従姉その二

「……なるほどね、そんなことがあったんだ」


 エリカと同居人であることがバレた後は、十分ほどかけてエリカとの同棲まで至った経緯を全て説明した。


「叔父さんたち相変わらずだね。まあ、ある意味元気そうなのはいいことだけど……」


 呆れた様子を隠そうともしない綾音。残念ながら事実なので、麗奈には両親を擁護することはできない。


「麗奈も、色々と大変だったね」


「うん……でも早乙女さんが助けてくれたおかげで、何とか今日まで過ごせたよ」


「そっか、なら良かった」


 綾音の顔に安堵の表情が浮かぶ。麗奈の身を案じていたことが、表情からよく分かる。


 綾音がエリカの方に向き直る。


「けど従妹の麗奈がお世話になったのなら、私からもお礼を言わないとね。麗奈のことを助けてくれてありがとうね、エリカちゃん」


「エ、エリカちゃん……?」


 いきなりの名前呼びとちゃん付けに面食らうエリカ。しかしすぐさま動揺を押し殺して、話を続ける。


「いえ、私にも利益のあることだったので、お気になさらず」


「ははは、エリカちゃんは子供なのに謙虚だね」


 エリカの大人びた態度を綾音はそう評した。これには内心麗奈も常に思っていたことなので、思わず頷いてしまう。


「でも会ったばかりの人といきなり同棲なんて、二人共色々と大変だったんじゃないの? 私も高校時代からの友達とルームシェアを始めたばかりの頃は色々苦労したし、今まで不便とかなかったの?」


 不便はないかと訊かれて、麗奈はエリカと過ごした一ヶ月足らずのことを振り返ってみるが、特に思い当たるようなことはなかった。


 むしろその逆で、エリカと一緒に暮らし始めてからは以前よりずっといい生活を送れていた。


「……私は特になかったかな? 早乙女さんとの生活には特に問題なんてなかったし。むしろ私の方が、早乙女さんに迷惑ばかりかけてたと思うよ」


「そんなことはありませんよ。相川さんは家事を手伝ってくれますし、いつも私の作った料理を美味しいと言ってくれますから、私も作り甲斐があります」


 エリカが麗奈を擁護してくれる。


「ふむふむ、二人共仲は良好ってことか。良かったね、麗奈。エリカちゃんみたいないい人に助けてもらえて」


「うん、そうだね。それは私も同感」


 麗奈はエリカに返し切れないほどの恩がある。未だに恩を返すどころか積み重なっていくばかりだが、いつかは受けた恩を返したいと思っている。


「けど、いつまでもこんな生活を続けていいわけじゃないよ? 麗奈はそのこと、ちゃんと分かってる?」


「そ、そんなこと、言われなくても分かってるよ。でも、お父さんとお母さんからは未だに連絡がないし……」


 今更他人に言われるまでもない、麗奈自身が十分承知していることだ。だというのに返した言葉はどこか言い訳じみていて、終わりになるにつれて尻すぼみしていった。


 まるで心臓を鷲掴みにされたような衝撃が、麗奈を襲う。想定していなかった衝撃に、麗奈は内心動揺した。


 そんな麗奈の姿を目にした綾音は、顔つきを心なしか真面目なものに切り替えて麗奈に話をする。


「……ねえ麗奈。もし麗奈が良かったらなんだけどさ、私と一緒に暮らさない?」


「え……?」


 予想だにしない綾音の提案に、間の抜けた声が出てしまった。


 しかしそんなものはお構いなしと言わんばかりに、綾音は話を続ける。


「もちろん、家賃を含めた生活費は私の方から出してあげるよ。これは麗奈にとっても悪い話じゃないんじゃない?」


「ちゃ、ちょっと待ってよ綾姉! どうしていきなりそんな話をするの?」


 少しの間呆然としていた麗奈だが、はっとすると慌てて訊ねた。それほどまでに、綾音の話は急だったのだ。


「どうしてって、これ以上他人のエリカちゃんに迷惑をかけないために決まってるじゃん。叔父さんと叔母さんがいつ戻ってくるのか分からないなら、これからもどれだけ迷惑をかけるのか分からないでしょ? それなら他人のエリカちゃんより、従姉の私と一緒に暮らす方が、麗奈も気が楽なんじゃない?」


「そ、それは……」


 綾音の言うことは至極真っ当なことだ。どうせ迷惑になるのなら、赤の他人より親戚の方がまだ気持ち的に楽だ。


「で、でも綾姉の提案は私一人で決めていいことじゃないよ。元々同棲の件は早乙女さんとの約束なんだから、早乙女さんの意見も聞かないと……」


 そう、同棲の件は麗奈の一存だけでどうこうできる事柄ではない。そもそもエリカが同棲の件を麗奈に提案したのは、エリカは母親に一人で暮らすことを反対されていたからだ。


 エリカはその問題を解消するために、家賃滞納で困っていた麗奈に同棲しないかと話を持ちかけたのだ。


 麗奈と綾音の視線が、自然と正面に座るエリカに集まる。


 対するエリカは二人の視線を受けて、ゆっくりと唇を動かす。


「相川さんの好きにしていただいて結構です。私の母親の件も気にしないでください。以前アルバイトを始めると仰った時にも言いましたが、私には相川さんを縛る権利はありませんから」


「……ッ」


 相も変わらず冷めた言葉。こういう状況でも、エリカ通常運転のようだ。


 麗奈はエリカに物言いに、なぜか悲しみを覚えた。きっと麗奈のためを思っての発言なのに、嫌だと感じてしまった。


 まるで突き放すかのような言葉が、麗奈の胸に抉られるような痛みを与える。


 だがエリカがこう言っている以上、麗奈が綾音の提案を受けない理由はない。後ろ髪引かれる想いを胸の内に抱えながらも、麗奈は綾音の提案に首を縦に振ろうとする。


「ですが――」


 しかし麗奈が頷くよりも前に、エリカの口が動いた。


「相川さんと一緒にご飯を食べられなくなるのは……少しだけ寂しいです。私の料理を美味しいと言ってくれるのは、嬉しかったですから」


「早乙女さん……」


 エリカの言葉が予想外だったため、麗奈は瞳を瞬かせる。語るエリカの表情が普段より柔らかいと感じたのは、きっと麗奈の気のせいではないはずだ。


「ですから、もしワガママを言わせてもらえるのなら、私はまだ相川さんと一緒にいたいです。……ダメ、でしょうか?」


「う、ううん、そんなことないよ! 私も早乙女さんと一緒にいたいよ。でも……私がいても迷惑じゃない? 私、早乙女さんの迷惑にしかならないよ?」


「迷惑ではありません。……迷惑なんて思ったことは、一度もありません」


 麗奈とエリカは一ヶ月足らずという、短い期間同棲していただけの関係だ。エリカがここまで言ってくれる理由が、麗奈には分からなかった。


 けれど目の前の少女が求めてくれるのなら、断る理由はない。いや、断りたくなかった。彼女のためにできることがあるのなら、麗奈はしてあげたかった。


 麗奈は隣に座る綾音に向き直る。


「……綾姉。一緒に暮らす件、誘ってくれてありがとう。でもごめん、綾姉の話は受けられない。私はまだ、早乙女さんと一緒にいたいから」


 麗奈は綾音へ自分の意見をハッキリと告げた。


 そして断られた綾音の顔に苦笑が浮かぶ。


「……残念、フラれちゃったか。まあ、麗奈がそう言うのなら仕方ないね。エリカちゃんとの仲も私が思ってたよりいいみたいだし、ここで二人を引き裂いたら、私の方が悪者になっちゃうよ」


 そう言って、綾音はあっさりと引き下がった。次いで綾音はエリカに話しかける。


「エリカちゃん、そういうわけだから麗奈のことよろしくね」


「はい、お任せください。相川さんには、不自由はさせません」


「ははは。そのセリフ、普通は年上の麗奈が言うべきなんだけどね」


「う……ッ」


 綾音の耳の痛い発言に、麗奈は思わず顔をしかめる。年下の女の子に養われるというのは、地味に辛いものがある。


「まあ私もこれからは同じアパートで暮らすわけだし、ちょくちょく様子を見にくるから。麗奈も何か困ったことがあったら、私に相談していいからね」


「うん、ありがとう。綾姉」


 麗奈は従姉の気遣いに感謝を告げた。


 ――この日以降、綾音は言葉通りちょくちょく部屋を訪れるようになる。なぜか来るタイミングが基本夕食時なのだが、それはまた別の話である。

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