6.あだ名

 人間が発見したり発明したりしたりしたモノのほとんどには名前が付けられている。人間にはそれぞれに名前があるし、手元にある僕がこの文を打ち込んでいるモノは一般に「キーボード」なんて呼ばれているように、名前は様々ある。野生動物とかは個々に名前がなくて一括りになってしまっているが、「キリン」とか「ワオキツネザル」とか少なくとも個体種は名前で分けられている。とにかく、区別するための材料として名前は使われているのだ。

 さあ、題名を見てくれたまえ。

「あだ名」

 これは正式名称とは異なった愛称を指す言葉だ。個人的にこの「あだ名」っていうのがあまり好きになれない。というのも、「あだ名」は漢字で書くと「仇名」になる。仇になる名前なのだ。仇っていうのはよくない。「恩を仇で返す」「情けは仇」などと、人に迷惑をかけることを意味する言葉なのだ。どうして人に対する別名を「あだ名」と呼ばれるようになったのかは、日本語研究を数十年して立派な髭を貯えた教授にしか分からない話だが、僕が想像する中では、他人につけられたセンスの無いニックネームのせいで、沽券を損ない、財産を失い、妻に逃げられ、遊女に明け暮れ……という境遇に陥った人間が「仇名」なんて言葉を思いついたのだと思う。別に僕は結婚もしてないし、もっとも未成年なため「妻に逃げられ~」ということはないのだが、今までつけられたあだ名に一つだけ沽券を損ないそうになった名称があるのだ。この名称はニックネームなんて横文字よりは、あだ名と言う方がピッタリだと思ったから、題名は「あだ名」となっている。

 さて、僕はいつもボヤボヤのピーな救えない人間だが、義務教育を受けてきたのだから同級生もいたし、友達もいた(と思う)。だから、名字をそのまま呼び名とされることが多かったが、僕をあだ名で呼ぶ者もいたのだ。

 小学生時代に多く呼ばれたあだ名を思い返すと、

「おじさん」

「おじいさん」

「おじいちゃん」

 と、なぜか老いぼれ扱いされたものがほとんどであった。これは僕の法令線が目立つルックスとちょっと驕った態度がそう呼ばれる所以になっていると今の僕は推理している。そんなあだ名達の中で、先述の「沽券を損ないそうになった」あだ名が一つあるのだ。そう、それが

「起き上がり土下座エビ」

 である。

 文字に起こして再度確認したが、やはりそれが何なのかよく分からない。土下座は起き上がっていないし、エビも起き上がっていない。確かに「土下座」と「エビ」は形がいささか似ているが、それを名前の中につなぎ合わせるセンスを少なくとも僕は持ち合わせていない。僕もまだはっきりとその名前の真意を捉えているわけではないのだが、一応思い当たる節を話していく。

 初めてそのあだ名がつけられた時。それは体育のマット運動の時であった。運動が苦手であることを自負している僕は、他の体育の授業と同様にマット運動が得意ではなかった。友人がマットの上で飛んだり跳ねたりしているのを見たり、運動のできる者が「見ろよ、ロンダートだぜっ」なんて言って、かっちょよくマットの上を回っているのを見ていると引け目を感じたものである。

 僕はそのとき、端の方でコソコソと後転の練習をしていたのだ。基礎中の基礎である前転(つまりはでんぐり返し)は幼稚園の頃からできていた(皆できるはそんなもん)。だが、後転となると話は変わってくるのだ。後ろ方向に回転するのは、ちょっと怖いのである。何というか、黒塗りの箱に手を突っ込んで中身を当てるゲームのように、見えない→予想できない→怖い、という構図が構築されるのである。

 別に及び腰になって、おいらそんなことしたら死んじまうよぉ、などとビクビクするまでではなかったのだが、やっぱり見えないのは怖かったのだ。

 そんな時に、ちょっと体操のできる(と記憶している)とある女子に、後転の方法をコーチしてもらったことがあった。

 ご教示が始まってすぐに彼女は「ほらよッ」と、掌を返すように難なく後転をこなして見せた。それは素人目には「この人は後転をするために産まれてきたのだろう。きっとそうだろうウムウム」と映るわけである。そして、彼女は言うのだ。

「最初はこうやって耳元に手を持ってきて、後ろにゴロンと転がる。そしたらマットに手がつくから、エイッて押すの。後は回転を止めないで綺麗に着地すればできるから」

 とのこと。そんな簡単にできたら僕がロンダートに対して「いいなぁいいなぁ」視線を送ったりせんわいっ、と内心思いつつ、アドバイスの通りに後転にチャレンジすることとなった。

 言うとおりに耳元に手をもってきて、首の骨をやっちまわないように注意しながら後ろ方向に倒れる。僕は大丈夫かねえ、なんて考えつつ、恐る恐る後ろ方向に回転をかけた。ここで、恐る恐るしたのが悪かったようだ。僕のような臆病な人間は、勢いでこなそうとすることにリスクがあることを知っていて、試験的な段階ではゆっくりビクビクな動きになってしまいがちなのである。

 僕の後転は勢いが足りず、ナマケモノの大道芸のような形となった。それは、肩を付けた似非逆立ちのような姿勢になってしまい、個人ではどうにもできない膠着状態に陥ったのだ。

これはマズい、この体勢は末代までの恥となりうる。即座にそう判断した僕は、足を伸ばして推進力をつけて、逆振り子のような形で一回転してみせた。いや、ここで彼女の言っていた「綺麗に着地」ができたらよかったのだが、その「綺麗」というのは素人にはきつい。一昨日初めて砂糖が甘いことをしった人間が、プリンアラモードを作るくらいにきついことなのだ。

結果、マットの上で「綺麗」なドベーッて感じの土下座が完成。きっと、このときの「土下座」と、振り子効果で足を伸ばしたところが脱兎のごとく逃げる「エビ」(正確にはザリガニな気がする)、土下座の後にむっくりと上体を起こした所が「起き上がり」なのだと思う。

それっきり、その子にはマットの時間の度にそのあだ名で呼ばれ続け、なんだか人間失格の烙印を押されたような気分になったのであった。だが、今では少しぎこちないかもしれないが、後転はできるようになっている。これが彼女のおかげであるとしても、嬉しいのか悔しいのかよく分からん複雑な心境である

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