プレゼントその一

 従姉の綾音が同じアパートに越してきてから、一週間と少々が過ぎた頃。ゴールデンウィークという長い休日も終わり、いつも通り通学する日々のことだった。


 その日は、大半の人間にとっては何の変哲もない一日だった。けれど、一部の人間にとってはそうではない。


 今回の場合、その一部の人間に該当するのは麗奈だった。今日は麗奈にとって特別な日――給料日なのだ。


 麗奈はまだアルバイトを始めて三週間足らずなので、大した額はもらえない。けれど初の給料ということもあって、彼女は今朝からずっとソワソワしていた。


 そして学校が終わった後は近くのATMに駆け込み、お金を下ろした。


「とりあえず学費用に一部は残しておいて、後は生活費として早乙女さんに渡して……」


 財布にしまいながら、お金の使い道を考える。たくさんあるわけではないので、麗奈としては大事に計画的に使いたいところだ。


「…………」


 さて何に使おうかと思案し始めたが、そこでふとエリカの顔が脳裏をよぎった。


 エリカと同棲を始めて、もう一ヶ月が経った。その間、麗奈は数え切れないほどエリカの世話になっている。彼女には、感謝してもし切れない。


「……何かお礼がしたいな」


 ポロリと短く言葉が漏れた。意識してのことではない。ただ無意識の内に自然と溢れてしまったのだ。


 けれどその言葉は麗奈自身、自分でも驚くほど戸惑うことなく、すんなりと受け入れられた。


 エリカへの恩は、未だに積み重なるばかりで何一つ返せていない。常日頃、感謝は何度も言葉にはしているが、それだけだ。


 たまには目に見える形で感謝を表してみるのも、悪くはない。お金も入ったので、タイミングもピッタリだ。


「よし……」


 エリカへのお礼は何がいいか。麗奈は頭の中でいくつかの候補を浮かべながら、帰路につくのだった。






「助けて、綾姉!」


「……いきなりどうしたの、麗奈?」


 突然の訪問者に、綾音は目を丸くした。


 現在麗奈がいる場所は、アパートの綾音の部屋の玄関前だ。時刻は午後五時前で、先程ATMに寄ってから数分しか経ってない。


 普段ならまっすぐエリカが待っているであろう自分の部屋に戻るところだったが、今日はとある事情で従姉である綾音の部屋に寄っていた。


「何の用かは知らないけど、立ち話もなんだからとりあえず中に入って」


「……お邪魔します」


 綾音の先導の元、部屋の中へ通される。


 二人はローテーブルを挟んで向かい合う形で互いに座ると、話し始めた。


「それで、話って何? いきなり来たってことは、それなりに大変なことなんでしょ?」


「うん、実は――」


 麗奈は事情を全て話した。


 綾音は黙々と麗奈の話を聞いていたが、やがて麗奈が話し終えると開口一番、


「ふむふむ……つまりエリカちゃんには普段お世話になってるから、そのお礼に何かプレゼントを贈りたいってこと?」


「うん、だから綾姉にも相談に乗ってほしいの。どんなのを贈れば、早乙女さんが喜んでくれるか私にはよく分からないから……」


 帰りの最中、どんなプレゼントなら喜んでくれるのか麗奈なりに真剣に考えてみたが、結局いい案は出なかった。


 そこで麗奈より年上である綾音に頼ることにした。彼女なら自分にはない妙案があるかもしれないと期待してのことだ。


「綾姉、一緒に早乙女さんのプレゼント考えてくれない? お願い!」


「……仕方ないなあ。そこまで頼られちゃったら、従姉として断るわけにはいかないよ」


「綾姉……! ありがとう!」


 やれやれといった感じでお願いを聞き入れた綾音に、麗奈がパっと表情を輝かせる。


「どういたしまして。それで、何かこれを贈りたいとかないの?」


「うーん……やっぱり贈るんだから、もらって喜んでくれるものがいいかな。けどどういったものならいいのか、見当がつかなくて……」


「なら、エリカちゃんの好きなものでいいんじゃないの?」


 綾音の言う通りだ。一番確実なのは、相手の好きなものを贈ることだ。これならほぼ間違いなく喜んでもらえる。ただこのやり方には一つだけ問題がある。それは、


「……早乙女さんって、何が好きなんだろ? 綾姉は知ってる?」


「いや私に聞かれも困るんだけど……。エリカちゃんとの付き合いは麗奈の方が長いでしょ?」


「それはそうだけど……」


 綾音の指摘通り、麗奈の方がエリカとの付き合いは長い。とはいっても、わずかニ、三週間程度の差だ。そこまで大きなものではない。


 付け加えるのなら、エリカには趣味と呼べるものがない。少なくとも麗奈は、エリカが趣味と呼べるようなことをしているのを見たことがない。


 強いて上げるなら家事が趣味と言えなくもないが、あれは必要だからやっているだけのことだ。


「ど、どうしよう……」


 ただプレゼントを贈るだけなのに想像していたより難しくなったことに、麗奈は焦りを覚えた。


「そんなに悩むのなら、いっそ本人にでも訊けば?」


「……いきなり訊いたりしても、変じゃないかな?」


 もしプレゼントを渡そうとしているのに気付かれたら、エリカは遠慮してもらつてくれない可能性がある。麗奈はそのことを危惧していた。


「それとなく訊けば大丈夫でしょ。少なくとも、ここでずっと悩んでるよりはマシだと思うし」


 そのそれとなくが麗奈には難しいのだが、綾音の言う通りそれしか手段はなさそうだ。


 悩んだ末、結局麗奈は綾音の言う通り、エリカに気付かれないよう彼女好きなものを探ることに決めた。






 ――それから約二時間後。空もすっかり夜闇に覆われ、見上げれば月がよく見える時間帯。


 夕食の皿の載ったちゃぶ台を囲うようにして、麗奈、エリカ、そして綾音の三人が座っていた。


 麗奈とエリカの二人が住む部屋に部外者の綾音がいるのはおかしいことだが、麗奈もエリカもそのことを指摘しない。


 綾音は引っ越してきて以降、よく麗奈たちの夕食の席にお邪魔しているからだ。麗奈は当初エリカの迷惑になるのではないかと懸念していたが、エリカの「二人分も三人分も、作る手間は変わりません」という発言を受けて気にしないことにした。


 綾音も自分の食べた分の食費は払うと言っているので、特に問題があるわけではない。その内、こうして三人で夕食を食べるのが日課になる日が来るかもしれない。


 とはいえ、今日綾音がこの部屋を訪れたのは夕食をごちそうになるためだけではない。麗奈に協力して、エリカの好きなものを聞き出すためにいる。


 今の麗奈は相変わらず美味な夕食を口に運びながら、話を切り出す機会を伺っている。ただ、エリカは普段食事中は必要以上に喋らないタイプだ。おかげで、食事をしながらもいつ切り出すべきか悩んでいた。


 ふと脇の辺りに何かがぶつかった。ぶつかったものの正体を確認してみると、隣に座る綾音の肘だった。どうやらエリカに気付かれないよう、こっそり小突いたようだ。


 いったい何なのかと不思議に思いながら綾音の方を見ると、『さっさと好きなものを訊け』と言わんばかりの視線が麗奈を射抜いていた。


 確かに、このまま何もせず時間を浪費するわけにはいかない。麗奈は食事の手を止め、意を決して口を開く。


「さ、早乙女さん! 早乙女さんって、何か好きなものとかある!?」


「好きなもの……ですか? ……いきなりですね」


 突然の問いが意外だったのか、エリカは蒼色の瞳を瞬かせた後、箸を置く。そして顎に手を当てて考えるような仕草をした後、


「……モヤシ、ですかね」


「モ、モヤシ? ……それって、あのモヤシ?」


 まさかの答えに、つい訊き返してしまう。


「相川さんの言うあのモヤシというのが何を指しているのかは分かりませんが、私が言っているの今相川さんが食べているモヤシのナムルに使った方のモヤシです」


「そっか、そのモヤシかあ……」


 モヤシとは何かの略称か隠語の類では? と考えたりもしたが、どうやら普通のモヤシらしい。


 実に主婦力の高いエリカらしい答えだ。世界広しと言えど、好きなものを訊かれてモヤシと答える女子中学生はエリカぐらいのものだろう。


 しかし残念なことに、モヤシは麗奈の求めていた答えではない。


「モヤシは素晴らしい食材です。安い上に応用も利く、家計の頼もしい味方なんですよ?」


「そ、そうなんだ……」


 心なしかいつもよりエリカの言葉に熱が入ってるように見えるのは、きっと気のせいではないはずだ。


 しかしこれは困ったことになった。当初の目論見通りエリカの好きなものを聞き出すことには成功したが、モヤシは流石に想定外だ。


 まさか日頃お世話になったお礼として、モヤシを渡すわけにもいかない。あまりにも安上がりすぎる。もっと他に何かないのだろうか。


 とはいえ、これ以上訊くとエリカに怪しまれてしまう。どうすればいいのかと苦悩していると、


「あー、エリカちゃん? 多分だけど、麗奈が聞きたいのはそういう答えじゃないと思うよ?」


 この状況を見かねた綾音が、助け舟を出してくれた。


「そうなんですか? 好きなものは何かと訊かれたからモヤシと答えたのですが、何か間違えていましたか?」


「うん、ちょっと違うね。少なくとも、麗奈が聞きたかったのは、食べ物の好き嫌いではないね」


「なら何を聞きたかったんですか? ちゃんと言葉にしてくれないと分かりません」


 最もなことを言う。確かに麗奈の質問は、少しばかり言葉足らずではあった。……まあだからといって普通はモヤシなどという答えは、中々出てくるものではないのだが。


「そうだねえ……例えば色とか花とか動物とか、そういうのでエリカちゃんは何か好きって答えられるようなものはない?」


「色や花や動物……ですか」


 思案する素振りを見せるエリカ。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと閉ざしていた口を動かした。


「色や花に拘りはありませんが……猫とかは好きですね。時折気分転換に動画を見ますが、とても癒やされます」


「だってさ、麗奈」


 綾音が麗奈に話を振る。


 綾音のおかげで、目的を達成することができた。麗奈は胸中で協力してくれた綾音に謝意を述べる。


 こうして麗奈は、エリカへ贈るプレゼントの見当を付けた。

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