一日の終わり
「「いただきます」」
エリカが料理を始めて一時間後。麗奈とエリカの二人は、料理の乗ったちゃぶ台を挟む形で座っていた。
ちゃぶ台の上の料理は肉じゃがやきんぴらゴボウといった、和食が中心のラインナップとなっている。
どれも芳しい香りを放ち、麗奈の食欲を刺激してきて、麗奈は思わずゴクリと喉を鳴らす。
ちなみに女の子二人分にしては量が多かったりするのだが、これはエリカが引っ越すのならということで、掃除も兼ねて自分の部屋の冷蔵庫の食材の大半を使った結果である。実に無駄のない仕事だ。
「美味しそう……どれから食べよっかなあ」
誰かの手作りなんて食べるのは、麗奈にとっては久し振りのことだ。いやそもそも、まともな食べ物にありつけたの自体、三ヶ月振りのことだ。
三ヶ月前に親からの仕送りが途絶えてから、麗奈は食費を始めとした色々なものを切り詰める必要があった。
そのため三ヶ月間ロクなものを食べていなかった。だから久々のまともな食事、しかもエリカの手作り料理に麗奈は大ハシャぎだ。
「そうやって悩むのもいいですが、早くしないと料理が冷めてしまいますよ? 作った側としては、できれば温かい内に食べてほしいものです」
「あ、ごめんね、早乙女さん」
エリカの言う通りだ。せっかく作ってくれた料理が冷めるのは、麗奈にとっても本意ではない。
麗奈は最初に食べる料理にメインの肉じゃがを選び、箸で掴んで口に運ぶ。そして、
「お、美味しい……!」
想像を超えた美味しさに、つい感嘆の言葉を漏らしてしまった。久々のまともな食事というのもスパイスとなって、より美味しく感じられる。
「早乙女さん、これ凄く美味しいよ! 早乙女さんって料理上手なんだね」
「この程度、褒められるほどではありませんよ。……まあ、そこまで喜んでいただけたのなら何よりですが」
視線を少し斜めに逸しながら、満更でもなさそうな様子で呟いた。
何というかもう、エリカの家事全般のスペックが高すぎる。最初は年下の女の子ばかりを頼って情けないと内心自分を責めていたが、ここまで高スペックだとそんな気持ちも失せてくる。
これは高い女子力――いや、高い主婦力を持っていると言っても過言ではない。麗奈はエリカに母性――バブみを感じずにはいられなかった。
「……ねえ、早乙女さん」
「はい、何ですか?」
「今度からママって呼んでもいい?」
「バカですか?」
辛辣な答えが返ってきた。エリカは見た目とは裏腹に、意外と毒舌家なのかもしれない。
それからもエリカお手製の料理に舌鼓を打ち、お腹いっぱいになるまで麗奈は食べた。久々の満足感は、麗奈にとって心地良いものだった。
食事を終えた後は二人は後片付けとして食器を洗ったり、風呂に入ったりと必要なことをした。食器洗いに関しては、エリカにばかり家事をやらせるのは申し訳ないと思い、麗奈も手伝った。
そして時計の針が十一時を回った頃、二人は就寝の準備に入ったのだが、ここで一つ問題が発生した。
「私は床に布団を敷いて寝ますから、相川さんはそこのベッドで寝てください」
「ダ、ダメだよ、そんなの!」
二人は寝る場所で言い争っていた。論点は、どちらがベッドで寝るかについてだ。ベッドは一つしかないから一人は床で寝ることになるわけだが、互いに相手に譲ろうとするから、話が一向に進まない。
年下の女の子を床で寝かせておいて自分はふかふかのベッドで寝られるほど、麗奈の肝は太くはない。
「この部屋の主は相川さんです。ですからベッドを使うべきなのは、相川さんです」
「でもそんなの悪いよ……早乙女さんは私より年下なんだから、遠慮なんかしないでいいんだよ」
「お気遣いはありがたいですが、別に遠慮しているわけではないので気にしないでください」
話は平行線を辿り、終わりが見えない。互いの折れる気がないのだから、当たり前のことだ。
あまりにも不毛な話し合い。どうすれば互いに納得かと麗奈は頭をひねる。問題なのは、ベッドは一人用しかなくて二人で寝ることができない点だ。この点をどうにかすれば……、
「あ、そうだ」
一つだけ妙案……というには大袈裟ではあるが、この状況をどうにかする案が浮かんだ。
「ねえ早乙女さん。このままだと埒が明かないから、折衷案でベッドで一緒に寝ない?」
「一緒に……ですか? ですがそのベッドは一人ようですよね? 流石に二人で寝るのは厳しいと思いますけど……」
エリカ指摘した通り、ベッドは一人用だ。元々一人暮らしの麗奈が使っていたのだから、当然のことである。
けれど麗奈は、ちゃんとその当たりのことは考えている。
「その点は大丈夫。だって早乙女さんは小さいから、私と二人一緒でも余裕で寝られるよ!」
「……小さい、ですか」
ポツリと呟いたエリカの雰囲気が変わったように感じたのは、麗奈の気のせいではないはずだ。もしかしなくても、麗奈は失言をしてしまったのかもしれない。
「さ、早乙女さん……?」
「小さい……そうですか、私は小さいですか。まあ確かに女性にしては色々と大きい相川さんに比べれば、私はミジンコのようなものですよね」
「そこまでは言ってないよ!?」
特に前半の麗奈の身体が色々と大きいという部分は、麗奈としては全力で否定したいところだ。エリカが小柄だから大きく見えるだけで、麗奈は標準サイズのはずだ。そうに決まっている。
それに小さいとは言ったけど、別に貶すような意図があったわけではない。ただ小さいから二人で寝ても問題はないと、指摘したかっただけだ。
けれど人の地雷というものは、他人にとってはどうでもいいことだったりするもの。小さいという単語は、エリカにとっては禁句だったのかもしれない。
怒っていないことを祈りつつ、恐る恐るエリカの顔色を伺う。
するとエリカは、口元に手を当てているのかと思えば、
「ふふふ、分かってますよ。今のは冗談です」
微笑というレベルではあったが、間違いなく笑っていた。さっきまでまるで能面のような無表情だったこともあって、今のエリカの微笑は麗奈に鮮烈な印象を与えた。
「相川さんがそこまで言うのでしたら、私も一緒に寝ましょう。……相川さん、どうかしましたか?」
呆然としている麗奈に、エリカは首を傾げた。
対する麗奈はエリカの疑問には答えず、代わりにただ一言。
「早乙女さん……笑うと可愛いね」
「……何を言ってるんですか、相川さん? 私が笑っていたなんて、目の錯覚ではありませんか?」
「え、でも今――」
「それより早く寝ましょう。明日は平日ですから、普通に学校もありますし」
「あ、うん。そうだね……」
ブルリと背筋に冷たいものが走るほどの冷淡な声音。言外にそれ以上追求するなと言っているように聞こえたのは、決して気のせいではないはずだ。
麗奈はエリカの言葉に頷いて、二人で一緒のベッドに入る。ベッドは一人で使ってた頃よりは狭くなったが、それでもエリカが小柄なこともあって寝る分には問題はない。
三ヶ月間抱えていた家賃滞納の不安が消えたせいか、この日の麗奈はベッドに入るとあっさりと意識を手放した。
――この時の麗奈は、エリカの白銀の髪に隠れた小さな耳が赤く染まっていたことに、最後まで気付けなかった。
「……相川さん」
二人で一つのベッドに入ってから三十分ほど経った頃。エリカは背を向けて寝ている同居人の名前を呼んだ。
けれど返事は一切なく、規則的な寝息が聞こえるだけだ。
麗奈が眠っていることを確認すると、エリカは麗奈との距離を縮め、無防備な麗奈の身体に抱きつくように腕を回した。
回した腕に軽く力を込める。女性特有の柔らかい感触がパジャマ越しに伝わってくる。
「……麗奈お姉ちゃん」
麗奈と応対した時とは違う年相応の砕けた口調。同時にどこか悲しげな声音で麗奈を呼ぶ。当然返事を期待したわけではない。
けれどエリカは、返事がないことに物悲しさを感じた。少しだけ、目頭が熱くなる。
「いつか私のことを昔みたいに名前で呼んでね?」
どこか祈るように呟きながら、エリカは麗奈の身体を抱いて眠りに落ちた。
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