同棲
「ど、同棲……?」
「はい、同棲です」
「同棲って……一緒に暮らすってことだよね?」
「同棲ですから、当然ですね」
「…………」
突然の同棲発言に、麗奈は戸惑いを隠せない。初対面の人間から同棲の話を持ちかけられたのだから、当然の反応だ。
場を沈黙が支配する。けれどそれはほんの数秒のことで、やがて麗奈の方から沈黙は破られた。
「……ど、どうして、いきなり同棲したいなんて言うの? 理由を訊かせてくれない?」
「ええ、もちろん構いませんよ。私はお願いする立場です。その辺りの事情も、しっかりと説明させてもらいます」
そう言って、エリカは居住まいを正す。それからエリカは話の続きを始めた。
「先程私はこのアパートの大家だと言いましたが、このアパートを所有しているのは私ではありません。私の母です。なので今の私は、仕事の都合で海外にいる母の代理といった方が正確です」
「へえ、そうなんだ」
内心、中学生が大家というのはおかしいと感じていたので、今の説明で麗奈の疑問は氷解した。
「ですが一つ問題がありまして……実は私、アパートで大家代理として一人で暮らすことを母に反対されているんです。中学生の子供一人じゃ危険だという理由で……」
エリカは相変わらず感情を感じられない表情で、困ったように語る。
実の娘が親元を離れて一人暮らし。親としては心配して当たり前だから仕方のないことではあるが、エリカはそれが不満みたいだ。
残念ながら両親が放任主義の麗奈には共感はできないが、子供扱いを嫌がっていることだけは理解できた。
「ですから私は考えたんです。一人暮らしが問題になるのなら、一人じゃなければいい。つまりは同居人がいればいいのだと」
「……それで私と同棲したいって言ったの?」
「はい、その通りです。察しが良くて助かります。相川さんの存在は、私にとっても渡りに船です。……どうですか? 私の話は受けていただけますか?」
「それは……」
麗奈は答えに窮して口を閉ざす。
同棲の件は家賃の支払いを待つ対価としては、決して悪いものではない。むしろ麗奈にとってはいいことしかない。
けれど何も知らない初対面の人間と同棲というのは、どうしても気後れしてしまうもの。即答することはできない。
「これは、相川さんにとっても悪い話ではありませんよ。もし私と同棲してくださるのなら、その期間中は家賃は取りません」
「え、それ本当……!?」
「ええ、もちろんです。相川さんと同棲すれば、部屋が一つ空いて他の人に貸し出せますから。ああそれと同棲するなら、私の方がこの部屋に行きますよ。私はあまり荷物もないので、引っ越しも楽ですし」
「…………」
麗奈は思わず、ゴクリと喉を鳴らす。
至れり尽くせりとは、まさにこのこと。エリカは、先程からずっと麗奈のことをよく考えた発言をしてくれている。
ここまで言われてしまうと、流石に今更断るなんてできない。麗奈は覚悟を決めることにした。
「……分かったよ。その話、引き受ける」
「はい、ありがとうございます」
エリカは麗奈の言葉に軽く頭を下げて、感謝を示した。
「とりあえず同棲期間は、滞納した家賃の支払いが終わるまでということでよろしいですか?」
「あ、うん。私はそれでいいけど……」
「なら決まりですね。それでは、どれほどの期間になるかは分かりませんが、これからしばらくの間よろしくお願いします」
エリカがスっと雪のような白い手を伸ばしてきた。握手を求めていると気付くのに、少し時間を要した。
「ええと……うん、よろしくね。早乙女さん」
第一印象が人形のような娘、だったので握手を求められたのは少し意外だったが、麗奈は悪い気はしなかったので応じる。
握ると人形のような外見とは裏腹に、ほんのり温かくて柔らかい感触が返ってきた。女の子特有の感触だ。
こうして家賃滞納三ヶ月の麗奈の、大家でもあるエリカとの同棲生活が決まった。
「では同棲することも決まりましたし、早速引っ越しの準備を始めましょうか」
「あ、引っ越しなら私も手伝うよ。一人じゃ大変でしょ?」
先程荷物があまりないから引っ越しは楽と言っていたけれど、それでも一人でとなるとかなりの重労働になるはずだ。
一人でやるより二人でやった方が効率がいい。何より、年下の女の子だけに働かせるのは麗奈の性に合わない。
「ありがとうございます。でしたら私が荷物を運んでくるまでの間、失礼ですがこの部屋の整理をお願いしてもいいですか? 今のままだと、荷物を運んだところで置き場所がありませんから」
「あ、そうだね。分かったよ、早乙女さん」
麗奈はそれなりに私物の整理はしているが、これからエリカと一緒に暮らすことを考えると少し手狭だ。
エリカの私物の置き場所も必要なので、整理するなら今しかない。
二人はそれぞれの役割を決めると、すぐに動き出した。
それからのエリカの動きは迅速だった。麗奈は時間がかかると踏んでいたのに、その予想を裏切ってテキパキと引っ越しを終わらせたのだ。まるで、最初から同棲するつもりだったかのような手早さだ。
おかげで麗奈の部屋の整理も含めて、日が暮れる前に全て終えることができた。
「んー、思ったより早く終わったね」
グっと身体を伸ばしながら、麗奈はそんなことを言う。
「そうですね。これも相川さんが手伝ってくださったおかげです。ありがとうございます」
エリカも麗奈に対して同意と感謝を口にした。
麗奈の部屋はエリカが引っ越しを終える前と比べると手狭ではあるが、これからしばらくの間二人で暮らすのだから仕方ない。
「そろそろ夕食の時間が近づいてますね……相川さん、夕食の準備をしたいので台所をお借りしてもよろしいですか?」
「え、早乙女さん、料理できるの?」
「ええ、多少は」
「料理までできるなんて……凄いね、早乙女さん。私料理なんてできないよ」
中学生なのに大家をしているだけでなく、料理までできる。自分より年下の女の子のハイスペックぶりに、麗奈は戦慄を禁じ得ない。
「あ、でも私普段自炊しないから、夕食の材料とか冷蔵庫に入ってないよ。何か必要なものがあるなら、私が買ってこようか?」
「いいえ、大丈夫です。食材は私の部屋にあったものを使いますから」
「…………」
付け入る隙がないとは、まさにこのこと。何から何まで完璧だ。本当に自分より二つも年下なのか、麗奈は疑いたくなってきた。
「ああそれと、嫌いなものや食べられないものはありますか?」
「嫌いなものや食べられないもの……特にないかな?」
仮にあったとしても、麗奈は口には出さなかっただろう。料理を作ってもらうだけでも申し訳ないのに、ワガママを言えるほど麗奈は図太くはない。
「そうですか、それは良かったです」
エリカは麗奈の返答に一度頷くと、そこで会話を切り上げ、台所を向かった。
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