4.食べ物の量について

 今日の夕方、テレビをつけると大食い企画をしていた。見ると、大食い自慢の芸能人が集まって、どこかの料理店の目玉メニューであるバケツラーメンを食べる速さを競うものであった。その様子を、洗濯物を室内干ししようとしていた母親が見て、

「なんか大食いって美味しそうに見えないよね。あんまり味わっていない気がする」

 と言っていた。その言葉を聞いて再度画面内の料理とそれを食べる人を見て、確かにその通りだなあ、と感じたのだ。これは僕の勝手な印象であり、大食いをタレントとしている芸能人からしたら迷惑な話かもしれないが、食道に食べ物を流し込んでいるだけで、スプーン一すくいの味を噛みしめているように見えなかったのだ。ましてや、それらの食べ物を、顔を赤くして食べている様子を見ると、当人もこっちも苦しくなるものである。

 ここで、反対に食べ物の量が少ないのはどうなのだろうか、と僕は考えた。大食いが美味しそうに見えないのであれば、ウサギの餌くらいの量であれば美味しそうに見えるか、ということだ。

 早速僕は高級フレンチと一緒に「アン・ドゥ・トロゥワ」などとどーでも良いようなことを思い浮かべて、少量の料理について考えた。まずはオードブルとして箸でガサッと掻っ攫えば一口で食べられそうな野菜と、その周りに「特製」と名の付く橙のソースがある。料理名は、僕のような一般庶民が普段聞きなれない「何とか何とかの(横文字)」なんてものが出てくるわけである。

 そのあとも、スープや魚料理、ソルベ、肉料理やフロマージュ、デザート、と料理名を一日百回唱えようと注文時に噛みそうな立派なものが机に出たり入ったりする。そして、どれも少量で高級。もしも食べていたら、舌の上に乗せただけで、

「おら幸せだあ」

 などと言ってしまいそうなものだ。しかしこの場合、一般庶民は珍しさが味より勝ってしまい、味わおうと力んでしまう。特に、僕のような人間は力みすぎてしまう。少量な料理は満腹にならないため、大食いをして呻吟するよりは味わえるのかもしれないが、何ともこう……気軽に美味しそうに味わえないような気がしてしまう。背筋を伸ばして「おいしゅうございます、おいしゅうございます」と、言わずにはいられない雰囲気がある。

 そこで、やはり世の中には適度なものが大切なのだと実感するのだ。

 人間が食に関して最も気軽にいられる環境、それは自宅に限るだろう。いつも通りの風景で食べるいつも通りの量。それが適度に値するのだ。

 時々、「あなたの好きな食べ物はなんですか?」と聞かれたときに、

「実家の肉じゃがですかね、おふくろの味ってやつですよ」

「うちのカレーライスです。やっぱり一番しっくりくる」

 などという返答があるが、これというのは実際に味がおいしいのだろうが、食べる量が適度であるから一番味わえているではないだろうか。知らんけど。

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