第5話 三人の老博士
オー・プロジェクトのプロジェクトリーダーを勤めるアラン・オザットは、その日、ある人物たちに呼び出されていた。
その人物たちとは、プロジェクトの立案者である、コウタ・ハチガシラ医学博士(六十五歳)、シンスケ・ケイガシラ理学博士(六十四歳)、ヨシオ・ダイガシラ文学博士(六十五歳)の三人の博士であった。彼らはいずれもノーベル賞の受賞者で、世間からはなぜか「紛らわしい天才」などと呼ばれていた。
アランと三人の老博士たちは、コウタ博士の執務室にいた。
「アラン君、やはり、もうだめかね?」
「だめです。ヨシオ博士、もう続行は無理です」
「本当に、本当に駄目かね?」
「もう無理でしょう、これ以上は、さすがに」
「いいや、やってみないとわからんぞ。レッツ・トライ!」
「ですが、しかし……」
「JUST DO IT! アラン君!」
「分かりましたよ! やればいいんですね!」
アランは慎重に木片を引き抜いた。が、その瞬間、
ガラガラガラ……
ジェンガは崩れ落ちた。
「ぎゃははは、アラン君、また君の負けだよ」
「だから言ったじゃないですか、もう無理だと」
「無理と思う者にあの状況はクリアできんよ」
「またそれですか、勝者の条件はもう聞き飽きましたよ」
「ふふふ、ヨッちゃん、もうそれくらいで勘弁してあげなよ」
シンスケ博士が、にやにやしながらヨシオ博士の方を見て言った。
「すまん、すまん、アラン君をからかうのは面白くて。それにしてもアラン君の判断力には何か傑出したものがあるね。なあ、コウちゃん」
コウタ博士は、アランとヨシオ博士の二人が向き合って座るソファから少し離れた窓際で、肘掛け椅子に腰掛けて本を読んでいた。
三人の博士たちは、同じ漁村で生まれ育った幼馴染みであり、それぞれを互いに、コウちゃん、シンちゃん、ヨッちゃんと呼び合っていた。
コウタ博士が顔を上げて言った。
「ああ、アラン君の判断はいつも正しい」
「それは褒められているのですか? それとも」
「もちろん、褒めておるんじゃよ」
ヨシオ博士が、目に光を含ませながら言った。
「やはり君をプロジェクトの責任者にして正解だったよ」
「ですがヨシオ博士、今、オー・プロジェクトは中断しております」
「ふむ、確かに」
「このままではプロジェクトは頓挫してしまいます」
「頓挫ねえ。アラン君、君はどう思うのかね? もしもこのまま中止した方が良いと君が判断するなら、我々はその判断に従うつもりじゃが」
「私の判断に委ねるとおっしゃるのですか。それならはっきり言いましょう。現状は最悪です。いろいろと試してはいるものの、肝心のオクテットシステムが全く機能しないのですから。原因が全く分からないのです。これまでと一体何が違うのか、皆目見当もつきません」
「我々の知らない何かが起こっている?」
「そうかもしれません」
「ほう、君の口からそういう台詞が出るとは……では、プロジェクトはもう中止した方が良いのかな?」
アランは少しの間押し黙ると、声を低めにして言った。
「先ほど、博士たちは私の判断力を評価してくださいましたね。私としては当然のことをしているつもりですが。ただそれはおそらく私のもつある種の感覚というべきものが影響していると思われます。どうやら私は、それがたとえどんな些細なものであったとしても、警告や、それに関する兆候というものを見逃さない、そんな感覚を持っているようなのです」
「警告?」
三人の博士たちがきれいに声を揃えた。
「そうです。それは目に見えるものから、見えないものまで。見えないものとしては、たとえばその場の雰囲気とか。そして、これはあくまで結果論ですが、この感覚に従ってきたおかげで何度か命拾いをしたと思えることもあります」
アランは珍しく自分のことを話した。そんな話を始めた自分自身にわずかな驚きを覚えたが、目を見開いたまま身動き一つせず真剣に彼の話を聞いている三人の老人たちの顔が、アランの心を落ち着かせた。
ヨシオ博士が言った。
「アラン君のいうその感覚は、アラン君の考え方や普段の行動態様が大きく影響しているように私には思えるね。おそらくその感覚は生来のものではなく後天的なものだよ。日常のわずかな変化を見逃さない鋭い洞察力と、豊富な経験とが相まってその感覚が生まれたのだろう」
「いや、ヨシオ博士、実は私には子供の頃からこうした感覚を」
「そうなのじゃ、その感覚はあくまでも経験に裏打ちされたものなのじゃ!」
「ですから、違うと」
「経験によって研ぎ澄まされた感覚。すばらしい! そういうことならアラン君の判断に間違いはまずないじゃろう、なあ、コウちゃん!」
コウタ博士に同意を求めたヨシオ博士の声がわずかにうわずっていた。
アランは本題に切り替えて話を続けた。
「私の周りでは、このプロジェクトはもう中止すべきだという意見が大半を占めています。要するにこれは警告だと。もう深入りすべきではないと。ですがなぜか私には、この計画に関して警告ととらえるべきものを何一つ見い出すことができないのです」
「というと?」
三人の博士たちが再びきれいに声を揃えた。だがアランは真顔を崩さなかった。
「この行き詰まった状況は、一見そう見えるだけで、実は計画自体は順調に進んでいるということなのかしれないのです。つまりこの状況は、さらに前に進むためのステップ、そう、例えば階段の踊り場にいるようなものにすぎなくて、次の階段がどこかに用意されているのかもしれません」
それを聞いたシンスケ博士が言った。
「なるほど、時期的にみてこれは我々に課された最後の試練というわけじゃな? 面白い! それならアラン君、次の階段を見つけるための宛が何かあるのかね?」
「……今のところありません」
「無しか。それは困ったの。予定軌道に彗星が到達するまであと一月ちょっとだ。それまでに間に合わなければすべては水の泡じゃ」
そのとき、アランの携帯電話が、けたたましい着信音を響かせた。マリアからだった。アランは、三人の博士たちに軽く会釈をしつつ背を向けて電話に出た。
「マリアか、どうした? うん、何!? ジョーがいなくなった? どういうことだそれは!? あっ……いや、ちょっと待て、そうだ思い出した。ジョーは今いない。彼は今朝早く、ミカとどこかに行ってしまったよ。オクテットシステムを回復させるためとか言っていたようだが……・・確か二週間ぐらいかかるそうだ。なぜそんな許可を出しただって? それはその……そう、ミカだ、この状況を打破できる人間は彼女しかいないと判断したからだ! それより今、博士たちと大事なミーティングをしている最中だ。その話はまた後にしてくれたまえ!」
アランは、マリアとの通話をなかば強引に終わらせると、両手で顔を覆った。なぜかアランは、マリアから電話をもらうまで、昨夜のことを全く忘れていたのだった。ジョーとミカ、この二人の名前がアランの記憶をまざまざと呼び覚ました。
昨晩、アランは遅くまで自分の部屋で仕事をしていた。システムの不具合の原因を自分なりに探っていたのだ。しかし、これまでに蓄積されたデータ量は膨大で、到底アラン一人で解析できるものではなかった。それでもアランは、システムダウンが発生してから毎晩のように、PCのモニターと夜遅くまで顔をつき合わせていた。
「ああ、くそだめだ! これも違う。一体全体何がどうなっているんだ?」
もう何十回この言葉を繰り返しただろう。アランによる解析は全く上手くいかなかった。解析すればするほど頭の思考回路が混乱した。
「くそっ! そもそもなぜ私がこんなことしている? 一体誰のせいでこんなことになった? そうだ、あいつだ、あいつがすべての元凶だ!」
アランはそんな勝手な独り言をいいながら、怒りをこめたプッシュタッチでジョーの部屋に電話をした。
プルルル、プルルル、プルルル、プルルル、プルルル、ガチャッ!
「ふあーあ、むにゃむにゃ、もーしもし」
「ジョーか? アランだ! プロジェクトリーダーのアラン・オザットだ。今すぐ私の部屋に来い!」
「んー、アラン? あー、アランリーダーっすか。なんすか一体? あれ? 今何時っすか?」
「何時だろうと関係ない! 今すぐ私の部屋に来い!」
「えーっと、げっ? まだ夜中の一時じゃないすか?」
「いいから早く来い!」
「なにキレてるんですか? もう面倒くさいなあ。分かりましたよ。行けばいいんでしょ、行けば!」
ジョーは、眠気で重い体を無理矢理起こすと、寝癖のついたボサボサの頭のままでだらだらと着替えをして、三十分後ぐらいにアランの部屋にやってきた。
「アランリーダー、ジョーです。入りますよ。げっ!」
ジョーが驚くのも無理はなかった。部屋の床一面には、大量の書類が何か狂気じみた状態で散乱していた。
「来たか。まあ、こっちにきて座れ!」
アランは、散らかった書類の真ん中に胡座をかいて座っていた。そばにウイスキーの瓶と、飲みかけのグラスがおいてあった。
ピシャ!
開けたドアをすぐに閉めてジョーは出て行った。すでに相当酔っていたアランはそのことに気付かず、もういないジョーに話かけながら、しばらく一人で飲んでいた。
「なあジョー、見ろよ、この書類の山を。どれもこれもぜーんぶ、今のお前、つまりオクテットになれないお前に関するものだ。くそっ! 莫大な予算をつぎ込んでやってきたプロジェクトが、ここにきて水の泡になるかもしれないとは。しかも、この私がプロジェクトリーダーになったとたんにだ! だがな、ここだけの話、今のような状況を心のどこかで私は望んでいたのかもしれない。なぜかって? そんなことは決まっている。私の愛する一人息子であるマイクを危険に晒さずに済むのだから。そしてジョー、もしこの計画が失敗に終われば、お前のような奴と関わることも一切なくなるだろう。こんなに嬉しいことはない! はは、ははは、なあジョーよ、ジョー、あれ?」
ジョーが居ないことにやっと気が付くと、アランはなぜかミカの部屋に電話をかけていた。電話をするとワンコールで彼女がでた。どうやら彼女はまだ起きていたようだった。
「はい。ミカ・ウラカンです」
「えっ!? あっ、ミカ君か?(しまった、間違えた)アランだ。こんな夜中にすまないね。いや何、その、大した用事じゃないのだが、えーと、そうそう、ジョーを私の部屋まで連れて来て欲しいんだ。さっき呼び出したんだが、急に居なくなってしまってね」
「ジョーをですか? 分かりました。彼を連れてすぐに行きます!」
「そうか、やはり無理か。えっ?」
絶対に断られると思いきや、意外にもミカは素直にアランの言うことを聞き入れた。何か腑に落ちない感じがしたが、酔っていたアランは考えるのを止めて、そのまま部屋で待っていた。
しばらくすると部屋の外が急に騒がしくなり、ドアをノックする音が聞こえた。
「アランリーダー、ミカです。ジョーを連れてきました」
「よく来てくれた。二人とも入りなさい」
「はい、失礼します」
ミカの横には、ふてくされた顔をしたジョーがいた。ミカは、嫌がるジョーを無理矢理部屋に押し込むようにして入ってきた。
「そこに座りたまえ」
ジョーとミカは長ソファーにそろって腰を下ろした。
「ミカ君もなにか飲むかね。ジョーはこれな!」
そう言ってアランは、百均ショップで買ってきた木製のお椀をジョーに差し出した。
「いえ、私は結構です」
ミカは、その二人の男たちとは明らかに違う、真剣な表情をしていた。
「そうか。ミカ君、こんな夜中に呼び出してすまなかったね。だがこの埋め合わせはまた今度必ずさせてもらうことにするよ。遠慮はいらないから、君は早く部屋に戻って休みなさい」
アランはそう言いながら、スーパーの特売で買った焼酎をジョーのお椀になみなみと注いだ。
「いいえ、アランリーダー、わたしはあなたに話があってここに来たのです。呼び出して頂いたことにむしろ感謝しています」
このときミカの口から出た「感謝」という意外な言葉が、アランの注意を少なからずも彼女に向かわせることになってしまった。
「へえー、そういうことなら、お二人でどうぞごゆっくり、じゃ、俺はこれで!」
そう言ってジョーが立ち上がった瞬間、
カーン!
天井の一部が突然開き、金だらいがジョーの頭に落ちた。ジョーは頭を抱えて長ソファーに倒れこんだ。
「なっ、なんだ? 一体なにが起きた!?」
ジョーは天井を見上げて、床に転がってる金だらいを拾い上げた。
「金だらい? なんで上からこんなものが?」
ジョーは、まだ痛む頭を手で押さえながら、アランに説明を求める視線を送っていた。しかし、アランはそれを無視してミカから目を離さなかった。
その金だらいは、護身用のシステムの一種であり、万一の場合、例えば悪漢の侵入などに備えたものだった。金だらいの落下によって悪漢たちの意表を突いて隙を作らせるのである。
その護身用システムは、部屋に備え付けられている監視カメラが、アランの顔の表情を常にモニターしており、アランが二秒以上目をつむったときに発動する仕組みになっていた。
ジョーは、金だらいを、つまり天井の方ばかりを気にしていたが、ミカはそんなことなど全く気にせず、何か意を決したように話し始めた。
「アランリーダー、唐突なことを言ってすみませんが、ジョーをしばらく私に預けて頂けませんか?」
「何だねいきなり? ジョーを君に預けるだって?」
「オクテットシステムを復旧させるためにです」
「何だって? じゃあ君はシステムダウンの原因を知っているというのか? オクテットシステムの専門技術者でも何でもない一介の宇宙パイロットにすぎない君が?」
「私はただの宇宙パイロットではありません。今は詳しく説明している時間がありませんが、私の本当の専門は、人工知能研究なのです」
「人工知能?」
「アランリーダー、三週間、いや、二週間で構いません。私とジョーに外出許可を下さい。そうすれば、オクテットシステムを必ず復活させてみせます!」
ミカの言葉には真に鬼気迫るものがあった。アランはグラスに残っていたウィスキーを一気に飲み干すと、間をつなぐために、ジョーにも早くお椀の酒をあけるようにあごで促した。何かを脅迫するかのようにじっと見つめるアランの瞳に、ジョーはとっさにさっきの金だらいのことを連想し、潔くお椀の中の焼酎を一気に飲み干した。
それから先のことは、飲み過ぎたせいでアランはよく覚えていなかった。しかし、最終的には、全身全霊でもってジョーとミカを気持ちよく送り出したという記憶がわずかに残っていた。
酒で記憶を無くすなど、アランにとっては前代未聞のことだった。そのときの言動よりも、覚えていないということそのものが無責任で羞恥であり、かつ屈辱的なものだった。
「皆さん、大変失礼しました。えーと、それでどこまで話しましたか?」
アランが振り向くと、コウタ博士は、窓際の椅子に戻って座っていた。 ヨシオ博士が、コーヒーを飲み干して言った。
「それではこの件はアラン君に一任しよう。政府の方はわしらが何とかしようじゃないか」
「ヨッちゃん、またそんな安請け合いして。ほんとに大丈夫かい?」
「コウちゃん、こっちには計略の将、シンちゃんがいるじゃないか」
「そんな期待されても困るんじゃがな。まあ、とりあえず二週間はなんとかしてみよう」
「それでこそシンちゃん! というわけでアラン君、二週間後に最終テストを行うから準備をしておいてくれたまえ。以上、解散!!」
ヨシオ博士がそう言うと、壁際の本棚が突然移動して秘密通路が現れコウタ博士がそこに消えた。またほぼ同時に天井の一部が開くと、シンスケ博士の座るイスの足がいきなりジェット噴射し、すさまじい爆音と爆風とともにシンスケ博士が天井から空に飛び立った。
そして最後のヨシオ博士は、いきなりその顎に手をかけてマスクのようものを剥ぎ取ると、一瞬で消えた。ヨシオ博士は、実はコウタ博士で、且つホログラフだったのだ。
他の二人は、どうやら歳のせいか、せっかく被っていたマスクを脱ぐのを忘れてそのまま行ってしまったらしい。つまり、コウタ博士と思っていた人物が、実はシンスケ博士であり、またシンスケ博士と思っていた人物が、実はヨシオ博士だったのだ。
ややこしい三人の老博士がいなくなった後は、無限とも思われるような静寂と孤独がその場を支配した。アランは一人残された。最終テストの準備という重大な任務を突然背負わされて。
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