同居人との朝
――それは早朝のとあるアパートの一室での出来事だった。
部屋の住人である麗奈は、ベッドと枕特有の柔らかさに身を任せていた。この二つの感触が麗奈を質の良い睡眠へと誘ってくれる。
しかし今に限っては、先の二つの他に第三の柔らかいものが存在した。独特の柔らかさを持っており、ずっと抱きしめていたい気持ちにさせられる。
麗奈がベッドとも枕とも違う柔らかい感触を堪能していると、
「――さん」
誰かが呼んでる声がした。とても涼やかな声音で、耳に心地良い。ずっと聞いていたくなる。
「――さん、起きてください」
「ん……?」
「相川さん、起きてください」
ようやく自分が呼ばれているのだと悟り、麗奈は眠気で重い瞼を開けた。
「……やっと起きてくれましたか」
「早乙女さん?」
視界に一番最初に飛び込んできたのは、人形の如し美貌の少女。声の主は、昨日から同居人となった早乙女エリカだった。
エリカの人形と見紛う美貌が目の前にある。同性だというのに、一緒に寝ていたと考えると少しドキドキしてしまう。
エリカの美貌は、寝起きの心臓にはちょっと刺激が強いみたいだ。
「どうしてこんなところに……」
いるのか、と訊ねそうになったが、昨日自分が一緒のベッドで寝ることを提案したのを思い出して口にするのをやめた。
そして代わりに朝の挨拶をする。
「おはよう、早乙女さん」
「はい、おはようございます相川さん。……ところで、起きたのならそろそろ私から離れていただけませんか?」
「え……?」
エリカの言葉の意味が分からず、首を傾げる。
けれど妙に距離の近い自分とエリカを交互に見比べたことで、エリカの言いたいことはすぐに分かった。
麗奈は、エリカのことをまるで抱き枕のように抱きしめていたのだ。しかも体格差のせいでエリカはほとんどされるがまま。麗奈の腕を振り解くことすらできそうにない。
先程から感じていた枕でもベッドでもない柔らかいものの正体は、エリカだったようだ。麗奈は慌てて抱き付いていた腕を解き、エリカを解放する。
するとエリカは「ふう……」と息を漏らして、ベッドの上で起き上がった。
「ご、ごめんね、早乙女さん。大丈夫だった……?」
「はい、何とか……」
淡々と答えるエリカの表情に、怒りの色は見られない。ただ彼女の場合、あまり感情が顔に出るタイプには見えないから、実際のところどうなのかは謎だ。
「それにしても、相川さんは胸の発育がとてもよろしいんですね。もしかして、前世はホルスタインだったんですか?」
「ホ、ホルスタインって……」
まさかの牛扱い。年頃の乙女の繊細な心が傷付けられた。
確かに麗奈は同年代の娘たちに比べると、ちょっとだけ発育が良かったりはするが、ホルスタインと呼ばれるほどじゃない。
「……早乙女さん、もしかして怒ってる?」
「別に怒ってなんていません。ただ相川さんの豊満な胸を押し付けられて、何度か窒息しかけたことを思い出していただけです」
「ご、ごめんなさい!」
麗奈は飛び起きると、その場で土下座を実行した。年下相手にみっともなくはあるが、罪悪感からやらずにはいられなかった。
「……顔を上げてください。別に怒っているわけじゃありませんから。……中々悪くもありませんでしたし」
「え……? ごめん早乙女さん、後半声が小さくて聞き取れなかったから、もう一度言ってくれる?」
「……何でもありません。これからは気を付けてくださいね?」
そう忠告してから、エリカは麗奈に背を向けてベッドから立ち上がった。
「早乙女さん? どこ行くの?」
「朝食の支度と洗濯です。この時間から始めないと、登校時間に間に合わないので」
「この時間……?」
チラリと枕元に置いてある電子時計を確認してみる。電子時計は、デジタル文字で午前六時を表記していた。
部活動の朝練がある学生ならともかく、そうではない者が起きるには早すぎる時間だ。
「早乙女さんって随分と早起きなんだね……」
毎朝ギリギリまで惰眠を貪っていた麗奈には、とても真似できないことだ。
「そうですか? 洗濯や朝食の準備があるから毎日この時間に起きているだけなので、特に早起きと思ったことはありませんが……」
エリカにとってこの時間に起きることは、何でもない日常のようだ。改めて麗奈は、エリカのことを凄いと思った。
普段の麗奈ならこの時間に目が覚めてもこのまま二度寝するところだが、今はエリカがいる。
そしてエリカは、こんな朝早くから家事をしようとしている。同居人として手伝わないわけにはいかない。
「あの、早乙女さん。朝の家事、私も手伝ってもいいかな?」
「お手伝い……ですか?」
「うん、早乙女さんに全部任せちゃうのも悪いし……ダメかな?」
料理は手伝おうとしても力になれないどころか、足を引っ張る結果になりかねないが、洗濯ぐらいなら以前からやっていたので麗奈にもできる。
「いいえ、ダメなんてことはありません。お手伝いをしてくださるということでしたら、私の方から断る理由はありませんし、むしろお願いしたいくらいです」
「本当? なら良かった」
麗奈から安堵の息が漏れる。このまま家事を全てエリカに任せてしまうと、麗奈はダメ人間になってしまう予感があったので一安心だ。
「では私が朝食の準備をするので、その間に洗濯の方をお願いしてもいいですか?」
「うん、任せて」
昨日はエリカに色々と任せっきりだったので、自分も役に立てることがあると分かった麗奈は、笑顔で頷いてみせた。
「美味しい……! この朝食最高だよ、早乙女さん」
時刻は七時を回った頃。麗奈は洗濯を、エリカは朝食を作り終え、できたての朝食を摂っていた。
朝食は白米と卵焼きに半身の焼き魚。そして最後に味噌汁だ。昨日同様和食オンリーだ。もしかしたら、エリカは和食が得意なのかもしれない。
ちなみに味に関しては昨日と変わらず、美味しいの一言に尽きる。元々麗奈は和食好きなのもあって、この朝食はご馳走だ。
「また大袈裟なことを言いますね。別に大した朝食だとは思えませんが……」
「そんなことないよ。朝からこんなに手の込んだご飯、私食べたことないもん。この味噌汁だって……」
言いながら、熱々の味噌汁を啜る。
朝食に温かい味噌汁なんて、何年振りに飲んだだろうか。昔のことすぎて、麗奈はもう思い出せそうにない。
ついでにまともな朝食なんて久し振りすぎて、涙が流れそうになる。
「こんなに美味しいものを作れるなんて、本当に凄いよ」
「……そうですか。そこまで仰ってくださるのでしたら、こちらも作り甲斐があります。味噌汁、まだおかわりがありますが、いかがですか?」
「うん、おかわりもらうよ」
麗奈は笑顔で空になったお椀を差し出した。
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