エリカのお弁当

 朝の環奈との会話から数時間後の昼休み。麗奈は二つの机を向かい合う形に移動させ、環奈と二人で座っていた。


 二人共各々持参した弁当を机の上に置く。何てことのない日常風景の一幕。


「むうう……」


 だというのに、なぜか環奈は親の仇でも見るような目で、麗奈の取り出した弁当を睨みつけている。普段おっとりしている幼馴染は、いったいどこへやら。


 幼馴染の見たことがない顔に、麗奈は動揺を禁じ得ない。何と声をかけるべきかも分からず、麗奈は黙って環奈のことを見ていることしかできない。


 麗奈が見守る中、やがて環奈は閉ざしていた口を開く。


「……麗奈ちゃん、それってもしかしてお弁当?」


「う、うん、そうだよ。それがどうかした?」


 麗奈の弁当箱は長方形型の赤いプラスチック製のもの。むしろ弁当箱以外の何に見えるのだろうか。


「そのお弁当、誰が作ったの? 麗奈ちゃんじゃないよね? 麗奈ちゃんの両親は海外だし、麗奈ちゃんはお料理苦手だし……」


 幼馴染だけあって、環奈も麗奈のことはよく分かっているみたいだ。麗奈が料理スキル皆無なことをよく理解できている。


 当然のことではあるが、作ったのは麗奈ではない。同居人のエリカだ。実は家を出る前に、エリカが麗奈に持たせてくれたのだ。


 何も言わずとも弁当を用意してくれる辺り、エリカはとても気が利く人間だということがよく分かる。もし麗奈が男だったなら、間違いなくエリカに惚れていたはずだ。


「ええと……わ、私の住んでるアパートの大家さんが作ってくれたんだ」


「大家さんが? 麗奈ちゃんって、大家さんと弁当を作ってもらうほど仲が良かったの? 私、そんな話聞いたことないよ?」


 疑惑の眼差しが麗奈を射抜く。


 一瞬怯みそうになるが、毅然とした態度は崩さない。


 一応麗奈は、嘘は吐いていない。弁当を大家であるエリカに作ってもらったのは、紛れもない事実だ。ただ詳細な部分――同居人でもあるエリカの存在を語っていないだけだ。


 正直麗奈はエリカのこと、環奈になら話してもいいとは思っている。ただエリカのことを教えるなら、麗奈の現状を語る必要がある。


 話してしまえば、環奈に余計な心配をかけてしまうことは間違いない。それだけは避けたかった。


「大家さんとは最近仲良くなったんだよ。お弁当は大家さんが善意で持たせてくれたものなんだ」


 言いながら、麗奈は弁当のフタを開けた。


 弁当箱の中には、きんぴらゴボウや弁当に入るよう小さめに切られた焼き魚などの、和のおかずが隙間なく丁寧に詰め込まれていた。


 それらを見た麗奈は、無意識の内にゴクリと喉を鳴らす。


 麗奈にとって昼に弁当なんて、久し振りのことだった。具体的に言うと、約三ヶ月振りだ。


 実は麗奈は食費を切り詰める一環として、昼食は基本的に食べないようにしていた。おかげで生活費は大分浮いたが、麗奈は三ヶ月ほど午後の授業は辛い空腹に耐えなければいけなかった。


 あの時の空腹の辛さは、今でも鮮明に思い出すことができる。できることなら、麗奈はもう二度とあんな強制ダイエットみたいなことはしたくない。


 ちなみに環奈に対しては余計な心配をかけないよう、ダイエット中だからという言い訳をしていた。


「……美味しそうな弁当だね」


「そうだね。大家さん料理上手だから、このお弁当も美味しいと思うよ」


「……その言い方だと、麗奈ちゃんお弁当以外でもその大家さんの作った料理を食べたことがあるんだね」


「まあ、何度かは」


「ふーん、そうなんだ……」


 面白くなさそうな顔をする環奈。


「そ、そういえば環奈の弁当も美味しそうだよ。確か環奈もお弁当手作りしてるよね? 私は料理苦手だから、凄いなあって思うよ」


 何となくマズい空気を感じたので、話題を変えることにする。ちょっと露骨ではあったが、このままエリカの弁当の話題を続けるよりはマシだと考えた結果だ。


 すると環奈は先程までの仏頂面はどこへやら。上機嫌な様子で、だらしのない笑みが浮かべ出した。


「そ、そうかな?」


「そうだよ。私いつも、環奈のお弁当って美味しそうだなあ、って思ってたし」


 麗奈は環奈のお弁当に視線を移す。


 環奈の弁当箱は麗奈のものに比べるとやや小さく、量も少ない。けれど麗奈の目にはエリカお手製の弁当に劣らず、美味しそうに見える。


「えへへ、麗奈ちゃんが褒めてくれると嬉しいなあ。そこまで言ってくれるなら、麗奈ちゃんも少し食べてみる?」


「いいの? なら遠慮なく」


 環奈から一口サイズの卵サンドを受け取り、口に運ぶ。フワフワのパンと一緒に、柔らかい卵の風味が口いっぱいに広がる。


 環奈の料理は以前にも食べたことがあるが、間違いなく腕は上がっている。麗奈はそう確信した。


「ど、どうかな? 美味しい、麗奈ちゃん?」


「うん、凄く美味しいよ。こんなに美味しい卵サンド、生まれて初めて食べたよ。どうしたらこんなに美味しく作れるの?」


「お、大袈裟だよ麗奈ちゃん。別に特別なことは何もしてないよ」


 照れ臭そうに頬を赤く染め上げた。恥ずかしそうにしているものの、満更でもない様子だ。


「あ、そうだ。環奈も私の弁当食べる? 卵サンドのお礼ってことで」


 麗奈が勧めると、少し迷うような素振りを見せた後、麗奈の提案を受け入れた。


 麗奈から箸を受け取り、環奈は麗奈の弁当に箸を伸ばす。環奈はきんぴらゴボウを選び、流麗な動作で口に運んだ。


 モグモグと咀嚼してきんぴらゴボウの味を噛みしめるように口を動かしたかと思えば、カっと大きく目を見開き、


「ま、負けた……!」


 謎の敗北宣言と共に、環奈がガクリと項垂れる。


 環奈は負けたと言っていたが、いったい何と戦っていたのか。そうツッコみたい衝動に駆られたが、何となく野暮な気がしたので、麗奈は口を噤むことにした。


 ――この日以降、麗奈がエリカ特製のお弁当を持ってくる度に、環奈は弁当にまるで好敵手でも見るような視線を送るようになったのは、また別の話だ。

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