従姉その一
二人で下着を購入した翌週。その週は、ゴールデンウィーク期間に突入した。
例年なら幼馴染の環奈と遊んだりしているが、今年の麗奈にそんな余裕はない。なぜなら、今年の麗奈にはバイトがあるからだ。
ゴールデンウィーク中は、朝から夕方まで休憩を挟みながらのバイト三昧の日々だ。例年とは比較にならないほどの大忙しだ。
そして、そんな忙しいゴールデンウィーク期間中の数少ない休日。麗奈は慣れないバイトの疲れを癒やすため、リビングでゴロゴロしていた。
エリカは家事の類も全て終えて手持ち無沙汰なのか、ちゃぶ台の上に筆記用具と教科書を広げて真面目に勉強をしていた。
「ああそういえば言い忘れていましたが、今日このアパートに新しい入居者が来ます」
ふとエリカが勉強を中断して麗奈の方を向くと、新たなアパート入居者の存在を告げた。
「へえ、そうなんだ。その新しい入居者って、前は早乙女さんが使ってた部屋に入るの?」
「はい、そうなりますね。空き部屋が埋まって、大家としては嬉しい限りです」
以前エリカが使っていた部屋は、今いる部屋から左側に二つ部屋を挟んだ向こう側だ。麗奈たちのいる部屋からはかなり近い。
「一応、来たら挨拶とかした方がいいのかな?」
「どうでしょう? 最近はあまり人付き合いをしたがらない人もいるので、難しいところですね」
余談にはなるが、麗奈は隣室の住人とは特に交流はない。このアパートで暮らし始めて一年経つが、そもそも顔を合わせたことすらない。
一時期は空き部屋だと思っていたほどだ。もしかしたら、生活リズムが学生の麗奈とは根本的に合わないのかもしれない。
しばらく居間で過ごしていると、外が少しだけ騒がしくなった。麗奈は何事か気になったので玄関まで向かい、ドアスコープ越しに外を覗いてみる。
外には、某引っ越しセンターの作業服を着た体格のいい男たちがいた。大きくて重そうな家具を数人がかりで運んでいる。
恐らく、先程エリカが言ってた新しい入居者が手配した業者だろう。忙しなく動き回っているのが、ドアスコープ越しでもよく分かる。
これはしばらくかかるだろうなと思いながら、麗奈は玄関から離れてエリカのいる居間に戻る。
それから二時間ほど経った頃のことだった。外が静かになり引っ越し作業が終わったのかと思っていたところに、ピンポーンという軽快なインターホンの音が聞こえてきた。
この部屋に来客というのは、エリカと同棲するより以前からあまりないことだった。仮に来るとしても、大抵の場合は相手するのも面倒な新聞勧誘員だ。それ以外だと、時折幼馴染の環奈が遊びに来るくらいだ。
エリカの来客という可能性もあるが、それなら先程新しい順入居者のことを話した時のように、事前に何か一言くらいあるはずだ。
その証拠に、インターホンの音を聞いたエリカは麗奈同様首を傾げている。
「誰でしょうか……?」
「私が出るよ」
立ち上がろうとしたエリカを手で制して、麗奈が玄関へ歩を進める。
最近は何かと物騒なので、ドアを開ける前に一声かけておく。
「どちら様ですか?」
短く問う。すると答えはすぐに返ってきた。
『私、この度二つ隣の部屋に越してきた者です。少し挨拶をさせてもらおうと、こちらに伺いました。今お時間はよろしかったでしょうか?』
どうやら、今日越してきた新しい入居者が律儀に挨拶をしに来たようだ。
予定にない来客ではあるが、せっかく来てくれたのに無下にするのも悪い。今は特に忙しいわけでもないので、応じることに決めた。
「今開けますね」
麗奈は鍵を解除してドアを開けたところで――まるで石にでもなったかのように、動きを止めた。
それは向こうも同じだったようで、麗奈同様石のように固まっている。
麗奈の眼前にいる女性は、まず栗色のナチュラルボブが目につき、年は麗奈より三つから四つほど上に見える。
薄化粧と耳のピアスもあって、麗奈は垢抜けた雰囲気を感じ取った。
二人は数秒ほど見つめ合いながら沈黙する。それを先に破ったのは、麗奈だった。彼女は意を決して、口を動かす。
「……
「……麗奈?」
そして互いに確認の意味を込めて、相手の名前を呼び合った。
「――いやあ、まさか引っ越し先で麗奈に会えるとは思わなかったよ」
アパートの新しい入居者――
琴浦綾音。二十歳。麗奈とは親戚で、所謂従姉というやつだ。麗奈とはかなり仲が良く、幼い頃は親戚が集まる時はよく一緒に遊んでいた。麗奈にとっては、まさしく姉の如し存在だ。
月日が経ち親戚同士で集まる機会も減ったことで、ここ数年二人は顔を合わせることがなかったので、会うのは本当に久し振りだ。
現在麗奈はエリカ、綾音と共に居間にいる。綾音が一緒にいるのは、積もる話もあったので麗奈が招いたからだ。
ちゃぶ台の上には人数分のお茶が置いてある。エリカが用意したものだ。
「本当に久し振りだね、麗奈。元気にしてた?」
「うん、まあ一応元気……だったかな?」
少し疑問系になったのは、つい先日まで家賃滞納の極貧生活をしていたから。まあ今となっては昔のことだ。気にしても仕方ない。
「……というか綾姉、そろそろ人の胸を触るのやめてくれない?」
「えー、いいじゃん。久し振りに再会しただから、この程度のスキンシップくらい許してよ」
なぜか綾音は麗奈の隣に座るのではなく背後に回り込み、麗奈の胸を触っていた。環奈という幼馴染である程度のスキンシップには慣れている麗奈だが、流石にこれは許容できない。
しかし警告したにも関わらず、綾音は触るのをやめる気配がない。
「それにしても、ちょっと会わない内にこんなに成長して……生意気な!」
「ひゃ……ッ! ちょっ、綾姉何を――んッ!?」
先程までの撫でるような触り方から打って変わり、突然綾音が麗奈のたわわな双丘を揉みしだき始めた。しかも服の下に手を伸ばしているから、直揉みだ。
いきなりの奇行に、麗奈は驚愕する。まさか胸を揉みしだかれるなど、誰が予想できただろうか。
何とか振り解こうとするが、胸を揉まれて上手く力が出ずされるがままだ。
「おほん!」
とそこで、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。ちゃぶ台を挟んだ向こう側に座るエリカのものだ。
先程からずっと黙って麗奈と綾音のやり取りを見守っていたエリカだが、流石に目の前の光景は見過ごせないようだ。
「お二人共、久し振りの再会を喜んで戯れるのは結構ですが、見苦しいのでそういうことは私のいないところでしていただけますか?」
常日頃淡々とした言葉で話すエリカだが、この時ばかりは聞く者の背筋にゾクリと悪寒が走るような冷たい声音だった。
「ありゃりゃ、怒られちゃった。仕方ないかあ」
エリカの言葉がそれなりに効いたようだ。麗奈はようやく解放された。
綾音は麗奈の胸から手を離すと、麗奈の隣に腰を下ろした。
「あ、ありがとう、早乙女さん。おかげで助かったよ」
「いえ、お気になさらず。ただ私は、心の底から見苦しい思ったから言っただけなので」
「そ、そう……」
エリカのどことなく棘のある言葉に、麗奈はたじろぐ。
ただ、今のエリカは怒っているというよりは拗ねているといった感じだ。同棲を始めてまだ一ヶ月足らずではあるが、麗奈は無表情なエリカの感情が何となく読み取れるようになっている。
とはいえ、あくまで感情が分かるだけ。その原因まで知ることはできない。何となく気マズくなって、麗奈は逃げるように隣に座る綾音に話を振る。
「そ、そういえば綾姉、どうしてこのアパートに引っ越してきたの? 私綾姉がいきなり来たから、驚いちゃったよ」
「ああ、そのこと? 実はちょっと前まで高校時代の友達とルームシェアしてたんだけど、ちょっと色々あってさ。……前のところにはいられなくなって、ここに引っ越してきたんだ」
話し終えると、綾音の陽気な表情が陰りを見せる。話していて、何か嫌なことでも思い出したのだろうか。
綾音の表情だけであまり面白い話でないことは十分察せられたので、麗奈は深くは追求しないでおく。
綾音も麗奈のそんな配慮に気付いたのだろう。表情を明るいものに取り繕って、話題を変える。
「あ、そういえばそこの子にはまだ自己紹介してなかったね。私は琴浦綾音。麗奈の従姉だよ、よろしくね」
「私は早乙女エリカと言います。よろしくお願いします、琴浦さん。私はこのアパートの大家をしているので、何か困ったことがあったら相談してください」
対するエリカも以前麗奈にした時と同じような、淡々とした自己紹介をする。
綾音は、エリカの大家という単語に目を見開いた。
「え、大家? こんな小さい子が?」
「小さい子は余計です。これでも私は、中学生です」
「いやいや、まだ小さい子供じゃん。中学生の大家なんて聞いたことないよ。……というか、この部屋に来た時からずっと疑問だったんだけど、どうして二人は一緒にいるの? どういう関係?」
「ええと、それは……」
不意の問いに即答することができず、麗奈は口を噤む。
まさか正直に全部話すわけにはいかない。そんなことをすれば、綾音にいらぬ心配をかけてしまう。
適当に友人とでも答えるのが無難だろうか、と麗奈は思考を巡らせる。しかし、
「一緒にいるのは、私と相川さんが同棲しているからです」
「ちょっ、早乙女さん!?」
綾音の疑問に答えたのは、麗奈ではなくエリカだった。
いきなりのエリカの暴露に、麗奈は目を剥く。まさかエリカが何の相談もなくバラすとは、流石に想定外だ。
「さ、早乙女さん、何で言っちゃうの!? せっかく何とか誤魔化そうとしてたのに!」
「何の相談もなく勝手なことをしたのは悪いと思っています。申し訳ございません」
エリカは丁寧に頭を下げて謝罪する。
「ですがこれから同じアパートで暮らす以上、隠し通せることではありません。なら変に隠し立てせず、素直に話してしまうのが一番ではありませんか?」
「う……た、確かに」
エリカの言う通りだ。この場は誤魔化せたとしても、それはただのその場しのぎにしかなく、根本的な解決には至らない。
なら最初から全て正直に話してしまった方が、後々ややこしくなるようなこともない。
もしかしたらエリカは、麗奈が真実を話すか迷い躊躇すると予想していたのかもしれない。だから、同棲関係にあることを綾音にあっさりとバラした。
「同棲関係……ね。どうしてそんなことになってるのか、もちろん事情は話してくれるよね。麗奈?」
エリカから綾音に視線を移すと、彼女の瞳は好奇心の色で輝いていた。とてもではないが、今更取り繕うなんて真似は不可能だ。
「……はい」
麗奈は観念して頷くしかなかった。
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