親友は鋭い

 朝食を終えた後は、エリカの食器の後片付けを手伝ってから制服に着替えて家を出た。


 家を出るには普段より大分早い時間だったが、あのまま家にいても特にやることもなく暇だったので、登校することに決めたのだ。


 麗奈とエリカの通う学校は、それぞれ方向が正反対だったので途中まで一緒ということもなく、アパートの前で別れた。


 麗奈の通う学校は、アパートから徒歩五分ほどの場所とかなり近い。まあ実家からでは遠すぎて通学に不便という理由でアパートで一人暮らしを始めたのだから、近いのは当然のことだ。


 部活に所属していない一般生徒が登校するには早い時間ということもあって、麗奈は道中で同じ学校の生徒を目にすることもなく学校に到着した。


 校庭の朝練に勤しんでいる部活動生を尻目に、麗奈は下駄箱に向かい上履きに履き替える。


 そして一番乗りかと思って職員室に教室の鍵をもらいに行ったが、麗奈よりも早くに登校していたクラスメイトがいたようで、すでに二年A組の教室の鍵はなくなっていた。


 いったい誰が先に来たのか疑問に思いながらも、踵を返して教室に向かう。そして教室の前まで来ると、ドアを開けて教室の中に足を踏み入れた。


 教室の中は静寂が支配しており、誰も座っていない机と椅子が立ち並ぶ中、一人窓の側に立ち外を眺めている生徒がいた。


 その者は麗奈のドアを開けた音に反応して、視線を窓から麗奈へと移動させた。


「あれ、環奈?」


 振り向いたのが意外な人物だったため、麗奈は目を瞬かせる。


「麗奈ちゃん?」


 驚いたのは向こうも同じだったようで、目を丸くしている。


 彼女の名前は音村おとむら環奈かんな。麗奈のクラスメイトであると同時に、幼稚園の頃から続く仲――所謂幼馴染でもある。


 さらりと伸びた長い黒髪と、相反するように白い肌。くりっとした瞳。整った目鼻立ち。大和撫子という単語がぴったりの可憐な少女だ。


 整った容姿とおっとりした性格もあってか人望もあり、噂ではファンクラブまで存在するとか。


 ファンクラブの実在については麗奈もよく知りないが、環奈が男子から非常にモテることだけは知っている。よく交際を申し込まれるが、全て断っているらしい。


 ちなみに環奈には意中の相手がいるらしい。小さい時からずっと好きだったとのことだが、長年よ付き合いになる麗奈でも皆目見当もつかなかった。


 閑話休題。


 環奈は窓から離れ、麗奈の方に駆け寄ってくる。そして麗奈の前まで来ると、ギュっと抱き付いてきた。


「麗奈ちゃん温かい……」


 同性相手でも少し過度のスキンシップだ。けれど麗奈は気にしない。なぜなら、環奈が抱き付いてくるのはいつものことだからだ。


 幼馴染として十年以上の付き合いがある麗奈は、環奈の過度なスキンシップには慣れている。きっと、環奈なりのコミュニケーションの取り方なんだろう。


 まあ麗奈は自分以外に環奈が誰かに抱き付いてるところなど、今まで一度も見たことがないが。


 麗奈に抱き付く環奈は、満面の笑みを浮かべている。まさに至福とでも言いたげな顔だ。十秒ほど抱き付き続けたところで満足したのか、環奈は麗奈から離れる。


「おはよう、麗奈ちゃん。いつもより学校に来るの早いね。何かあったの?」


「今日はちょっと早起きしただけだよ。そういう環奈は、いつもこの時間に来てるの?」


 今の時刻は七時五十分すぎ。ホームルームが始まるのが八時半からであることを考えれば、かなり早い。


「私はほら、弓道部の朝練があったから早めに来ただけだよ。今は朝練が終わったから、教室で適当に時間を潰してただけ」


「そっか。そういえば環奈、弓道部に入ってるんだったけ」


 ふと、以前環奈に弓を射る姿を見せてもらったことを思い出す。あの時の環奈は、惚れ惚れするほど美しかった。


 麗奈は弓道については詳しくはないが、環奈が上手いことだけは素人目でも十分分かる。噂では、次期弓道部部長は環奈だという話も耳にしている。


「……麗奈ちゃん、何かいつもと少し違わない?」


「え、いきなり何言ってるの?」


 唐突な環奈の発言に、麗奈は首を傾げた。


「だって、何か麗奈ちゃんここ最近の中では一番顔色がいいもん」


「顔色がいい……?」


 朝顔を洗う際に洗面台の鏡の前に立ったが、あまりしっかりと顔を見ていなかったので自分の顔色は、麗奈には分からない。


 だから顔色がいいと言われても、いまいちピンも来なかった。


 けれど、わざわざ指摘するということ何かあるのだろう。付き合いの長い幼馴染の環奈の言うことだ。真剣な顔をしているし、聞いておいた方がいい。


「先週までの麗奈ちゃん、病人みたいに青白くていつ倒れちゃうか分からない様子だったんだよ」


「え、私そんなに酷い状態だった?」


「……やっぱり自覚なかったんだ。私何度も麗奈ちゃんの体調を訊いたりしたんだけど、そのことも覚えてない?」


「あー……そういえばそんなことも言ってたね、環奈」


 麗奈は、三ヶ月前から頻繁に「大丈夫?」と環奈が訊ねていたことを思い出した。


 環奈は昔から麗奈に対して心配性なところがあったので、あまりまともに取り合っていなかったが、本当に麗奈の身を案じていたみたいだ。


 環奈の言った顔色が悪い原因についても、何となく察しはついていた。


 恐らくではあるが、麗奈の体調が悪く見えたのはまともに食事をしてなかったせいだろう。


 三ヶ月前から仕送りを止められた麗奈は、生活費を切り詰める必要があった。そこでまず最初に目を付けたのは、食費だ。一日の食事の回数と量を減らすことにした。


 おかげで出費は抑えられたがまともな食事ができず、麗奈は常に空腹状態だった。とても華の女子校生が送っていい生活ではなかったが、あの時は背に腹は代えられない状況だったから仕方ない。


 隠し通せると思っていたが、どうやら幼馴染には筒抜けだったらしい。元々環奈には余計な心配をさせたくなかったので仕送りが止まってしまった件は黙っていたが、あまり意味はなかったみたいだ。


 親友にいらぬ心配をかけさせてしまったことを、麗奈は申し訳なく思う。


「心配かけてごめんね、環奈。けどもう大丈夫だから、心配しなくていいよ」


「本当?」


「本当本当。ほら、私はこの通り元気だし」


 軽く身体を動かして、元気アピールをする。


 すると環奈は、安堵の表情を浮かべた。


「それなら良かった。もし体調の悪そうな状態がずっと続くなら、力ずくで病院に連れて行こうと思ってたから」


「そ、そっか……」


 冗談のようにしか聞こえないが、麗奈は目の前の幼馴染の発言が冗談ではないことを知っている。この幼馴染は、おっとりとした性格に反して行動力があるのだ。


 もしエリカの助けがなかったなら、麗奈は環奈に首根っこ掴まれながら病院に連れて行かれてただろう。


 そうなる前にエリカと出会えて良かった。麗奈は心の底からそんなことを思うのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る