしめていたのである。ここにはジョーの味方など一人もいないことを。
ミカが居なくなって気まずい雰囲気が漂う中、ジョーはミカの荷物を幾つもぶらさげながらタラップをゆっくり降りた。
タラップの下には、ボタンを止めずに白衣を羽織った見た目が五十代の初老の女性と、二十代と思われる若い女がいた。初老の女性は、リサ・カナエ博士だった。
ジョーがタラップを降り終えると、リサ博士がジョーに近づいてきた。
「よく来てくれたわね、ジョー・キリイさん、このAITで研究主任をしているリサ・カナエです」
「あっ、母……いや、初めまして、ジョーです」
ジョーは、「母さん」と言おうとして止めた。リサ博士にフルネームで言われたことに、一瞬の躊躇いを覚えたのである。
実は、リサ・カナエ博士は、ジョーの実の母親であった。この事実は、ジョーとリサ博士の当人以外にはほとんど知られていない。
ジョーは、幼少の頃に訳あって別の家庭に引き取られ、そこで育てられたのである。引き取られて以来、ジョーは、リサ博士とは全く会っておらず、このとき実に二十年ぶりの再会となった。
ジョーはリサ博士に握手を求めたが、彼女はくるりと向きをかえて他のスタッフとAITの方に歩き始めた。
リサ博士のあまりにそっけない態度に、ジョーは少し驚いたが、黙って彼女たちの後について行くことにした。
三人ともなぜか早歩きで、大量の荷物を抱えたジョーは、彼らからどんどん離されていった。ジョーの荷物を持とうとする者は誰もいなかった。
(ちょっと待ってくれよ、荷物が重くて思うように歩けないのに)
だんだん腹が立ってきたジョーは、少し無責任だと思ったが、荷物を置いていくことにした。また後で誰かを取りにやらせるか、あるいは自分で取りに戻ればいいと思ったのである。ジョーは荷物を近くの外灯の下に置いて、リサ博士たちの後を全速力で追いかけた。
グジャッ、ガガガガ、グシャ、グシャシャ!!
ジョーが振り向くと、どこから現れ出て来たのか、巨大なローラー車が外灯の近くに停まっていた。ローラー車は、そのままジョーの方までゆっくりとやって来た。置いてきた荷物はぐちゃぐちゃに潰されていた。
「ひでえ……」
ジョーは近づいてきたローラー車の前に出て制止させると、その運転手に文句を言った。
「ちょっとあんた、後ろを見てみなよ、荷物が全部ぺちゃんこになってしまったじゃないか、一体どうしてくれるんだ?」
「はあ? お前さんは、どこの誰だい?」
運転手は若い色黒ーの男で、唇にピアスをしていた。
「私はDDUに所属するジョー・キリイだ。ついさっきここに着いたばかりなんだ」
「へえー、DDUの人か。危ないから、そこをどきなよ」
男はジョーを見下すような言い方をした。
「そうじゃない、後ろの荷物をどうしてくれるって言ってるんだ!」
「後ろの荷物?」
男はいかにもだるそうに後ろに振り向いた。
「あーらら、どっかのバカがあんたところに置くからだ。まったく、あとで清掃車にきてもらわねえとな」
「あれは私の荷物だ! いったいどうしてくれる?」
「はあ? 何を言っているのか全然分からねえな。俺は自分の仕事をしていただけだ」
やたらとニヤついた笑みをその男は浮かべていた。それは、明らかな嫌がらせだった。
ジョーは、男の左胸のプレートを見た。そこには、「AIT用務員:シン・ニッスイ」と記されていた。
ジョーは、ポケットから携帯をとりだし、男の顔とローラー車、そして押しつぶされた荷物の写真を撮ると、それらをミカの携帯に送った。
「おい、あんたさっきから何をしているんだ?」
「あの荷物の持ち主に証拠写真を送っているところだ。あの荷物は俺のじゃなくて、ミカ・ウラカンという女性のものなんだ」
「なに!? ミカさんのだと!?」
その男は、ものすごい勢いでローラー車を飛び出し、つぶれた荷物のところに走っていった。その男は、潰れたバックからはみ出したもの(たぶんミカの下着か何かだろう)を手に取ると、その場にへたり込んでしまった。
(ははーん、どうやらあいつはミカ・リスト〈ミカに思いを寄せている野郎ども〉の一人だな)
ジョーはローラー車の運転席に乗り込むと、そのままエンジンをスタートしてAITの方に向かった。
これに気付いた男が、慌てて走って戻ってきた。
「おい! こら、何してる、降りろ!」
「おっ、戻ってきたな。どうだった? やっぱり彼女のものだっただろう? それをあんなぺちゃんこにしちゃって。今の気分はどうだい? 最悪か?」
「くっ、う、うるさい、だまれ!」
男はなぜか半泣き状態で、さっきの鼻につくような余裕のある表情から、こんどは妙に弱々しくて餓鬼臭く、むしろ怒りさえ覚える顔で答えた。
「だが安心したまえ、君に責任はない。だって君は言っていただろう? 自分の仕事をしていただけだって。そう、これは事故だよ、事故。怒られるのは僕の方さ」
追いついてきた男はなんとかドアピラーに手をかけた。
「止まれ! 止まるんだ! この野郎!」
「やだね! 俺は止まらない、誰も俺を止めることはできない、わっははは!」
ジョーはそう言って急ブレーキをかけた。
キキッー!
「うわっ」
横を走る男は前に大きく振られると、ローラ車の側面に叩きつけられ、その拍子でかけていた手を離した。
そしてジョーは再び走りだした。
「俺ってほら、気まぐれなところあるから」
しかし、停止した分、速度が遅くなった。すぐさま立ち上がった男が追いついてきて、ドアの足かけに飛び乗ってきた。
「この野郎、ふざけやがって、だが捕まえたぞ、さっさと降りやがれ」
ドアにおもいきり顔をぶつけたせいか、その男は鼻血を垂らしていた。鼻血男はドアを開けるとジョーにいきなり殴りかかってきた。ジョーはこれに応戦し、コクピット内で取っ組み合いが始まった。
事実上運転手不在のローラー車はその速度をぐんぐん増していき、目の前に大きな柱が迫っていた。
「ん? おっと、それじゃあとは頼む」
そう言ってジョーは、反対側の扉を開けてそこから思い切りジャンプした。そして着ている服をムササビのように広げてひらりと飛んだ。
「なっ!?」
器用に滑空するジョーの姿に気を取られた男は、ハンドルを切るのが一瞬遅れた。
ドドドドーン!
ローラー車はそのまま柱に激突して止まった。その様子を目撃した職員が緊急警報を鳴らし、現場は騒然となった。騒ぎを聞きつけて集まってきた人々の中にはリサ博士もいた。ローラー男はドアを蹴り破って自力で這い出てきた。どうやら無事だったようだ。
そこから少し離れたところに無事に着地したジョーは、衣服を軽く叩いて元通りにした。
「ふう、たまたま着ていた伸縮自在の高性能ラバースーツのおかげで助かった」
ジョーは、とぼけた顔で口笛を吹きながら、リサ博士の元に歩いていった。
「よかった。あんたらが俺を置いてどんどん先にいっちゃうんで、どうしようか思っていたところですよ」
「それよりこれは一体なんの騒ぎ?」
「さあ? どこかのクレイジーなローラー野郎が柱にぶつかったんですよ」
リサ博士は目の前の事故とジョーとを見ながら怪訝そうな表情をした。
「全く、初日からやってくれるわね」
ジョーは、顔をちょこっと横に傾げた。
「まあいいわ、こっちよ、着いて来なさい」
リサ博士とジョーは、二人でAITの中に入っていった。
二人はエントランスから吹き抜けのフロアに出て長い廊下に入った。
長廊下の両側はガラスの壁で仕切られていた。壁ガラスの向こう側を見ると、大型のサーバーがズラリと並んでいて、大勢の白衣姿の人たちが、サーバーの間を忙しそうに行き来していた。
(ふーん、ここがオクテットシステムの心臓部ってわけか)
ジョーは歩きながら中の様子を見ていた。
「ジョー、今のうちにあなたに教えておくことがあるの」
ジョーはリサ博士から突然話しかけられたため、彼女の横に並ぼうと、歩調を少しだけ早めた。
「それはおそらくあなたがこれまでずっと知りたかったこと。そう、父親のことよ。あなたの父親はアラン。オー・プロジェクトのリーダーであるアラン・オザットよ。話はそれだけ」
「……え?」
何を言われたのか、ジョーには全く理解できなかった。
「あのリサ博士、今なんと?」
「だから、あなたの実の父親はアラン・オザットだって言ったの。ほら、ドラマなんかでよくあるじゃない、ストーリーが進行していくうちに何かの拍子で偶然に分かるみたいな。あーいう面倒臭くて時間のかかるシーンを省きたいのよ」
「ちょっと待ってください。そんなこと急にいわれても信じられるわけないでしょ。ちゃんと順序よく説明して下さい」
「だから、それは面倒臭いって言っているでしょ。今は一刻を争うの。とにかく急がなければならないわ」
リサ博士は腕時計をちらりと見て歩くスピードをいっそう速めた。
一方、ジョーはその場に立ちすくみ、しばらくリサ博士の後ろ姿を眺めていた。
(そんな、嘘だろ、俺の実の父親があのアランだなんて。待てよ、じゃあマイクは俺の弟ってことになるのか?)
廊下の角を曲がるとき、リサ博士はジョーがそばにいないことに気がついた。
「何をしているの? 早くいらっしゃい! 先に行くわよ!」
リサ博士はそう言って角を右に曲がって姿が見えなくなった。
(しまった! また見失ってしまう)
慌てたジョーは全速力でリサ博士を追った。角を曲がると、リサ博士は長い廊下で髪を振り乱しながら走っていた。
(走ってる? ちょっと待ってくれ、一体どういうつもりだ? それにしても速い! 五十を過ぎてるとはとても思えない)
それでもジョーはとにかくその白衣を追った。リサ博士はコーナーを曲がるのが苦手らしく、三つめの角を曲がったときにやっとジョーが追いついた。
「先生、待ってください、なぜでそんなに急ぐのですか?」
息を切らせながらジョーがそう話かけると、リサ博士はスピードを落として振り向いた。
「わしに何か用か?」
それはリサ博士ではなかった。リサ博士と同じ白衣をきた背格好のにているどこかのおっさんだった。
おっさんはにやりと含み笑いを浮かべ、着ていた白衣を脱ぎ捨ててどこかに行ってしまった。
(空蝉の術だと? リサ博士とどこかのおっさんの連携に見事に引っかかってしまった。くそっ、俺を置いていってどうするんだよ? 一刻を争うんじゃなかったのか? 一体何なんだよここは?)
ジョーは息を弾ませながらも、冷静になろうと考えた。
(落ち着け、そもそも俺はミカに無理矢理連れてこられたんだ。ミカは言っていた、俺には使命があると。えーっと、なんだっけ確かなんとかっていう世界を救うとかなんとか言っていたな。あれはどういう意味だ? 何かやるべきことが俺にあるってことじゃないのか?)
ジョーは廊下の突き当たりに張ってある建物の案内図をみた。
(とりあえず医務室に行ってみよう。たぶんそこにミカがいるはずだ。どうすればいいか彼女に聞けばいい)
ジョーはその建物の最上階である六十階にある医務室に行ってみることにした。
ジョーは一階のエレベータホールに向かった。そこにはすでに三人の若い男たちが同じくエレベータを待っていた。その若者たちの頭の髪は、三人とも同じマッシュルームカットで、楽し気に笑って話をしていた。エレベータは全部で三機あった。
ポポポーン
三機のエレベータが略同時に到着した。
(へえー、珍しいこともあるんだな)
ジョーはとりあえず自分から一番近い右端のエレベータに乗るつもりでいた。三機のエレベータの扉が同時に開いた。そのとき、それまで互いに話していた三人の男が突然、それぞれ別のエレベータに乗り込んだ。
(うわっ、なんだ?)
ジョーは急いで右端のエレベータに走り込んだ。先に乗った男は、行き先階を示すパネルの前に立って、なぜか身構えていた。
「おわちゃあ! あたたたたた、おわちゃああ!」
その男は突然、行き先階を示す五十九個のボタンのすべてを両手の人差し指で高速連打した。
(あっ! こいつ!)
ジョーがそう思ったとたん、ドアが閉まりエレベータが動き出した。そして次の二階でとまった。
ドアが開くと、男はすかさず外に飛び出し、そして別の男が入ってきた。男はイヤホンをしており、縦ノリのリズムをきざみながらパネルの前に立ち、「閉める」のボタンを押した。
エレベータが再び動き出し、次の三階に着くと、そのイヤホン男は外に飛び出し、そしてまた別の男が入ってきた。
三人目の男は、かつて一世を風靡したことのあるお笑い芸人たちの一発芸を連発していた。
(なんなんだ!? こいつら一体何をしている?)
エレベータが4階に止まり、一発芸男は外に飛び出し、ケンシロウ男がまた戻ってきて、パネルの前で身構えた。
(そうか、分かったぞ。前の二人の男たちは、さっき一階でこの男と一緒にたむろしていた奴らだな。そんでもってこいつらは、エレベータが一階上がる毎に互いに違うエレベータに乗り換えているんだ)
彼らがなぜそんなことをしているのか、ジョーには全く分からなかったが、迷惑極まりない行為をしていることは確かだった。
(こいつら……まともに話の通じる相手じゃなさそうだ。くそっ、それなら)
ジョーは、エレベータが到着してから男たちが入れ替わるまでの時間をカウントしてみた。約十秒あった。おそらく次に乗ってくる男は左端のエレベータから乗って来るのだろう、移動に少しだけ時間がかかるようだった。
ジョーはたまたまポケットに入っていた黄色の蛍光マジックペンを取り出した。
エレベータが六階に着いて、男がエレベータから出て行った瞬間、
「今だ!」
ジョーは素早く七階のボタンをそのマジックペンで塗りつぶし、一回だけその七階ボタンを押すと、また元の位置に戻った。入ってきた男は再びパネルの前で身構えたが、ボタンの異変には気付かなかった。
そしてエレベータのドアが開き、男が外に出て行った瞬間、すかさず「閉める」のボタンを押してドアを閉じ、六十階以外のボタンを押しまくってキャンセルした。
「ふう、これでよしっと」
ジョーは、エレベータ内の壁に寄りかかりながら息を整えた。
実は、ジョーの乗っていたエレベータは七階を通り越して八階で止まったのだ。七階をキャンセルしたことを男に悟られないように、蛍光マジックペンで七階のボタンをすばやく塗ったのである。
ジョーと男が八階に着いたとき、八階で降りた男は一人でうろたえるしかなく、他の男二人は七階で右往左往していた。
(全く、なんなんだここにいる連中は? あいつらもミカ・リストか?)
ウイーン、ガタン。
エレベータが突然止まり、明かりが消えて赤いランプが点灯した。
「館内放送、館内放送、エレベータ制御システムに異常発生、全館のエレベータは直近の階に緊急一時停止します。お乗りの方は速やかにお降りください」
「なんだと?」
ジョーが乗るエレベータは十五階で止まった。
「なぜ急に?」
エレベータを降りたジョーは、ホールの壁に取り付けられていたモニターを見た。モニターにはさっきの三人の男たちが映っていた。一人は床にすわり頭を垂れてうな垂れていた。もう一人はうな垂れている男を慰めているかのようにその右肩に手を乗せて横に並んでしゃがんでいた。もう一人はエレベータの前で何かを叫んでいるようだった。そして三人の邪魔した者として、ジョーの映像が映しだされた。
「よく分からないけど、何かとんでもないことになっているな」
ジョーは別のエレベータを急いで探すことにした。こういう大きな建物には業者が大きな荷物を運搬するための専用エレベータがどこかにあるはずだと思ったからだ。
(この騒ぎでリサ博士が俺を迎えに来てくれればいいが、どうもそうもいかないようだ)
モニターをみる限り、下の階は大騒ぎで人々はみな冷静さを失っているように見えた。
(とにかくここにいるのはまずい)
ジョーの第六感がそう警告した。
ジョーは再びフロアの案内パネルで業者用エレベータを探した。
「テレビとかでよく見るヒーローなら、こういう場面では大抵、仲間が出てきて助けてくれるものなんだけどな。でも俺の場合、なぜかどんどん敵を増やしているようだ、それも指数関数的に」
「いたぞ! こっちだ!」
その声が聞こえたとき、ジョーは反射的に、声が聞こえた方向とは逆の方向に走り出した。業務用エレベータの確認はできなかったが、とにかく逃げるしかなかった。
しばらく走ってゆくと、廊下は二手に分かれていた。
(どっちだ?)
右手の廊下は窓から明かりが差し込んでいて比較的遠くまで見通すことができた。左手の廊下はなにか薄暗く陰湿な雰囲気が漂っていた。
(こういうときは見つかり難い薄暗い方に行くべきなんだろうけど……なんか気が進まないから明るい方へ行こう)
ジョーは明るい方の廊下に向かって走り出した。
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